第5話 ホッパー警部、ライト記者登場

 ロバートが寝るために部屋に上がっていって一時間が過ぎた。サミュエルは暖炉の火を眺めていた。時間は十時に近かった。もう辺りから音が消えている。なんて規則正しい人間たちだろうか、夜更かしをするような人間などいないかのように、もうすっかりみんな寝ているように静かだった。

「それにしても」

 サミュエルはつぶやいて頭を整理しようとしていたが、どうにもこうにも整理がつかない。

 なぜロバートはタニクラ ナルを忘れたのか? 先ほどエレノア・マルソンという女性、きっと彼女がタニクラ ナルが言っていた、警官に懇願していた女性だろう。そのエレノアと会ったこと、黒い影のことは詳細に覚えているのにタニクラ ナルについてはまるで記憶にない。どころか、会ったはずだろうに話していくうちに、時間が経つうちに忘れていっている。何か「薬を盛られたのか?」と勘繰ってみたが、自分に症状が出ないのでただただ不思議でしかない。

 ドアがノックされ、ジェームズが入ってきた。

「このような本をご覧になりますか?」

 古い本だった。昔はずっときれいな表装されていただろう本をサミュエルが受け取るタイトルはなかった。表紙を開けると、

「不可解だと思った?」

 という文字がいきなり書かれていた。なんだ? タイトルでもなく、目次でもなく、いきなりの文章だ。日記か? とも思ったが、

「タニクラ ナルに会ったものの記憶が自分以外消えていくのはどういうわけだ……?」

 サミュエルは本を裏返し裏表紙をめくった。大体、これを書いた日付が書かれているものだからだ。それによれば百年前の日記で、そしてそれはあのラベンダーホテルの創業者のものだった。

 サミュエルは口の端を上げた。(まったくうちの執事というのは、いったい何者なんだ? と思ってしまうね)

 サミュエルは最初に戻りそれを読んだ。ごくごくつまらない日々の連絡事項の中に必ず、

―今日も、あれほど親しく話をし、世話を焼いていただろうメイドがタニクラ ナルのことを忘れていっている。面白いのは時間とともに忘れる者もいれば、それを話すたびに忘れて行っているものがいることだ。話すものはその口から文字がこぼれていき、そのまま落としているのではないかと思うような、そんな忘れ方だ。さっさとそれを拾わなければいけないよ。と忠告したいが、言葉は誰の目にも見えないから、もう、タニクラ ナルを覚えているのは私ぐらいだろう。だがなぜ私は忘れないでいる? 私もいずれ忘れるのだろうか?―

 サミュエルは最後までめくり、タニクラ ナルについての記述のみ読んだ。ほとんどが同じ文章だった。そして、彼の日記が終わるその日まで彼はタニクラ ナルを忘れることはなかった。それ以上に会った当時を鮮明に覚えているようだった。

「信じているか、信じないか? かな? だけどね、僕だって、あなたを不死のモノだと信じたわけじゃないんですよ」

 サミュエルは誰ともなくつぶやいた。天井を仰いでふと思う。

「ロビーにとってはそれがいいことなのかもしれない」

 タニクラ ナルを覚えていて、もしそれを口にしたらどうなるか不明だ。そうだ、タニクラ ナルが与える影響が解らない今、忘れることが一番かもしれない。どうやってそんな細工をしているのか不明だが、とにかく、今は、ロバートとマルソン嬢の成り行きを見届けたほうがいいのかもしれない。


 翌朝、ロバートはひどい頭痛で目が覚め、憂鬱そうな顔をして食堂に降りてきた。サミュエルは食卓ですでに新聞を広げていた。

「やぁ、おはよう」

「二日酔いかい?」

「まさか、飲んで寝ていないのだが、とても、頭が痛くてね」

「今日も挨拶回りかい?」

「そのつもりなんだが、」

「止めておいたほうがいいね、そんな具合が悪そうな顔をしていたら後見人を辞めたくなる」

「……そうだな、おとなしく寝ておこうと思うよ」

「いや、そういう時は気晴らしに、公園なんぞに行くことを勧めるね」

 サミュエルの言葉にロバートはこめかみを抑えながらサミュエルのほうを見た。出不精のサミュエルが公園の散歩を進めるなど未だかつてあり得ないことなのだ。

「なぁに、ここに書いている。多少具合が悪い時には軽めの気分転換がいいとね……またか」

 新聞を折って見せようとしたその指先の記事にサミュエルが眉間にしわを寄せる。ロバートがその記事を覗き込む。

「殺人鬼か。悪質だな。若い女性ばかりを狙っている」

 警察の発表で被害者がいきなり増えたのが数日前だった。それまではまるで関係ないと思われていた被害者たちが同じ手口だったことから、この一か月で五人になった。

 被害者に特に共通することは若い女性だということだけだった。髪の色も、目の色も―これらは、警察の発表では病的殺人者の多くが身体的特徴が類似するというのだ、いわゆる好みの問題らしい―この件での被害者に共通項はまるでないようなのだ。職業も違う。年齢も出身地さえも違うのだ。

 警察はすでに手詰まりらしいが、事件は続いているようだ。今朝もまた若い女性が亡くなってしまった。

「……ロビー? 君がマルソン嬢と食事をしたのはどこだっけ?」

「確か、7番通りにあるだ」

「……この被害者はその店近くの公園だったようだ。君が帰ってきたのが八時半過ぎだったね、死亡推定時刻が八時から十時、君、何か気付かなかったかい?」

 ロバートはサミュエルから新聞をひったくりその記事を読んだ。確かにこの空き地なら二人で通った。不気味な黒い影におびえながら歩き、ふと目に入った明かりに安堵した時だった。だが、人は何人かいたが怪しそうなやつはいない。いや、知り合いは居ないから、そのすべてを怪しくないとは言い切れないが、それにしたって、数名の人があの通りにいた。数人の男たちは街灯下に置かれたたき火で暖を取っていた。たぶん、夜間工なのだろう。アパートの部屋からも明かりが見えていた。そんな人が動いているような時刻で、悲鳴など聞こえなかった。

「いや、何も気づかなかったよ」

「不思議だね、新聞によれば、彼女はかなりの恐怖で顔が引きつっていたと書かれている。声だって出ただろうにね」

 ロバートがいくら思い出そうにも全く覚えがない。もし自分が聞こえていなかったとしてエレノアや、路上に居たものまで反応しなかったのはどういったわけだ?

 その時玄関のベルが鳴った。朝の八時という時間なのに。

 怪訝な顔で待っているとジェームズが執事らしい対応をしてから、名刺を盆にのせて入ってきた。名刺は二枚あった。

「警察と、新聞社?」

 サミュエルは首を傾げながら、先ほどまで読んでいた新聞に目を移してから、

「通して」

 と短く言った。

「じゃぁ、僕は、」

 と立ち上がろうとしたロバートに「大丈夫、君がいたほうがなんなら話は早いはずだよ」と言った。

 ジェームズに続いて入ってきたのは二人だった。二人はいかにも。という風貌をしていた。着古したトレンチコートを着た刑事と、腕抜きをしてハンティング帽をかぶった記者だった。二人は、

「グレート・シティー(シティー警視庁)のホッパー警部だ」

「ナイトフラッグ新聞社のアルモンド・ライトです」

 とそれぞれ自己紹介をした。

 ホッパーはなかなか眼光が鋭く強靭なあごを持っていてまるでブルドックのような、それもかなり素早く動くブルドックのような印象を受ける。

 ライトのほうは細身でずる賢そうな何とも特徴がなさそうな男のようだった。

「どうだ?」

 ホッパーが聞くと、ライトが頷き、

「えぇ、そちらの紳士ですよ、昨晩、七番通りを女性と歩いていた人ですよ」

 ライトの言葉にロバートはドキッとした。昨晩、こんな男を見た記憶はなかった。いや、昨晩の黒い影と、エレノア以外何もはっきりと覚えていないのだ。

「こいつがね、お宅の前にいて中を覗いていたんで職質をしたら、昨夜そちらの紳士が女と歩いていたと、昨日の事件を緒ご存じで? もしかすると、」

「彼女をちゃんとアパートに送っていきましたよ。部屋から電気をつけて手を振ってくれるまで確認をして帰ってきましたよ」

 ロバートがムキに言うと、ホッパーが手を振って制し、

「公園そばを犯行時刻に歩いていたのがあなたたちだけなんですよ、」

 ライトの言葉をホッパーが続ける。

「何かをご覧になってないか? と思いましてね」

「あぁ」ロバートは肩を沈めて座り直し、「先ほども、この記事を読んでいて考えてみたのだけどね、全く覚えがないんですよ。確かにあそこを通りました。でも、何の音も別になかった。……ちょっと寒気を感じたが、冬だし、と、……そう、冬の風だと思ったけれど、今思えばそれ以上に寒かったかもしれない」

「いや、そんな風はどうでもいいんですよ」

 ホッパーは、何か目撃したか、音を聞かなかったか? と再度訪ねたがロバートは首を振った。

「ところでね」

 急にサミュエルが声をかけた。

 ホッパーはすっと背筋を伸ばした。ロバートにはちょっと苦笑いをしてしまう瞬間だった。サミュエルはこの、下町に近い場所に小さな一軒家で住んでいるが、ガルシア卿と言われてかなりな身分の人だ。いろいろと複雑な家系ではあるけれど、それでも、、この家の周りには彼の護衛が息をひそめているとか、居ないとか言われている。権力の中にいるホッパーにとっては、なのだろう。

「まだ、どうせ仕事前なんでしょ? お二人とも、朝食を食べませんか? そしてよかったら、その話をしませんか? ロバートだって、いろいろ話していれば思い出すかもしれないし」

 ライトは断る理由はなかったが、ホッパーのほうを見た。ホッパーはあいにく時間外であり、就業前だということをこれほど恨めしく思ったことはないという顔をした。

「こういう付き合いで情報収集が得られたら儲けものじゃないですか。ちなみに、僕をサミュエルと呼んでくださいね、それ以外はひどく感心しないから」

 サミュエルはそういった後、ジェームズが人数分の朝食を運んできた。

 ライトは遠慮なくとイスに座り、ホッパーはしぶしぶといった風に腰を浅くかけた。

 四人の男がそれぞれに向かい合って朝食のパンを一口、二口とかじり、皿の上のスクランブルエッグが半分無くなったところで、

「それで不思議なのはね?」サミュエルがコーヒーを優雅にすすりながら言う。「ライト君がなぜそれ―ロバートが女性と歩いていた―を見ていたのかだよ」

 ロバートは上目遣いでライトを見た。確かに、見ていた。というのはどういうことなのだろう?

「それなら簡単ですよ。先日、二週間ほど前の殺人事件を覚えてますか? チムニーの花売り娘が殺されたっていう事件? あぁ、ご存じない? まぁ、そういう事件があってね、やっと警察は彼女もこの連続殺人期の被害者だと認めたんですが、それは俺たちが調査して新聞に載せたからなんですよ。それでね、じゃぁ、もしかすると他にもいやしないかと思って、さかのぼること一か月前、街道門(以前城壁として使われていた名残の石造りの門で、今ではその門のアーチしか残っていないが、中央区の境界線として今では目印にされている)近くの川で女が殺されていたんですよ。女はほかで殺され川に捨てられていた。っていう事件でね、」

「それは怨恨の殺人だ」

「っていうんですけどね、俺は違うと睨んでるんですよ」

「根拠があるんだね?」

 サミュエルの言葉にライトはにっと笑い、だがすぐにサミュエルとロバート、そしてホッパーを見た。

「安心したまえ、僕たちはそのネタを他の新聞社に言わないよ。ホッパー警部がそれを手柄として偉ぶる器の小さい男ではないと思うしね」

「……じゃぁ、それを信じますが、……無いんですよ」

 ライトはすっかり食べ終わり、満足した腹をさすって背もたれにもたれ、

「ないんです」

 ともう一度言った。

「ない?」

 サミュエルが聞く。ホッパーが鼻を鳴らした。

「被害者の母親によれば、彼女が身に着けていたブローチが無くなっていたそうなんです」

「あの辺りはそういう奴もいるさ」

 ホッパーの言葉にサミュエルはライトのほうにすっかり体を向け、

「チムニーの花売りの娘には何が無くなっていたんだい?」

「彼女は大事にしていた刺繍したハンカチが、」

「奇妙だね、ブローチが続くかと思ったが、」

 サミュエルの言葉にライトはにやりと笑い、

「ものというよりも、ということですよ。娼婦二人殺されていますがね、一人はマニキュア。ただのマニキュアじゃないんですよ、彼女の男がやっと作った金で買った新色で結構高いんですよ。その娼婦は大事に大事にしていて、客に見せびらかせては客はちょっと気がそがれたと言ってましたね、娼婦に男がいるなんて聞きたくないでしょうからね、」

 サミュエルは黙ってうなずく。

「もう一人の娼婦は写真でした。中を見た人が少なかったけれど、見た人によれば娘の写真だったそうで、地方の出稼ぎ娼婦だったようです」

「なるほど、だ」

 サミュエルがそういうとライトは大きく頷く。

「悪趣味にもほどがあるでしょ、大事な物を盗っていくなんてのは、」

 ライトの言葉にサミュエルは口の端を上げ、

「猟奇殺人者には収集癖のあるやつもいるからね、被害者の身に着けていたものを戦利品として集める奴が、だから、大事なものを取っておこうというのは解らなくもないが、それが一貫したものでない。ということが面白い。各被害者に大事なものは何か? と聞いたとしか言えないね。つまり、いきなり殺したのではなくて、少なくても会話はしたということだよね」

 ライトがなるほどと感心して、内ポケットから手帳を広げてサミュエルの言葉を書き留めた。

「それは分かったけれど、あの場所にいた理由は?」

 ロバートが言うと、ライトが思い出したように、

「その城門で殺されていた女性があの辺りに住んでいたんですよ。母親は事件のショックで別の町にいるもう一人の娘の家に行ってしまっていたんですが、娘の遺品を受け取りに来いと警察に言われて、家に戻ったら荒らされていたそうでね、まぁ、確かにあそこらへんはちょいと治安がいいほうじゃないから、でも、ひっかきまわしていたが何も取られていないんですよ。まるで癇癪を起こして色々と投げた後のような、あぁ、これは実は、事件と関係ないかと思ってその母親に接触して、一緒に警察署に行った後、家で話をしてくれるっていうんで入ってみたんですよね、」

「その母親がショックで、散らかしたのじゃないのかい?」とロバート

「いやいや、それはないですよ。小柄で病弱な母親ですからね、そりゃ、クッションを壁に投げつけるくらいはしたかもしれないけれど、本棚を倒して本を散乱させるなんてことはしないでしょうね」

「大技だ」

 ロバートの言葉にライトが何度も頷く。

「すぐに男が二人以上入って家探しをした。って思いましたね。そのくらいの荒れようだった」

「だが、なにも?」

「そう、何も取られていなかった」

「怒り狂って暴れたか、」

「か?」サミュエルの語尾をロバートがう

「探せなかったか」

「探せなかった? 何を?」ロバートが聞き返す。

 ライトは驚いたようにサミュエルを見る。ホッパーは確かに面白い話になってきたが、そんなことで捜査できるわけないので、深く椅子に座って腕組をしていた。すっかり皿の上を空にして満足した状態で。

「犯人の何か。……だったら面白いね」

「……なるほど……いや、母親はとりあえずおいらも手伝って片付け、また別の娘の家に帰ってから、一週間後、今度は犯人不在の裁判でやってきてまた同じように家を荒らされていたんですよ」

「警察には?」

「いつも通りですよ、ホッパー警部殿」

 こういう時は警察がろくな捜査もせず、ホームレスか何かだろうと片付けたのだと言わずもがなで解った。

「その時の被害は?」

「何も取られていなかったけれど、壁に、返せ。と書かれていましたよ」

「返せ?」

 サミュエルは、ほぉ。と唸って、腕組をした。

「これには母親はすっかり参ってしまってね、顔見知りのおいらに連絡を寄越してくれたんですよ。母親が再び帰ったのが三日前、それから夜あの辺りを見回っていたんですよ、家の中に入ってあんなことをするんだ、夜だろうと思ってね、それで、家の前に居たら、不似合いな紳士が女性と歩いていた。というわけですよ」

「なるほどね。それで君はその時、ロバートたち以外の怪しいものも、音も聞いていないんだね?」

「えぇ。……たしかに……そう、旦那に気づいたのはぞくっとするような寒気を感じて顔を上げたんですよ。おいらはずっと家のほうを見てたんでね、たき火の前で、公園があるのは知っていたがそっちには一度も目を向けなかったんだが、不意に寒くて、それが公園から風が来たような気がして、それで旦那たちを見たんだ。目の前を通っただろうときにはあまり意識してなかったけれど、そうさ、そのまま過ぎたら、何人かいたが覚えていない。と言っただろうが、見たんだ。意識して、寒くて」

「寒くて、」

 サミュエルは言うと、ライトは頷いた。

「なかなか面白い話ですな、」

 ホッパーが馬鹿にしたように言った。

「ところで、アームブラスト男爵」さすが警部だ、この家に誰がいるのかちゃんと調べたうえで訪問してきているようだ。とロバートは思いながら、ホッパーのほうを見た。

「その女の家を教えていただけますかな? 一応、その女の話も聞きたい」

 ホッパーの女という言葉に眉をひそめた。ホッパーの中ではエレノアは労働階級の娼婦か何かだと思っているような節があった。男爵が連れて歩くにはあまりに低い身分の相手だと言っていることがロバートの気分を害した。

「教えてあげても構わないが、その前に、昨日は、その家は荒らされなかったのかい?」

「あ、いや、どうだろう、外から見ていた限りでは誰も、」

「おとといは?」

「それは大丈夫だ。一応母親の許可を得て、昼間に庭から窓の中を見て確認してる。今から確認に行く予定だが、」

「じゃぁ、いいタイミングだ、行ってみようじゃないか」

 サミュエルはすっくと立ちあがると、ジェームズが素早く用意を手伝った。

「ロビー、君もだよ、十分でしたくできるかい?」

「あ、あぁ、そのくらいだ」

 ロバートも立ち上がり、素早く二階へと駆け上がった。下で、サミュエルはホッパーに話しかけている声がする。昨日の被害者は誰だったのかなどだ。だが、ホッパーはそんなことを言うべきではない。と断っていた。一応、丁寧に。

 用意が済み、四人の男が次々に外に出た。今日はどうやら少しは暖かいようだ。ハロウィンが近いらしく屋台でお化けカボチャが売られ始めている。

「僕はね、ああいうのは自分でこしらえたほうがいいと思うんだよ」

 サミュエルは歩き出し、ロバートはその隣に並んだ。ライトがあとから慌ててついてくる。ホッパーは少し考えていたが、このまま三人を逃すか―別に犯人ではないが―警察署に戻るか選択し、あとを追いかけてきた。

 サミュエルは鼻歌交じりで歩き、気分良さそうだった。確かに秋の―そろそろ冬だが―紅葉した道を歩くには空気は程よく冷たくて気持ちよかった。

「それで、君はどっちから帰ってきた?」

「あ? あぁ、こっちだ」

 と右をさした。

「へぇ、めんどり亭から帰ってくるならこの道をまっすぐ帰ってくるほうが近そうだが、」

「マルソン嬢を送っていったからね、」

「あぁ、そうだった。では、こちらへ行こう」

 ロバートが帰ってきた右に曲がり、少し坂になっている道を下りる。緩やかな坂ではあるがそれが体感的身分の差を表している。気分の悪い道だ。と以前サミュエルが言っていたのを何だか思い出した。

 坂を降りきると、七番通りに突き当たった。それを左折してすぐの三階建てのアパートを見上げた。

「このアパートだよ、」

 とロバートが言った時、玄関からエレノアが出てきた。エレノアは目を丸くし、少し顔をほころばせたが、ロバートが一人ではないことに少しがっかりしたような顔も見せた。その顔の曇りの意味がロバートには解らなかった。

「やぁ、おはよう。えっと、」

「仕事がありますから、」

 エレノアの声が冷たくて、ロバートが出した手を引っ込めたが、逆にサミュエルが前に出た。

「ロビーの親友のサミュエルです。昨日帰りが遅かった理由を聞いてね、お会いしたくて、」

 と人懐っこい美人笑みを見せた。

 エレノアはその笑みにつられて微笑んだ。

「それでね、野暮な人もいるんだよ、昨日めんどり亭そばの公園で事件があってね、君たちが歩いていたんだが、何か見たり聞いたりしなかったかって、ロビーだけの証言を信じなくてね、」

 サミュエルの言葉にエレノアは的確にホッパーを見た。なるほど毎日警察に懇願していっているだけのことはある。警察の人間が聞いている。とすぐに解ったのだろう。エレノアは冷たく

「何も知りません。男爵が助けてくださって、送ってくださるときにお食事までごちそうしてくれただけです」

「助ける?」

 ホッパーが口を出した。

 ロバートとエレノアが同時に頷いた。

「何かあったじゃないですか‼」

 ホッパーの大声にロバートがエレノアの前に立ってホッパーの盾となった。

「いや、それはずいぶん向こうの話ですよ、それも、どうも、こうも変な話で、」

「何があったんですか?」

「黒い影に襲われそうになって、」

 ホッパーが明らかに馬鹿にしたような声を出す。

「黒い影? 黒服の奴でしょ?」

「違いますよ、黒い、靄とか、霧とか、そんな感じで向こうが透けて見えたんです」

 ホッパーが呆れて首を振る。

「あのねぇ、何を言ってるんですか? 幽霊とかって話しなら冗談はよしてくださいよ、蒸気機関車が走っているご時世ですよ」

 ホッパーの言葉にロバートのこめかみに痛みが走った。

 ライトもほくそ笑んだが、エレノアが、本当です、私も見ました。というので、黙っていた。

「それじゃ、行ってみませんか? とりあえず、めんどり亭前を通って、昨日の事件現場、それから、」

「私仕事が、」

「あ、あぁ。そうですね。ロビー、彼女を送ってから戻ってきてくれるかい?」

 そういうが早いか、サミュエルが辻馬車に手を上げて馬車を呼んだ。

「またお会いするでしょう。僕はロビーの親友ですからね」

 サミュエルの言葉にエレノアはロバートと一緒に馬車に乗って走り去った。







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