11. パート割りのその後

 その年のコンクールは、前年度にいわゆる「ダメ金」を取ったのとは違って、銀賞だった。

 生徒指揮自体は周りの高校もやっている。たまたま、顧問の先生の入れ替わりの時期で、たまたま、生徒指揮という制度が始まったばかりだったから。

 そういうフォローはあったけど、そこで私を含め、54回生の夏を終わらせたことに間違いはない。楽器運搬には当たっていなかったので、しばらく泣き続けるしかなかった。


 コンクールの後、低音パートから離れていたユーフォニアムは、ホルンに吸収されてユーフォルンと言われるようになった。

 低音パート側では、木管低音、バリトンサックスとバスクラリネットを加えて、パート練やセクション練をするようになった。

 聞くと、定期演奏会のパート紹介や名簿も、これに準じて作るらしい。

 こういう珍しさが見られたのは、神様のいたずらだろうか。


 その後、私は無事に大学生になり、近隣の丸橋高校吹奏楽部OB会という社会人楽団に誘われることになった。

 丸橋市とはコンクールの地区違いなので、直接のご縁はないけど、最近は学区統合の影響で、相互に通う人も増えている。

 現に、海平兄弟は丸橋市から通っていた。電車とバスは乗り継いで40分以上かかるので、30分程度の自転車の方が早く通学できるという、

 稀によくある話だ。学区統合はいいのか悪いのか。

 そう思いながら、今日も練習場、大学のホールへ向かった。

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マキノからの風 某チャリ野郎 @CyclerBCY

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