第5話 暴食の匙

 ヨミは興奮しながらテルに詰め寄った。

「なに?統一神の器が見つかっただと?」

テルはノートパソコンで文字を打ちながら応えた。

「昨日の夜、田舎の町に変なスプーンが飛んでたってツネッターで書いてた。」

画像を拡大させてヨミとめいに見せた。

「これがその写真。間違いないでしょ。」


 それは田舎の夜空に小さな紫色に光る匙が浮かんでいたものだった。

めいはその画像を見て首を傾げた。

「合成じゃないの?そのサイトならこんなことよくあるわよ。」 

ヨミは机に身を乗り出した。

「よし、その田舎に行こう。」


 九月の中旬の田舎はまだ夏の残り香がしていた。

「ここであってるよな。」

ワゴン車から飛び出すように降りたヨミは例の田舎町ー西郷町の一面の田圃道を両腕を組んで見回した。

翡翠色の山に囲まれた田圃の向こう側に透明な川が流れていた。


 ルルララ姉弟は運転席にいる健太の首を掴んで、「健太兄ぃさん、川遊びしたいよー。」とせがんで揺らした。

窒息しかけている健太は「わかった。早く水着に着替えろっ」といったので嬉しそうに水着をアヤカシ界から召喚して着替えた。

「ちょっと双子たちと川で遊んでくる。」

と言って健太はきゃっきゃはしゃぐルルララ姉弟を両脇に抱えて川までダッシュした。


 ヨミは車中でうなだれてるめいの方を見た。

「で、大丈夫か?めい。」

乗り物に弱いめいは長距離のドライブで酔っていたのだ。

「だいじょうぶ…じゃない。」

テルは心配そうに青ざめためいの背中をさすった。

「めいちゃんの介抱するから、ヨミは匙の手掛かりを探してきてくれ。」


「よっしゃっ俺が先に見つけてやる。めいは無理すんなよ。」

ヨミは駆け足で林の方に向かった。

「あ…ありがと…。」

めいはふらふらと手を振った。


 テルはめいの気を紛らわせるため、街の観光協会に立ち寄った。

ふたりはその施設に入るなり、木製の壁一面に例の写真が飾られていたのに気がついた。

「君たち、空飛ぶスプーンを見に来たんだね。」

その場にいた初老の男性が嬉しそうに説明した。

「ここはね、コラージュで有名な芸術家の安西 ダカオ先生の出身地でこれはこの街の宣伝にと先生が作ってくださった作品なんだ。」

テルとめいは唖然とした。このネットで騒ぎになっている画像は宣伝のために創られたフェイクだったのだ。


 車に戻り、ヨミが返ってきたので、今までのことを説明をした。

「やっぱり合成だったじゃん。夜遅くなっちゃったからせっかくだし、一晩泊まってから帰るわよ。」

めいはコンビニで買ったお弁当を取り出した。

「今年の夏やり忘れた花火もってきたからみんなでやろうぜ。」

健太は車から花火セットを取り出してきた。


「こっ…こうなったら俺の手で見つけてやるぜ。」

ヨミは意地になって車を出た。


「あーあ、いっちゃった。早く帰ってくるのよ。」

めいは風のようにどこかに駆けて行ったヨミを、呆れた顔で見送った。

「まぁ、この辺に騙されて来たオカルトマニアが張ってるから大丈夫でしょ。」

健太はすっかり仲良くなったルルララ姉弟に花火を渡して言った。

「ヨルミアー生きて帰ってこいよ。」

テルは涙を浮かべて遠くまで聞こえるように叫んだ。


 桜田町しかあまり行動しないヨミにとって田舎の街は絶望的に真っ暗で、目と鼻の先すらわからずさっそく道に迷った。

「しまった、懐中電灯忘れてきた。」

その場にいても仕方ないので、助けを求めに闇雲に進んだ。

「もう、めいに負けを認めて帰りてぇ…ホントここはどこだよぉ。」


「君ぃ、オカルトマニアかな?」

ヨミが振り向くと、懐中電灯に顔を近づけた醜男が薄ら笑いを浮かべながら立っていた。

そう言って、赤と黒のチェックシャツを着た青年期をとっくに過ぎたような風貌の肥満の男は汗をだらだら流しながらヨミに詰め寄った。

「奇遇だなぁ僕もなんだよ。ボク、日永 永次っていうんだ。よろしくね。」

ヨミは引きつり笑いながら、鼻息を荒げる永次に応えた。

(うわぁ、こいつがヲタクってやつか。暑苦しいな。)

「あ…あたしは夜宮 ヨミよっ…よろしくね。」

実は、この男は長髪小柄少女でオカルトマニアという特殊な女子が好みだった。

(この子よく見たらめっちゃ可愛い…もしおともだちになれたら…ナリね。)

ヨミを見つめて永次は危ない妄想を膨らし、一人笑いをした。


 山道を二人で歩いていると、永次は急にもじもじしながら喋りだした。

「あのさぁ、ヨミちゃんは金持ちの男って好き?」

ヨミは何を言っているのかわからなかった。

「ボク、働いてないけど両親が大企業の社長だからお金たくさん持ってるんだ。」

永次の不気味な笑いに寒気がした。

(ひぃっこいつ、琺狼鬼よりキモい…。これが噂に聞いたニートって奴か。)

ヨミは引きつり笑いをしてごまかした。


「あ…あたし、一緒に空飛ぶスプーンを見に来た彼とはぐれちゃったの。」

目を横に逸らして喋るヨミを見て、永次はさらに粘着質に笑った。

「彼氏ぃ?冗談はだめだよ。こんな歳で彼氏なんておませだね。」

永次が電灯にいちいち顔を近づけて喋るのでヨミは彼の不気味さに笑顔が引きつった。

(マジかよ、信じてもらえない…嘘だけど。てか俺、何歳に見られてんだ?)


「そんな嘘つかなくても、僕がいるから。」

と言って永次はヨミの手を触った。

ヨミの怒りが頂点に達し、「やめろって」と叫ぶと、遠くから小さな光が見えた。


「まさか、空飛ぶスプーン?」

永次はリュックからデジカメを取り出し、滑らかにこっちにやってくる光を何枚も撮った。

ヨミは嫌な予感がしたので、じっと構えた。


 やってきた光は合成でない、正真正銘の空を飛ぶ、紫に光る禍々しい形の匙だった。

「やっと姿を現したな…ベルゼブブの匙。」

ベルゼブブの匙を前に、ヨミは紅月剣が手元にないことに気がついた。

(まずいな…今からめいを呼んだら匙が逃げるし…もう、この手しかないのか…)


「どうしよう、本物のスプーンだ。」

ヨミは動揺する永次の大きな腹に渾身の一撃を与えた。

「お願いだからしばらく眠っててくれ。」

永次は解せぬと叫び、気絶した。


 白目をむいて気絶している永次を前に、ヨミは覚悟を決めた。

(これは悪夢だ…これが終わったら夢で終わるから)

なんども自分に言い聞かせて、永次の腋臭に似た汗臭い匂いに鼻を抓んでキスをした。

 

 紅月剣を手に入れたヨミは盛大に吐いた。

「キモオタにキスだなんてダメージが大きいぜ。是非ともこいつをぶっ潰さねぇとな。」

さっそくベルゼブブの匙に切りかかった。

すると匙から大量の液体が飛び出し、ヨミの体にかかった。

「なんだよ、う…キモいっ」

液は強い酸でできているのか、ヨミの黒いバトルスーツが溶けだした。


 匙の皿状の部分から青色の唾液を垂らした長い舌が出てきて、液体で身動きが取れないヨミの全身をけたたましい笑い声をあげながら舐め始めた。 

ヨミは敵の攻撃に頬を紅に染め、上気しそうになっていた。

「今日はまぢで…最低な日だ。」

敵がふっくらとした太腿を舐め始めると、ヨミは淫らな声を上げた。

「全身せぇかんたいとはいったものだ…やばい…イキそう…」

耳の穴に蛇のような長い舌が入った途端、白いフリルのついた丈の短いワンピースの脚の隙間から違う色の液体が流れていった。

「…うぅ…あぁっ」

敵の攻撃に我慢ができず、漏らしてしまったヨミは死にたい気持ちになっていた。


「ここはどこなんだろう。」

気絶していた永次は目覚めるとめいと同じデザインのバトルスーツを着て古い洋館の一室にいた。

燭台に灯るろうそくの明かりしかない薄暗い部屋には、緋の絨毯に真っ白なクロスをかけた長細いテーブルがあった。

アラベスク模様の壁には動物の頭の人間の肖像画が金の額に飾られていた。


 どこからか背丈の高い鹿の頭に執事姿の男が現れ、永次に会釈した。

「暴食の屋敷にようこそ。貴方をグルメの世界に誘いましょう。」

永次はテーブルの上で数人の鹿頭の執事に取り押さえられ、口に漏斗を押し込まれ残飯を流し込まれた。

「ごぶぼぉっ…ヨミちゃん助けてぇぇ」

無限に流し込まれる残飯に、だらしない腹がゴムボールのように膨らんだ。


 朦朧とした意識の中、ヨミの視界で紅月剣がみるみる肥大化してゆき、大きな金槌の形に変形していた。

「化身蛹によって形が変わるのか…まったく気持ち悪い武器だが…一か八かだ。」

紅月剣に手を伸ばし、柄を握ったところで匙に金槌攻撃を一発お見舞いをした。

匙の妖力が弱まったところで、液体から解放したヨミは得意げに空中を舞った。

「女になっても俺の体力はまだまだ弱まっちゃいないぜ。俺の怒りの拳を食らいやがれ!!」

疾風を蓄えたまだ肥大化している金槌型の紅月剣で匙を叩きつけた。


「まだまだ足りないですか、もっと食べさせて差し上げます。」 

執事はさらに残飯を流し込んだ。

永次ははち切れそうな腹をむき出して悶絶していた。

(しんぢゃう…働かなくてごめんなさぁい…ぱぱ…まま…)

鹿頭の執事は角が崩れ始めたことに気づき、不快な叫びを漏らした。

「しまった、あの豚にエサをやりすぎたか…自分の快楽のために我が身を滅ぼすとは…!」

すると、永次の体が光に包まれた。


 ベルゼブブの匙は朝日とともに粉々になった。

ヨミは嬉しそうにもとの姿に戻り、伸びている永次の意識が戻るのを待った。


「ありがとな…キモオタ。」

山奥から漏れる夜明けの光の中ヨミは天使の笑みを浮かべて、目覚める永次に手を差し伸べた。

「よ…ヨミちゃん。」

永次は感激して鼻を垂らしながらヨミの手を両手で握った。

「それにしても、ヨミちゃんってホントは…。」

ヨミは永次が言いかけると、鬼の形相で再び腹にパンチを一発与えて山道をダッシュで後にした。。

(すまんな、永次。これ以上俺の秘密を知ってほしくないんだ。)


 ヨミは例の観光協会まで命からがら歩いていき、その場にいた職員にめい達に連絡するよう頼んだ。

その連絡でみんなすぐに駆け付けた。


「よかった~心配したよぉ。」

テルは泣きながらヨミを窒息するほど抱いた。

「やめてくれ。ホントに死ぬ。」

ヨミはまたも痙攣した。


 ヨミは例の合成写真に指さして言った。

「あれ、ホントにあったんだぜ。ベルゼブブの匙、さっきぶっ壊したからな。」

得意そうに自慢した。

あまりに鼻高々に言うヨミにルルは揚げ足を取った。

「ホントに紅月剣なしで壊したの?ホントに?」

ヨミは顔を真っ赤にしてルルの頭を殴った。

「なっ…俺のパンチでぶっ壊したんだ。俺一人でな。」

焦るヨミに、めいとテルはじと目で見た。


「でも、ヨミが無事に帰ってきてよかったぜ。」

ルルララ姉弟とすっかり仲良くなり、じゃれあいながら健太は言った。

「そうね、みんなで帰ろう。」

「また乗り物酔いだな、めい。」

ヨミはめいに意地悪を言った。

「うっ…が…がんばるわよ。」

なんだかんだあったが、みんな無事に健太の車で桜田町に帰ったのだった。


 そのころ、永次は目が覚め、誰もいない山道でむくっと起きた。

「夜宮ヨミちゃん、君はこの世の子じゃないね…さらに興味が湧いてきたよ。また会いたいな。」

永次はデジカメをいじり、バトルスーツ姿のヨミの写真を見てにやりと笑った。



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