第10話 シュガータウンへ
早朝は霧が深い、まだ夜が明けきらない出発となった。皮肉にもタイラー鉄道の列車でタイラーを捕まえに行くのだ、乗り心地はいいのだが、居たたまれない気持ちではあった。
「現地の警官の連絡ではタイラー氏が外出をした形跡はないそうだ。警官を配備する前に出かけた可能性は、目の前の家の夫人が絶対にないと断言した。来客は若い男女で、タイラー氏のことを聞きまわっていたというので、これはアームブラスト男爵のことだと思われる」
ホッパー警部がそういって前の椅子に座っていった。
二人掛けの向かい合った席に、ロバートとエレノア、ホッパー警部とサミュエルが座った。その個室の戸をいきなり開けたが、外の警官に抑え込まれて、その人物が何やら言っているのが聞こえる。
「彼は私たちの知り合いですよ。放してください」
サミュエルの言葉に、顔を見せたのはライト記者だった。
「文屋!」
「どうも」ライトはハンティングをひょいとあげて挨拶をし、「ご一緒させてくださいよ。おいらだって命がけで情報収集したんですから」
ライトはそういって個室の床に座って胡坐をかいた。
サミュエルはくすりと笑い、「それで何かあったんでしょ?」と聞いた。
「……えぇ、まぁ、あまりいい話じゃないですけどね、……タイラー邸へ行くんでしょ、どうせ? おいらの調べもタイラー氏がおかしいって話になったんですよ。アームブラストさんたちがおしゃべりなマリーと話しているの見かけましたからね。
マリーの話はもういいとして、以前タイラー邸でメイドをしていた女が駅のそばに住んでいるんですが、一か月前、急に金を渡されて皆辞めさせられたんですってよ。彼女以外はみな央都出身なんで、情報を集めるのに苦労しましたが、みんな同じように一か月前に首になってたんですよ。別にこれと言った理由もなく、かといって、新しい使用人を入れたという話もなく、おかしいと思っていたと。
その人の主な仕事は、奥方の身の回りの世話で、その日の朝、朝ごはんを運んだ時には、血色よく食堂でみんなで食べると言い、食堂で、家庭教師も交えて、五人で朝食をとったと言い切ったんですよ。朝食の皿を片付けるために台所にいると、タイラー氏が台所に来て、その時、そのメイドと、料理人、もう一人のメイド、庭師、執事、雑用係の男と、使用人が朝食をとるために集まっていたところだったそうで、そこに来て、「それぞれの働きに合わせた額が入っている。今までありがとう」と言われたそうだ。
執事は雇われの嫌な男で、金をもらうとさっさと出ていったと言ってました。庭師と雑用は親子で、文句を言いながらも昼前には帰っていったと、料理人とメイドも昼前には出ていき、最後まで彼女は残っていたが、最後には、「どうか出て行ってくれないか」と言われたそうだ。彼女が後をきれいにして出ていきたいといったが、いいから出ていけの一点張りで、彼女はあんな気持ちの悪い辞め方は初めてだと言ってた。
おいらがタイラー氏に目をつけたのは、三人の被害者には目撃者がいて、その人たちが口をそろえて、(三人の被害者のそれぞれの)村では見たことのない人相で、きちんとした身なりの男だったと、その男は急に現れ、「エミリア。私のエミリア」と言いながら徘徊していたらしい。
その中で三人目の被害者の娘が殺された村の郵便配達員が、「一度新聞で見て、なんか俺のおじさんに似てると思ったんで覚えていたんだけど、あれはタイラー鉄道のタイラーさんそっくりだったよ。ただ、新聞に出ていたような健康的じゃなかったね、目がくぼんでぎょろぎょろとあっちこっち見ながら歩いていた」っていうやつなんですよ」
それまで黙っていたホッパー警部が気分悪そうに「目撃者は居なかったかと散々探したんだぞ」と口惜しそうに言った。
「それは犯人をみなかったか? と聞いたからでしょ? おいらは、ガルシアさんに言われて、異変はなかったか? 知らないものがいたか? とか、って聞けと言われたんでね」
「いや、そうだとしても、我々だって、怪しいものは居なかったかと聞いたぞ、」
ホッパー警部がそういって苦い顔をする。
「仕方ないですよ。……、そう、あそこに身なりのよさそうな紳士がいますが、彼は怪しいですか?」
どこかの駅に着いたようで、その駅で列車を待っていた紳士を指さしてサミュエルが聞いた。ホッパーは首を振り、「紳士じゃないか、怪しい男ではない」と答えた。
「それですよ。身なりがきちんとした、いかにも紳士然とした男を怪しむものは居ません。ましてや、郵便配達まで黙っていたのは、タイラー氏が怪しく女性の名前を言っていたとしても、昨今いろいろと色恋沙汰があるゃないですか、その名前だろうと思われただけで、人を殺す、殺人鬼だとは思わないでしょう」
サミュエルの言葉に、「確かに、タイラー氏は成金族の中でも紳士的でいい男だと評判だ。顔を知っていればなおさら、おかしい行動も愛人がらみなのだろう、と勝手に解釈しそうだな」
サミュエルは頷いた。
「さらに調べた結果、あの日、エミリアが列車に乗った日に、物売りの娘が九時に列車の中で見ていたんですよ。覚えていたのは、その時電車の中で具合の悪くなった人がいて、それの介抱を率先してやっていたのに、10時ごろに着いた城門外駅で男に促されて下車したそうです。列車はその後10時半にシティー駅に到着。エミリアはその日シティーには来ていなかったことになる」
「だが、それがエミリアだとは、」ホッパーが苦々しく言う。
「彼女の写真を拝借して行ってたんですよ。これもガルシアさんが用意してくれたんですけどね」
とライトは写真をエレノアに返した。先日エレノアは、サミュエルに写真がないかと聞かれ、無いというと撮らされたものだ。
エレノアは返された写真を見つめ、「姉は、困った人を放っておけない優しい人でした」とつぶやいた。
「これで、エレノアは途中下車したことは解った」
「一緒に降りた男がタイラー氏なのだろうか?」ロバートが不安そうな声を出す。
「だと思うね、」
「じゃぁ、どこへ行ったんだろう?」
「家だろ、休暇をしに行く女性を引き留める用事として、優しく正義感あふれる女性が何のためらいもなく帰る用事と言えば、面倒を見ている子供がどうにかこうにかなった。と言われれば帰らざるを得ないだろう」
「じゃぁ、あの屋敷に? でも、人の気配は、」
「行ってみればわかるさ、さぁ、そろそろのようですよ」
サミュエルがそういって、列車は線路通りに緩やかにカーブし、駅構内に入った。この村では珍しい数の警官に駅員が緊張した顔で出迎えた。
村のあちこちに警官が散らばっていく。ホッパー警部を先頭にした本部隊がタイラー邸に向かう。
タイラー邸の前にはすでに警官が待っていた。おしゃべりマリーも玄関先に立っていた。
警察隊の中にロバートたちを見つけると、「とうとう調べるんだね?」と好奇心で声をかけてきたが、適当に会釈をしてタイラー氏の庭に入った。
ホッパー警部は手順通りに玄関ベルを鳴らしたり、戸を叩きながら、警官たちに屋敷周りを見てくるよう指示をしている。
サミュエルは険しい顔をして庭の中ほどで立ち止まり建物を見上げていた。ロバートがそれに気づき、エレノアと一緒に向かう。
「何か見えるのかい?」
ロバートも同じく建物の上を見れば、エレノアが「ひゃっ」と短く悲鳴を上げた。
玄関すぐ上の窓に黒い影がいて、影の癖に口が裂けるとそれはそれは赤い裂け目となって開き、それが笑っているようで、そしてじんわりと消えていった。
警官隊が、応答がないので戸を壊して突入していった。しばらくしてホッパー警部が玄関から手招きをした。
「人は、……居ない」
警官たちがあちこち捜索している中で、一室だけ、中にいた警官が吐き気をもよおして飛び出てくる部屋がある。
「あまり、いいものじゃない。エレノア、あなたには特に、」
「いいえ、私、意外に図太いんですよ」
と言いながら、隣にいたロバートの腕を強く掴んだ。
部屋は日当たりのいい、家族用の居間だった。幸せの象徴というべき写真が多く、置かれている調度品も人気の品物ばかりをそろえていた。
そのソファーに、二人の子供たちが座った状態で刺殺されていた。婦人らしき女性は子供たちに駆け寄ろうとしているのか、手を差し伸べた形で床に倒れていた。同じく刺殺だった。
エレノアの手が強くロバートの腕を掴む。
「警部、こちらへ」
警官に言われて別の部屋に行けば、それが地下室で、壁、天井には血が飛び散り、女の死体が一体横たわっていた。まさに茶髪の青い目の女性だった。
「すぐに身元を確認しろ……それで、肝心の、タイラーは?」
ホッパー警部が苛立たしく聞くがまだ発見されていないようだった。一階、二階、ともに警官が探し回るがどこにもいないという。
「どこへ逃げた?」
ホッパー警部が外へ出ていこうとした時、「塔、あの、工事中だといっていた塔。あれは使用人の部屋で、エミリアの部屋もあそこだと、」とロバートが叫ぶ。
だが、塔への入り口は外からはなく、かといって、面している応接室の壁にも入り口となる穴はなかった。
サミュエルが壁を叩いて歩いた。数か所叩くとあからさまに音が違い、サミュエルの指示でそこを壊せば、空洞が現れた。ホッパー警部以下警察数名が入っていく。奥のほうでいろんなものが壊されていく音が聞こえる。
サミュエルは壊した壁の断面を見ていた。
「板をうって、漆喰を塗ったか、素人仕上げだから、タイラー氏がやったんだろうね」
死体を調べるために地元の医者が監察医となってやってきた。警官たちがあわただしく動き回る。今まで死んだような屋敷に人の雑踏があふれていく。
「こっちだ」
塔の上の方からホッパー警部の声がし、しばらくして警官が一人、あがってきてほしいという伝言を持ってきた。
階段は螺旋階段で、確かに、各階に部屋を作ってあって、使用人の部屋として使われているようだった。戸が開け放たれ、中にあったクローゼットやら、一通りが開けっ放しになったり、窓が開かれていた。
最上階に行くと、警官が眉をしかめて降りていくのとすれ違った。
最上階は三角屋根の天井をのままで、他よりも広く明るい場所だった。部屋というよりは見晴台という感じだった。窓が四方にあって、真中に椅子が一個だけおいてあるという奇妙な部屋の、その椅子にタイラー氏が座っていた。
頭を拳銃で撃ちぬいている、自殺のようだった。手にしていた拳銃は垂れさがった手元に落ちていたし、恐怖や、絶望といった第三者的要因で見られる顔はしていなくて、ただただ打ちひしがれた男の虚ろな顔が天井を仰いでいた。
「自殺。ですか?」
「……ああ。……そうだ」
「……そう、ですか」
ホッパー警部とサミュエルは顔を見合わせた。これが自殺か? と言いたげな二人の顔をロバートは読み解けなかったが、二人が不服そうなのは解った。
タイラーの膝の上には日記帳が置かれていた。
「二冊ある。一冊はエミリア・マルソンのだろう。こちらで調べたのち返却に行くよ」
ホッパーの言葉にエレノアはうなずく。
「もう一冊は、タイラー氏のもののようだ。ざっと見た感じ、犯行を自供している。一連の連続殺人の件も自供をしているようだから、……事件は、解決。だろうな」
「頭は?」サミュエルがタイラーの体に顔を近づけながら聞いた。「エミリアの頭の保存方法は?」
「……日記に書いてあると思う……で、何か見つけたか?」ホッパーが部課桂枝に聞く。
「いいえ、なにも」短い返事が返ってきた。
「そういうことだ。被疑者死亡で事件解決。……だろうな」
ホッパー警部が苦々しく言った。
ロバート、サミュエル、エレノアはそのあとすぐにシティーに戻った。
警察はその後も現場を調べているようだった。妻子、茶髪に青い目の女以外にも、数名の遺体が発見された。
庭に埋められていた彼らはこの屋敷が怪しいと睨み、夜中忍び込んだのであろう新聞記者だと、ライトの証言で分かった。彼らは頭を棒状の物で殴られ死亡していた。
ホッパー警部がエレノアに日記帳を返しに来たのは、その日から一週間が過ぎていた。
「まだまだ調べている最中だが、これはただの日記だということで返却しますよ」
そういって持ってきた。
エレノアは日記帳を開けてその字に何度か頷いた。「姉の字です」
「それで、何かあれから出ましたか?」
「……よく解らん。が正直なところだ」
ホッパー警部は部屋にライト記者がいることが不服だと言わんばかりだったが、「オフレコぐらい解ってますよ」と言われ、しぶしぶだが、自分の抱えているもやもやを吐きだしたくて口を開いた。
「タイラーの日記は最初こそ、収益だの、会社関係のことばかりだったが、ある日を境にまったく内容がおかしくなってきている。とある夜会に出た時だが、そこで、自分は間違っていると感じたと。その日を境に、奇妙な文が続く。
エミリアに対して彼女は素晴らしい。と書いたかと思えば、使用人に向かってそんな感情を抱くのはよくない。仕事に打ち込まなければ。とか、子供や妻に対して愛情深く描いていたかと思えば、その妻子が邪魔だと書いたり、エミリアが私に微笑むとか、書いてみたり。
エミリアの日記でも、タイラー氏が雇い主以上の要求をする。ということが書かれている日があった。要求内容な、えっと、そう、その日ですな。夜いきなりタイラー氏が部屋に来て、一緒に寝たいと言い出したり、驚いていると、タイラー氏は頭を抱えて立ち去ったという。エミリアはタイラー氏の行動がおかしく、常に監視されているような気がしてきている。
そして、運命の日の前日。あなたに会えるのを楽しみにしながら、先ほどタイラー氏が休暇でエレノアに会いに行くのはダメだ。と言ったり、いや、それはあなたの自由だとすぐに訂正したり、かと思えば、ライオネルに会うのかと詰め寄ったりと、もうただただ怖くなり、辞めさせてくれと夫人に言ったと書いている。夫人は、タイラー氏が仕事で忙しくて、ちょっといら立っているのだろうと、話しておくから、すぐに辞めるというな。と止められたと書いている。
タイラー氏の異常行動が怖く、部屋に鍵をかけて寝るようになっている。寝ようとしたらいきなり戸を開けられた日があったようだ」
エミリアが最後の数カ月の頁を見て眉を顰める。働き始めたころは、子供の様子や、婦人とのお茶など楽しいことだらけで、いい所ごとに着いたと喜んでいた。だが、亡くなる数日は、ただただ怖い。としか書かれていないほどだった。
エレノアは気分を悪くしたため部屋に行ってから、サミュエルが口を開いた。
「それで、一連の連続殺人も彼がやったと自供したのかい?」
ホッパー警部が顔を曇らせる。
「エミリアに似ている茶色の髪、青い目の女を見ると、私のものにならないエミリアの代わりに、手に入れたい。という欲求から殺した。というようなことは書いてあったが、娼婦などの話はなかった。そもそも、娼婦たちが殺された日は、一応地方で仕事をしていたり、シティーで仕事をしていたりで、アリバイがはっきりしている」
「じゃぁ、やっぱり、これらは二つの事件がくっついていると?」
「だと言ったが、
「確かに、なかなか犯人が捕まらないんだ、警察の威厳が損なわれているだろうが、そう処理して、また犯行があったらどうする気なんだろうね?」
「そん時は、別な殺人犯だと調べる気だろう。とりあえず、いったんは解決させておきたいんだ。新聞なんかで叩かれて上は相当いらだているんだ」
「その警察の思惑通り、もう殺人はないと思いますかい?」
ライトがサミュエルに聞いた。サミュエルは暖炉の火を見つめながら、
「そんな容易く終わりはしないだろうね。大体、タイラー氏の件だって、本当にそれで終わっていいのかどうか」
「ほかに何かあるっていうのかい?」
ロバートが聞く。
「さぁね。だけどね、気に入らないんだと、何というか、あっけないじゃないか」
サミュエルの言葉に誰も反応しなかった。
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