図書室で殺さないで

月島

第1話 始まりは、消えた一冊の本

「あれ」

 人差し指で本の頭を撫でるように前に倒し、咲樹は声をあげた。

 ダークグリーンの古めかしい布張りの背表紙に、金の文字が踊って居る。

 いつもの様に触った瞬間古い本のピリッとした紙の手触りを感じた。…が、そんな感触に浸る状況ではない。

「3巻がない」

 不愉快そうな声色に、他の本の整理をしていたメンバーが手を止めて咲樹を見た。

「貸し出し中じゃないの?」

 おっとりとした声で、同じ六年生の美春がなだめるように言いながら、後ろから本棚を覗き込んだ。各巻色を違えながら本来隙間無くきっちり詰まっていた本棚に、ちょうど一冊分の空間が出来ている。

 貸し出しノートをめくりながら

「騒がし森の60日間?いや、貸し出してない筈だな」

 同じく六年生の光陽が言ったので、咲樹のこめかみがピクリと引き攣った。

 ヤバイ…と五年生たちは俯き加減に目配せしあった。

「何でよ。誰か、貸し出しノート記入忘れた?」

 咲樹の視線が巡って来るたびに、皆首を激しく横に振る。

「ここ数ヵ月、1、2巻も誰も借りてないのに、3巻だけ持ってくか?」

「今まで抜かれてたら、咲樹が気がつかないはずないしね」

 六年生たちの的確な指摘に、五年生委員たちはコクコクと首を縦に振る。

「じゃあ、何で無いのよ」

 本の事となると容赦が無い咲樹の性格を知って居るだけに、五年生たちは緊張のあまりぎこちなく身を寄せ合う。六年生たちは流石に付き合いが長いだけあって、苦笑いで済ませて居る。

「様子を見るしか無いんじゃない?すぐ戻ってくるかもしれないし」

「防犯カメラが有る訳じゃ無いしな」

 二人の意見に

「防犯カメラ…その手があったか…」

 と言い出した。普段は良い委員長なのだ。冷静で平等で。ただ、本に対する敬愛が過ぎるのだ。まぁ言えば、変人の域で。

「朝見た時はあったのよ。この昼休みの貸し出し時間までの間に無くなったのよ。誰か、クラスに不審な動きをした人は?」

 犯人探しを始める気らしい。

「5、6年とは限らないし」

 と光陽がたしなめ、

「先生が資料として必要で持って行ったのかも」

 と美春が呑気な意見を述べる。


 その時、チャイムが鳴った。予鈴は五分前に鳴って居る。つまり、これは本鈴だ。

「5時間目始まっちゃいます」

 気弱な五年生詩音が、泣きそうな声で訴えた。

 行って。と言う風に光陽が五年生に向かって手を動かした。

「放課後また考えよう」

 美春が咲樹の背中を押し、図書室から押し出して鍵を掛けた。

 そこからは皆ダッシュ。授業に遅れて叱られるのと、廊下を走って叱られるのと、どっちがマシかなんて考えてる余裕は無かった。


 幸い、チャイムを聞いてから職員室を出る先生よりも、教室が近く、更に走った分早く着席でした。

 1人以外は。

「要人。言い訳は有るか?」

 予鈴が鳴ったら準備をし、本鈴と同時に教室に到着する妖怪…じゃなくて図工の東雲先生。グレーのおかっぱの頭髪に山羊髭の妖怪みたいな爺さん先生が、要人の目の前で冷ややかな目を向けてくる。背は小さくて痩せてて、頭だけ大きく見える。

「図書委員で…」

「予鈴までで終わって居るはずだ」

 言い訳聞く気なんてないだろ。とムッとする。

「本が無くなってて。それで話し合ってました」

 こっちには立派な言い訳があるんだ。叱るなら咲樹にしてくれよ。

「図書委員長が解放してくれませんでした」

 そんな思いを全部乗っけて言い訳した。本当の事だけど、大人はそれを言い訳って呼ぶんだろ。

 妖怪先生はちょっと虚をつかれた顔をして、

「本が?」

 そう言って目を丸くした。

「そんな事に気がつくか?あれだけ本があって、貸し出しで出入りがあったのに」

 そりゃ、普通そう思うだろ?

「咲樹ですから」

 要人は、平然とそう言って見返した。

 先生がぐぅ…と口の中で言う。

 コレがぐうの音ってやつ?じゃあ、ぐうの音は出たんだね。と思っていたら、座れ!と手で命令された。

 だよね。と、おとなしく座った。


「森園!余所見していて、授業が頭に入るのか⁉︎次の大漁を読みなさい」

 5時間めが国語だった咲樹は、黒板に金子みすゞの詩を書き終わって振り向いた先生に見咎められた。学級文庫の本棚に視線を向けて考え事をしていた咲樹は、視線を先生に向け、黒板をチラと見た後立ち上がり、視線を窓の外に漂わせたまま朗読を始める。朗読…?暗唱?

「お、おい…?」

 先生が途中で止めに入ったが、咲樹は既に、先生が左手に持ち黒板に書き写した詩集の三作目まで暗唱していた。勿論、そのまま最後の詩まで暗唱できる。

 泳いでいた視線を先生に戻し、もう良いの?という無言の質問を投げた。

「座りなさい」

 という先生の言葉に素直に従う。

 元々は真面目で聞き分けの良い生徒なのだ。ただ、今日は機嫌が悪い…?と先生も感じ取っていた。

 座った咲樹は、先程と同じように思考を巡らす。

 頭に中にあるのは、勿論紛失した本のことだけだった。


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