第9話 スタン伯爵
ロバートとエレノアは駅からどうやって帰って来たのか解らないほど、疲れ果てていた。
暖炉前に行くなりどっと疲れ椅子に深く座り、甘く入れてくれたココアをすすり、しばらくは黙っていた。
「疲れた」
ロバートがやっと口を開いた。
「ひと悶着あったのかい?」
「いいや、何もないよ。だが、なぜが多すぎて、頭がパンクしそうだ」
「なるほど。じゃぁ、話してくれよ。それより、エレノアは何も話さず観察に徹底していたね? よかった。ロバートの説明で、観察したことを捕捉しながら話してくれるかい?」
サミュエルに言われ、ようやくというふうにタイラー氏との会談を話した。その後、通りであった婦人の話も。
「では、タイラー氏はエミリアを自分のものだと言い、行ってもいない工事を,さもやっているというふうに見せかけ、庭をめちゃめちゃにしているんだね?」
「あぁ」
「それで屋敷はどうだった?」
「人の気配がないだけで、まぁ一般的な家だと……いや、そう、音もだが、熱を感じられなかった。今日は昼間は暖かかったが、昨日の夜は寒かっただろ? 暖炉に火を入れたような形跡がなかった」
ロバートの言葉にエレノアも頷き、「そうですね、寒々しい感じでしたわ。タイラーさんは元気に話していましたけど、なんだか、疲れているのとも違うけれど、なんだか様子が変でしたわね」
「対応などはとても気持ちがよかったけれどね、そう、エミリアはきれいだとか、褒める時の彼の何とも言えない目がね、ギラギラしているというか、ちょっと気味が悪かったね」
「なるほど……。僕はね、タイラー氏が何かを知っていると思うんだよ。彼がね。だが、僕らはあくまで一般人だから、明日、ホッパー警部を呼んで事情を説明し、屋敷を捜索できるように頼んでみよう。それで何が出るか……」
サミュエルが腕を組んで考えると、ジェームズが電報を受け取って入ってきた。電報を受け取るとサミュエルは眉をひそませた。
「さぁさぁ、お二人とも御夕飯にしますからお着換えしておいでなさいな」
マルガリタがロバートとエレノアに声をかける。二人は頷き二階に上がった。
しばらくしてロバートとエレノアが下りてくると、不快そうな顔のサミュエルが夜会服で玄関にいた。
「珍しいな、どこかへ行くのかい?」
「あぁ、化け物からの招待状だ」
そういって届けられてきた上質な白い紙をロバートにひらつかせた。それを見てロバートは少し頭を下げ、
「言わなくていい、余計に気分が悪くなる。さっさと行って帰ってくるよ」
と扉を開けると、電報がまた来て、サミュエルが読む。
「……ロバート、エレノアと警察署へ行ってもらえるかい? 一人では無理だと思うね、」
そういって電報を差し出した。
「マルソン嬢、姉の遺体発見。身元確認にお越し願いたい」と書かれていた。
エレノアが倒れそうになるのをロバートが支える。
「すまないが、僕はもう行く。ジェームズが帰ってきたらそれで出ていくといい」
ロバートが頷くと、サミュエルはエレノアのそばにかしずき、何度か頷くと、エレノアは深く頷いた。
サミュエルが出掛けて行き、ロバートはとりあえずエレノアを暖炉の前に座らせた。
サミュエルは御者台のジェームズの横に腰かけていた。
「中に入りませんと、風邪を、」
「まったく、人を紙切れ一枚で呼びつける。偉そうな女だ。いや、実際偉いんだっけかね? まぁ、実際偉いんだけども……だ、無性に腹が立つ。そもそも何だこの、「非常に不快な者来る至急来られたし」ってのは。まったくあの人は何でも都合がつくと思っている。まぁ、ほとんどの人があの人に言われたら都合をつけるだろうけど、それにしたって、」
サミュエルは襟を高くして首をすくめた。
「それでもおいでになるのですね」
「いかなければ、お前たちにどういう罰を科せるか、解ったもんじゃないからな」
「お心遣いありがとうございます」
「向こうは、大丈夫だろうかね」
サミュエルは一緒に居られないことを悔しがった、「だが、一緒に居ても僕に彼女を慰める力はない。逆に、遺体について質問をして、エレノアを傷つけかねないからね」
「ロバート様が御一緒ですから、」
サミュエルは頷いた。
「しかし、あの人以上に不快なるものが存在するかね? だいたい、家を捨て貧乏に身を落とした一族の恥だと、母を言っておきながら、僕が男だから後継者として脅威になるからって、卿の名を与え、変な気を起こさないよう監視をつけるに飽き足らず、まったく、不快な一族だ」
そういうと、馬車は目的地である、王宮殿の一角にある夜会場に到着した。
サミュエルの到着は人々の目を引きつけた。それを鬱陶しそうに感じながらサミュエルは一番奥で偉そうに座っている人の前へ向かった。
「お久しぶりでございます。伯母上」
サミュエルの通り一遍のあいさつに女王ソフィアは鼻で笑い、
「久しぶりだが、元気そうで何よりだ」
といった。
「しばらくは歓談していくといい」
「そうさせていただきます」
一礼のあと、振り返り、歓談が行われている場所まで行くと、顔見知りが声をかけてくる。まずは、ソフィアの旦那。継承権を持たない、女王の亭主。女王のクマちゃんと言われている男だが、サミュエルは彼をそれほど嫌いではない。頭が切れているのをあえてのんきそうな顔に隠しているしたたかさは、サミュエルしか知らないだろう。そのあとで、いとこだとかなんだとかとあいさつを交わす。
人が多すぎて空気が悪い。と思っていたが、空気の悪さはそれだけではなかったようだ。サミュエルが女王のほうを盗み見ると、「それが不快なものだ」と言っているような顔をした。
近づいてきたのはスタン伯爵と名乗る男だった。だが、スタン伯爵なる男に覚えはなかった。たぶん、金で爵位を買ったのだろう。
薄いひげを生やし、見ようによっては役者の様な顔立ちなので女にはモテるよだが、サミュエルには不格好にしか見えなかった。本人はいたく気に入っているようだが。
「お初にお目にかかります。ガルシア卿。私はついこの間から社交界に面白いものを同行させておりましてね、ぜひご紹介したいのですが、」
スタン伯爵はそういって背後の男を見た。スタン伯爵以上に不快な男だった。
この夜会は今年この国の発展に尽力したもの招き功績を讃え労をねぎらう、サミュエルいわく、成金たちを呼び、金を巻き上げる夜会。なので、治安に努めた教区の神父なども何人かいるが、この男はそのどれにも属していない、まるでカラスのような気配のする男だった。
服装は教区の神父でもひどく貧しさを表す黒に、木の十字を首から下げている。靴や帽子などもつぎはぎなどをしている。だが異様なのはそれが乗っている頭のほうだった。
黒い髪を見たことがないわけではない。だが、これほど黒いのはタニクラ ナルと似ている。肌の色もタニクラ ナル同様に黄色をし、瞳も黒だ。だが、問題は、白目が赤いのだ。この男の白目は赤いのだ。
「はじめまして、キリコと言います。……あ、あぁこれでしょうか?」キリコと名乗った聖職者は自らの目を指さした。「うろ覚えで申し訳ないのですが、というのも、私は、どうも旅人の様なのですが、私の先代の神父が私を見つけてくれた時から以前の記憶はなく、ひどく泣き叫んだかのようで、白目の血管が切れたようで、赤いままで、いずれは体内に吸収するだろうと言われたのですが、あれからもう十数年。未だにこのままで、眼科医に見せても首をひねるばかりで、まぁ、見ている分には支障をきたしませんが、相手は恐れますよね。ましてや私が聖職にあればなおさら。ですが、私は無益なものですよ」
キリコは細い目をさらに細めたが、うっすらと開いているその目の中の赤い部分と、黒々とした光にぞっとする。
「いやぁ、これはこれは夫人!」
スタン伯爵が誰かを見つけて、軽く会釈をして立ち去った。
「あなたも行かないのですか?」
サミュエルの言葉にキリコは首をすくめ、
「あれは、彼の病気です。私は彼の病気に付き合う気はないですから、それよりも、私はあなたとお話をしたいと思っていたのですよ、私と似たものをお持ちのようなあなたと」
サミュエルはゆっくりとキリコのほうを見た。まだ、気味の悪い薄ら笑いをしている。
「似たようなもの?」
「えぇ。世の中を面白くないと思っていることです。違いますか?」
「聖職者がそれを言いますか?」
キリコは含み笑いをし、「私は元々聖職者になどなる気はなかったんですよ。ですが、記憶をなくし、生きていくにはこの肌の色、この目は不利だと、先の神父に言われ、フリだけでもするよう言われ、ですが、その時は神にでもなんでもすがる気持ちでしたがね、」そう言って、くくくっと笑い、「ところで、あなたはどう思いますか? 連続殺人を」
「どうというと?」
「犯人はどういう奴か」
「なぜそのようなことを?」
「今や一番の話題ですよ。ですが、それ以上に興味はないですか? 犯人はなぜ殺すのか」
「快楽でしょうな」
「快楽! エクスタシーですか! なるほどやはりあなたは犯罪などに興味があるのですね」
「今一番の話題ですからね」
キリコが答えたとおりの言葉で返す。
「では、考えないでもないでしょう。あなたなら、どうやって殺しているか、自分なら、と?」
「……考えなくはない。だが、それに囚われてもいない」
「そうですか? 四六時中考えていそうだが、まぁいいでしょう。では、私の考えを披露しますよ」
キリコは、くくくっ。と笑い、
「異常犯罪者と言われているけれど、なかなか頭のいいやつですね。証拠を残していない。まず凶器が見つかっていない。そして指紋。なんでも、最近指紋認証して犯人が解るからでしょうね、指紋がないようですよ。頭がいい。犯行は夜中だ。人気も少ない。目撃者がいないという時間ですよ。警察も脱帽だと書いてましたね」
キリコはそういうと再び、くくくっと笑いサミュエルを見た。サミュエルは先ほどから表情を変えず、手にしていたカクテルをちびちび口に運ぶ以外の動作はしていなかった。
「い、いかがですかな私の推理は?」
「……たぶんそうでしょう。頭がいい。実に。だが、頭がいいからこそ、くだらない」
「く、くだらない?」
「そう、くだらない。もし、頭がよければもっと快楽をのみ追及するでしょう」
「……というと?」
「快楽を得たいのならば、影で殺し、それこそ、屋敷に死を与える部屋なんぞ作るはずですよ。表向きは善良。清廉潔白な人となりを見せ、誰にも知られずに行えばいい。だが、この犯人は、おごりが強すぎる。それは遺体が誰の目にも止まる場所に放棄されすぎている点ですよ。まるで殺した後の遺体を芸術家か何かだと言わんばかりの。だが、それはひどく滑稽なものだ。まぁ、警察をおちょくっているのだろうが、その行為は子供が好きな人を困らせて喜ぶそれに似ている」
サミュエルはそういってキリコのほうを見た。穏やかな顔をしているが目は怒り切っているのは解った。黒目がぎらぎらとし、赤くなっている白目が更に赤くなっている。
「あなたも、自分が頭がいいというような口ぶりですか?」
「殺人鬼よりは頭がいいですよ。殺人しか頭にないものよりほかにも興味の対象はありますからね」
キリコは俯いてさっと顔を上げると、今まで以上に穏やかな顔を見せた。
「非常に面白い。やはりあなたと話してよかった。実はとある人からあなたのうわさを聞きましてね、ずっと会いたかったんですよ」
キリコは両手を広げて見せた。
「そしてやっぱりそうだと確信しましたよ」
キリコの言葉にサミュエルは背中がぞわっと寒くなる気配を感じた。
「あなたも、こちら側の人になれるようですよ」
「こちら側?」
キリコは不敵な笑みを浮かべ、「私は、神に祈りました。しかし、……結局神は居ませんでしたよ」
「……代わりにいたのは?」
「それは、あなたの友達に聞くといいでしょう」
サミュエルは首を傾げると、キリコは名刺を差し出し、
「私の住所です。教会に住んでいます。もし、私に興味がありましたら、ご一緒にお越しください」
サミュエルは名刺を見た。確かに教会の住所を書いている。そして裏に読めない文字らしいものが書かれてあった。
「それは……あなたの友達なら読めるでしょう」
ロバートに読めるだろうか? ジェームズか? と思案しているサミュエルの耳側で、
「タニクラ ナルなら簡単ですよ」
そういうとキリコは歩き出し、あっという間にこの夜会の人波に消えてしまった。
サミュエルはキリコを探したが見た限りではいなかった。
身震いを起こした。サミュエルはキリコを姿を思い出していた。見た目は真っ黒
いカラスのようだが、目は狡猾そうな蛇のようだった。獲物を見てとらえると絶対に離そうとしないような眼だ。その目を赤くなった白目がひきたてていて、より一層不気味だった。
いやな予感とともに悪寒が走る。
(そういえば、あいつはタニクラ ナルのことを知っていた。以前何らかのことで知り合ったのか? だが、タニクラ ナルに関わった人間が、タニクラ ナルに対して好意的に話すことはないはずだ。それは、タニクラ ナルのことをロバートに教えたゴドフリー氏の様子や、タニクラ ナル自身がそのようなことを言っていた。普通の少女だが、普通ではないのだから。なのに、なぜだ? 自分も覚えている身でありながらよく言えたものだが、だが、覚えている人と彼女の話をしたいか、と言えば、否定的だが)
サミュエルは帰りは車内に乗り、怪しい男キリコのことを考えていた。
サミュエルが出掛け、ジェームズが帰ってきてからしばらくしてロバートとエレノアは警察署に出向いた。
マルガリタが一緒に行こうかと言ったが、ロバートだけでいいと断った。もし、新聞などで紹介されているような死体だったら、マルガリタには見せたくないといった。
マルガリタは部屋を暖め、暖かいココアを用意して待っているからと言って見送ってくれた。
警察署はひどく事務的にロバートたちを安置所に案内した。
エレノアが姉を探してくれと懇願していた警官の姿が見える。青ざめているのは死体の所為か、エレノアが来たせいか解らないが、とにかく、この警察署内がひどく陰湿な影に覆われているようだった。
冷たい廊下だった。今晩は特に冷えるとはいえ、それ以上に冷たく、吐く息が白い。
ホッパー警部が会釈をし、「身元不明の死体だったんだ、……身元を示すものはなくてね、ただ、俺も、警官の数名もあんたの顔を覚えている。それで、似ていてね、……かなり衝撃的だが、」
「大丈夫ですわ」
エレノアのか細いが強い意志の言葉にホッパー警部が布を開けた。
ロバートは眉をひそめた。
「まるで、……まるで」
「そう、生きてるようだろ? 監察医のいわするところ、死亡したのは一か月前。失踪した前後だろうと。だが、どうだ、この顔はまるでそのままだろ? ……、ただし、……見せるわけにはいかないが、首から下は確かに一か月経っているんだよ」
その顔はエレノアに似ていた。エレノアとエミリアは似ていたのだ。ただ、目の青さだけが違うだけでと思えるほど、その雰囲気、その顔立ちは似ていた。
ただ、一か月前に死亡したというにしてはその顔は、まさに今、亡くなった人と同じようだった。眠っているような顔と言われる、あの死者の顔だった。
「どういう、こと、だ?」
ロバートだってそれほど愚かではない。死体が一か月の間きれいなままでいられるとは思っていない。布に覆われている体の部分は骨のあとが浮き出ているのだ。きっとそれが正規の死後一か月の姿だろう。異常なのは、このきれいな顔だ。
「さっぱりだそうだ。こんな事案初めてで……、ちょ、ちょっと、おい、誰か、誰か監察医を呼べ!」
ホッパー警部が話しているその場から、エミリアの顔が音もなくしわができ、腐敗があっという間に始まった。
監察医が慌てて駆け付けたが、あっという間に死後一か月の、骨に皮が張り付き、生前の見る影もない姿に代わってしまった。
エレノアはぐったりとロバートに寄りかかっていた。ロバートだって椅子に座りたいほどだったが、エレノアがいる以上と踏ん張った。やっと座れたのは、この異常な現象を解明するために解剖をしたいという監察医の申し出にエレノアがサインをし、その結果が出るまで家にいるようにと言われた馬車の中だった。
馬車に揺られている間、エレノアは涙一つこぼさず、ただ黙ってロバートに体を預けていたが、ラリッツ・アパートにつき、その玄関からマルガリタが出てきた途端、ボロボロと大粒の涙をこぼし、マルガリタに縋り付くようにして泣きじゃくった。
ホッパー警部が検視結果を持ってきたのは夜中近くだった。その少し前に帰ってきたサミュエルにだいたいの話を聞かせたが、眉をしかめたままで何も言わなかった。
ホッパー警部は暖かいブランデー入りの紅茶を半分ほど飲み、「エレノアは?」と聞いた。
「ひどい興奮状態でしたので、睡眠薬を飲ませました」
ジェームズが淡々と答えた。ホッパー警部はそのほうがいいと言い、茶封筒から書類を出した。
「どうにもこうにもといった内容だ。監察医が調べた結果、やっぱり死後一か月。もちろん頭部もだ。だが、あのきれいな顔は死亡直後だった。警察署に運ばれてから一時間はあのままだったものがあっというかに一か月経ったんだよ。監察医は人知を超えているだの、摩訶不思議な現象だのと言い、科学者らしからぬ発言だと笑えと言って帰っていく始末だ。……とにかく、死亡したのは一か月前のようだ。死因は絞殺だ。きれいな頭……というのも変だが、その時の首にくっきり男の手のあとがあった。しかも、ご丁寧にそいつの紋章の指輪もある」
そう言って紙を一枚見せた。写真が乾板印刷可能になり、警察でもいろいろな場面で写真を撮るようになっていた。そしてそこには、明らかに不自然だが、首から上はきれいな女性、下は到底人間ではないような姿となったエミリアの姿映っていた。
「驚いたね、本当に首から上だね……、これはドレスの襟から上はきれい。という感じかな? こう、湾曲しているように見えるが、」
「そうだ、そんな体だからドレスはぶかぶかになっていたが、確かにドレスの襟辺りが境目だろうな」
「面白いねぇ」
「面白い?」
ロバートは不謹慎なサミュエルの言葉にむっとした声を出した。
「犯人は頭だけに執着していたということさ」
サミュエルの言葉にロバートとホッパーが首を傾げる。
「と、言うと?」
「首から上を腐らせたくなかった。どうやったかは想像もつかないが、とにかく、彼に必要なのは首から上、エミリアだと判る部位なんだ。それ以外はどうでもいいんだよ、悪く言えばね」
「サミュエル、」
ロバートがどうにもこうにも言えないような顔をする。
「彼は本当にエミリアを愛していたのかね?」
サミュエルの言葉にロバートが首を傾げていたが、しばらくして、
「いや、ちょっとそれは、」
「だが、たぶん彼だと思うよ」
「なんだ、彼っていうのは? 知っているのか?」
「タイラー氏ですよ」
サミュエルはさらっと答えた。
「タイラー? タイラー鉄道のか?」
サミュエルが頷く。
「なぜだ? タイラー氏は会長職となって田舎(シュガータウン)に引っ込んだ有閑成金だぞ。それが、たかだか家庭教師を、」
「そのたかだかの家庭教師に横恋慕した挙句の犯行ですよ」
「いやいや、ないない。……無いだろう、」
ホッパー警部は神妙な顔つきになっているロバートの顔を見て黙った。
「今日、タイラー氏に面会に行ったんです。質問内容はあらかじめサミュエルに言われていたので、タイラー氏がどう受け答えるかを僕が、その時の動向をエレノアが観察することで二人で行ったんです。
あの時や、帰ってきて君に話しているときにはそう思わなかったが、タイラー氏の屋敷の人気のなさ、熱のなさ、エミリアのことを好く言うときのあの恍惚とした表情や、ライオネル君を悪く言うときのあの殺意さえ感じるような表情はただ事ではなかったと思う。確かに、彼は我々を追い払うときにエミリアは自分のものだといった。更に、通り向かいの夫人の話では、一か月前から妻子の姿は見えないし、やってもいない工事をでっちあげたりしている。
たしかにおかしいとは思う。しかし、それはそう思うというだけで、」
ロバートの説明にサミュエルが頷く、
「だがね、」
割り込んだのはホッパー警部だった。
「これ、紋章付きの指輪のあとなんだがね、」そういって写真を指さす。「TJとこの変なのは煙だそうだ。蒸気機関の。この紋章は、ジョンストン・タイラーのもので間違いないそうだ」
ホッパー警部の言葉にロバートは喉を鳴らした。
「実はね、この会見の内容を警部に話し、明日タイラー氏宅の捜索令状を持って一緒に行ってもらいたかったんですよ。近所の夫人の話ではタイラー氏は庭を掘り返したりしているようだから、人も多く必要だと思いますよ」
サミュエルの言葉にホッパー警部は、指輪で家宅捜索令状は出るようで、明日の一番列車で向かう予定だといった。
「同行しても?」
サミュエルの言葉に嫌そうな顔をしたが、
「見てみたいじゃないですか、どうやってあの顔を保ったのか、」
オッパー警部の頭に、―ガルシア卿は殺人などの類を好むサディストである―と言うような噂が浮かんだ。目の前にいるこの美人がそうだとはにわかに信じがたいが、時折場にそぐわないことを言うあたり噂は違わないとは思った。だからと言って、捜査現場に一般人を入れることは警官としてはできない。といった。
「いいですよ、じゃぁ、特権を使います」
ホッパー警部は顔の筋肉のすべてを使って嫌そうな顔をし、そして拒否しながら、「ぜひ、お越しください」というしかなかった。もし、特権を使ったら、王宮警察やら、何やらことは大げさになりかねないのだ。
ホッパー警部のため息にロバートは同情しながらも、サミュエルを見た。サミュエルが、犯人がどうやって死体を美しく保てたか。ということに興味を抱いていることが不安だった。
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