第11話 終焉。そして、続く
数日後、サミュエルはフォグタウンのラベンダーホテルの前の道に立っていた。少し離れたところに揚げパンの屋台があり、ロバートとエレノアがそこで揚げパンを買っている。
「不服そうだな」
サミュエルにそういってタニクラ ナルが近づいてきた。
「足はもう大丈夫ですか?」
「不死身をなめんな」
タニクラ ナルにサミュエルは首をすくめる。
「新聞では犯人自殺で片が付いたように書いてあったが?」
「……あなたが言っていた気になる女性は、やっぱり、エレノアのことでしたか」
「仕組んだりはしてないぞ。男爵が気になるかどうかは男爵の琴線次第だからね」
タニクラ ナルは黒髪をひっ詰め、旅路用のコートの襟を高くして、腕を組んで寒そうに足踏みをしている。
「それで、何が気に入らないんだ?」
タニクラ ナルの言葉にサミュエルは首を傾げる。
「よく解らないんですよ。確かにタイラー氏の日記通りの殺人が行われ、遺体が隠されたりしたが……、品行方正のビジネスマンが、急に狂気に走るものかどうか。ましてや、家庭教師に対してそれまで何の感情も抱いていたような、そんなそぶりがなく」
「……人間てのはよく解らないことでいろんなスイッチが入るもんだ。美人だくらいにしか思っていなかった家庭教師に恋人がいると判った瞬間、自分のものを横取りされた気がする。それが、使用人がすぐに辞められては困る。という思いと、使用人は自分の所有物である。というものが、家庭教師を愛していると錯覚してしまってもおかしな話じゃない。独占欲が強い独裁者的思考者はそう思うだろう。そうなるとあとは簡単だ。彼女が振り返らずに前を向いていってしまっただけでスイッチが入る。自分を顧みないなんてとね。まぁ、けっこう単純なことだったり、もっと根深いものだってあるし、長く生きていても、やはり解らないものは解らないさ」
「……あなたが解らないのならば、ぼくが解るわけない、ということですかね」
「さぁてね、悟りを開くのに年月が必要だとするなら、あたしはもっと早くに悟っていなきゃいかんだろうが、そんなことはないからね」
タニクラ ナルはくすくすと笑った。
屋台の親父とロバート、エレノアが談笑している。何があれほど面白く全くの他人と話せるのか不思議で仕方ない。という顔をしていたのだろう、
「彼は、やはり君のそばにいるべきだね。そして、君は、彼からいろんな恩恵を受ける。知らぬ間にね」
と言われサミュエルがタニクラ ナルを見下ろした。
「おや? なんだい、妙なところに出向いてるじゃないか、ガルシア卿」
わざわざそう呼んだ、警察署から出てきたホッパー警部がサミュエルに近づいてきた。
「僕だって外に出ますよ」
ホッパー警部が軽く受け流すような笑い声を出す。
「それは検死報告書?」
タニクラ ナルの言葉だが、ホッパー警部はサミュエルのほうを向いたまま、「あぁ、そうだ。よく解ったな」と言った。
「まったく、あの男もよく解らん……同じことが、いや、ちょいと違うんだが…俺はよぉ、迷信だの、なんだのは信じないんだ。すべて人間がやって人間が、人間の作った法の下で生きている。これがすべてだと思ってる。だから警官をしている。だけどよ、二度も、……タイラーだが、頭に残っていた弾を取り除いたら、体があっという間に腐って、監察医の話では死後一週間か、って話しなんだ」
サミュエルがぎょっとした顔を見せる。「しかし、前日にロバートたちは話したと言っていたが?」
「あぁ、俺たちだって、昨日、今日自殺したような男の死体を運んできたと思ったさ。腐臭もしない、まぁ多少痩せていたが、話を聞くところによれば、常軌を逸していたんだ、飯を食っていなかった可能性だってある。だからって、解剖した途端、いきなり腐るか?」
ホッパーが思い出したかのように鼻をつまみ顔をしかめた。
「頭の弾は普通の弾?」
またタニクラ ナルが聞いたが、ホッパー警部はそこにタニクラ ナルがいないかのように首を振り、
「それが、いつの時代だってぐらい、古い銀の弾だったんだよ。タイラーの日記だが、終わりのほうに頭の中で声がしてそれがすべての元凶だって文を書いてたんだ。もう、幻聴とか、幻影とかに憑りつかれてたんだろうな。薬か、なんかだと思うが、」
「その日記を読ませてもらえないか?」
「はぁ? 無理に決まってるだろ? 何言ってんだ」
「役に立つぞ」
タニクラ ナルが言っているのに、ホッパー警部にはその姿は本当に見えていない。違う。気付かないのだ。サミュエルの隣に立っているのに、ほとんどの無関係者は、タニクラ ナルという存在を認識できないのだ。だから、彼女が不死であろうと気づかないのだ。では、彼女のことを知っているものは? なぜ忘れないのだろう? ロバートはすぐに忘れたのに。
「……、まぁ、あんたが証拠をどうこうするとは思えないからいいが、」ホッパーが口をゆがめる
「今、少し見るだけだ」タニクラ ナルの言葉だ。
今か? と言いながら、ホッパー警部は検死報告書の茶封筒の中に入れていたらしい日記帳をサミュエルに差し出した。
受け取った日記をサミュエルの手からタニクラ ナルがひったくる。
「それにしても奇妙な事件だった」
ホッパー警部が無駄話のようなことを始めた。事件の感想を言っているが、同じものを見た話だけで大した話ではなかった。サミュエルは時々頷いていたが、目はタニクラ ナルと同じく日記帳を見ていた。
日記を全部、ざっくりと目を通していたが、時々ページを止めた個所、タニクラ ナルはわざわざそれを指さしてサミュエルに教えた個所だけを書き抜くと、
―今日の夜会で奇妙な男に会った。彼は何というか、奇妙だった。私の本心を知っているといったが、いったい何のことだか解らない。すぐに忘れるべきだろうが、今夜の闇が、彼の目と同じで忘れることができそうもない―
―時々思うのだが、私は、本当に私の意志で彼女に惹かれているのだろうか? 妻を愛し、生涯一人と決めた彼女が色あせている。一体、私はどうしたというのだろうか? あれほどの情熱をもって妻と結婚した私なのに―
―頭の中に誰かがいるようだ―何度もなぞって書いているので、紙に穴が開いている。
―お前は誰だ?
俺はお前だ―
―声が、する……苦しい。辞めてくれ。どうすれば楽になる?
彼女を手に入れればいい。
彼女には婚約者がいる。私のものではない。
では、殺してしまえ。
それは無理だ―
―なんということだ。私は、人を殺してしまった。しかも、殺した方法を詳細に書いている。私は、あいつに気づかれないように、私自身が死ぬ前に、私は、私で居られる前に、行かなければならない、警察に―
―無駄だった。あいつは、私のすべてを乗っ取ろうとしている。もう、ここに私が記せるかどうかわからない―
―お前は死んだ。俺が勝ったのだ―
「なかなか暗示めいているね」
タニクラ ナルが日記をサミュエルに渡すと、サミュエルからホッパー警部に渡った。
「まったく頭のイカれてしまったやつの戯言は解読が難しいよ。まぁ、一応、あなた方のおかげで解決できたので、エレノアにはあれだが、」
ホッパー警部が屋台で談笑しているエレノアのほうを見た。
「とにかくだ。事件が解決したんでよかったさ」
ホッパー警部の顔は晴れやかだったが、反面顔の曇りも解った。
「連続犯が大人しくなるとは思えませんけどね」
サミュエルの言葉にホッパー警部がため息を落とした。
「あぁ。だが、上層部は早々に決着したと発表しちまいやがった。まったく、市民の機嫌取りだろうが、また犠牲者が出たらどうする気だって話しさ」
「その時は、手伝いますよ」
タニクラ ナルがそういったのに、ホッパー警部はくくくっと笑い、「ガルシア卿のお手を煩わせるわけにはいきませんよ」と帽子のつばを少し上げて歩き去っていった。
「一体、……一体どういうことです?」
「何が?」
サミュエルがタニクラ ナルを見下ろす。
タニクラ ナルは腕を組み仁王立ちで立っていた。
「ホッパー警部にはあなたの姿は見えていないようだったが?」
「あぁ、見えてなかったねぇ」
「どういう?」
「さぁね。ただ、あたしに興味を持ち、接触したいと思わない者にとっては、あたしはそこらにある石と同じようだね」
「……では、私や、あなたを忘れていなかったゴドフリー氏はなぜ?」
「だから、興味の問題だよ。
「だから、不死だと言っても証明がない。と?」
「まぁ、そういうことだ」
タニクラ ナルは空を仰いだ。この黒髪の若い娘の尊大な口調が鼻持ちならなかった。黒髪の人間は相手に不快といら立ちを与えることが好きなのだろうか? と思った瞬間、サミュエルはポケットから名刺を取り出した。
「この男をご存じで?」
タニクラ ナルが顔を戻すと眉をしかめた。それまで少し離れた場所にいたあの大男が一歩近づいてきた。
「奇妙なものを持ってるね。そしてそれを持っていて平気だなんて、ますます君は面白いね」
そういってサミュエルから名刺を受け取ると、「キリコ? 変な名前……」と言って裏面を見て黙った。
「そいつは、あなたに聞けといった」
「何を?」
「この世には神は居ない。代わりにいる者を」
タニクラ ナルは名刺からゆっくりとサミュエルのほうを見た。そして破顔し、「これから先は君に任せるよ」と言った。
「任せる? いったい……その、あなたは妖魔の所為だというんですか?」
「かもしれないし、違うかもしれない。それは、関わったものの判断だよ」
「妖魔なら、あなたがすべきでしょう?」
「馬鹿おっしゃい!」タニクラ ナルは、甲高く声を上げた。「こんな寒い場所に居られるかっ。第一、私はここで生きていくために食料がない。仕事や、食事の世話をする人間のことだ。そりゃ、不死なんだから食べなくても死にやしないさ。でもね、空腹で胃が焼け付いていく思いをし、その次には、栄養を取ろうとして、体内の不必要だと思われる個所を溶かしていく。想像しただけでも痛いだろう? あたしは痛いのは嫌いだ。あ、だからって、空腹を我慢したことはないぞ。その前に耐えれ無くなって食べちまうからね。……あとは、この寒さと、このひどく憂鬱でしかない空の下ってのが嫌だね。だからね、あんたに任せるよ。あんたは面白い。興味があるはずだし、闇に落ちそうになるのに、それを、
「いや、私は妖魔を倒す術も、戦う術も知らない、」
「心配はいらないさ。妖魔だろうが何だろうが、そもそも人間であるのだから」
「どういうことですか?」
タニクラ ナルはふふふと笑い踵を返す。
「僕も、ロバートたちのようにあなたを忘れますか?」
「
「できれば忘れたくないのですがね」
タニクラ ナルが首だけ振り向き、
「いくらの私も、人の記憶を改ざんできないよ。興味があれば、それだけは忘れないでいるかもしれないが、保証はないよ」
しかし、とサミュエルが言いかけた。「サミュエル、」
サミュエルをロバートが呼び、そちらを向いた瞬間、タニクラ ナルが立ち去っていく。追いかけようと手を伸ばした時、
「あれ? さっきの、タニクラ ナル、だよね?」
ロバートの言葉にサミュエルが驚いた顔を向ける。
「君は、あの女を覚えているのかい?」
「……、覚えている? ……そうだね、一度会った。ゴドフリーさんの代理で、……でも、帰っていくようだね……、それで何を見ているんだい?」
サミュエルは寒気がした。タニクラ ナルの話からすれば、興味がなければ認識しないタニクラ ナルを、興味などないロバートが認識したのは、いったい何が起こったというのだ? そして、それをまた一瞬で忘れてしまった。
タニクラ ナルに言われるまでもなく、ロバートはサミュエルにとって唯一無二の弱点だ。不遇を嘆き腐らずに生きているのもロバートのおかげなのだ。
「何を見ていた? さぁ、何を見ていたのだろう……」
サミュエルのつぶやきは、
「雪だ」
という歓喜と落胆の声に消えた。
その日、宋国に初雪が降った。これからしばらくは雪の世界となり。日中の日差しなど、ほんのわずかしかなく、しんしんという音と、闇が広がる季節の到来だ。いつも以上に、恨めしくサミュエルは雪を見上げた。
≪終≫
幽明境を異にする~一大陸七国物語 宗国物語 松浦 由香 @yuka_matuura
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