Howling Moon
椿屋 ひろみ
第1話 紅い月夜と十字架少女
ーここは桜田町。
閑静な住宅街が広がるこの街を包むように、不気味なほど大きく紅に燿る月が照らしていた。
その異様な光景になじむように、団地の屋上にひっそりと佇む少女の影があった。
黒ずくめの少女の髪は今宵の月と同じ赤銅色で、生暖かい風に靡く長いツインテールの、十字架の髪飾りが妖しい光を放っていた。
「…また血生臭い戦いになりそうだ。」
少女が呟くと、さっきまで静寂を引き裂くように獣の唸り声がぽつぽつと生まれた。
呪いの言葉を放っているような、低く禍々しい唸り声は彼女の周りを囲み次第に大きくなっていた。
彼女は石になったように立ったまま、敵の気配の在り処を探した。辺りには獣の匂いが漂った。
「どうやらお前ら、人間をやめた琺狼鬼(ベーゼ)だな。哀れな奴だ。」
するとその声に応えるかのように、赤い光がぽつぽつと現れた。
琺狼鬼はぞろぞろと真っ赤な一つ目の二足歩行した狼という姿を現した。
「貴様ハ十字架族カ…我ガ主人ノ命デ粛清シニ来タ。」
一匹が言い放つと、数十匹もの異形が唸り声を上げて一斉に少女に襲いかかった。
「赤い月、瞬君もみてるかな。」
大きな瞳をきらめかせながら、桜色のパジャマを着た黒髪のショートヘアの少女は窓辺でこの紅い満月を眺めていた。
この少女の名前は、春野 めい。
桜田中学校一年の特別なことを書きようがない、どこにでもいる普通の女子生徒だ。
めいはクラスメートの黒羽 瞬のことを想い、センチメンタルな気分になっているところだ。
彼の眼鏡越しに見える切れ長の目を思い浮かべて溜息をつき、不器用そうな細い指で縁をゆっくりなぞった。
すると、急に原因不明の停電が起こり、街中が暗黒に包まれた。
「何が起こったの?」
ぼんやりとした月明かりの中、急にめいの目の前に例の赤髪の少女が飛び出し、両肩を強く掴んだ。
「仕方ねえ、こいつにするか。」
乱暴な口調の少女は抵抗もさせる間もなく無理矢理めいの唇を奪った。
生暖かい感触がめいの唇に触れた。一体、自分に何が起こったのか、理解が追いつく訳もなく呆然とした。
すると、二人の周りに眩い閃光が現れ、めいは一瞬気を失った。
めいが再び目を開けると、そこはどこまでも真っ白な空が広がり、誰もいない桜田町だった。
気が付くと白い大きな十字架を体に巻いたようなバトルスーツを着て、赤銅の十字架の形の細い剣を握っていた。
「ここはどこ?それに私はどうなったの?」
めいはひどく混乱していた。
すると、諸刃から傷だらけの少女が映し出され、焦った表情でめいに訴えかけた。
「お願いだ、俺と闘ってくれ。お前がいるのはアヤカシ界。敵の妖力の部分が住み着く世界だ。」
例の黒い異形が煙のようにめいの周りを囲み、姿を現した。
「お前は向こうの世界で武器になったからな。使わせてもらうぜ。」
「武器…?なにそれ。私、武器にされたってこと!?」
「その持ってる剣があるだろ。これは俺の妖力が形になった紅月剣。俺もアヤカシ界では武器だ。」
邪悪な敵がめいのところに向かって咬みつこうとした。
「こいつらは情け容赦なく襲ってくるから気を付けろ。」
とりあえず十字架のような剣を振り回し、めいは決心した。
「とにかく、この剣を使ってこの化け物を倒せばいいのね。」
「そうだ。あいつらはまだ下っ端だ。お前でも倒せるはずだ。」
めいと少女はそれぞれの世界にいながらも、息を合わせてどす黒い敵を倒していった。
少女も華奢な体系に似合わず、身長より大きな十字架の剣で敵をなぎ倒した。
アヤカシ界は重量がほとんどないのか、めいの身体能力が上がったのか、軽やかに建物を飛び越えて行った。
「初めてのわりにやるじゃんっ」
少女の声が聴こえた。
最期の一匹は周りのものよりはるかに大きく、強かった。
敵に攻撃され、ボロボロになっためいは倒れこんだ。
「何をやっているっ」
少女は諸刃越しに叫んだ。
「…わたし、訳わかんない敵に殺されちゃうのかな。」
すると、めいの体から謎の力が加わった気がした。
謎の力に任せてふらふらと立ち上がり、紅月剣の切先を空に向け、思いつくままに呪文めいた言葉を発した。
「この世を犯す邪悪な鬼よこの世を守る十字架のもとに妖界の彼方の闇沼に去れ。」
「現界の女め…覚えてろ。」
呪文の効力が出たのか、琺狼鬼は眩い光を放ち、唸り声を上げて砂のように消えて行った。
まだ、めいの背後から被さるように紅月剣を握る者がいた。その手は氷のように冷たかった。
「誰…?」
振り向くとシルクの布を一枚巻いた悲しげな顔の美女が佇み、めいの背中を押した。
「え…」
地上12階のマンションから落ちてゆく間、この敵か味方かわからない女のことで頭がいっぱいだった。
今までなかった大きな扉が空中で開かれたと同時に女の優しい声が聴こえた。
「あなたは…世界を救う鍵。」
めいが目覚めると、少女は窓辺で月に照らされる髪を靡かせながら振り向いた。
「起きたか、俺はヨルミア・ロッサルーン。みんなからはヨミって呼ばれてる。」
敵を倒し、疲労でぼんやりとしていためいは我に返って微笑んだ。
「私は春野 めい。よろしくねヨミ。」
と言ってヨミの手を取ろうとしたが、振り払われた。
「それにしてもこの戦いは雑魚かった。正直、あんな敵ひとりでも勝てたな。」
めいは悪態をつくヨミにカチンときた。
「はぁ?勝手に訳わからない世界に飛ばされて変な敵と闘わされた身になってよ。」
「そんなこと言ったって、誰だってよかったんだよ、ホントは棒切れでもあったら使ってたぜ。なかったからお前を使っただけで…。」
勝手なヨミの言い分にめいの怒りが頂点に達した。
「なによ、かわいくない、チビのくせに。」
「チビとはなんだ。覚えておけ貧乳。」
顔を真っ赤にして、逆上するヨミはめいを置き去りにして屋根から屋根へ飛んで行った。
めいは一番気にしていたことを言われ、腹が煮えくり返り「貧乳で悪かったわね、サルチビ。」と叫んだ。
次の日、めいは昨晩の出来事に腹を立てながら、教室に向かった。
「おはよう、どしたの朝から不機嫌ね。」
クリーム色のブレザーに赤と濃紺のチェックのスカートという制服を着こなしたポンパドールの女子生徒が声をかけた。
めいは口をとがらせ、制服の紅いリボンをいじりながら答えた。
「ねぇ、エリカ聞いてよ~昨日ね…」
めいがエリカに昨日のことを話す前に始業のチャイムが鳴った。
めいの担任は20代後半の女性教師で、紺色のジャージを穿き中学生に刺激が強すぎるくらいの胸をシャツからはみだしていた。
「おはよう、クソ生徒ども。」
長いブロンズ髪を垂らした化粧が濃いめの美女なのに口が悪いのが玉に傷だ。
「おはようございます。天原先生。」
すると、ひとりの男子生徒が立ち上がった。
「せんせ~スリーサイズは何センチですか?」
さっきまで女神のような天原先生の顔が急に鬼の形相に変わり、男子生徒めがけてチョークを投げた。
運よく避けた男子生徒の背後の壁にチョークが煙をあげて刺さっていた。
「さて、今日からこのクラスの仲間になる転校生が来ている。」
天原先生に呼ばれた小柄な少女は、めいを見つけるなり舌を出すふりをして教壇に立った。
制服を着て、ツインテールをお団子にしている以外、明らかにあのヨミだった。
「魔界乃中から転校してきた夜宮 ヨミです。みんなよろしくね~。」
あまりの美少女ぶりにクラス中がどよめきだす中、めいは不機嫌そうにかわいくないと呟いた。
「夜宮は春野のいとこで、春野の家で居候になるようだ。」
「…ちょっ、せんせ…」
勝手にヨミが自分の身内になって、さらに居候させられるめいは動揺のあまり口をパクパクしたが、言葉にならなかった。
先生に言われ、機嫌よくめいの隣に向かおうとする途中、ある生徒と目が合った。
その瞬間、ヨミの瞳が血潮が吹き出しそうな紅に染まった。
二人は殺気を放っていたが誰も気づく者はいなかった。
ヨミは気を取り直してめいの隣の席に座り「春野さん、よろしくね。」と笑んだ。
めいはさらに機嫌を悪くし、しらじらしいと口パクをした。
活発で美少女のヨミは瞬く間に校内の人気者になった。
体育の授業中、めいと友達はマット運動をさぼって跳び箱にもたれかかり、人だかりに囲まれたヨミを遠くで見ていた。
「めいってこんな可愛いいとこいたんだ。」
腕を組んでエリカは言った。
「それにしても、人並み外れた身体能力だな。」
もう一人の友達の万智が、バック転三回転に成功したヨミに拍手しながら言った。
「なんでみんなヨミのことを褒めるのよ、あいつぜっんぜんかわいくないんだから。」
「これってやきもち?」
「なによ、二人して~そんなんじゃないっ。」
放課後、忽然とヨミの姿が見えなくなり、めいは嫌な予感がしたので急いで家に帰った。
めいの嫌な予感は的中した。
リビングでめいの母がヨミにお菓子を出して談笑していた。
「あら、ヨミちゃん。大きくなったわね。」
またぶりっ子モードでヨミは返事した。
「はい、おばさま。もう中学一年になりました。あたしのお部屋は二階でよかったかしら。」
「そうね、汚い所だけどゆっくりしていって。」
めいはあまりにもヨミのことを歓迎する母に怒った。
「お母さん、ヨミは違うのっ」
「何言ってるのよ、あんたが小学校に入るまでずっと遊んでたじゃないの。」
めいは身に覚えのない思い出話を延々と聞かされ、原因に気がついた。
そして、諸悪の根源がいる自分の部屋の向かいに殴りこんだ。
「ちょっと、おかあさんの記憶いじったでしょ。」
漫画を読みながらくつろいでいたヨミはめいの方を見てにんまりと笑った。
「お前のおふくろだけじゃねぇぞ。めいの関係者全員の記憶を改ざんしておいたから安心しろ。もう誰も俺が赤の他人だってこと信じねぇから。」
「もう晩御飯できたから二人とも食べましょ。」
一階からめいの母の声がした。
「あら、おばさま。あたしがお手伝いしますわ。」
ヨミはめいの肩を叩き、急いで台所に向かった。
「そんじゃ、そういうことだから。」
完全に敗北しためいはその場でへろへろと倒れこんだ。
ー戦いはまだまだ続く。
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