大切な人とだって、ずっと一緒にはいられない。いつか来る別れの時、どうしたらいいのか……。
すごく優しい物語だと感じました。ふたりはきっと、これからもいろいろあるかもしれないけれど、前を向いていけるんじゃないかな、なんて思えるような終わり方がよかったです。
それもまた、春や冬を表しているような。
卵になりたい椿の辛くて寂しい心も、すごく伝わってきました。だからこそ、優しいお話で本当に良かったなぁ、と。
大切な人との別れだって、「大切な人」なんだから、一緒に乗り越えていけるのかも、なんて思ったりもしました。
ふたりとも、幸せになってほしいな、と。
そっとそう思える、素敵な作品です。
>──難しい問題ですね、一概にどちらが良いと言いきれないものだと思います。
とは物語に出てくるニュースでのコメントですが、椿と柊ふたりの関係もそうなのかなあと思いました。
彼女と穏やかに暮らす関係は、たまに不安にもなるけれどやっぱり心地よくて、それを急にうしなうことになったら。こわいです。おいていかないで、という気持ちは切実で苦しい。
椿の感情は、自分が同じことを経験したわけでもないのに知ってると思いました。柊の名前を「美しい」と感じるのも、とてもとてもよかったです。すきなひとの名前は愛おしい。
>私と世界とを分かつ、半透明の境界。
このフレーズが二回出てきますが、それぞれで意味がかわってくるのが素敵でした。正しいかはわからないけれど私たちはこう決めた、だからこれで行く、というふたりの進み方がすきです。諦めでも妥協でもなく、やさしい終わり方でした。
もとの卵のお話はそのままぜんぶ大好きで、大切です。それでも、あたたかい日だまりのようなこの物語を、同じようにすきだと思います。
椿が春を嫌いにならなくてよかった。
願わくは、ふたりがつぎの季節にちゃんと踏みだせますように。
大切な人から捨てられるような感覚、それがたとえ物語の中だったとしても、きりきりと痛いですね。自分の一部をむりやりちぎられるような感じかなぁ。
中学生頃とはまた違った意味での「多感な時期」を書かれているな、と感じました。うーん意味違うって言われそうだけど。
どっちつかずの自分が嫌いだ。すきになれない、と椿は言います。だったら、誰かがすきになってくれるといいよねえ。とかとか最近よく思います。もし自分が自分のことをすきになれなくても、誰かが自分のことをすきだったら。だから、椿はきっと大丈夫!
色や香り、いや、多分いろんな事象にいろんな意味を込められているのかなあ。いろんな物語に出て来る煙草、すごく気になります。
(以下、好き勝手語ります。ネタバレあり)
わたしはこの物語に関しては、改稿前がこのみだったりします。だって、卵が、卵の物語が一場面になってしまっているから! 最近バッドエンド嗜好。
いえ! 違うんです! 断じてこの物語を否定しようなどとは!! 誹謗中傷のつもりではありませんがもしそう感じたらぶん殴ってください。かわします。
というか、改稿版と元の作品は、別作品とされてるのかも? そこらへんはよく分かりませんが。元の作品が私にとって勝手に思い入れのある作品(あんまりにも印象的だった)なのでぜひとも元作品にも感想をば!!!
>「私は卵になりたかった」
出来ることなら、生まれ直したかった。もし叶うのならば、生まれる事すら無かったことにしたかった。
どうして怒るの。どうしてぶつの。どうして、私は赤の液体を撒き散らし、青の変色を繰り返し、灰色の視界を見ることしかできないの。
どうせなら粉々に割ってよ。ぐちゃぐちゃにかき混ぜてよ。パンに挟んでたいらげてよ。
私は卵になりたい。綺麗で美味しそうで、すぐに指名を全うする、あっという間の運命でありたい。
この、どうしようもなさがとてもすきです。解決策の提示されることのない絶望感。どろどろでぐちゃぐちゃで、すっごくいいと思います。どうしたらこんなのが書けるんだろう、とてもあこがれていた作品です。
なぜこのようなことをだらだらと言うのか。
それは、作者様にとっては「そんなに」なのかもしれませんが、一読者からすると、めっっっちゃくちゃ好きな作品だったのです。なんていうか、もとから、不完全な作品じゃなかったと思います。もし、作者が「うーん」って思っても、そうじゃなくて宝物みたいに思う読者がいることも、お忘れなく(厚かましいかな)。
そして改稿作品、そういう意味では、「暗くはない、前に進みだす物語になって、本当によかったね」と物語自体に言いたくなるような、お話でした。よかった! なんといってもラスト。「前に向きかける」ぐらいの姿勢って、なんかいいですよね。「そんなすぐに上手くはいかないけど、なんとかやってみるよ」みたいな、優しさがある。