人情あり、刃傷あり、背負うに痛く、腕に抱く、衣結びて、今日も生きる

 レビュータイトルで、もう、私の言いたいことは凝縮してしまった感じだが、それだけでは味気なかろう。
 忠邦、もとい、叩くにもってこいの木魚と誹られるわけにもいくまい。

 そう、水野忠邦――時は、天保である。

 大飢饉も、失政も。お上がどうであろうと、下々の者は、生きねばならぬ、食わねばならぬ。ままならぬ世の中にあって、逞しく、或いは。慎ましく。知が無くとも、血を吐こうとも、地に伏せようと、恥に泣こうとも。
 童や生娘、芸者や商い人、果てはお侍からお殿様まで。

 そんなご時世、そこかしこに描かれる生きる日々の触れ合いは、かすがいであり、縁を結び付けるものである。その生活臭、息遣いを、この作品から感じ取ることが出来る。

 膝を打つのが、人間模様だ。
 国家を論ずるも良い。大局を憂うも良い。愛に殉ずるも良い。
 聴き心地の良い、見栄えの良い、大輪の花を、誰もが夢想する。

 だが、しかし。
 ふと、足下に咲き、小さな花を愛でても良い。
 撫子には、早咲きと遅咲きがあるのだそうだ。

 早咲きは結衣、遅咲きは相模であろうか。
 この二人の抱擁に思うことは。
 人は、顔を上げ、前を向き、歩みを進める生き物であり、しかし、その背に負うものを捨てることもまた、出来ぬ生き物であるということだ。
 誰かを抱き締める、という触れ合いは、その背に負う過去、その人生を受け止める行為ではないだろうか。

 さてに、さてはと、お立ち会い。
 江戸は千住、榮屋、縁の結び目。
 誰もが何かを背負いし人情絵巻。
 これを読まずに、何を負う?

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