5. 湖畔にて
何ヶ月ぶりだろうか。この、相手も自分も傷付くと分かってるのに、言わないと、伝えないといけないことがあるような錯覚は。そう半ば自分を止めつつも、もはや会話が成り立っていたこと自体が奇跡と言えるほど、気持ちは抑えられなかった。
先輩といるといつも幸せで、もっと一緒にいたいといつも思ってました。
部活中に気付くべきでしたね。付き合ってください。
こんなニュアンスの言葉を口走った記憶がある。先輩は当然固まってた。
それに対する返事なんて聞きたくなかった。でも、2人とも体は動かない。動かせなかった。
付き合ってる人がいます。だからそれは受けられない。
例えそれが、高橋さん…いや、引退した後に色々聞きに来てくれるような熱心な後輩の頼みだったとしても。
震える口をやっとの思いで動かしながら、中野先輩はそう言った。
私はただうつむくしかなかった。
先輩から何か言葉が聞こえたけど、それはもう耳に入れられなかった。
しばらくして遠ざかる気配があって、でもそれはもう、追いかけられない、追いかけようと思ってはいけないものだった。
頭の中が真っ白になるという状態を初めて味わいつつ、このまま湖のへりにいるわけにもいかなかったので、「帰る」ということだけを考えつつ家を目指すことにした。
家にはまだ誰もいなかった。今は何も考えられない。
コンクールの直後、先輩たちの引退が決まった瞬間と同じように、その場はあふれる涙に任せた。
次の日からは、露骨に体調が崩れ始めた。楽器の音にも徐々に出るようになって、もうすぐ来るテスト期間でしっかり休むようにと、顧問の先生にも心配してもらった。
テスト勉強すれば何か忘れられるかもしれないと、努力はしてみた。でも、テストと同じように時間を区切って問題集を解いてみても、湖での先輩の困り顔が浮かぶばかりだった。
課題は何とか出せたけど、その時のテストには本当に自信がなかった。
テストは月・火で終わって、残り2週間弱で卒業式、その後3週間挟んで定期演奏会という、奏者としての腕試しにはちょうどいいと感じる人もいるようなスケジュールだった。
課題を出したことで成績への影響は少なかったと先生から言われたこともあって、その間は余計なことに気を留める間もなかったと思いたかった。でも魅かれた思いというのはそう簡単には消えてくれないもので、ふと打楽器の方を向いて演奏するたびにどうしても思い出す、あの背中があった。
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