第3話 貫かれたのは 桃色ネズミ

 アトトックの千年樹は、騒がし森の奥深く、パッと開けた場所にあります。

 千年以上生きていると言われていますが、実際はもっともっと遥か昔に生まれました。まだこの森が沢山の湖に囲まれ、あちらこちらに長い尾を持つ水兎や水晶鴨が巣を作っている姿が見られたものです。それはそれは美しい光景でしたよ。

 今ではアトトックは丘の上に立ち、水兎は死に絶え、水晶鴨は遠い水辺に去りました。そして、そんな昔を知っている者はもう居ません。

 アトトックの樹がいつからそこにいるのかを知っている者も、もう居ないのです。

 何故って、アトトックの樹こそが、1番長く生きているのですから。

 それでも、今も尚この森には沢山の者が生きています。

 木の枝に巻きつくように大半の時間を過ごす蔓モモンガや朝告げ鳥も良くアトトックの樹にとまって居ますし、暑い時には大樹の影に入る毛のある生き物もたくさん見かけます。

 他の木になる実を求めて集まる小動物もたくさん居ました。

 そう。刻の実が紅く染まっている間は。…ですけれど。



「本を読んだ人の仕業だっていうのは、認めるよ」

「それは、私も」

「でしょ」

「要人のリストにめぼしい人は?」

「1番最近借りた人で、5ヶ月前」

「人気ないね」

「(ㆀ˘・з・˘)」


 まだ野球部の練習中の要人を除いた図書委員六年三人で、帰宅後ずっとLINEでミーティングをしている。他の2人は知らないが、咲樹は夕食の間もずっと手を止めて居ない。

 心がざわざわと落ち着かなかった。

「でも、本も返ってきたんだし」

「そうそう。イタズラも終りよ。きっと」

「いや」

「あの本を読んで、どんな感想を抱いて今回の行動を起こしたのか、その心理状態を犯人に問いたい。私は」

「好奇心の塊か!」

「∑(゚Д゚)」

 うん。それを知りたいのだ。と咲樹は確信した。

 だって、人それぞれ感想は違う。読書感想文でも、え?そこ?って言う所に喰いつく人に出会うと、掘り下げて聞いてみたくてたまらなくなる。

 想像してみる。自分だったら、どう感じたら、こんな事をする?その想像が、どうも物語に好意的ではなく感じられて、憮然とする。

 でも、拘っているのだ。だから、こんな事をしたはず。何だろう。何を感じたんだろう。好奇心がざわざわと動き出して落ち着かなかった。


「お前らヒマか」

 しばらくして、部活が終わったらしい要人は一言呟いた。

 部活が終わってみたら、数時間の間に200以上の書き込みがあったのだ。そりゃあ突っ込みたくなる。

「あ。お帰り〜」

「要人、あのリストに抜けはない?最近のまで調査してあるんだよね?」

「遅くまでご苦労さん」

 それぞれの返事に少々イラっとしながら、

「まだお帰りじゃない」

「今学校を出た帰り道だ」

 そうマメに返事を返しながら歩いていた。

「早く帰らないと夕食食べそびれるよ?」

「余計なお世話」


「咲樹。お前、あの本の細部まで覚えてるか?」

 しばらく途切れた後、LINEグループの会話を再開させたのは要人のそんな一言だった。

「?騒がし森?そう思うけど?」

「俺も読んだけど、うろ覚え。3巻の最初の被害者の章諳んじて」

「どうした急に?」

「急に興味わいたの?…って言うか、もうハウスに着いたの?」


 外野の発言を余所に、咲樹はスマホを両手で持ち直し、姿勢を正し、厳かな面持ちでテンキーを見つめた。



「騒がし森はぴんと膜が張ったように、静まって居ました。そこに生きて動いているモノは何も存在して居ないかのようです。

 風が吹いて揺らした木々の枝から、ついと外れて地に落ちる葉の乾いた音が、地の底まで響いて居ます。

 けれど地の底をうねり、彷徨う木の根の音にかき消されるのです。

 そう。地中で、根を伸ばし始めたアトトックの木が、森のすべての生き物の音をかき消して行きます。

 赤い血を持つ生き物たちは逃げました。

 けれども、何処にでもいるのです。不運な者が。

 稀に見ぬ鈍い者か、豪毅な者か、逃げる術を持たない者か。

 ほら…御覧なさい。

 アトトックの木からスズラ川の1番広い川幅程も距離のあるその場所で、地面を突き破って天に向かって突き出ているのは、アトトックの根に違いありません。

 その根に貫かれて事切れているのは、今年の春産まれの桃色ネズミの子供です。


 桃色ネズミのつがいは、それぞれ倒木の中で冬に産まれました。倒木の中には五組のつがいがいて、それぞれ5、6匹の子供を産みました。

 2番目の穴で3番目に産まれたオスネズミは、ここはなんて狭いんだろう…と思いました。

 3番目の穴で1番最後に産まれたメスネズミは、何処かから聞こえるこの音は何だろう?と思いました。

 2番目の穴の中で、壁を齧れば穴が広くなることに気が付いた3番目のオスネズミが夢中で壁を食み、3番目の穴でその音を気にして壁に桃色の大きな耳をくっつけて居た最後のメスネズミは、壁に急に開いた穴にびっくりして鼻先を突っ込み、そこに知らない匂いを見つけました。

 何だろう。知らない匂い。でも嫌じゃない。

 3番目のオスネズミは、急に食むものを失い、耳に流れ込んできた音と、鼻に流れ込んできた匂いに驚きました。

 温かい音。甘い香り。鼻先を伸ばし、それが最後のメスネズミの鼻先に触れ、2匹は出会いました。まだ目も開いていない、赤ちゃんの時に。

 そして、お互いが特別になりました。

 僕は温かい、大きな穴を作るから、一緒に暮らしてくれる?

 たくさん赤ちゃんを産んで一緒に育てましょう。

 春になる頃大人になった2匹は、倒木の隅に小さな穴の巣を作り、それでも6匹の子ネズミを産んで、一緒に育てました。

 けれど、まもなく3番目のオスネズミは、餌を探しに行った時に老木の根元にある大きな穴を見つけ

 何て素敵な穴なんだろう…

 と気に入ってしまいました。

 最後のメスネズミは、6匹の子ネズミを育てながら、帰りを待ちました。

 そんな時です。アトトックの紅い実が手折られたのは。

 びくりと身を震わせ、一瞬にして空気が変わったのを感じました。小さいけれど温かくて安全だった巣は、一瞬で危険な場所に変わりました。穴の中だけではありません。森全体に総身の毛が逆立つくらいの危険を感じます。

 逃げなくちゃ。

 最後のメスネズミは思いました。赤ちゃんを皆連れて逃げなくちゃ。そうして直ぐに行動に移したのです。

 子供たちの柔らかい首の皮を咥えて走ります。一度に全員は運べないので、2匹咥えて走って隠して戻り…を繰り返して。

 1匹、2匹…数えて、驚きました。

 大変。5匹しか居ない…5番目がいないわ。皆、知らない?

 ママが走っている時、落っこちたの。

 2番目が答えました。

 皆、ここで待っていてね。直ぐに5番目を連れて戻ってくるから。

 そう言って飛び出して、戻りながら最後のメスネズミは泣きました。森はどんどん危険な気配に覆われて行きます。他の動物たちが森の外に向かって走って行きます。

 何処に行く桃色ネズミ。早く逃げなさい。

 丸耳猿のボスが叫んだけれど、足を止めることは出来ません。可愛い桃色の5番目の子ネズミが、何処かで待っているのです。

 何処で落としたの?見つけられない…

 そんな時、ふっと気が付きました。愛しい匂い。可愛い私の子供の匂い。最後のメスネズミは目を閉じて匂いを吸い込みました。嫌な嫌な危険な匂いに混じって、確かにそれを感じました。

 ママ…

 声も聞こえました。

 私の5番目ちゃん…

 見つけました。地面に積み重なった乾いた葉の隙間で、不安そうな丸い目で外を覗いている可愛い桃色の子ネズミを。

 直ぐに咥えると、他の子供たちが待つ場所へと駆け出しました。

 背中から、危険が追いかけてくる気がして、一生懸命走りました。少しでも遠くへ。

 森を抜けて5番目を岩陰に隠すと、今度は他の子たちを迎えに戻ります。

 2匹を咥え、岩陰に運び、もう2匹を咥えて、最後の1匹、2番目の子ネズミに直ぐ戻るから待っててね…と目で語り、走り出しました。もう、辺りに他の動物たちの気配はありません。有るのは危険の気配だけ。

 何が危険なのか、どう危険なのか、冬に産まれたばかりの最後のメスネズミには分かりません。でも、危険なことだけは分かります。大事な大事な子供たちが危険なのです。岩陰に2匹を突っ込み

 もう直ぐよ。待ってて。

 と言って振り返った時、最後のメスネズミは見ました。

 地面を突き破って突き出した槍のように鋭利な物。それが何なのか知りません。ただ分かったのは、その先端が、小さな桃色のモノを貫いている事。

 2番目ちゃん…

 身体中から力が抜けるのを感じました。

 2番目の桃色ネズミの身体は見る見る干からびて行きます。血の一滴も溢れていません。それがどういう事なのか、不思議な事だという事も分かりません。ただ、2番目の子ネズミがもう帰って来ないことは分かりました」


「充分だ」

 咲樹が夢中で暗唱するかのように書き連ねた文章を、途中で要人が断ち切った。

 途中で既に止められていたのに、気が付かずに続けていたらしい。

「咲樹らしい…」

「で、これがどうした」

 他の2名も根気良く付き合っていたみたいだ。おそらく途中は読み飛ばしていただろうけど。

「いや、そんな文章を思い起こすような光景が目の前にあるからさ」

 一拍置いて要人の答えの物騒さに気が付き

「え?」

 と三人それぞれが応じた。

「アトトックの狩が、始まったらしい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る