第4話 月のない夜

 新月の前の日、テルは珍しく隣町の繁華街でひとり飲みに行くことになった。

「あたしがいなくってもちゃんとお風呂入るんだよ。」

テルは玄関先で涙を浮かべてヨミに抱きついた。

「うん、入るよ…ってお前がいるからゆっくり入れねぇんだよっ」

ヨミはテルに抵抗してカバンを渡した。

「ほらっ大事なモンは全部入れたから行って来い。」

テルはカバンを大事そうに抱いてドアを開けた。

「言ってくるわね。愛しのヨルミア。」

半分堪忍袋の緒が切れかかっているヨミは手を振った。

「はよ行けっ」

めいはその光景をヨミの隣で苦笑いして見ていた。


 テルの束縛がないヨミは心弾ませてソファに寝転んだ。

「よおし、テルのいない夜をどう楽しもっかな。」

めいは洗濯物を畳みながら

「あんた、ホントに嬉しそうね。」

と言ってめいの父のものじゃない男物の下着を見つけた。


「これ、誰のかしら。」

めいは洗濯物の山から紺色のトランクスを取り出した。

「テルの彼氏のじゃねぇの?たまに見知らぬ男が出入りしてるし。」

目を泳がせて応えた。

「いくらテルさんがあんな感じの人でもそんなことしないでしょっ」

と言って、めいは顔を赤らめた。


 その夜、ヨミはひとりでお風呂に入った。

「はぁ~久々の解放感。やっぱひとりのほうがいいわ。」

程よい大きさの柔らかい胸まで湯船に浸かり、癒しの一時を過ごした。


「入るわよ。」

ヨミは、勝手に風呂場に入ってきためいの一糸まとわぬ姿に顔を赤らめて、口のところまでお湯に入りぶくぶくさせた。

「おい、入ってくんなっ…貧乳がっ」

自分の一番気になっていることをまともに言われ、むっとした。

「女の子同士だしそこまで言わなくてもいいじゃん、変な子。」


 めいは仕返しにヨミの髪を洗うことにした。

「髪長いから困ってるでしょ、頭洗ってあげる。」

「やっ…やめろ。うぎゃあ」

ヨミは必死に抵抗したが、シャンプーが目に入り痛みに悶えた。

その隙にめいはシャンプーを手に取って、泡をつくりヨミの紅く長い髪を丁寧に洗った。

「すごい柔らかいのね。」

ヨミは照れくさくなって目を逸らした。


「あのな…」

七色のシャボン玉だらけの中、ヨミは深刻な声色で呟いた。

「どしたの?」

「…お願いだから明日の夜は一人にしてくれ。」

「なんで」

「絶対に約束だぞっ。」

ヨミは被せるように言った。めいは剣幕に負けて「わかったわよ。」と了解した。



 次の日の夜、またテルは飲みに行き、ヨミは自分の部屋で過ごした。

めいと母は約束通りヨミの姿を見ないようにした。

母は心配そうに天井を見た。

「ヨミちゃん、どうしたのかしら。」

「…さあ、ほんと変な子だから。」

めいは関心なさそうにポテトチップスを食べながら漫画を読みながら応えた。



「ちょっとトイレに行きたくなっちゃった。」

めいはトイレのドアを開けると、紅髪の細身の男がいた。

男はめいに気づくとそっとドアを閉めた。

めいは我に返り、金切り声を上げた。


 とりあえず、めいは男を自分の部屋に連れていった。

「ヨミであってるよね。」

男になったヨミは目を逸らして黙って頷いた。

めいはすごい剣幕でヨミに問い詰めた。

「なんで男になったの。てかなんでトイレの鍵閉めないのよ。」

恥ずかしさのあまりヨミは逆上した。

「いいだろっ自分の家なんだから。俺は閉めない主義だし。」


 二人で言い合っていると、玄関で酔っぱらいの大声が聴こえた。

「テル様がミセスドーナツ持って帰ってきたわよ~」

家に帰ったほろ酔いのテルは男になったヨミを一目見て持っていた紙袋を床に落とした。

「あちゃあ…統一神の呪いが解けたのね。」

この状況に全く動じないテルとまだ不貞腐れているヨミを交互に見た。

「呪い?どういうこと?…てことはヨミってホントは…。おとこ?」

めいは急に今までのことを思い返して、胸を隠し再び金切り声をあげた。



「…で、なんで俺がこうなるんだよ。」

両頬に大きな手形がつくくらいのビンタを食らったヨミはテルに不平を言った。

「そりゃアンタがちゃんとめいちゃんに説明しなかったからでしょ。」

「でもアイツが勝手に俺が女だと思い込んでただけで…。」

「この格好でどうやって男だと思うのよ。3話まで読んでくれた読者もそう思ってるわよ。」


 その頃、めいは自分の部屋にこもって布団にもぐりこんでいた。

「ヨミにやったあれもこれも…やだ。あいつが男だったなんて…。」

思い返しても恥ずかしいことばかりでネコの抱き枕をぶん投げた。


 ヨミはめいの部屋のドアをノックした。

「めい、さっきはすまなかった…。実はこれには深い訳があって…。」


 すると、ヨミの後ろの窓からどす黒い液体が流れてきた。

「誰だ!!」

琺狼鬼の気配を感じたヨミは後ろを振り向くと同時に窓ガラスを割って四本の巨大な鳥の脚が飛び出した。

鳥の脚は液体を飛ばしながらヨミを掴んだ。

ヨミは貧弱な筋肉で敵を捻り潰そうとしたが脚が鋼鉄のように固いため、すぐに力尽きた。


 敵は窓から鱗の生えた蝿取り草に包まれた目玉をみせた。

「ヨルミア…探シタゾ。ドレダケ貴様ノ首ヲ欲シテイル者ガイルコトカ…!オマエノ命ヲ貰ウ。」

鱗の生えた残り三本の鉤爪は身動きできないヨミの体をじわじわと切り裂いた。

ヨミは苦痛のあまり叫び声を上げた。

「現界二居ル限リ貴様ハ無力ダ…」

琺狼鬼は地獄の底から這い出たような不愉快な引き笑いをした。


 異変に気付いためいは部屋を飛び出し、部屋にあったスタンドライトでヨミを掴んでいる脚を切り取った。

鬼の形相でめいは琺狼鬼に怒鳴りつけた。

「琺狼鬼!よくも私の家をめちゃくちゃにしてくれたねっただじゃおかないから。」

ボロボロになったヨミはうつ伏せになったまま手を挙げた。

「お…俺は?」


 めいは呆れながらヨミの額を突いた。

「ホントは瞬君にとっておきたかったのに、仕方ないわね。」

ヨミとめいはキスをして紅月剣を召喚した。


「お生憎様、俺にはアヤカシ界とリンクした立派な武器があるもんでね。」

金の十字架のネックレスが胸に光る黒いバトルスーツを着たヨミはにやりと笑って紅月剣を琺狼鬼に向けた。

「現界ノ女ガ化身蛹二…アリエナイ!」

琺狼鬼の切られた脚は滝のように流れる黒い液体が固まって再生され、狂ったように暴れた。


 すると、窓からナイフが飛んできて敵の鉤爪を切り落とした。

同じく十字架のついた首輪を付けた、風で下着が見え隠れするミニスカートに胸全開のバトルスーツ姿のテルが眉間にしわを寄せ、双星剣を構えた。

「せっかくの男ヨルミアといちゃいちゃするつもりだったのに、許さんっ」

かっこつけるテルにヨミは激しく突っ込みを入れた。

「だーかーらーっお前ら怒りのベクトルが違うだろっ」

「貴様等、殺シテヤル」

二人の気の抜けるやりとりに怒った敵は残りの鉤爪を振り回した。


 一階では、何も知らないめいの母はリビングでドラマをお茶を飲みながら見ていた。

やたらミシミシ鳴る天井を見て

「まあみんな元気だこと。」

言ってのんきにまたテレビを観た。


 一方、めいとルルララ兄弟はレース場でピンクと水色のベースに赤色ラインが入ったレーシングカーに乗っていた。

「何よこれ。」

助手席に座っているめいは周りを見回した。

熱を上げて応援している観客に、横断幕が全部見たことのないでたらめな文字だったのでアヤカシ界で起こっていることだとすぐにわかった。


「カーレースしようってことでしょ。スピード狂の血が騒ぐわ。」

ルルは小さな手でハンドルを左右に回しながら鼻息を荒げた。

「ルル、ちゃんと合図送ってよね。」

ララは不安そうにルルの足元で、アクセルとブレーキを手で交互に押した。


「代わってあげようか?」

めいは運転手が二人羽織になっているので不安になった。

「いいのっこう見えてわたしたちアヤカシ界じゃ超有名なレーサーなんだからっ」

目の色が変わっているルルは強く断った。


 めいは対戦相手が誰もおらず、自分たちの車一台であることに疑問を感じた。

(こんな真似してあの琺狼鬼は何をしたいのかしら…)

ルルは相変わらず興奮していた。


 赤信号が青に変わった途端、ルルが運転している車は急に現れた二台の黒いスポーツカーに囲まれた。

そして目の前に鉛の壁がめいたちの車を潰そうと待っていた。

「なんでよっ」

めいは叫んだ。

「突っ走るよララ。こんな車大したものじゃないわ。めいおねぇさん、手すりをちゃんと持って。」

ララは全身の力をかけてアクセルを押した。

ルルたちが乗っている車は敵の車を吹き飛ばし火柱をあげて空を舞い、壁を越えて爆走した。

めいは乗り物酔いに顔を青ざめて、遠心力で飛ばされそうになった。

「ルルちゃん怖いっ」

スピードの鬼と化したルルはハンドルを握って高笑いしていた。


 一方、ヨミとテルは無限に再生を続ける敵に苦戦していた。

息を弾ませるテルの双星剣は刃こぼれを起こしていた。

「やばいよ…きりがない。」

ヨミはさっきの攻撃がたたり、返事もできなかった。


 ルルたちのレーシングカーをいくら飛ばしても黒いスポーツカーは追いついてきた。

「クソっなんであいつら横にいるんだよ。」

とうとうエンジンから煙が出てきた。

「やばいっエンストする。」

とうとう黒い車に追いつかれてしまい、サッカーのパス回しみたいに当てられた。


 敵の攻撃に車中で三人は激しい衝撃を受けた。

「このままじゃボクたちがヤバいことになるよっ」

ララは、真剣な目でハンドルにしがみつき前を睨み付けるルルに訴えた。

「おねぇちゃんに話しかけないで。レーサーはこんなときこそ冷静になるものよ。」

(今、車はエンスト直前で敵はなおも攻撃を続けてる…こんなときどうしたら…)


 ルルはララの方にふと目を遣った。

「…!そうよ、これよ。」

ララの袖から出ているおやつのバナナを取り出した。

「ああんこれはぼくのおやつっ」

「こんな時にいってらんないわよ。後でボスに買ってもらいなさい。」

といいながらルルはバナナを一本、一口で食べ少しアクセルを踏んで敵を引き離した後、窓から二つに割ったバナナの皮を投げ込んだ。


 敵の車は見事にスリップして壁にぶつかって爆発した。

「っよっしゃああ。」

作戦に見事成功したルルはララとハイタッチした。

めいは窓から吐瀉物を吐きながら、見覚えのある作戦に苦笑いをした。


「そのまま直線いくわよっ」

ルルたちの車はボロになってガクガク止まりそうになりながらフィニッシュラインを通った。

「…やったわ」

ルルはドアを蹴破り、三人はふらふらになりながら外に出て観衆に手を振った。

よく見ると観客が全員紙人形だった。

すると、さっき爆発した黒い車が復活して三人に向かって襲ってきた。


 三人は散り散りに逃げた。

「これが狙いだったのね。ほんと琺狼鬼らしい攻撃だわ。」

ルルは袖から車に向かって鎖鎌を飛ばしたが、幻影だったらしく見事に外した。

乗り物酔いで本調子でないめいは紅月剣を握ってなんとか威嚇したが、風のように走る敵に何もできなかった。


「おねぇさんっ後ろ」

ララの呼び声に、めいが振り向くと激しく唸る車が向かってきた。

恐怖で身動きできないめいは、空から鷹のように降りてきた黒い翼を生やした長身の男に抱きかかえられた。

「大丈夫か?」

空中で抱きかかえたまま、雪のように白い肌に映えた切れ長の紅い瞳で男はめいを見つめた。

めいは気後れして何も言えず、頬を赤くして頷いた。

「そうか、よかった。ちょっと目をつぶってくれないかな。」

男は優しく微笑み、黒く長い爪で目を閉ざしためいの癖っ毛を撫でた。


 それを見たルルとララはなぜか怯えていた。

「なんで…あいつが。」

「ボスに言わなきゃ。」


 そんな双子に気づかない男はめいの額に口付けをしてめいを漆黒の槍にした。

「女の子を武器にするのは気が進まないが。」

車は一つ目の黒ヒョウになり、男に向かって襲ってきた。

「相変わらず哀れな奴らだ。」

男は飛び掛かるヒョウとすれ違うように急降下した。

先端の長い黒いブーツが地面に着いた途端、ヒョウは金切り声をあげて粉々に砕け散った。


 一方、テルは双星剣が焦っていることに気づいた。

「こんなときに焦ってんじゃないよ。」

双星剣の言葉を聴くことができないテルは勝手に手ごわい敵を前に苦戦していると勘違いした。

「いくぞ、めい。」

ヨミが叫ぶと、紅月剣から異様な熱が上がり思わず手を離した。

「…ただ事じゃないことが起こってるな。」

紅月剣はひとりでに黒い煙をあげて琺狼鬼の目玉に矢のように刺さった。

「黒…天狗メ…」

敵は黒い煙とともに消えて行った。


 テルとヨミは敵の言葉に唖然としていた。

「…やっぱりこないだアンタが言ったのはホントだったみたいね。」

「これはまずいことになったな。」


 めいはぼんやりとした視界の中で、ベッドの側で心配そうに見つめる女子のヨミを見た。

ヨミはめいが目覚めたことに気が付くと、何もなかったかのようにそっぽを向いた。

(もう、素直じゃないんだから。)

めいはくすりと笑った。

ヨミは何がおかしかったのかわからず怒った。

「なっ…なにがおかしいんだよ。」

「いや、別に。」

めいはまた笑った。ヨミはなんとなく安心した顔で言った。

「実はお前に伝えなきゃいけないことがあって、…俺たちが何でこの世界に来たかというと、アヤカシ界に昔からあった統一神の器(グリモワ―ズ・シン)というのが現界に散らばっていてこれを壊さないと十字架族にかけられた統一神の呪いが解けないんだよ。」

「…ていうことはヨミの呪いもそういうことなの?」

「ああ、俺はこの世界に来る前に色欲(アスモデウス)の口紅を壊したんだが、その代償に女にされた。それと同時にあの琺狼鬼の正体は十字架族が統一神の器に魅入られた者だったと知ったんだ。」

辛そうに喋るヨミに手を差し伸べた。

「壊しに行こう、あのグリモアー何とかを。」

ヨミは涙を浮かべてめいの手を握って頷いた。

「…ああ。まじでいっぱいごめんな。」


 するとルルがゲーム機を抱えてめいの部屋に入ってきた。

「元気になったらみんなでレーシングゲームするわよっ」

二人は顔を見合わせ、笑った。

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