春先のやさしい物語

 大切な人から捨てられるような感覚、それがたとえ物語の中だったとしても、きりきりと痛いですね。自分の一部をむりやりちぎられるような感じかなぁ。
 中学生頃とはまた違った意味での「多感な時期」を書かれているな、と感じました。うーん意味違うって言われそうだけど。
 どっちつかずの自分が嫌いだ。すきになれない、と椿は言います。だったら、誰かがすきになってくれるといいよねえ。とかとか最近よく思います。もし自分が自分のことをすきになれなくても、誰かが自分のことをすきだったら。だから、椿はきっと大丈夫!
 色や香り、いや、多分いろんな事象にいろんな意味を込められているのかなあ。いろんな物語に出て来る煙草、すごく気になります。

(以下、好き勝手語ります。ネタバレあり)
 わたしはこの物語に関しては、改稿前がこのみだったりします。だって、卵が、卵の物語が一場面になってしまっているから! 最近バッドエンド嗜好。
 いえ! 違うんです! 断じてこの物語を否定しようなどとは!! 誹謗中傷のつもりではありませんがもしそう感じたらぶん殴ってください。かわします。

 というか、改稿版と元の作品は、別作品とされてるのかも? そこらへんはよく分かりませんが。元の作品が私にとって勝手に思い入れのある作品(あんまりにも印象的だった)なのでぜひとも元作品にも感想をば!!!

>「私は卵になりたかった」
 出来ることなら、生まれ直したかった。もし叶うのならば、生まれる事すら無かったことにしたかった。
 どうして怒るの。どうしてぶつの。どうして、私は赤の液体を撒き散らし、青の変色を繰り返し、灰色の視界を見ることしかできないの。
 どうせなら粉々に割ってよ。ぐちゃぐちゃにかき混ぜてよ。パンに挟んでたいらげてよ。
 私は卵になりたい。綺麗で美味しそうで、すぐに指名を全うする、あっという間の運命でありたい。

 この、どうしようもなさがとてもすきです。解決策の提示されることのない絶望感。どろどろでぐちゃぐちゃで、すっごくいいと思います。どうしたらこんなのが書けるんだろう、とてもあこがれていた作品です。
 なぜこのようなことをだらだらと言うのか。
 それは、作者様にとっては「そんなに」なのかもしれませんが、一読者からすると、めっっっちゃくちゃ好きな作品だったのです。なんていうか、もとから、不完全な作品じゃなかったと思います。もし、作者が「うーん」って思っても、そうじゃなくて宝物みたいに思う読者がいることも、お忘れなく(厚かましいかな)。

 そして改稿作品、そういう意味では、「暗くはない、前に進みだす物語になって、本当によかったね」と物語自体に言いたくなるような、お話でした。よかった! なんといってもラスト。「前に向きかける」ぐらいの姿勢って、なんかいいですよね。「そんなすぐに上手くはいかないけど、なんとかやってみるよ」みたいな、優しさがある。



 
 


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