私とワルツを

「ごめん、柊……ごめんなさい」


「落ち着いた?」


「うん、大丈夫」


「じゃあついでに訊きたいんだけど、何か焦げ臭くないかな」


 一瞬、掌の火傷のことかと思ったけれど、何も臭わない。はっと思い出し、私はフライパンの元へ駆けた。

 貴重な卵が、こげ茶色に縮み上がっている。恐らく余熱で焼かれて、すっかり焦げてしまったのだろう。


「黄金色が……」


 進化したあとに、退化してしまった。いや、これが正しいあり方なのだろう。

 私は卵たちの一番良いところしか見ていなかっただけで、火に当て続ければ、本来はこうしてこげ茶色の汚い色に染まってしまうのだ。

 若いうちに美貌を手に入れても、やがては衰えゆく。それは人間も同じだ。


「これ、お昼ごはん?」


 うん、と頷くと、彼女はようやく笑顔になって、


「あーあ、どうするの」


 いつも、仕事帰りに扉を開けるとそこにあったものと同じように、優しい視線を投げかける。


「お腹空いた……」


「やれやれ、どこか食べに行こうか。奢るよ」


 後片付けは帰ってからだね、と付け足して。

 手を差し出され、私は迷うこと無く握り返す。ぐっと引き起こされた身体は嘘のように軽く、私は紛れもなく人間なのだと再認識する。

 殻に包まれた黄色い命では、この暖かさを知ることができない。だからせめてこれだけは、人間だけの細やかな特権なのだ。


「顔、真っ赤だよ」


 言われて、鏡を見る。さっきしこたま泣いたからか、白目のところも頬も、真っ赤に染まっている。

 卵は、半透明から黄金色に進化できる。人間もまた、あか色に変わることが出来る。

 そして、紅から肌色へと戻る時、人は進化できる。新しい一日へ踏み出そうと決意出来る。そう信じて、カーディガンに袖を通した。



 扉を開くと、生ぬるい陽気が包み込む。いつものところでいい、という問いに、勿論、と答える。掌は握ったまま。


「あ、そうだ椿。考えたんだけど、ひとまず家賃はそれぞれ負担することにしない?」


「どういうこと?」


「いきなり出ていくとああなっちゃうから、少しずつ同居の回数を減らすんだよ。はじめは週一とか二週に一回とかにして、私の方が徐々にあっちの部屋に帰る回数を少しずつ増やしていくの」


「ああ、それなら何とかなるかも」


「っていうか、何とかしてくれないと困るよ……」


「ごめんごめん、頑張る。あー、残業が長引いた時に晩御飯だけ作りに来てくれたりとかは?」


「時給千円なら考えなくもない」


「えー、ケチ!」


 ははは。ふふふ。二人の笑い声が、散りゆく桜とともに空へ舞う。

 びゅう、と強烈な風が襲いかかり、わー、と揃って声を上げる。



 私と世界とを分かつ、半透明の境界。それをあやふやにするどころか、明後日の方向へすっ飛ばすような、力強い春一番。

 一瞬、身を震わせる寒気に襲われる。冬が「さようなら」の五文字を伝えに来たようだった。



 なるほど、春という季節も、案外悪くないのかもしれない。



 (了)

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半透明は黄金色に進化する 宮葉 @mf_3tent

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