第3話 用件
ロバートは隣に座っているサミュエルのほうを見た。
こんな時にとは思うが、本当にサミュエルはきれいな顔をしているとつくづく思う。長いまつ毛に、エメラルドのような緑の目、きれいに通った鼻、桜貝のような唇。それに加えて細く長い指、まさに美しい女性の条件だった。本当に男かと疑ってしまいたくなる。それに比べれば自分は田舎の領主で、武骨で、何という不格好な、不似合いな相棒なのだろうといつもがっかりする。
「そう、気を落とさなくてもいいよ。君は君でいいところは山ほどあるよ、男爵」
ナルの言葉にぎょっとなってナルのほうを見る。そして次にサミュエルのほうを見れはにやにやと笑っている顔に出くわす。
「な、何を、」
顔がかっと熱く赤くなった自信があった。まったく、私はポーカーをしてはいけないとよく言われるはずだと、居住まいを正した。
「それは相当危険な遊びですか?」
サミュエルはくすくす笑いながらも、声のトーンは低く少し冷酷な印象を与えるような鋭さを含んでいた。
「かなり。もしかすると、死ぬかもしれない」
ナルの言葉にロバートは眉間にしわを寄せサミュエルを見た。
「なるほど、面白い」
そういうだろうと思っていたが、さすがにそれをそうだなと同意する気はなかったが、ロバートが口を開くより早く、
「そこの彼も、もちろん手伝ってくれるんでしょうね?」
「まさか、先も言ったが、あれがうろうろしてみろ、どう思う? この国では褐色であるというだけでバケモノか何か扱いだ。そのうえで、あんなでかいのがのそのそいてみろ、大変目立つ。……あたしを往来でこかそうとした相手だ、あんな目立つような奴がうろついていたら逆に狙ってくださいと言っているようなものだろう」
ナルはそういってコップを机に置くと、天井を仰いだ。
「このところとても気に入らないんだ」
ナルの声は先ほどまでのはつらつとした少女の声ではなく、大人っぽく、かなり不機嫌な感じを受けた。
「気に入らないんですか? 世の中に?」
「……世の中に満足していては発展はないぞ。とは誰かの言った言葉のような気がするが、そんなことを言ってるわけじゃないよ。あたしは長く生きている。あいにくと噂だと一番最初に訂正さればかばかしいと言い捨てられるが、とにかく長くこの姿で生きている。死なない。と言えば死なないのさ。不思議な体になったものだと思うが、不死であるとするところのものと違ってケガはするし、瀕死の状態にだってなる。あぁ、このまま死ねればどれほど楽かとすら思うようなケガからも、無理やり復活させられる。足を粉砕骨折しても、激痛の果てに足は元に戻り、リハビリを続けさせられて歩けるようになる。普通なら死ぬようなことだ。でも、死ねないのさ。だから思う。いつの時代も不安要素はあるし、世の中が面白くないし、面白い。だがそんなことを言っているわけじゃない」
ナルは顔を戻した、冗談など抜きの真顔だった。それがぞっとするほど真剣な顔なのでロバートは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「人間ごときが暴れても大して気にしない。いや、手紙に書いたが、世界中を巻き込むような戦争をおっぱじめられたら、冗談抜きで気に入らないけども、今のところそういう傾向はなさそうだ。人間じゃないんだよ」
「妖魔、ですか?」
「妖魔……なのかねぇ? 妖魔というか、憑りつかれた人間というか、とにかく、あくどくて姑息な何かがあたしの周りをうろうろする。それが気に入らない」
ロバートは何という理由だと思いながらも、ナルが続ける言葉を黙って聞いた。
「妖魔だってとりあえず生きているんだ、悪さをしなけりゃ、この悪さっていうのは人間から見てのことだが、別に側にいようが気にしない。現に、あんたたちだってあいつをどうこうしようと思っていないだろ」
ナルに言われ、二人は大男を見た。
「だけど、どっかで何かをやらかして、それがあたしの身の回りにまで波及したら腹立つじゃないか、何してくれてんだって、」
「それが、動機ですか?」
「それ以外に何が必要だ? 誰かが怪我をさせられた。誰かが脅された。誰かが誘拐された。そういう名前がついているだけで、どれもこれも、あたしの身の回りに起きる気に入らない出来事だろ? あたしは、あたしに関わる全てが笑顔でいればいいと思っている。それができなければ全力でどうにかする。おかしいかい?」
ナルの言葉にサミュエルは首を振り、ほくそ笑んだ。
「素晴らしく単純でいい考えだと思いますよ」
サミュエルの言葉にナルは口の端を上げ、コップを大男に差し出した。
「生姜湯がいいな、甘めの奴ね」
大男は頭を下げて部屋に備え付けられている小さな台所(と言っても、手洗いに作業台がついているようなものだが)そこに向かった。
「それで、具体的にはどうしろと?」
「さぁねぇ。ただ、あたしをこうした原因であるあの女性に話を聞いてみたいよね」
「なるほど。そうですね、では連れてきましょうか」
サミュエルは少し考えてから言った。ナルは掌をひらつかせながら、
「いやいや、相手はあたしの気配をすでに知ってしまった。あたしに近づけばどうなるか解らん。できればあんたたちだけで会って、どうにかしてくれ」
「どうにもならないようなことなのでは? 我々は妖魔かどうかの判別も知識もない」
サミュエルの言葉にもっともだとナルは頷く。
「話を聞かせにきてくれれば……いや、それも怪しいな、ここで会ってしまった以上、あんたたちにあたしの気配が移っているかもしれない。面会に来るのはあんたたちにも危険だし、もしかすると彼女も危険になるかもしれない」
「……手紙にしますか?」
ロバートの言葉にナルが手を打つ。
「古風だがそれがいいね、できる限り念を込めずに返事を書くよ」
「念を込めると何かになるんですか?」
「……一度、遠い場所ででていく時間がない場所に住んでいる人に、屋敷に出た大蛇を追っ払ってほしいと言われた時、邪気退散て書いた紙を送ったら、家人は安泰だったのだけど、」
「だけど?」
「その大蛇というのがとある女の逆恨みの生霊で、ある日、喉元を毒蛇に噛まれた状態で死んでいたそうだ。蛇も、噛みついたままで死んでいたそうでね、その蛇の体にあたしが書いた文字、邪気退散がウロコ一枚一枚に書かれていたって、それ聞いて自分でも気味が悪くってね」
ロバートの顔が今度は青く血の気が引くのを感じた。それを見てナルが大げさにころころと笑う。
「男爵、あなたはかけ事は絶対にしないほうがいい。あなたのように素直な人はいいカモにされるよ」
「えぇ、よく言われますよ」
「……そうだ、彼女に接触するのは男爵のほうがいいね、あなたが彼女に接触するほうが、とても親切な紳士として映るだろうし、そして彼女との面会の様子を、ガルシア卿の伝え、ガルシア卿が私に手紙をよこす。そうすれば案外悟られなくて済むかもしれない」
「ですが、私もここであなたと会っているし、」
「会っていても、あなたはあたしの影響を受けていない。現にあなたはまだあたしを怪しんでいる。でしょ?」
ナルは笑いながらロバートに微笑む。確かに、永遠の命だとか本気にはしていない。だがそうなるとサミュエルは信じているということになる。こんなバカげた話を信じるほどサミュエルは愚かではないと思うのだが、とサミュエルのほうを見れば、彼の顔は相変わらず穏やかに笑みを讃えていた。その顔は後ろに何を隠しているか全くわからない、オモテの顔で、ロバートの嫌いなサミュエルの顔だった。
「大丈夫、卿は信じているわけじゃないが、あなたほど否定をせず、ただ面白いものとして受け止めているだけだよ」
ナルはそういって、大男が持ってきたコップを手にし、「あっちぃなぁ」と言いながら息を吹きかけた。そのせいで甘くて、少し独特な(生姜湯の)匂いが漂ってきた。
「彼女に接触して、ロバートの無事は保証されるんですか?」
サミュエルの冷たい言葉にナルは息を吹きかけているコップの中を見つめたまま、
「そりゃ解らん。一度接触してみないとね。ただ、あたしだから邪魔されたのかもしれない。ただの通りすがりであろう人にいちいち反応するとは思えない」
「声をかけるんですよね?」
ナルが冷たい目でロバートを見た。
「いきなり、何の脈略もなく知らない人に声を掛けられて、実は、なんて話す人がいると思っているのか?」
ロバートが苦い顔をした。明らかに馬鹿にされたのが解ったから。
「通り過ぎる時に、警察との会話を聞いたとか、もしくは、会話の中で何か変わった言葉があればそれだけでもいい、彼女と話さなくてもね、金を落としたが、まだ上がってきていないのか? って訴えているだけかもしれないしね」
「だが、それでは、その足のけがは?」
サミュエルの言葉にナルは首を傾げ、ほくそ笑み、
「想像つかんだろ? 毎日警察に懇願しに行く理由なんて、彼女が労働者なのは解っている。労働者が毎日警察に行く理由なんて、金を落としたぐらいしか、あたしは思い浮かばない。ただそれだけ。確かに、この足のことを考えればそれ以上の何かがあるのは確かだろうけど、それがなんであるかなんて解らないよ」
「なるほど、では、彼女がその警官に詳細を話してくれればすぐに済むことではあるのですね?」
「まぁ、そういうこと」
「だそうだ」
サミュエルがやっとロバートのほうに顔を向けた。人懐っこくていつもの、ロバートの好きな、サミュエルの顔だった。
「いや、だそうだって、近づいていって、警官と話しているのを聴き耳立てろって? それは、」
「確かに紳士的行動ではないが、ちょと面白そうじゃないか、」
「サミ!」
ロバートは突発的に声を上げる。サミと呼ぶときは怒っているか興奮しているときだけだった。
「僕だって興味があるよ、かの有名なタニクラ ナルと出会えたきっかけだからね。ゴドフリー氏にもお礼をいわなきゃいけないしね。君がアームブラスト男爵を継承してその報告に行ったその土産がこれだもの、なかなか面白いじゃないか」
「いや、待て、よく考えろ、危ないって、」
「君は大丈夫だよ」
「何の根拠だ」
「君は、いたって真面目なシティーの貴族だし、今や、メドー(郊外の貴族が所有する土地の総称)の貴族にしか見えない。敵さんが何であるかは不明だが、君を迂闊にも退魔師だとは思わないよ」
サミュエルの言葉に苦々しい顔をしたが、どうしても何か気乗りがしない。
「……ではこう考えたらどうだろう? 困っている女性を助ける。紳士的じゃないか?」
ナルの言葉はどこか紳士を馬鹿にしているような響きはあったが、確かに、騎士道精神があるロバートにはそのほうが行動理由として動きやすかった。
「それに、あたしは、あんたたちがこの部屋を出たら一切指示はしない。たぶん、今日も警察相手に彼女は何かを訴えるだろうが、それがどんな人か、彼女だと判ることを言わない。もしかすると、あなたたちの琴線に触れる人は居なくて、このままこの話も終わり、まぁ物珍しい奴に会った。という話で終わる可能性だってある。それでどうかな?」
「では、私が気にしなかったら、もうおしまいということですね?」
ナルは静かに頷いた。
「まぁ、気休めと言っては何だが、お守りをやろう」
ロバートが怪しい顔を見せる。ナルはくすくす笑いながら、ポケットに入るほどの小箱、シガレットケースほどの大きさの箱をロバートのほうに差し出した。
ロバートはそれを開ける。サミュエルが首を少し傾けて中を覗いた。
「いろいろ考えてね、それがいいのじゃないかと思ってね」
「どういいんですか?」
箱の中にはブローチと、拳銃の弾が一個ずつあった。
「それは銀でできてる。もし、来たのが女性ならブローチをお守りに手渡そうと思っていた。だが、来たのは男だ。銃弾のお守りは、親しい男の親族の忘れ形見、もしくは猟で仕留めた記念品として持っていてもおかしくはなかろう?」
ロバートが弾を指に挟んで目の高さに持ち上げる。
キラキラとよく磨かれた銀だ。それに鎖が付いていてロケットのように首から下げれるらしい。だがロバートにそういう趣味はないから、胸ポケットに入れた。
ブローチを中に入れたままナルに返そうとすると、
「いや、それは……君が大事だと思う女性にお守りとして渡せばいい、」
「それは例の女性ってことですか?」
「いいや、そうじゃないよ。君が大事だと思う女性だ。さっきから言っているけど、あたしが気になったからと言って君が気にするとは限らない。気にならなければこの話はそれで終わりなんだよ。そんなあいまいな相手に渡す必要はないよ」
「だからと言ってあなたからこれを、」
「いいじゃないか、少し早い結婚祝いだとでも思ってくれ、銀だから時々は磨かなきゃいけないが、きれいだろ? 君は女にいいプレゼントを贈るようなことをしそうにないからね、まぁ、いい人ができればそれをあげるといいさ」
ナルはからかったように笑った。
ロバートはむっとしたが、確かに銀のブローチは、それが銀であるのを忘れそうなほど光り輝いていた。
ロバートは立ち上がり、肩を上下させ、上着の裾を引っ張った。
305室を出て階段ホールの花瓶の前に来て、ロバートはサミュエルを見た。
「本気でやるのか?」
「面白いじゃないか」
「……なぁ、」
ロバートは不安を感じた。
「サミ、君が世の中を面白くないと思っているのは知っているが、とても、怪しいと思うんだよ」
「そうだね」
サミュエルはくすくすと笑いながら階段をゆっくりと降りる。
「いろんなことが、おかしいだろ?」
いろいろを説明しようとしたがすべてが可笑しくていちいち言っていられないほどだと思い、いろいろなことがと言ったが、本当にいろいろとばかばかしい。下手な詐欺師の罠にかかって行動するような感じだ。そういう不愉快さを感じながら、サミュエルが楽しそうなのは、時々感じるサミュエルが短絡的に破滅したそうな時と似ていて不安だった。
二人はホテルを出て、白い階段の上からホテルに入る人、出ていく人の波に逆らうように立った。
サミュエルは手袋をはめながら、
「大丈夫だよ……至極まっとうだ。ただね、君の言い草も解るよ。あれが本物のタニクラ ナルだと誰が証明できる? たしかに、タニクラ ナルの相方は大きな男で、妖魔だと聞いたことがある。だが、濁国には彼のように大きな
「面白くってねって、だってどの人だか言わなかったじゃないか、」
サミュエルが顎を警察署に向かってしゃくる。
「彼女も言っていたじゃないか、君次第だよ。君があの警察署へ行き、気になった人がいれば調査する」
「気にならなかったら?」
「気にならなかったら、この話は終わりだよ。さて僕は先に帰っておく」
サミュエルが辻馬車(タクシー)に合図を送る。
「お、おい、」
「見てごらんよ、警官は暇そうにあくびをしているし、彼に懇願しに行こうとしているような女性は見受けられないよ」
「……いつ来るのか聞いて来よう」
「よせよ、行っても無駄だよ。彼女は門を閉めた。ここから先はすべて君の感性と運しだいだ」
「そんな、」
サミュエルは微笑み馬車に乗り込んで走り去った。
「感性と運て、なんだよそれ」
ロバートは不服だった。何もかもが不服で、取り残されていて、ひどく不愉快だったが、ホテル入り口に立っている自分を不愉快だと言わんばかりの人々がいるのに気づいてその場を立ち去り、道路の向こう側、警察署側の歩道に立った。
(これからどうしろというんだ、まったく)と思ったが、家に帰る気もないし、かといって一人でタニクラ ナルに会いに行く気もしない。
彼女の部屋辺りを見上げたが、人影すら見えない。上から見ていればどの人かと確認もできたのだが。(もしかして?)部屋に行ったら実は居なくて、それこそ妖魔に化かされたか?
「妖魔がいるとは限らないのに」
ロバートは小さくつぶやいた。バカバカしいが、このままここにいるよりほかない気がするほど身動きが取れなかった。
サミュエルは馬車の中でほくそ笑んだ。(本物に会えるとは)彼女が本物のタニクラ ナルであろうと思う。証拠はないが、偽物だとする証拠もない。ただ気分的に本物であろうと思った。
彼女は、そばにいたあの大男の血を分けてもらい不死の力を得た。と聞いている。最初こそ、いろんな国の王族が彼女を恐れたが、彼女は権力やそれに付属する富を望まなかった。ただひたすら、彼女の「周りでことが起こらなければ」何もしなかった。だから人々は彼女を噂でしか知らないのだ。
取り立てて目立つものはなかった。褐色なのは濁国の人間だからだろう、いや、あれを褐色と呼ぶには薄い気がするし、少し黄色がかっていた。そういう色の人種がいるのも聞いたことがある。それに名前が独特だ。不思議な響きのある名前だ。そして何よりも、見た目以上のあのしゃべり方。そのアンバランスさがサミュエルにはいい刺激となって目に映った。
そしてそのタニクラ ナルが指名した。自分ではなくロバートを。ロバートでなければならないことなのだろうと瞬間的に納得もした。ロバートは良くも悪くもどこにでもいる宋国の紳士だ。銀髪の自分とは違って目立たないし、人の印象にも残らない。もしタニクラ ナルが言っていた女性のそばに妖魔がいて、警戒していたとして、サミュエルのようなものが声をかけるのと、平均的宋国人のロバートが声をかけるのとでは、彼女の安全が違う。
そう、この仕事はどこか変な危険を感じる。具体的に危険だと判る要素はない。若い女性が警察に懇願する行為、道すがら気になっただけ。よくある光景だと言えなくもない光景にタニクラ ナルが関わったことで危険度が増し、彼女が怪我をしたことでさらに危険だと感じる。その危険度を、ロバートが関わることで、不思議と軽減されていく。それを察したのか、それとも、良くも悪くも宋国人であるロバートを見て任せたのか解らないが、タニクラ ナルはロバートに一任した。
女性に気づかなければこのまま忘れろー。とはずいぶんと乱暴だとは思うが、きっと、ロバートなら、その女性に接触するだろうし、彼の幸運上引き当ててしまうだろう、大当たりを。
ナルは静かに湯飲みの生姜湯を飲み干した。
「彼らに任せて大丈夫だと思うか?」
大男が湯飲みを片付けに来た。
「大丈夫だと思ったから、丸投げしたんだよ。……このところ気分が本当に悪い。あたしは一人しかいないのに、妖魔の出方がひどい。自然現象で済まされていた今までと違って。ちょいと腹立たしい奴らが増えてきた」
「世の中がそういうふうに成長していっているからな、」
「……人間の発展は妖魔も発展させるって? ばかばかしい。……とも言えないな。とにかく、ある程度の知識を持った誰かの応援も必要だと思ったね。そして、彼らならそれが可能のような気がする」
大男が首をすくめる。
「まぁ、よほどの危険が起こればお前が飛んでいくのだろう?」
ナルの言葉に大男はため息をついた。
「
ロバートは昼下がりの風に襟を立て、側で営業をしているスタンドに行きお茶を頼んだ。最近シティーで流行っている屋台でお茶や軽食を売っているスタンドはいろいろと重宝だった。この店は深い緑色で塗っていて、気のよさそうな親父がお茶を入れてくれた。
「寒いね、」
「今日はまだ日が出てるんで暖かいほうですよ、でも、これ以上寒くなると場所を変えますけどね、この辺りは、夕方ぐらいから霧が出るんですよ」
「もう霧が出るのかい?」
「ええ、オッドー川から上がってきて、ちょうどこの辺りが吹き溜まりになっているようでね、だから、この辺りをシンクタウン(くぼんだ土地)ていうんですよ」
「そうだったのか、シンクってこの辺りかぁ」
「まぁ、もうそう呼ぶ人も少なくなってきてるんで、ただ霧が多いフォグタウン(霧の町)て呼ぶ奴が多くなってきてますけどね」
親父とさらにいくつか会話をした。格別印象にも、面白い話をしたわけでもないが、親父も親父で客がなかなか来なくて、暇だったらしくツイスター(ねじった揚げパン)をただでごちそうしてくれた。そのおかげもあって、ロバートはすっかりタニクラ ナルとの面会の不快感をすっかり忘れてしまっていた。そして、そのことを思い出すのはそのあとずっと後日になってからというのだから、一体この親父にどんな力があったのか、不思議でならないが、とにかくロバートは今日のこの半日の記憶をすっかりと言っていいほど忘れ去ってしまったのだ。
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