第6話 天魚絶滅と刑事登場

 天魚は、淡水に生まれ落ちます。

 ピン…と張り詰めるような冷たい空気の中。小さくて、丸くて、透明で。白くてピンクで水色で緑で、そのどれでも無い。どんな宝石よりも美しい。そんな幼魚時代を過ごし、約60日後。ふわり…と水面から空中に浮き上がります。浮き上がりながら、漂いながら、くるりと回転します。透明な膜がほどけ、それが体を覆って居た薄い羽根だったことが分かります。

 その神秘的な美しさを、なんと表現したら良いでしょう。何十匹の天魚たちが一斉に宙で姿を変えて飛び立つ様は、もう、奇跡を目にしているとしか思えないのです。

 薄い透明の体内には赤い血が流れ、それが天魚をピンク色に見せて居ます。


 そう…天魚にも赤い血が流れているのです。60日前に、アトトックの紅い刻の実が手折られたことなど、知る由もない彼らにも。


 こんなに残酷で、そしてやはり神秘的な光景が、他にあるでしょうか…?


 どんな宝石よりも美しい透明な球の天魚の幼魚は、空中に浮き上がり、姿を変える間もなく長い鞭のような木の根に貫かれ、赤い血が弾け飛ぶその瞬間に血を吸い尽くされ、透明な膜のように空気中に見え隠れしながら水面に落ち、そして消えて行くのです。まるで最初から何も居なかったかのように、何十もの命が消し去られたのです。

 この儚く美しい天魚は、もう、この世界のどこを探しても存在して居ません。もう二度と、誰も、あの奇跡を目にすることは出来ないのです。

 種が絶滅するということは、そう言うことです。どんな命にとっても。

 誰も、その悲劇を歌に出来ないし、語る者もいません。忘れ去られるだけなのです。せめて、空想してみてください。その様を。その何百倍も、美しいのですから。


 咲樹は、図書室に残り、神妙な顔で書棚を見つめて居た。

「そんなに見つめたら、本に穴があきそうだよ」

 突然そう言われて振り向くと、ドアから一歩足を踏み込んだ知らない大人の男が、今更ドアをノックする真似をして居た。

「警察の人」

 咲樹は、疑問文か肯定文か判断の着きにくいイントネーションで呟いた。

「そうだよ。お友達に、本のことで聞きたいことがあるなら図書室に委員長がいる。と言われて来たんだけど、君がそうだね?」

 彼は入っても?と言うジェスチャーを突き出した人差し指でして、咲樹の返事を待っている。咲樹はじっと彼を見つめた。ドラマなんかでは、ここで警察手帳を出す。でも実際はそんなことしないことを咲樹は知っている。スーツだけど、くたびれたスニーカーを履いている。指は節が太くて長い。大人の男の指だ。

 警察のふりをして子供に近付く殺人鬼…と言うストーリー展開は珍しくない。勿論、警察が実は殺人鬼…って言うパターンも少なくない。


 例えば…と脳内でいくつかの作品の例をあげてみて無言だったのだけれど、男の人は行き場を失った人差し指で、困ったように頭をかいた。


「コレが、最初に持ち去られた三巻だね?」

 その後やって来た先生に、捜査に協力するように、と紹介された捜査官は、倉持と言う刑事だった。

 勿論、咲樹は興味津々だ。名探偵みたいなクセが無いか、凝視している。

 彼は本を素手では持たず、薄い膜みたいな手袋をはめてから、慎重に背表紙を掴んで引っ張り出した。二巻がないのだから、簡単に引っ張り出せるのに、丁寧な扱いだった。

「嫌だとは思うけど、コレは借りて行くよ?」

 倉持がそう言うと、咲樹は黙って、貸し出しノートとペンを差し出した。

「貸し出し期間はいつまでですか」

 その当たり前の所作に、冗談では無いと感じた倉持はちょっと考え、

「事件が解決するまで…かな」

 そう答えた。

「二週間以内に解決してください」

 そう言って、貸し出しカードに日付を記入して差し出した。

「無くなる前と戻って来てからで、何か変わった点…気付いたことは無いかな?」

 ついでに…という感じで倉持は言ったのだけれど

「34ページ目の三行と四行にかけての染みは、2週間前に見た時には有りませんでした」

 と、咲樹は即答した。

「それと、桃色ネズミの項、22ページと、25ページと34ページには、付箋を貼った痕が薄っすらある」

 更にそう続けたので、倉持はそっとページをめくる。34ページには、確かに薄い染みが有った。油分の有る液体を零したような。

 付箋の方は殆ど分からなかったが、咲樹が指し示した箇所には、確かに薄っすらと凹みが見て取れた。

「こう言うの許せないから」

 咲樹が厳しい声で言ったので、倉持は、丁重に扱います。と反射的に言っていた。


 例えるなら、誰だろう…

 過去に読んだ、色々な物語、漫画も含めて比較してみる。

 服装はヨレヨレでもないし、トレードマーク的な、帽子も、パイプも、コートも無い。特別不真面目そうでも、神経質そうでもない。馴れ馴れしくも、格好良くもない。現実は、そんなものか?

 信頼出来るのか、裏があるのか、まだ分からない。

 咲樹は、そんな第一印象を脳に書き留めた。

「倉持さん、ちょっと良いですか?」

 そう言って図書室の入り口から男が顔を出した。

「ああ」

 そう言って倉持が振り返ったので、咲樹も遠慮なく視線を向けた。既に目の端で動きに注目していたのは言うまでも無い。

 若い後輩刑事か…大人の歳は良く分からなかったが、品川先生よりは若そうで、森元先生くらいかな…?と予想をつける。森元先生は確か、28歳だったよね…と側にいない美春に問うてみる。勿論現実社会では返事など返ってこないけれど。

 名刑事の年下相棒は、ちょっと抜けていて、マスコット的キャラだったりする。勿論引き立て役だ。顔は可愛かったりするが…この相棒は可愛いは可愛い系だがどちらかと言うとfunnyな部類で、目尻の下がった大きな目が狸みたいだ。顔自体が丸い。小太りという訳では無いのだが。丸顔。…そのせいで幼く見えるのかもしれない…やはり年齢が分からない。と咲樹は思った。

「幾つ?」

 思ったら、聞く。その遠慮の無さが子供の特権だ。

 何やら話していた大人2人は、えっ?と言う顔で振り返った。

 2人は「いくつ」という単語をしばし脳で転がし、質問の意図を考えていた。

「おじさん、若いの?」

 と繰り返した咲樹の視線が注がれて居るのが自分だと気が付いたので

「失礼。お嬢さん。私は大森と言います。こっちの倉持さんと、お友達が発見した事件を調べて居るんだよ」

 と言葉を返す途中で、この子供たちが見た光景を思い出し、ちょっと同情から言葉が曇った。

 が、咲樹はそれは知ってるから良い。…という風に軽く頷き、言葉の続きを待っている。

「彼は35歳だよ。君たちの若いの基準は分からないけど」

 そう答えてくれたのは倉持の方で、大森はちょっと心外そうに眉間を顰めた。

 感情が、表情から読み取りやすいタイプ。…勿論、それが演技じゃ無ければ。

 咲樹は、大森をそう脳に記録した。

 キャラが出揃った?そろそろ物語が動き出す?今は起承転結のどの部分だろう…?そんな事を考えていた。



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