第4話 蔓モモンガは巻きつかれて

「君が通報をしてきた子だね?」

 そう警官に聞かれ要人が連れて行かれた後、咲樹は光陽と二人空を見つめていた。警察が捜査の為に持ち込んだ大きなライトが、不自然な影を生みながら辺りを照らしている。

 さっきまでそこに有ったモノは、既に撤去されている。ビニールシートの囲いが出来、視界も遮られたけれど。だけど、さっきまでアレが有った場所は、咲樹たちの場所から何もない空間として見えている。

 後から集まった野次馬にとってはただの空間だけど。

 咲樹は首を巡らせ、校舎の裏手に目を向けた。

 裏手はささやかな林になっていて、その先は小さな崖になっている。

「ここだな」

 咲樹は大股でその崖に向かって進み、振り返った。ぼやけた輪郭を生み出しているライトに照らされた空間に、さっきの光景が重なる。

「岩陰?」

 光陽が、咲樹に習って振り返る。

 そこには何もないのに、ゾクリと背中が震えた。

 要人の不吉な宣言の後、咲樹は現場に駆けつけた。光陽も続いた。

「え。ムリ」

 美春はそう言ってパスしたけど。

 野球部の練習を終えての帰宅時に、要人は校舎裏を抜け道として使う。そこで見つけたのだ。それは、絵本の挿絵のように思えた。

 この光景を知っている。何処かで見た気がする。だから驚いて怖がるというより、何の話だっけ…?と考えるのに忙しかった。それでも、桃色ネズミ…と思いついた時にはゾッとした。

 校庭に突き出た何かの棒に貫かれているのは、桃色ネズミじゃない。人間だ。

 すぐに連絡を入れたのは、咲樹たち図書委員6年のグループラインだった。自分の記憶が正しいかかを確かめたい好奇心の方が勝ったのだ。思いの外時間が掛かったのは咲樹の返事が長かったせいで、目の前の光景を報告した後、ちゃんと警察にも通報した。

 最初は子供のいたずら?と疑っているような軽い対応だったけど。

 じゃあ、部活で疲れててお腹も空いたし、宿題もあるから、もう帰ります。

 そう宣言したら、すぐ行くから!学校に戻り、先生と待機して居るように。と言われて足止めをされた。

 すぐと言ったけど、先に来たのは咲樹と光陽の方だったけど。

 お陰で、3人現場を観察できた。推理小説も守備範囲内の3人は、勿論現場を荒らすようなヘマはしない。

 貫いているのは、木の根じゃ無くて竹の棒だった。だけど、分かる。間違い無く桃色ネズミを模している。

「要人、食欲、有る?」

 そう言ってラップに包んだおにぎりが入ったポリ袋を差し出したのは、光陽。

「母親に持って行けって言われたんだけど…」

 勿論、死体を見に行くとは言ってない。部活終わりの要人に渡すものがあるから…と嘘をついて出て来た。そしたらお腹が空いているだろうから…と持たされたのだ。

 光陽の胃はちょっと酸っぱさが拡がって来ている。

「勿論。食う。ありがと」

 要人は躊躇なく袋を受け取るとカサカサ音を立てておにぎりを引っ張り出して、花壇のヘリに腰を下ろしてかぶりついた。

 一応、死体に背を向けて。

 そのお陰で、警官に連れて行かれた時には空腹を感じずに済んだ。


「咲樹、光陽、お前たちまだいたのか」

 要人に付き添っていた学年主任の品川先生に見つかった。

「第二発見者ですから」

 しれっとそう答えた咲樹に、呆れたような顔をしながら

「要人もそろそろ終わる筈だから、お前たちは帰りなさい。誰か先生が送って行くから…」

 と視線を彷徨わせた先生に

「要人と話してから帰ります」

 そうきっぱり答えた。

 咲樹の目が爛々として居る。好奇心に駆られて居る咲樹に何を言っても無駄だ。

 そこで光陽は溜息をついた。

 まったく、咲樹も要人も、物語の中の死体と現実の死体の区別がついていないんじゃ無いだろうか。まったく動揺していない。

 人並みにデリケートな光陽はさっきから気分が悪い。先生も気がついた。

「光陽、顔色悪いぞ」

「自転車なんで、一人で大丈夫です。悪い、咲樹。先帰って良い?」

 一応お伺いを立てたけど

「お疲れ」

 咲樹はそう言って軽く右手を挙げただけだった。

 おい…と先生の声が聞こえたが、構わず自転車で走り出した。

 気分が悪い。

 必死でさっきの死体を桃色ネズミの死体に脳内で切り替え、気持ちを紛らわせ、数分後には帰って宿題をしないと…と考えられるまでになっていた。光陽は頭の切り替えが上手い。成績優秀の秘訣だ。


 要人も、間も無く解放された。子供の出歩く時間の範疇を超えて居る…と先生の交渉も効いたのかも知れない。

「また質問に伺うと思いますが…」

 と念を押されての解放だった。

「あの人、あまり血、流れていなかったですよね?」

 そんな大人の都合お構い無しで、咲樹は唐突に質問を開始した。

「…って事は、死んでから刺されたって事?」

 推理小説でよく出て来る。心臓が停止してからの傷からは血が吹き出したりしない…と。

「バカだな、咲樹。捜査状況を一般人に話す訳ないだろ」

 要人もマイペースに言い放った。

「大人の男の人だったよね。死体刺して棒毎持ち上げるのって、凄く力持ちだと思う」

「駅前の英会話スクールの先生だって。62歳だって言うから骨スカスカだったら軽いかもよ」

「お前たち、推理小説ごっこはそこまでにしなさい」

 呆れたように先生に止められた。

 警官は苦笑いして居るが、応えてはくれなかった。

 桃色ウサギは出血しないのだ。アトトックの根に、血を吸い尽くされて居るのだから。そこまで模したのだろうか。それとも便宜上の問題か…

「次の被害者は?」

「蔓モモンガ」

「巻きつかれて…か」

 咲樹と要人は頷き合った。大人たちの耳には届いていない。

 2人は品川先生のシルバーの四角っぽい車に押し込められ、その場を後にした。



 騒がし森の中でも、とても静かな住民もいます。

 例えば、蔓モモンガです。彼らの声を聞いたことがありますか?もしあったとしたら、ええ。それはとても貴重な体験です。

 彼らは人生の大半を、蔓のように長くて柔らかい関節の四肢を木に巻き付けて過ごします。木の色に擬態して居るので、見付けようと思ったら、木の幹が、枝が、不自然に隆起して見える箇所を凝視してごらんなさい。きっと、疑った5回に1回は巻き付いた蔓モモンガを見つけることが出来るでしょう。特に彼らは沼杉がお気に入りです。水分を大量に吸い上げるその木に巻き付き、その木の表皮に傷を付け、滲み出る蜜を飲んで過ごします。殆どの場合、彼らの生涯の食料はそれだけです。けれど、繁殖期だけは違います。木の蜜目当てに寄ってきた昆虫や、運悪く横切った小鳥などを、長い四肢を使って仕留め、貪ります。

 彼らが木から離れるのは、余程運が悪く全く繁殖期の食料にありつけない時か、木が枯れ、思う程も蜜がしみ出さず、別の木に住み替える時か。もしくは、そう、まさしく今。アトトックの木から逃げる時くらい。

 彼らはモモンガです。木から木へ、飛び移りながら逃げるのです。

 けれども、一本の沼杉に巻き付いていた蔓モモンガは、一人ぼっちでした。あちこちの木から仲間たちが飛び立つのを見ました。それまで自分と同じだと思っていた仲間たちが腕をしならせ飛び立つ姿は、とても優雅でした。

「君も飛ぶんだ」

 1番近くの枝にいた仲間がそう言いましたが、彼はぶるりと身を震わせました。

「だって僕は飛んだことがないし、誰も教えてくれなかったんだよ」

「大丈夫だよ。だって君は蔓モモンガだもの」

 そう言ってその仲間も飛び立ちました。

「だって…僕はこの枝から離れたことがないんだ…」

 彼はそう言って、仲間が飛び去る方を見つめました。

 今まで感じたことのない、危険を感じます。怖くて怖くて枝に巻きつける腕に力が入ります。皆がどんどん遠ざかって行きます。仲間たちだけじゃなく、全ての生き物が、森全体から遠ざかって行きます。

「あぁ、僕は本当に一人ぼっちになっちゃう」

 飛んでみようか…ちょっとそう思いましたが、それはとても怖いことで、それ以上に怖いことがあるとは思えませんでした。

 蔓モモンガは強く枝に四肢を巻きつけました。こうして、恐怖をやり過ごそうと思いました。酷い嵐の夜のように。

 そんな彼の腕に足に、そして胴体に、わらわらと這い上がって巻き付いて行く…そう。アトトックの根です。

 可哀想な蔓モモンガは、産まれてから一度もその枝から離れることなく、巻きつかれた根に血を吸い尽くされ、まるで剥がれかけた木の表皮のように枝にぶら下がっていたのです。


「あると思うのか?」

「始まったなら、新しい刻の実が赤く染まるまで終わらないよ」

 要人の問いに、迷うことなく咲樹は即答した。

 どこかで木々の葉がざわっと揺れる音がした。

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