第7話 石英の声紋
めいは鼻歌を歌いながら洗濯物を干していた。
ここ三日ずっと恐ろしいくらいにご機嫌なので、ヨミは怪しんで物陰でじっとめいの様子を観察していた。
「おい、何かあったのかよ。」
下着を干していためいは今までにないくらい眩しい笑顔で答えた。
「今週の休みに万智とジェムスのコンサート観に行くんだ。」
隣の部屋で昼寝していたテルはそれを耳にして、目を輝かせてめいのところまで飛んで来た。
「ジェムス!?ボーカルの鏡 響太って子、あたし好きよ。羨ましいな。」
「私はダンスの霧方 琉派かな。ちな、万智は熱狂的な千賀 涼名のファンだって。」
話題に置いてきぼりにされたヨミはムッとした表情で言った。
「なんだよ、ジェムスって。」
ジェムスを知らないヨミに二人は酷く驚いた。
「えっ、ジェムス知らないの?今すっごく流行ってるアイドル三人組だよ。歌も上手いしダンスもできるんだよ。」
「まぁ、響様の魅惑の美声知らないなんて人生損してるわ。」
「琉君と涼名君のアクロバットもでしょ。」
さらに二人の話についていけなくなったヨミは頬を膨らませてテレビをつけた。
「どうも、ジェムスです。」
丁度、音楽番組でジェムスがインタビューを受けているところだった。
それに気が付いた二人はヨミを押しのけてテレビの前にかじりついた。
「やったね、テルさん。」
「あたしたち、ついてるかも。」
喜びのあまり黄色い声を出して二人はハイタッチした。
響太という細身長身の青年は聖女のような声の持ち主だった。
テレビのスピーカーから染みついてきそうな、心を惑わすセイレンのような歌声は部屋中を熱い空気にした。
同じく響太と同い年くらいの琉と涼名という青年はそれに劣らないパフォーマンスを旋律の海を泳ぐように魅せた。
二人はさらに黄色い声をあげた。
(なんで女ってこんななよっちい男好きなんだろ。…それにしてもこの響太ってやつ、怪しいな。)
ヨミはその様子を肘をついて机にあった煎餅を齧った。
次の日、めいの家に電話がかかってきた。
酷い鼻声の万智からだった。
「ごめんね、風邪ひいちゃった。一枚チケット余ったからヨミと一緒にあたしの分も楽しんできて。」
「ううん…せっかくのライブなのになんか悪いわ。」
「その代り、感想文を十枚にまとめて提出してもらうから。」
「はうっ」
めいはずっこけた。
コンサート当日、会場である桜田駅前のライブハウス周辺はジェムスのファンで溢れかえっていた。
胸をときめかせながらサイリウムを握る女子たちが、自分の推しているメンバーについて熱く語らいながら並んでいた。
「これ、心が痛むからやめなよ。」
めいはチケットを持ってないのに十字架族の改ざん能力で会場に潜入しようとするヨミを諌めた。
「大丈夫だって。あいつらの正体を見たらすぐ帰るから。それに新種の琺狼鬼だったら困るだろ?」
ヨミは鼻息を荒げながら手書きのチケットをちらつかせていた。
「やっと響様に会えるのね。この日のためにダイエットクラブに通い詰めたんだから。」
テルは勝負服の赤のボディコンを身に纏い、赤のサイリウムを全ての指の間にはさみ興奮していた。
「これ、オタクの持ち方だから。なんか勘違いしてるよね。」
めいは呆れながら突っ込みを入れた。
開場時間になり、ドアが開くとファンは順番に並んでぞろぞろとライブハウスに入った。
めいとテルはチケットを握りしめ、高鳴る胸を抑えきれずにいた。
「ちょっと、これ…」
「え?なぁに?おねぇさん。」
ヨミは目から発する催眠波で、困惑するスタッフを黙らせた。
会場に難なく入ったヨミは親指を上に向けてめいにウインクした。
(このバカァ…)
めいはスタッフにチケットを切ってもらいながらしかめっ面をした。
ヨミ達はステージの近くに誘導され空気の薄い満員の中、押されながらジェムスの登場を待った。
暫くすると、急に照明が落とされ、会場が闇に包まれた。
すると眩いスポットライトに照らされた三人の人影が現れた途端、スタンド席からは地鳴りするくらいの歓声が鳴り響いた。
耳をつんざく流行りの電子サウンドと戯れるように、テレビで見たときよりはるかにぞっとするほど透き通った響太の歌声が会場内を包み込んだ。
「響様ぁっ」
テルは失神しそうになった。
ヨミはむせ返るほどの熱気をよそに難しい顔をした。
(こいつ、やっぱりアヤカシ界の匂いがする。)
響太の両隣で琉と涼名は人間離れした身体能力で空中を舞った。
彼らがあどけない笑みを浮かべる度に悲鳴があがった。
ヨミに揺さぶられ、隣で狂喜するテルは不機嫌そうに応えた。
「なによ、応援してるのに。」
「テル、やっぱり…あいつ…」
ヨミが言いかけると急に大きな音と共に音楽が止まり、照明がすべて消えた。
「何っ?停電?」
急な出来事に会場内がざわめきだした。
「石英ノ声紋…欲シイ…。欲シイ…壊シタイ!!」
この世のものでない恐ろしげな声が天井から響いた。
異変を感じた琉がバック転をして演出用の煙を出す装置を踏み壊した。
会場内が煙に包まれ、パニックになった観客の声が一瞬にして消えた。
煙が引けると、観客の姿が消え観客席はヨミ達三人だけになった。
「琉くぅん…かっこいい…。」
「何萌えてんだよっ戦うぞ。やっぱりこいつらアヤカシ界の人間だったんだ。」
ヨミはまだ恍惚としているめいの唇を奪った。
「かかってきなさい、琺狼鬼。大切なあたしの王子様との時間を邪魔するなんて許さない。」
バトルスーツを装備したヨミとテルは姿を現さない敵を探した。
すると、眩い光がちらほらと現れ、辺り一面に広がった。
その光の元の方を見ると、さっきまでの衣装とは違う奇妙な衣装を身に纏った響太が立っていた。
彼の周りには無数の蛍のような小さな光が飛び交っていた。
「十字架族…やっぱり僕を壊しに来たんだ。みんなの悲しむ顔見たくなかったから異空間に閉じ込めておいてよかった。」
悲しげな顔をする響太にテルは叫んだ。
「何言ってるの、あたし達は化け物からアンタを守りに来たんだよ。」
すると、闇から黒い液体が流れだし、石灰質の物体となり巨大な七つの頭蓋骨が連なった形の化け物になった。
「コレハ噂二聴イタ裏切リ者…ダガ、此奴ノ前デハ御前達ハ無力ダ。」
七つの髑髏はにやりと笑って、眼窩で蠢く触手を伸ばし二人を叩きつけた。
どんなに切り付けようとしても謎の力が入り、敵に掠り傷ひとつつけることができなかった。
(…なんで?いくら現界でもここまで力が使えないわけないのに…それにしても体が重たい…)
「…やめてぇっ」
ヨミ達の様子を見ていた響太は脚を震わせながらヨミ達の前に立った。
「ぼ…ぼくが目当てでしょ…この人たちは…関係ないでしょ…僕が相手だ。」
言っている響太の顔はあまりの恐怖に慄いていた。
「攻撃出来ナイクセ二…マァ、一気二壊スノハ惜シイナ。」
琺狼鬼は狂った笑いをあげて、響太を鞭のような触手で風を切って叩き続けた。
抵抗もできずにもがき苦しむ響太の体中に蚯蚓腫れができていた。
「此ノ世ノ創聖器ハ跡形モ無ク破壊シテヤル!!誰モ統一神ヲ越エサセハシナイ!!」
琺狼鬼は口を開け、青白い炎を溜めて大きな銃弾を床に倒れこむ響太に当てようとしていた。
「やばいっ…響様ぁ!!」
体力を奪われたテルは鉛のように重い体を無理矢理動かし、間一髪のところで響太を庇って敵の攻撃を避けた。
二人の後ろの壁が煙をあげて大きな穴が空いていた。
意識のない響太を抱きかかえたテルは息を弾ませ、真っ赤に燿るひとつ目で琺狼鬼を睨み付けた。
「あたしだって…響太様にこんなことして…ただじゃおかないから…」
そのころ、めいとルルララ姉弟は巨大な桃の花の咲く樹の海に浮かぶ神殿にいた。
三人の目の前には不定形に彩光を放つ三角錐の物体が宙に浮いていた。
三角錐の中心には鈴型の透明な眼球が回転を続け、聴く者を喜びで満たす幸福の音色を彼方まで響かせていた。
「これが、石英の声紋?」
「そう、これは響太の正体でもある。」
めいの隣に中世の騎士のような格好の琉が応えた。
「僕たちは古代の十字架族が創り上げた創聖器を守る忠霊(タルパ)。」
反対隣に同じく騎士姿の涼名が現れた。
「琉君?…涼名君?なんで?」
自分が大好きなアイドルを前にめいはドギマギして言葉が詰まった。
「君たち人の子には理解は難しいよね。創聖器は昔からあらゆる人に愛されて魂を持った美しきもの…君たちで言う付喪神みたいなものかな。」
「で、俺と涼名はその付喪神を守る精霊ってことだよな。」
琉は涼名の肩に腕をまわした。
二人の仲の良さを見せつけられためいは失神しそうになった。
涼名はめいの後ろに目を遣って優しげな口調で言った。
「後ろにいる君たちも忠霊なんだよね。」
めいの影に隠れていたルルとララはしぶしぶ現れた。
「そうよ、わたしたち現界の扉の忠霊やってたの。」
ルルは双星剣を片手に上目使いに応えた。
「あんたたちの目的はなに?ボスのこと、とらないでよ。」
琉と涼名は互いの目を見合わせて笑った。
「なんだ、安心して。僕たちは君の主人を盗ったりしないよ。」
涼名はルルの髪をくしゃくしゃに撫でた。
「だって…最近、ボスがあんたたちに夢中で…とられちゃうと思って。」
「きっと君の主人の好きってその好きじゃないよ。」
「…どういうことよ。」
涼名はルルの額にキスをしてにっこり笑った。
「こういうこと。」
突然のキスにルルは赤面した。
「わたし…健太兄ぃのお嫁さんになるつもりだったけど…涼名のお嫁さんになってやっても…いいわよ。ボスにはもったいないわ。」
ルルの予想外の反応に赤面する涼名を琉はからかった。
「よかったな、プレイボーイ。オッケーしろよっ」
「ちょっと…」
そのとき、桜色の空が翳り、地獄からの苦悶の呻き声をあげて琺狼鬼が地面を割って現れた。
根のような触手が四方八方に出てきたので、散り散りに逃げた。
琉は木々に飛び移り、桃の花を散らしながら悲しげな表情で呟いた。
「欲望に汚れた統一神の器に魅入られて魂を失った十字架族。…いつ見ても吐き気がする。」
短い茶髪を風になびかせながら涼名はルルララ姉弟を両脇に抱えて桃の木を飛び移った。
三人は鞭のように唸りをあげて襲ってくる琺狼鬼の触手を間一髪で避け続けた。
「ちょっと、逃げてばかりじゃなくて攻撃しなさいよ。」
ルルは涼名に不平をぶつけた。
敵が掴まらないので怒り狂った琺狼鬼は雄叫びをあげて7つの髑髏の口から数千発の白炎に包まれた銃弾を絶え間なく放射した。
「涼名ぁ…!!」
命中ではなかったものの、炎で火傷を負った涼名は淋しげな表情でルルに目を遣った。
「早くに化身蛹になった君たちは知らないようだが、魂のある者は創聖器の前では攻撃はできないんだ。」
「…じゃあ、どうやってあんたたちはあの化け物から逃れてきたの?これじゃ誰もあんたたちを助けられないじゃん。」
「周りに人間を集めた…アイドルになって人間を大勢集めたら誰も守ってくれなくても、あいつらは手出しはできないと思っていた。逃げ続けるより間違いはない方法だった。だけど…やっぱり鬼ごっこは終わらなかった。」
「これで数百年も琺狼鬼の破壊から逃れてきたんだ…こんなのひどいよ。安心して生きていけないじゃない。」
涼名は左肩に身長の二倍くらいの蒼い翼を生やした。
「でも、やっとみつけた。」
「何をよ。」
「僕たちの永遠なる安住の道。まだ諦めちゃいないから。」
涼名は力ない笑顔を残し、ルルララ姉弟を木の上に置いて地上に飛び降りた。
「みんなひどいよ…私だけ飛べないのに…」
桃の木の下でめいはひとり取り残され、命からがら敵の攻撃から逃げ続けていた。
空中で琉と合流した涼名は目で合図して、二人でめいの両腕を掴み石英の声紋のところまで連れて行った。
「琉君…涼名君…?」
二人は飛行を続けて互いの顔を見合わせた。
「二人ともどうしたの?」
翠の片翼を風に乗せて琉は言った。
「めいちゃん、君にしかできない願い事があるんだ。」
蒼の片翼で琺狼鬼の銃弾を撥ね退けて涼名は言った。
「…唄って。魂の唄を。」
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