第9話 金木犀の記憶

 ジェムスと一緒に琺狼鬼退治しためいは半月経った今でも余韻に耽っていた。

「私、ジェムスとハグしちゃったよ…やだ、まだドキドキが止まんないよぉ…」

興奮のあまり、ひとりベッドに仰向けになったままじたばたした。


「君は気づいてないけど誰も持ってない力を持ってるよ…」

琉が言ったことをふと思い出し、胸に手を当てた。

「誰も持ってない力…なんだろう…」


「おい、いつまで色ボケしてんだよ。飯食いに行くぞ。テルのおごりだってよ。」

「パチンコで勝っちゃってねぇ…ちょっとぉ」

何かに抵抗するテルをよそにヨミがめいの部屋のドアを叩いた。


 めいは不機嫌そうにむくっと起き上がり、机の上に置いてあるショルダーバッグを背負った。

(まったく、下品なんだから。琉君とは大違い。)

「わかったわよ。行くわよ。」

扉の向こうでお菓子をねだるルルララ姉弟をテルが必死に抵抗していた。


 秋の夕暮れの肌寒さが冬の匂いを運ぶ中を五人で歩いた。

「ボンボン亭って行列ができるくらい有名なとこよね。前から行きたかったんだ。」

紅いベレー帽をかぶりピンクのコートを着ためいは嬉しそうにテルに言った。

「そうさ、ヨミ達に旨いもの食べさせたかったし。」

テルは得意そうに応えた。

「ホントはデートの下見でしょ。」

ルルがにやりと笑ってからかった。


「これは言っちゃダメですよ。ホントのことですから。」

ルルはララにテルのげん骨でできたたんこぶを撫でられ、諌められた。

「うるさいわね、弟のくせに。」

ルルはべそをかいた。


 五人が歩いていると、どこからか黒いガラスの欠片のようなものが落ちてきた。

「黒天狗、貴様やっぱりいたのか。」

ヨミが空を見上げると、黒い物体が電柱で立っていた。

沈みゆく夕日に背を向け、この夜に滲む漆黒の翼を広げていた。

「こないだから俺の周りをウロウロしやがって。勝負だ。」 

ヨミはめいにキスをし、紅月剣を召喚した。

潔く剣の先を黒天狗に向けるも、黒天狗は戦う素振りを見せずずっと黙ったまま電柱の上で立ち止まっていた。


 秋の肌を刺す風が吹く中、暫く両者とも動かなかった。

(こいつ、深い恨みの波動を持ってる…下手に動きゃバラバラにされるぞ。)

少しでも動けば殺し合いが始まりそうな緊迫の空気が流れていた。

ヨミの額には大量の汗が流れた。

「埒が明かないわっ。」

空気を砕くようにテルが間に入って双星剣を投げつけた。

黒天狗は翼で風をつくり双星剣を避けて天空高くまで飛んだ。

「お前たちには用がない。」

黒天狗は全身を包む黒い炎をガラスに変え銃弾のように投げつけ反撃した。

「テルのばかっ」

地上で二人は必死にガラスを避けながら次の作戦を考えた。


 すると、ヨミの紅月剣を持っていた手に命中し高く弧を描いて飛んで行った。

「しまった…!!」

ヨミは血が滴り落ちる手を押さえて紅月剣の方に向かった。

「お前はいらない。」

黒天狗はヨミに向かってさらにガラス片を投げつけ、紅月剣と離れたところまで吹き飛ばした。



 黒天狗は地上に降り立ち、アスファルトに刺さった紅月剣の方に向かった。

「…何すんのよ。」

双星剣を黒天狗の首に充ててテルは進路を塞いだ。

「お前には、関係ない。」

そう呟くと黒い煙が彼の腕に集まり、テルを吹き飛ばした。

紅月剣に辿り着いた黒天狗はそれを拾い上げ、柄の部分にキスをした。

「思い出してもらうよ…めい。」

キスした部分から紅月剣が熱を伴い黒い煙をあげて消えた。




(ここはどこなのよ…)

濡れ鴉色のレースがたわわになった裾の長いドレスに身を纏っためいは深紅の絨毯が敷かれた部屋で佇んでいた。

アラベスク柄の黒色の壁紙に、そこに窓はなく大きな鏡のみ飾られ、照明は燭台に灯る微かな蝋燭の火のみだった。

そして、鼻を衝くほど強烈な金木犀の香りが部屋中を漂っていた。


「僕の部屋にようこそ。」

後ろから十センチくらいに伸びた黒い爪がめいの頬を撫でた。

爪から伝わる底知れない冷たさに驚いためいはすぐに振り向いた。

「誰?」


 めいの後ろには妖しい笑みを浮かべる黒天狗が裾が破れた黒ずくめのコートを着て立っていた。

「黒天狗…どうして…」

紅月剣を失っためいは怯えた目で彼を見た。


「そんな目でみないで…」

黒天狗が指を鳴らすと、中世のバロック音楽が流れた。

「僕の好きな曲なんだ。一緒に踊ってくれるかな?」

警戒していためいは調子が狂い、言われるまま彼の手を取った。

「でも…私、踊り方わからない。」

音楽に乗って二人はワルツを踊り始めた。

「大丈夫。あの時と同じでいいんだ。」

「あの時って…?」

二人の間に溶けてしまいそうな程甘ったるい空気が流れた。

さっきまで異臭でしかなかった金木犀の朽ちた香りがめいに覚えのない記憶を押し付けるかのように呼び出した。


…秋の夕暮、友達と別れた少女はひとり、川で遊んでいた。

家に帰らなければならないのに、帰ってしまったらまた明日になってしまうからだ。

今日が楽しかったのに、明日になってしまうのが嫌で帰り道の川に膝まで浸し踊っていた。


きらきらと夕日に照らされ輝く水しぶきがたまらなく綺麗で、いつまでも踊り続けた。


すると、全身真っ黒な服を着たブロンズ髪の少年が向こう岸で拍手をしていた。

「君、きれいだね。」

見知らぬ少年に声をかけられ、少女は固まっていた。


少年はふわっと身軽に少女のところに来て手を掴んだ。

「一緒に、踊っていいかな?」

黒曜石色の目にどきどきしながら少女は頷いた。

二人で下手なステップでワルツを踊った。

あどけない少年と少女は想いのままくるくると旋回を続けた。

いつしか真っ暗になった空と川で星が散らばり、月が二人を眺めていた。

今まで気づかなかった金木犀の香りが川に染み込むように漂った。

「あなた、名前はなんていうの?」

「ぼくは…黒天狗。」

「わたしはね…」

すると、少年の背中から鴉の翼が出てきた。

少女は驚きのあまり声を失った。


「やっぱり怖いね、ぼくはこの世界の人間じゃないんだ。だから…」

川に映る星が消えて暗黒に染まった。

「僕はひとりぼっちなんだ。帰る場所も行く場所もない。ずっと、ずっと…ひとり。」

凍りついた黒天狗の目を見て少女は手を握った。

ぐずぐず啜り泣いて何も言わないこの小さな手は、幾千年かけても溶けない氷を溶かしてくれるようなむせ返るほどの温もりを持っていた。


「ねぇ、明日もあえるでしょ。あなたのお友達になりたいの。」

少女は黒天狗の袖を掴んで寂しげな顔をした。

黒天狗は優しい笑みで応えた。

「そうだね、また明日。お友達っていいね…うれしいよ。」

二人は明日もこれからもずっと友達でいる約束の指切りをした。


それから二人は川でしか会わない秘密の友達になった。



「私、どうしちゃったんだろう…」

めいは我に返り、黒天狗の手を放した。

「そんなの…私やってない…勝手に人の記憶を書き換えるのはやめて…」

「これは君の過去なんだ、君が友達としてる詐欺師とは違う。」

「ヨミ達のことを貶すのはやめてっ」

めいは塞ぎ込んだ。


「めいっこの鏡を破って帰ってこい!これは罠だ!」

ヨミの声と共に鏡を割って現れた紅月剣を掴んだめいは、粉になった鏡の中を潜りこの部屋から脱出した。

「ごめんなさい…」

鏡を抜ける直前にめいはふと黒天狗の方を見て呟いた。


一人になった黒天狗は割れた鏡の前で涙を流し頽れた。

「めい…君がいればなにもらない…何で君は十字架族のことばかりなんだよ。」



 現界に戻っためいはさっそくヨミに怒鳴りつけられた。

「まったく、世話焼きやがって。あいつは俺たちのことを恨んでるから何するかわからねぇ…だから…絶対に俺から離れるなよ。」

ヨミの発言にめいは頬を赤らめた。

「やだ…それって。」

ヨミも赤面して必死に否定した。

「バカっ…勘違いすんなよ。めいがいなきゃ俺も困るからさ…第一紅月剣がないと戦えないし。」

その様子を見ていたララはぼそっと呟いた。

「照れ隠し。」

ララの隣でルルは深く頷いた。

「まったくですわ。ツンデレなんて男らしくないわよ。」

ヨミはルルとララの頭を全力の拳で殴った。

「だーかーらー違うって。」


 突然、テルがスマホを見て叫んだ。

「ちょっと、ボンボン亭が閉店しちゃった。」


 時刻は午後十時。周りは次々と店を閉めて真っ暗になっていた。

「ま、今日はカップ麺だな。そのかわり次はデラックス定食頼むからな。」

ヨミは後ろに手を組んでテルを見てにやりと笑った。

「わかってるわよ。また今度行くわよ。」

一同は諦めて家に帰ることにした。

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