第7話 ロバート、奮起する
ロバートは苦笑しながら、帰っていったカロラインの馬車を見送り、辺りを見渡した。黒い影はもう居なかった。カロラインの馬車について行った様子もなかった。家の中に入ってもその気配は感じなかった。
階段を下りてきたマルガリタが微笑んだ。
「遠慮しっぱなしでしたけど、何とか話をして、寝間着を与えて、ベッドに腰かけさせたら寝ましたわ」
ロバートは、小さい女の子の世話をしてきたような口調のマルガリタに微笑んで、書斎の中に入った。
カロラインの提案でエレノアはこのラリッツ・ホテルに泊まることになった。部屋は空いているのだし、家賃を取るなんてけち臭いことを言うような男ではないから、いっそうのことここへ引っ越しなさいよ。と言ったが、姉が帰ってくるかもしれない。というエレノアに納得して、とりあえず、見る限り姉の失踪でろくに体調管理ができていないようだから、しばらくはここにいるようにということで手を打った。その間、暇であろうロバートに職場への送迎―途中で倒れたらお姉さんが戻ってきたときに、こっちが悪者になる。とむちゃくちゃな言い訳をして納得させた。
ロバートは暖炉そばの定位置の椅子に腰を下ろした。
「しかし、お姉さんはどうしたのだろうかね?」
ロバートの言葉にサミュエルは少ししてから―寝ていたのかと思うほどの間が開いてから、
「警察が言うように、男と逃げたとか思うかい?」
と言った。
「思わない。とはいえ、そういう女が増えていることは知っているよ」
「君は、マルソン嬢、エレノアを見て判断して違うといった。僕もそう思う。カロラインの言葉を借りれば、あの姉妹は本当にいい姉妹のようだ。街に働きに出なければならなかったのが不運なだけで、田舎に居れば求婚者はたくさんいただろう」
「じゃぁ、なぜ居なくなったんだろう?」
「……人、人一人が消える理由を考えてみたんだ。警察が言うように情事だったり金だったり個人が原因で消えることはよくある。だが、理由はほかにもあるだろ?」
ロバートは首を傾げた。ジェームズがコーヒーと紅茶を入れて持ってきてくれた。
「君は根が単純で素直な人だから、」
ロバートがむっとしてサミュエルを睨む。ジェームズがくすりと笑うのでそれも見上げて睨む。ジェームズは首をすくめただけだった。
「褒めているのだよ。だけどね、この世の中、君のような人ばかりではない。君の全く想像もつかない連中だっている」
「何が言いたいんだい?」
「犯罪に巻き込まれている可能性だってあるということだよ」
「犯罪だって?」
ロバートの反応はサミュエルには、やはり新鮮で清々しい気分にさせた。だからこそ、ふとよぎる不安からロバートを遠ざけたいと思ったが、エレノアが関わっている以上、ロバートが手を引くとは言わないだろう。
「犯罪だとすると、ホッパー警部に手を貸してもらった方がいいのかな?」
「彼女が何度も警察に訴えたが反応がなかったのに、警部が何らかのことを知っているとは思えないけどね、」
「あぁ、なるほど……。だけど、もし、その、あれだよ、その……最悪なことにはなっていないだろうね、なんせ、知らせがきてないんだから、」
サミュエルがカップを机に置き、指を組んだ手で右ひざを包んで少し浮かせ足をゆれす。
「どうかな……、身元不明。ということがあるからね」
「……身元不明……君は、その、ありうると思うかい?」
サミュエルは首を傾げてロバートを見た。
「死んでいるかどうかって話しなら、大いにありだと思うよ」
「なら、それをエレノアには言ってあげないでくれたまえ」
ロバートは即座にそういって立ち上がると部屋を出て行った。
サミュエルは首を傾げる。横からロバートの飲みかけのカップを下げながらジェームズが、
「お優しいのですよ、もし、お姉さんが死んでいると解ったら、エレノアのことを心配されているのですよ」
「だが、人間はいつかは死ぬ」
「ですが、残された人はいつでも思うものですよ。死ぬときは今ではないのではないかと。もし、サミュエル様が言うように犯罪に巻き込まれていたら、さらに思うはずですよ」
サミュエルは少し黙り、右足を両手で膝を抱えて揺り続け、
「なるほどね、それが被害者家族の心理かもしれないね。やはり、ロバートといるといろいろと勉強になるよ」
「…さようでございますね」
ジェームズがコップを片付けに部屋を出た。
サミュエルはそのままの姿でしばらく過ごした。
翌朝。少しだけエレノアの顔色がよかった。それはサミュエルも気づき、マルガリタが大げさに、
「あたしの食事をとって、しばらくゆっくり寝たら、もうすっかり元の美人に戻るわ」
ということも根拠がないと、否定できないほど、エレノア磁針気分良く目覚められたと言った。
エレノアは恐縮したが、ロバートと馬車で仕事場に向かうことに何とか同意して向かうことになった。エレノアはずっと申し訳ないを繰り返していたが、ロバートは昨日の黒い影と、何より姉が怖いからと言って微笑んだ。
「あなたは、とてもいい方ですわ」
エレノアがぼそりと言った。
「何かありましたか?」
「……警官ですわ。何度も、何度も……なんとなく、なんとなくですけど、姉はもうこの世にいないような気がしていますの。でも、それでもやはり探してほしいと思いますし、」
「あなたは、もうお姉さんが死んでいると思っているのですか?」
「両親は思っているようです。私が手紙に、警官に何度も聞いていると書いたら、もう、諦めよう。と書いてきました」
「諦められるんですか?」
「まさか、ですから、毎日行っているのですけど、警官は相手にしてくれなくて、」
「……ではどうでしょう? 私と探してみませんか?」
「え? でも、探すって、警官でない私たちが探すことなんてできるかしら?」
「その点はサミュエルに少々助言をもらうとして、警察が動かないのであれば、我々で動きましょう」
「でも、どうやってですの?」
「とりあえず、今日は仕事に行ってください、迎えに行くまでに考えておきます」
ロバートは清々しいばかりの笑顔を馬車から見せて立ち去った。
エレノアのこの登場はその日一日工場内を華やかにした。
ロバートは帰るなり部屋に駆け上がると手帳と鉛筆―ついこの前発明されたものでひどく高価なものだ―を手に階下に降りて、サミュエルの居る書斎に入っていった。
「探偵でもする気かい?」
「……え、あ、まぁ……無理だろうか? 僕は君のようにツテもコネもないし、頭もよくはないけれど、その、」
「エレノア嬢の役に立ちたい。……いいよ、僕で役に立つなら」
ロバートは破顔した。サミュエルはその顔を見て、飽きれるほどいい笑顔を見せる。と思いながら大真面目に手帳を広げるロバートに微笑んだ。
「なんだい?」
サミュエルは顔を赤らめたロバートに聞き替える。ロバートは頭を掻きながら、
「サミーのその笑みはやはりきれいだと思ってね、いや、褒めているのだよ、気色悪いと思わないでくれるとありがたいがね」
ロバートはバツが悪そうに咳払いをした。
-だがね、本当の美人は、君のような人を言うのだよ―と言ったら、ロバートはどうするだろう。と思ったが、あえて言わず、
「ありがとう」
と短く言った。
ロバートは咳払いをして、
「それでどうしたものかと思ってね。探すと言ってもどこを探せばいいか見当がつかない」
「彼女は家庭教師をしていたと言っていたね?」
「あぁ、住み込みだった。えっと、確か、」
「タイラー家でございます」
ジェームズがコップを置きながら言った。ロバートが大きく頷いた。
「ジョンストン・タイラー。三年前に会長職になって今は郊外のシュガータウンにお屋敷を構えているという話です」
「シュガータウンか、」
「一等地だ」
サミュエルとロバートは首をすくめる。
「そんなところの住み込み家庭教師が、休みの日に屋敷を出てから戻らない。となるとやはり出発点はタイラー氏の屋敷だろうね、彼女がどんな人で、どういう仕事ぶりだったか、親しい人がいたか、頻繁に何かをしていたか、」
「頻繁に何かって?」
「毎週欠かさずミサに出ていたとか、必ずこの時間にパブに行くとか、そういう習慣だよ」
「必要かい?」
「もし、情事ならばそこで知り合った可能性があるだろ? 恋人がいても、遠くて毎日会えない相手よりもということだよ」
「なるほど」
「手紙をよく書いていたかも気になるね、」
「あぁ、特定の相手がいたかどうか?」
「そう」
「なるほど、やはり君に相談してよかったよ。それで行く日だけどね、」
ロバートがそういった瞬間、サミュエルの目の前に明らかに現像が浮かんだ。
「……それは、二人で行った方がいいだろうね」
「え? 君は来てくれないのかい?」
「君は僕が誰か忘れているようだけど、僕が行くといろいろと面倒だということを思い出してほしいね、」
「あ……そう、そうだね……すまない」
「僕も、その冒険に付き合いたいのだけど、変に関わると、相手に警戒させかねないからね」
ロバートは何度も頷いた。言わずもがな。と言いたいのだろうが、正直なところ、自分の影響力などどうでもいいのだ、ただ、目の前に浮かんできたこの幻影が行かないほうがいいとでも言わんばかりだったのだ。
サミュエルはため息をついた。幻影はまだそこに居座っている。本当に幻影なのかと思うが、それが透き通っているので幻影なのだろうが、それにしても何とも現実的なのだろう。腕組をしたあのタニクラ ナルなのだ。不服そうな顔で腕を組んでサミュエルを見ている。
「ところで、サミュエル、」
サミュエルは静かにロバートに目を向ける。ロバートはまだ手帳に書いていたが、書き終わって満足げに微笑みながら顔を上げる。
「ライト君から何か連絡があったかい?」
「あぁ、連続殺人事件だね?」
「あぁ。(これからも彼女は)あの公園を通るんだ、やはり早く犯人が捕まってほしいしね、」
「いや、何もないねぇ」
「そうか……、あの公園があれほど見通しがいいなんて、やはりいくら考えてもおかしくてね、真っ暗だったんだよ、本当に。不気味で、ぞっとして、そこだけ歩調が早まったんだ。その間に悲鳴なんか聞こえなかった。もし聞こえたら助けに行ったよ。と思うと、悔しくてね、」
「君が行ったところで、犯人という奴はかなりの力があるようじゃないか、鋭利なナイフならいざ知らず、切れ味の悪いナイフで首を切った後、容赦なく体中を刺し、内臓を引っ張り出している。こんな奴に、なんの用意もない君が敵うわけがない。そう、この冒険で危険だと思ったら逃げてくるんだよ」
サミュエルの瞳にロバートが頷いた。
―不安がないわけではない―ロバートは自室の机に座って日記帳を広げた。日付を書き、今日の残金を記入する。金を必要以上使うわけではないが、それでも実家から離れている今では必要な行為だった。コインを重ね金額を書き、自身の内側を吐露する。
「本当は不安なんだ。エレノアと会った日の、あの空白の半日が頭から離れない。惰性で動いていたということはあっても、あれほど奇妙に忘れたことはない。惰性や慣習で行くような場所ではなかったし、第一がなぜエレノアの後を追ったかだ。他にも警官に縋り付くように懇願している人は居た。彼女が……理想の女性だとしてもだ、それにしたって後をつけるなど……。そのあとのあの影。あの影は……サミーにも言っていなかったが、近づいてきたとき、殺気を、殺気を感じたんだ。彼女にではなく、僕に……僕が標的なのか? もしそうならば、彼女と一緒ではいけないのかもしれない」
ロバートがペン先をインク壺に入れたままつぶやく。その時、一つ部屋を離した向こうにいるエレノアの部屋から悲鳴が上がった。悲鳴と言っても絶望や恐怖よりは驚いたような声だ。
階下のジェームズも飛んで上がってきた。ロバートがエレノアの部屋の戸を叩くと、中からエレノアが姿を見せた。
いつもはきっちりまとめている髪をおろし、寝間着姿で猫を抱いていた。成猫のようだ。ふてぶてしい顔をしたどら猫だ。
「この子、すっかり私の部屋にいたのですけど、」
「窓を開けていましたか?」
ジェームズの言葉にエレノアは首を振る。この寒くなった秋に窓を開けるなどする必要はないし、する人などいないだろう。
「どこから来たんだ?」
ジェームズがエレノアから預かろうとしたら、
「いいえ、もうずっと居ましたよ。……てっきりここの猫かと。さっきは急に本棚の上から飛び降りてきたので驚いてしまって、」
「どうかしたかい?」
サミュエルが遅れて上がってきた。
「おや、奇妙な猫だね。……でも、その猫、あなたに懐いているからしばらくは飼っとくといいですよ。ロビーより優秀な警備が任せられそうだ」
サミュエルは笑いながらも目はしっかりと猫の目を見据えていた。猫は抱きかかえられだらしない格好をしていたが、ふてぶてしい顔で回りを見ていた。
「まぁ、お前はノラ? じゃぁ、名前もないのかしら?」
「首輪にタグがありますね、」
サミュエルの言葉に「あら本当」とタグを見る。よく離れていてタグが見えたと思うが、光の反射で光ったのだろう。
「か、カノン? いい名前ね。じゃぁ、飼い主が見つかるまであなたも居候しましょ」
エレノアは猫に顔を摺り寄せる。
部屋に引き上げ、ロバートは机に向かった。
「何だか、いろいろと不思議なことが起こる……これを怖いと思うのは、臆病な証拠だろうか?」
次の日、エレノアを工場へと送って行き、夕方に迎えに行くと、猫、カノンを抱いたエレノアが苦笑して立っていた。
「どうやって?」
「解りませんけど、工場に着いたらいたんです。もうびっくり。でも、同僚の誰の飼いネコではないというんですよ。あぁ、それから、今朝言っていた話ですけど、昼休みにタイラーさんにお手紙を書きました。近々お会いして姉のことを聞きたいと書きましたわ」
「解りました。彼が会ってくれて、もしかすると僕や、彼の口から好ましくないことが出てくるかもしれませんが、」
「なるだけ耐えますわ」
ロバートは頷いた。
猫はエレノアの膝の上で丸くなっていた。一体この猫はいつどうやって工場へ行ったのだろう?
それから三日、猫は気付けば工場に居たり、まったく神出鬼没で、いつも驚かされる。マルガリタに至っては残飯を差し出しても食べないと文句を言っていた。
「じゃぁ、何を上げているんだい?」
「あたし用の肉をあっつあつのフライパンから器用に爪で引っ掛けて取って、それを食べたんですよ。誰が猫は猫舌で熱いもの食べられないって言ったんだか、でも、あの猫、すごいんですよ、ネズミをひと睨みさせて、なんだか居なくなっちまいましたでしょ?」
「まぁ、肉なら又買ってきて食べておくれよ。ほんのしばらくの間だけだと思うしね」
「飼い主が見つかったんですの?」
「いいや、なんとなく、カン」
サミュエルはエレノアに微笑んだ。エレノアは顔をうっすらと赤めて頷く。―あぁ、こういう場面にも慣れていたはずなんだが、相手がエレノアだと、なんだか胸が苦しい―ロバートが黙って紅茶をすする。
「そうだ、手紙が来ていたよ、タイラー氏から、」
食後の暖炉前でジェームズが盆にのせてエレノアに運んでくれた。
エレノアはその場で開封し、眉をひそめた。
「どうしたのかしら?」
エレノアが手紙から顔を上げ、ロバートに手紙を差し出す。
「タイラーさんの字はとてもきれいでしたのに、なんだか読めないほど、揺れていて、」
「そうだね、震えているね」
「悪癖、つまり、酒とか、薬の類をやっているってことは?」
サミュエルの言葉にエレノアが首を傾げるだけで、「解りませんわ。以前はなかったと思います。姉が最初に行った日に付き添いましたけど、とても感じのいい方でした。姉が居なくなってから行った時も、変わりなかったと、思います」
「じゃあ、最後にいってから一カ月? その間に何かがあったのかな? それで、なんて書いてある?」
「あぁ、えっと、親愛なるエミリア……エミリア? エミリアは君の姉さんだよね?」
「えぇ。でも、その震えから、何かご病気だとしたら、エミリアの妹が抜けているだけかも」
「なるほど。えっと、親愛なるエミリア。あなたが私に会いに来てくれること、とてもうれしく思う。できればあなただけで来てほしい、彼は必要ないからね。これはあなたと私の面会だ。13日の日曜。十時に待っている。……彼?」
「姉の恋人のライオネルのことでしょうか? 彼も姉が居なくなってから何度か尋ねたと言っていましたから」
「よほど無礼を働いたのだろう。だが、僕は彼じゃないから」
ロバートの言葉にエレノアが微笑み頷く。
サミュエルはロバートから手紙を受け取ると、ふと足元に来た
「……、ロバート、」
ロバートがサミュエルを見る。
「いつだったから、お守りを上げたの覚えているかい? 銀の弾だが、」
「あぁ、……あれは君からもらったのだっけか?」
「君はゴドフリー氏に面会に行くとか、あれやこれやと忙しそうだったからね、忘れたのだろう。必要ないかもしれないが、あの弾と、銃を持って行くことをお勧めするよ」
「……銃? なぜだい?」
「何というかね、……君たちはとてもいい人だから、このタイラー氏を病気か何かだと思ったようだが、」
「違うのかい?」
「もしかすると、誰かに脅迫されて書いている。ということはないだろうかね?」
「脅迫されて書いているって、なぜだい?」
「さぁね。だが、見たところ酒や何かで踊った字ではなさそうだ。筆圧はしっかりしているし、はっきりとした意思があるが、この線の震えはどうだろう……と思ってね。……エレノア、君はお姉さんが居なくなって必死だったから、よく見えなかったかもしれない。もし、タイラー氏を面会に行った日のことを思い出してみて、普通の面会と違うところはなかったかい? あまり重要でないところでもいいよ、」
「……そう、言われても、」
「面会の日の朝は? まず、朝食から思い出してみて? 朝食はなにを食べたは?」
「朝食はいつもブレッド、いいえ、その日は心配だったので、何も食べずにライオネル、姉の恋人です。彼の家に行きました。私が仕事で帰りが遅かったか、それとも、ライオネルに会いたかったかと思ったので。そのあと、……警察に失踪届をライオネルと届けに行きました。朝です。その足で一番の汽車でタイラー氏の住んでいるところへ行きました。たぶん、駅からは歩いたと思うのですけど、全く覚えていませんわ。ただ、帰りは途方に暮れて歩いたのを覚えているだけです。大きな格子門を開けて、広い庭がありましたけど、すっかり刈り取られていて……、刈られていたのかしら? なんだか、だだっ広い場所。と思えましたわ。以前はきれいだったとか、春や夏にはいい庭になりそうと思ったけれど、そんな印象は受けませんでしたわ。白くて立派なお屋敷でしたけど、なんだか暗くて……、そう、カーテンが全く引かれていなくて、ガラスはまだ朝日を受けていなかったので、まるで白い塊に黒く奥深い穴がいくつも開いているような感じでしたわ。えぇ、そう。身震いしました。玄関のベルを鳴らして、しばらくしたら、タイラー氏が出てきました」
「すぐに出てきましたか?」
「……いいえ、早く、早く、早く、と何度も思いました」
「執事やメイドの類が先に出てきたりは?」
「……、いいえ、……いいえ、タイラー氏でした。そう、少し面を食らったんです。エミリア? とそう……その時も間違えましたが、妹です、と言って、姉が行方不明なんです、帰ってないかとか、本当に休みを取ると出て行ったのかとか、聞いたのですけど、そっけなく、ここにはいないとドアを閉めてしまって、それからドアベルを何度も鳴らしましたけど、出てきませんでした」
「タイラー氏の後ろに誰かの気配は?」
「さぁ……、扉を開けた瞬間、冷たい風が出てきた気がしたけれど、なにも、」
「ふぅん。不思議だね」
サミュエルはそういって手紙をひらひらさせ、それを見て
「僕はね、お姉さんの一件がとても危険に思えているんだ。だから用心として、持って行くことを進めているんだよ」
「確かに、タイラー氏が何者かから脅されていたら助ける必要があるしな」
「……そうだね」
サミュエルの言葉は冷たかったが、ロバートには気付かなかった。
「13日まではまだ日にちがあるから、その前に、その恋人とも会ってみたいね?」
サミュエルの言葉に「ライオネルならすぐに連絡が付きますわ。明日にでも話して返事がもらえますわ」
「よければ、ここに来てくれると助かるんだが、」
「ええ、そういいます」
「ほかに、君の姉さんに関わった人は居ないのかい?」
「姉はここに来てすぐに住み込みの仕事を見つけたので、シュガータウンで友人を求めるのは、無理だと思います。ですから、」
「分かった。じゃぁ、ライオネル君に会うまではすることはないね」
「ところで、」
ロバートがふいに思い出したように声を出す。
「ライト君から何も言ってこないかい?」
「あぁ、新聞には記事を載せているが、なかなか忙しいようだね」
「あぁ、また女性が殺されたのだろう? いったい警察はなにをしているんだか、」
「本当にね」
サミュエルは
そのライトがやってきたのは翌日の早朝。かなり早い時間に、それもかなり乱暴な登場だった。
夜がまだ明けきらない、街は深い霧の中にある中でドアが叩かれた。すっかり目を覚ましてガウンで階下の様子を窺う。ジェームズが戸を開けると、こじ開けてライトが入ってきて、
「は、は、早く、閉めてくれ」
と言った。
その慌てぶりと、数日前に会った時とは別人のような姿に急いで階段を下りる。
脂汗をにじませた額と、数日で驚くほど痩せてこけてしまった頬、目が異様に大きくて辺りをぎょろぎょろと見て安心したのか、肩をおろすと、深く息を吸った。
「まったく……、なんて、こった」
ライトの、乾ききった唇から息とともに言葉が漏れた。
「一体どうしたんですか?」
ロバートとジェームズとでライトを立たせ、暖炉前に座らせる。ブランデー入りの紅茶を一口飲むと、痩せて乾いた肌にうっすらと血の気が通った気がした。サンドウィッチが運ばれると、それを無心で食いつき、食べ終わると、ようやく本当の安堵をしたかのように呼吸が戻った。
その頃にはもうみんなも服を着替え、一緒に食事を済ませ、暖炉前に座ってお茶を飲むまでになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます