第7話 冠猿はshoutする

「面白いですか?」

 さっきからペラペラ資料をめくっては眉を顰めていた大森が、飽きたのか、背中合わせの位置で俯き加減の倉持をしばらく眺めてから声をかけた。

「面白いから読んでいると思うか?」

 倉持は、ページをめくる指も、古臭い字体の文字を追う視線も休めずに答えた。

 対象年齢が幾つの設定なのか、細かい文字。聴いたことのない空想上の固有名詞。中々脳に留まらない。それでも読み進め、ふと一文に目を止め、自分を眺めて居る後輩に向けて右手を差し出して、人差し指を曲げて呼ぶ仕草をした。更に彼が今まで見ていた資料を指差し、もう一度呼ぶ仕草をした。

 大森は、素直に資料の束を持ち上げ椅子ごと移動して来た。

 倉持は、資料をめくり、被害者の写真を並べると食い入るように見つめ、本に視線を戻した。そして、トン…と突き刺すように本に添えられた控えめな挿絵を指差した。


「地面を突き破って突き出した槍のように鋭利な物。それが何なのか知りません。ただ分かったのは、その先端が、小さな桃色のモノを貫いている事。

 2番目ちゃん…

 身体中から力が抜けるのを感じました。

 2番目の桃色ネズミの身体は見る見る干からびて行きます。血の一滴も溢れていません」

 決して美声とは言えないが、倉持はその一文を読んだ。感情は篭っていない。もしかしたら微かな興奮は含まれていたかもしれないが。

 大森も乗り出し、その一文と写真を見比べた。

 そして、先輩の意見を求めるように倉持に視線を向けた。

「え。何ですかそれ。だって…え?」

 大森は言葉を失い、答えを求めている。

「お前、この本知ってたか?」

「いやぁ、俺本読まないっすからね。倉持さんは知ってたんですか?」

「お前と同じだ。題名だって初めて聞いた」

「騒がし森の60日間…俺も初めて聞きました。どんな話なんですか?」

 倉持は、パタンと閉じた分厚い本を、ずいと、大森の鼻先に突き出した。

「さっぱり頭に入って来ない。お前読んで説明してくれ」

「何言ってるんですか!俺は本読んだら、5分で寝られますからね!」

 大森は顔の前で大きく両の掌を左右に振り、ついでに頭も左右に振り、全力で拒否をした。

「応援を頼むか」

 やれやれ…と言うように、倉持は本を丁寧に机に戻し、真っ直ぐになるように端をちょっとずらした。

「応援?」

「居るだろう、ウチにも活字の虫が」

 大森は不思議そうな顔から明らかに嫌悪を表した皺を顔面に刻み、

「女史?苦手なんですよ」

 と訴えたが、

「じゃあ、お前読め」

 そう言われ、不本意そうに黙った。

「時間が無いんだ。背に腹は変えられない」

「上からの圧力ですか?」

「いや、図書委員」

「は?」

 惚けた顔の大森を無視して、倉持は本を見つめた。

 さて。偶然とは思えない、この本。そして発見者の子供たち。

「もうちょっと動揺しそうなもんだけどなぁ…」

 …と呟いてみる。

 それとも、今頃の子供はあんなもんなんだろうか。

 とも思う。

「本の読みすぎで、現実と物語の区別がつかないんじゃ無いですか」

 そんな大森の月並みな返事は聞き流す。

 怖がるか、面白がるか、どちらでも無い。

 冷静に返却期限を定めた少女の冷静さが、何だか、倉持を落ち着かない気持ちにさせていた。



 騒がし森で1番騒がしい生き物は誰でしょう?

 朝一番に騒がしいのは、ええ。勿論朝告げ鳥で正解です。あの陽が木々の枝から射し込む美しい朝の、空気を引き裂くような鳴き声と言ったら…しばらくの間耳の奥で呼応するかのように繰り返し、中々消えてはくれません。

 それはそれは騒がしい。ただ、それは朝のいっ時です。けたたましく起こされ、耳から鳴き声が遠去かってしまえば残されるのは、静かに陽が射し、徐々に空気が暖められ、地面から立ち昇る土や草木の甘く青々しい香りが充満して行く、美しい朝の優しいざわめきです。その中を、空を泳ぐように練り飛ぶ朝告げ鳥の賑やかな羽は耳では無く、目を楽しませてくれるでしょう。

 それに比べて。ほら、耳を傾けて見てください。

 そろそろ聞こえてきますから。

 目を覚ました動物たちの中で、兎にも角にも騒がしい兄弟たちの声が。

 そう、冠猿の兄弟です。

 思わず耳に手を当てたくなりますが、それは、実に美しい音なのですよ?

 ただ、何と言っても冠猿の鳴き声は高音で長いのです。よく息が続くと感心する程に。

 冠猿は、通常雄二匹を産みます。その二匹が常に母猿の両脇に抱き付いています。母猿は木々を移る時も、餌を探す時も、食べる時も、常に二匹を両脇にぶら下げて居るのです。邪魔じゃ無いかですって?良く見てください。

 あんなに軽々しく木々を飛び移って行くでしょう?母猿が支えなくても、兄弟猿はしっかりと抱きついて落ちることは無い。まるで身体の一部のようでは無いですか?

 ほら。餌を見つけたようですよ。どうやって食べるのか見ていて下さい。

「良い匂いがする」

「黄色いキノコの匂いかな」

「紅い木の実じゃないかな」

「お腹が空いたからどっちでも良いよ」

 勿論、とても高音で叫んでいる会話です。

 ほら、彼らよりもっと大きな生き物でさえ、頭を振りながら餌場から離れて行きます。

 母猿はゆったりと木の幹に座り込み、両手を伸ばして、木の実を取りました。

「さあ、ご飯よ。私の坊や達」

 母猿は、両脇に張り付いたままの兄弟猿それぞれの口に、2つずつ木の実を突っ込みました。

 それから、自分の口にも2つ。

「やっぱり木の実だ!」

「あ〜美味しいねぇ」

 そろそろ耳が辛くないですか?少し離れましょうか。

 冠猿の母猿の頭は特に特徴は無いでしょう?他の猿よりちょっと頭の毛がふさふさして居るかな?位で。

 でも、兄弟猿はほら。子供とは言え、頭の毛が立って輪を作っています。まるで古の王の頂にある王冠のようでしょう?それが雄の目印です。

 成長し、立派な王冠になった猿ほどモテるのです。

 けれど、冠猿の雌は、滅多に産まれません。雌が産まれるのは突然変異と言われています。

 そして、雌に巡り合えるのは、立派な冠の雄だけなのです。

 あぁ、ほら。兄弟の父猿がやってました。何て立派な冠でしょう。

 父猿は実は何もしません。子育ても、餌を探すことも。木の高いところで、母猿や、雌に出会えなかった兄弟猿が餌を運んで来るのを待って居るだけです。

 こうやって降りてくるのは珍しい事です。よほどお腹が空いていたのか、気まぐれか。母猿を押し退け、彼女が見つけた木の実を貪り食べはじめました。

 子供たちの分も残さず。

 手を伸ばした母猿は、払い除けられてしまいました。

 その時です。

 ピリッと森の空気が変わりました。

 そう。アトトックの刻の実が、手折られたのです。

 冠猿たちは総毛立つのを感じました。

 一瞬手を止め、一斉に逃げ出します。

 その時です。

「僕はまた、お腹が空いて居るんだ」

「僕だって…」

 この兄弟は、しがみついた母猿から片手を放し、木の実に手を伸ばしたのです。 まさかそんな事を誰が考えるでしょう?母猿は思い切り幹を蹴り、次の木の枝に飛び移りました。そしてまた次の木へ。

 気が付かなかった事を、誰が責めますか?しがみついて居るはずの兄弟が、揃って振り落とされてしまっていた事を。

 あっという間だったのです。大きく振り落とされ左右に飛んだ兄弟猿たちは、地面に落ちる間も無く、横から鞭のように伸びて来たアトトックの木の根に貫かれました。

 その勢いで、根が冠猿を貫いたまま木に突き刺さった音が、鈍く響きました。

 冠猿の兄弟は、甲高い声で叫ぶ間も無く事切れたのでした。

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