二人一緒の夏
花岡 柊
二人一緒の夏
田舎の夏祭りは、久しぶりのことだった。お正月に帰ることはあっても、夏にはその年の暑さを今いる場所で満喫することが恒例になっていたから。
ただ、場所は違っても、一緒にいる相手はずっと一緒だった。
少し前の夏までは……。
一人になって何度目かの夏、私はこの町に帰ってきた――――。
「ゴロゴロしてばかりいないで、出かけてきたら?」
実家の居間にある古い扇風機が、ブーンと音を立てて回転している。その目の前を占領して寝転がっている私へ、忙しなく動き回るついでのように母が言う。
太陽が真上にあるこんな時刻にわざわざ外出なんて、小学生でもあるまいし。
不満に思い返事もせず、扇風機の風に当たり続けた。
そもそも、こんな田舎で外出なんて、どこへ行けというのか。近所の大型スーパー? 最近新しくなって、ショッピングモール並みに少し大きくはなったけれど、そこだって夏休みのガキンチョがわさわさいて、落ち着かないに決まっている。
あとはおばちゃんたちのたまり場になっている、昔からある喫茶店くらいのもの。映画館があるわけでも、カラオケやゲームセンターがあるわけでもない。まして、おしゃれなカフェなんて程遠い田舎町なのだ。
大型スーパーが出来たのだって、奇跡だと思っているくらいだ。ほかに行くところといえば、同級生の家くらいなもので。それだって、私と一緒でこの田舎から出てしまっている人も多いし、仲のよかった裕樹はもうこの町にいない。
って、裕樹のことは忘れるのっ。もう、何を今更……。
小さな頃はよかったな。ギラギラの太陽もバッチコイ! って感じだった。今では、日焼け止めや日傘がなければ外出したくない。
少し歩いた先にある川にいっては水遊びもしたし、山に虫や木の実を採りにも行った。蝉を捕まえてきては虫かごに入れるなんて、今では残酷と思えることを平気でやっていた。
でも、一番好きだったのは神社かな。正確には、神社の裏にある原っぱだ。
ほんの少し拓けたその場所は、丈の長い生い茂った草たちに守られるようにして姿を隠している。けれど、その草を掻き分けた先には、小さな原っぱがあった。
春にはシロツメクサが咲き、夏には原っぱの端の方に木苺が実をつけ、秋には猫じゃらしが風に揺れる。冬は、そこで雪だるまを作って遊んだ。
たくさん走り回り汗をかいて疲れたら、コロンと大の字になって寝転がる。そのまま高い青空を眺めると、浮ぶ雲と一緒に浮遊しているような感覚を味わえてとても心地よかった。
私の隣には、いつも裕樹がいた――――……。
裕樹とは、小さい頃からいつも一緒だった。家が近所っていうのもあるけれど、一番気が合うのが裕樹だった。
川で水遊びする時も、山に虫を取りに行くときも、気が遠くなるほど出された宿題を片付ける時も、私たちはいつも一緒だった。それが普通で当たり前だったから、お互い東京に出た時も当たり前のようにしょっちゅう会っていた。
別々の大学だったのに、時間を見つけては一緒に過ごしているうちに、私たちは大人になっている自分たちに気がつき、いつしか一緒にいる意味を知っていった。
お互いが必要で、愛しい存在だということに気がついたんだ。
就職したあとも、二人で穏やかな日々を過ごしていた。
そんなある日、裕樹に栄転の話が来た。元々海外赴任を希望していたとはいえ、こんなに早く話が来るなんて、私も裕樹も思っていなかった。
突然の話に、お互いとても戸惑ったのは事実。
小さな頃からそばにいて、まるで双子みたいに寄り添い生きてきたのに、その片割れが不意にいなくなるなんて、想像することは難しすぎた。
居なくなるということが、どういうことなのか。深く考えることも出来ずに、裕樹は青い空を渡ったし、私はそれを見送った。
なのに、失ってから漸く気がついた。いつも近くにあった存在が、手を伸ばしても届かない距離にいるという事実は、心をどうしようもなく寂しくさせた。
裕樹のいなくなった現実を受け入れるのに、私はたくさんの時間をつかった。
何もする気になれなくて、溜め込んでいた有休を使って何度も仕事をサボった。欠勤扱いになりそうなギリギリまで休んで、同僚にたくさんの迷惑も掛けた。食欲もなくなって、余り口にしなくても平気になって。痩せていく自分の姿が醜くて、鏡を見るのも苦痛になっていった。
それでも、時々届く絵葉書に心を救われて、私は徐々に生活を取り戻していった。
夕方になり、開け放たれた窓から笛の音が聴こえ始めた。神社でやっているお祭りの賑わいが、ここまで伝わってくる。
神社の長い階段を上った先に現れる出店に、子供の頃にワクワクした気持ちが、大人になった今でも心をくすぐってくる。
「真奈美。夏祭りにでも、行ってきたら?」
夕飯の支度に取り掛かろうとしている母が、昼間とは違って穏やかに話しかけてきた。
「一人で行ってもね」
そう言いながらも、行きたい気持ちはあった。
たこ焼きや焼きそばも食べたいし、あ、金魚すくい。久しぶりだから、捕まえられるかな。それからヨーヨーもして、あとは――――。
ここに帰ってこられなかった数年が嘘のように、私の心は回復していた。
裕樹がそばにいなくても、一人で立っていられるくらいにはなっていた。
テーブルに頬杖をつき、テレビのリモコンを手にしたら、母が奥から何やら持って来た。
「これ、着せてあげるから。行ってきなさい」
目じりに皺を作り、僅かに首を傾げて微笑む母の手元には浴衣があった。
「どしたの、それ?」
驚きながらも、その柄の美しさに目を奪われた。
「いつだったかしら。毎年帰ってきていた頃に、今年も来るだろうと思ってあつらえておいたのよ。……真奈美、パッタリ帰ってこなくなってしまったから」
母に言われて、どんな顔をしたらいいのかわからなくなる。
頬、引き攣ってないだろうか……。
裕樹がいなくなった年の夏から、私はここに帰ってこなくなった。裕樹との思い出が溢れかえっているここに来るのは辛かったし、やせ細った姿を母に見せて心配をかけたくなかった。
「ありがと……」
そう言うのが精一杯だった。
浴衣は、生成り地に菖蒲が水彩画のように柔らかく描かれていて、とても綺麗だった。
「真奈美には、こういう優しい雰囲気がよく似合う」
着付けをしてくれている母が帯を締めてくれた。
「下駄は、お母さんのを使いなさい。去年買ったばかりで、私も一度履いたきりのものだから」
母が買ったという下駄は、同じような生成りの鼻緒で、自分のだといいながら、この浴衣にあう物を買っておいてくれたのではないかと思った。
「ありがと」
母の気遣いが照れくさくて、俯き加減で口にした。
「お小遣いは、あるの?」
玄関で下駄を履く私の背中に、母が声をかける。
「もう。子供じゃないんだから」
笑う私を、同じように母も笑ってみている。
「じゃあ。行ってくるね」
そう言って背を向けた私に、母がポソリと呟いた。
「そういえば――――」
その言葉に振り返る私と目が合うと、母は慌てたように、「なんでもない」と口を閉ざした。
カタカタと鳴る下駄の音が心地いい。
カツカツと鳴らすヒールも好きだけれど、しっとりと歩く下駄の音は風流だ。慌ててアップにした髪の後れ毛が、うなじを撫ぜていく僅かな風に揺れる。
神社に近づくにつれ、賑わいがましていった。
たくさんの人の中に見知った顔がいないかと、初めのうちはキョロキョロしていたのに、いざたこ焼きや焼きそばなんかの匂いがしてきたら、それどころではなくなっていた。
金魚を一匹だけ捕まえて、腕が鈍ったかもと首をかしげながらヨーヨーのゴムを指にはめる。味噌おでんとたこ焼きを手に神社の奥へと向かい、歩きながらおでんを食べれば色気も何もない。
神社の裏に回ると、昔と何も変わらず背の高い草が生い茂っていて、行く手を阻んでいた。
「開けゴマ」
一人で呟いてから、浴衣だっていうのも構わず草むらを掻き分けて奥へと進む。掻き分けた先には、懐かしい原っぱが現れた。
「かわってないなー」
何もないその開けた狭い敷地は、土と緑が下駄の音を柔らかく受け止めてくれる。草の上を歩き、ブロックが積み上げられている場所にハンカチを敷いて腰掛けた。
「特等席なんだよね、ここ」
「ふふん」と、誰にともなく得意気に笑う。
ここから観る花火が、最高に綺麗なんだ。昔は裕樹と、ここでよく花火を観たっけ。
どっちが大きい金魚を捕まえたか比べっこしたり、りんご飴を食べ二人で真っ赤な口の周りに笑った。味噌蒟蒻の味噌を零さないよう慎重に食べて、一つのたこ焼きを二人で摘んだ。
ひとつひとつ思い出していくと、たくさんありすぎる大切なものにぎゅっと胸が苦しくなっていく。
「元気にしてるかな……」
誰にも聞かれることのない言葉が、静かに零れ落ちた。
まったなぁ。もう平気だと思ってここへ来たのに、やっぱりまだ辛い。
目じりに滲んだ雫を拭っていたら、おなかに響く音と共に花火が始まった。首が痛くなるほど上を向いて、涙がこぼれるのを堪える。
広がる色とりどりの咲き誇る花たちに見惚れていたら、自然とあの頃二人で観た花火の色が重なっていった。
「きれい……」
裕樹と一緒に観たかったな。
涙で滲む花火から無理やり目を逸らすと、さっき買ったたこ焼きに目がいった。
裕樹と半分ずつしていたから、一人で一つ食べるのは初めてかも。
パックの蓋を開け、割り箸を握ってしみじみとたこ焼きを眺めていたら、頭上を照らしていた花火の光に陰が重なった。
「俺にもくれよ」
え……。
聞き慣れた声に驚いて顔を上げると、懐かしい顔が目の前に立ち、イタズラに口角を上げている。
「うそ……。なんで!?」
私の握る箸を横からさらい、膝の上に置かれたたこ焼きをひとつ摘んで口に入れると、子供みたいに頬張っている。
「相変わらずの味だ」
ぼそりと零し、モグモグとたこ焼きを咀嚼して飲み込んでいる。
「しばらく前におばさんに電話したら、祭りに行くって聞いたから。きっとここだと思って」
出掛けに何か言いたそうだった母の顔が過ぎり、そういうことだったのかと合点がいった。
目の前の裕樹は、何故か悠然と構えていて、あんなに逢えなくて苦しかった時間を帳消しにでもするみたいに笑っている。
何もなかったみたいな顔をして。
何もなかったみたいな言葉で。
何もかわらない優しい瞳で。
私を見ている。
「驚かそうと思って、連絡するのはやめて逢いに来た」
何がなんだか解らないし、驚きすぎて言葉にならない。
だって、二人の思い出が詰まるこの小さな田舎町に、海外赴任中の裕樹がいる。思い出のこの場所に、裕樹がいる。
海外赴任はまだまだ続くと聞いていたし、私が裕樹の元へ行かなければ会うこともないと思っていた。栄転だからと、見送る時は笑顔を向けたけれど、時間が経てば経つほど、逢いたくてたまらなかった。
サボりで有休を使い果たしてから、その有休で逢いに行けばよかったって。馬鹿だな私って、とても後悔した。
目の前の現実に感情がついていかず、呆然としてしまう。
そのうちに、ドンッ! という大きな花火の音に押されるように立ち上がったら、膝に乗せていたたこ焼きが無残にも落っこちてしまった。
「あ~あ。もったいね」
わけもわからず驚いたままの私に、何もなかったみたいに普通の会話を続ける裕樹に思わず声が大きくなった。
「だってっ!」
驚きすぎて、なんだか怒ったみたいになってしまった。だけど、それは嬉しすぎた驚きのせいで、絶対に怒ってるわけじゃない。
逢いたくて苦しかった感情に、さっき我慢していた涙が容赦なく頬を伝う。
「ただいま」
大きな掌を優しく頭に置かれれば、予期せぬできごとにもう言葉は出ない。
「泣くなよ」
「だって」
「ごめん。真奈美の驚く顔と喜ぶ顔が見たかった。……泣き顔も」
「意地悪……」
「うん。ごめん。逢いたかった」
二人だけの思い出の場所には、たくさんの花たちが舞い上がり。まるで、二人がもう一度逢えたことを祝福してくれているみたいに綺麗に咲き誇る。
「浴衣姿があんまり綺麗で、声かけそびれた」
引き寄せられた胸の温もりは、懐かしくて、安心できて、とてもとても愛おしい。
ずっと望んでいた二人一緒の夏に、涙が止まらない――――。
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