To Die For

 じゃあああ。



 夢から覚めた直後、無表情な天井を見つめてため息をつくときのような。楽しい時間が過ぎ去って、残ったものは私という昨日と変わらない容れ物。

 掌を水道水をあて、排水口に流れていく透明な液体をじっと見つめる。私は、卵になれなかった。



 皮膚を焼いて出てきたのは、醜い真皮と鼻をつく異臭。半透明は、黄金色に進化できる。肌色は、肌色のまま変わること無く朽ちていく。

 ひよこのなり損ないは、綺麗な黄金色になって、パンに挟んで、美味しく食べられる。私は燃えゆく肌の痛みにすら耐えられず、悲鳴を上げながら冷水に逃げ込んだ。情けない、はしたない。



 蛇口を開けっ放しにしていることも意に介さず、サンドウィッチを乗せるために出したお皿を、でたらめな方向に投げた。

 がしゃん、という心地よい音はちっともこの苛立ちを癒やしてくれず、言葉にならない嗚咽を持って上書きしようとする。



 昨日はあれほど溢れ出た涙が、今日になって一滴も出てくれない。

 私は泣きたい。泣き果てたい。取り戻せない日々ならば、せめて洗い流して喪いたい。なのに、私の中の魂は、それすら許可してくれない。



 床に突っ伏して、赤子のように丸く縮こまる。膝を抱えて、もっともっと丸く。


「どうして」


 声に出すと、途端にするすると思いが堰を切って零れだす。


「卵になりたい……こんなことなら、生まれる前に死にたかった……卵になりたい」


 卵になりたい。卵になりたい。薄い殻の中に閉じこもって、全てを見捨てて息絶えたい。

 そしてある日突然炎で焼かれて、美しい姿になって消化されたい。



 人間に生まれてしまったばかりに。失う恐怖を知ってしまった。

 柊。貴女を喪いたくなかった。貴女なしでは、歩いていけない。貴女と一緒にいたい。貴女が好きだ。どうか私を――。


「助けて……」


 どこへも届かないはずの叫びは、開け放たれた扉の音にかき消された。





「椿!」


 点けっぱなしのコンロ、流しっぱなしの蛇口、割れたお皿、それらを見て何かを察知したのだろう。彼女は靴を放り捨てて真っ直ぐに私の肩を抱き上げた。

 彼女の目尻はいつもぴったりと上を向いていて、自信や大人っぽさを思わせる。私にはない自立した顔立ちに、私はこの二年間、ずっと憧れていたのだ。


「柊……?」


 一晩ぶりの再会に過ぎないというのに、それは生き別れの家族を見つけ出したような、長いながい年月の果てにたどり着いたゆりかごのように、優しく、暖かく、悲しく、私の心を満たしていく。



 柊。何と美しい名前だろう。


「柊、会いたかった……」


 彼女のすらりと伸びる背筋に腕を回し、きつく抱きしめる。今になって涙が溢れ出す。

 きっと、私が泣くのは、隣に誰かがいるときでないと出ないのだろう。それは自浄作用としての機能ではなく、私を見てほしい、という意思表示の為のツールに過ぎないのだろう。

 相変わらず低体温な彼女の鼓動は、せわしなく跳ねている。


「これ、どうしたの――それに手も、こんなに」


 掌は、水で冷やしたとはいえ、案の定火傷になってしまっている。それを見て一連の行動を理解したのか、彼女は瞳をあちらこちらに揺らしながらも、まずは私の身体を包み込んだ。


「お願い、死のうだなんて思わないで」


 強くつよく抱き寄せながら、彼女は僅かに怒りの色を潜ませながら、そう呟く。

 が、あまりに強く身体を寄せるものだから、私の方がバランスを崩してしまい、後方に倒れ込んでしまった。

 昨日から置きっぱなしのダンボールの山が、ぼろぼろと崩れていく。

 しかし彼女はそれをさして気にしていない様子だったから、


「柊、どうして来てくれたの」


 と尋ねた。


「その、心配になって。来てよかった、本当に」


 目元を潤ませる顔を見て、途端に羞恥心がこみ上げてくる。貴女を困らせたくてしたわけじゃないのに。私自身が招いた報いなのに。貴女は悲しむ必要なんてこれっぽっちもないのに。

 私は何て自分勝手で、独りよがりな生き物なのだろう。

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