短編小説、ではある。
でも…、私は詩だと思った。
私は小学生の時分から詩が嫌いだった。今も嫌いだ。無理して文字数を抑えているようで、読者の心に響く作品に出会った事がないし、信仰者面した辛気臭い点が大嫌いである。
でも、本作品には詩の美しさを感じた。流れるような展開。でも、起承転結の理を果たしている。読後の余韻をも楽しめる。
現在、日経新聞夕刊に詩人の紹介コラムが連載されているが、「本作品を読んで、自省しろ!」と声を大にして主張したい、彼らの詩を読んだ事もないのに。
短編にはMAX2つが信条ですが、星3つ付けました。
相手を自分のものにしたいと思うのが恋、ただ相手の幸せを願うのが愛、恋とは所詮所有欲であり、執着心。
・・・なーんて陳腐なことを考えてしまうのは自分がすでにアラフォーですらない年齢になってしまったからでしょうか?(笑)
でも、それでもいい、なんと言われても構わない、一緒にいたい、身も心も1つになりたい、と思える相手と出会えた幸福。
2組のカップルの恋のあり方が、『アンナ・カレーニナ』に出てくる2組のカップルを彷彿とさせました。
しかし、たった2話の中にこれだけのドラマを詰め込める作者の力量よ。。。
※「同性愛」でも「ニセユリ」でも「ニセバラ」でもありません。ただただ切ない恋の話です。
いやあね! なにこれ!
引用しますけどね!
冰心が使っている灯りに、
色鮮やかな蛾が飛び込んで、
じゅっと燃え尽きた。
怖! こっわ!
ボキャブラリーを
うまく漢文調に寄り過ぎないレベルで
調整されつつ、艶やかさを
ふんだんに振り撒いた文章の中に、
突然ねじ込まれる、これ!
これですよ!
でまぁ、これが後半で回収されるわけですが、
うーん、書かない方がいいなこれ。
自分が知ってるのはこの物語の時代より少し昔、
司馬氏の立てた晋代の史書に載る
志怪小説の類なんですが、
晋書の成立が唐代だってことを考えると、
なんかこう、いろいろ薄らぼんやりとした
繋がりを感じざるを得なかったりします。
宦官って生殖機能ぶった切られるわけですけれども、
結局のところ「承認してくれる誰か」を求めるのは、
人間心理として消しようがない。
そいつの姿を、凍てついた鶴と、
春の池に浮かんでいた鴨の対比で描き出す。
うーん、幽玄の世界。志怪的なものは、
自分もどっかで挑戦しておきたいなー。
それもまた、中国史の一面なわけですし。
中華風世界の後宮を舞台とした、優れた長編を書いておられる作者ですが、短編も素晴らしいのでご紹介します。
一般に、短編は、多くの人間関係を盛り込むべきではないと言われがちですが、この話は見事にその例外です。僅か6500字に男女、男男、女女、という複数の人間関係が入り乱れているからこそ、小さな穴から万華鏡をのぞき込むような、美しい世界が成り立っています。
鍵となるのが、廃太子と宦官の悲恋です。
この話は、中華風ファンタジーではなく、実際の唐の時代を舞台としており、この廃太子も実在の人物です。
その史実と架空の絡ませ方が必要十分!
複数の愛の物語が、この短い中に込められています。
何度も読み返しましたが、そのたびに物語の違った表情が見え、まさに万華鏡のようです。
ひとりの女官が、かつて古い時代に池に沈んだ宦官の情念(怨念!?)に振り回されるお話です。
というと、ホラーかもしくはラブコメか、と誤解されてしまうかもしれませんが、ラブロマンスです。
どこか無邪気で素直な木蘭には、絡まり合う愛憎は少し難しかったかもしれません。それがなんだか少し可愛らしくもあり、重厚な世界観や文体でありながらするする読めます。漢字の散りばめられた中華世界観ならではの文体はむしろテンポがよく読んでいて気持ちよく、酔っ払ったり恋について考えたりする木蘭を逆にコミカルにしている印象です。
彼女とこの宦官が将来どうなるのか気になって仕方がない!
彼女が主人公のお仕事ものも面白そう、とか何とかいろいろと宮中を想像させてくれるお話でした。