第8話 笑う公主

 高楼の上下は、すでに狂乱状態となっていた。国君は呆然とし、王妃は何事かをつぶやきこめかみを押さえて倒れ込み、興礼は眉をしかめ、宮衛達は烏を捕えようと大空をこもごも指さしながら、怒声を上げている。


「何という番狂わせだ…!」

「まさか人外の者が――禽獣のたぐいが毬を取るなどと!」

「やり直すか?」

「しかし、この婿選びは神のお決めになられた聖なるもの。むやみに仕切り直すわけには……!王よ、どうなされますか!?」

 蜂の巣をつついたような騒ぎとなっているこの場において、冷静なのは当の恵玲公主と、卜占師父の二人だけである。


 もちろん、殿庭の方も沸騰寸前となっていた。

「どうするんだよ!よりによって烏が持っていっちまった!」

「てことは、姫様は烏の嫁さんになるのかい?」

「馬鹿、何てことをいうんだ!お姫さんが、の嫁になんかなれるかい」


 高楼をはるか下に臨み、烏は毬を咥えたまま、くるりと空中でもんどりうった。その瞬間、翼の黒い羽はすべて白に代わっていた。

「あれは……?」

「神様……?まさか」

白烏はくうの神様!!」

 人々は眼をぱちくりさせ、口を半開きにしてその「奇術」を見物するだけである。


 そのとき、殿庭を抑えるかのごとき少女の声が凛と響いた。

「――我が夫、定まれり」


 周囲が止める暇もなく、彼女は欄干に飛び上がり、裳裾を翻しながらふわりと空中を駆けた。そして高楼の向かい側の建物、その甍の上に降り立つ。


「…公主、我が娘……恵玲」

 先ほどからの、信じられぬ出来事の連続に腰が砕けんばかりの王は、やっとのことで娘に呼びかけた。それに応え、娘はひたと王を見据える。

 「十五年の長きにわたり私を養ってくれたこと、厚く礼を言う。まことに良き国君、良き夫、良き父であった。あの巻物には、最初から全てが書かれていたのに、ただ見えなかっただけ。いま、全ての文字が現れ、私の運命は明らかとなった」


 次に、虚ろな状態の母親にも眼を向ける。

「王妃よ、私に対して悩まれた日も多かっただろう。しかし、悔いてはならぬ、自分を責めてもならぬ。王妃の、私に対する慈しみは十分であった。それに苦労もするはずだ――神を育てた人間など、この天下広しといえども、そなた一人だけゆえ」

「恵玲……」

 王妃は娘の言葉に目を見開き、女官達に身体をささえられたまま、しきりに首を振った。

「我が娘……いや…」


 そして、恵玲は最後に興礼の姿を認めると、一笑した。それは興礼だけではなく、両親も初めて見た、「人間に向けられた笑み」だった。いかにも冷たそうだったその頬は、いまは血が通っているかのように桃色に染まっている。


「興礼、そなたは私に怒ってばかりだったな。だが、いずれ王となった暁には、むやみに怒ってはならぬ。怒りが生じたとしてもそれを決して国人に向けず、自分にのみ向けよ。あの時のように、隙を見せるな。近く迎える世子妃を大切に。そして、国人の福寿ふくじゅ尽きず、国運の長久ちょうきゅうたらんことを祈る」


「…お前!私が怒っていた理由を何だと思っている!?このに及んでも、まだ兄に対して偉そうな物言いを…!」

 相手が何者であるかも忘れ、顔を紅潮させ罵る興礼に、妹はいかにも嬉しそうな、ふわりとした笑みで応えてやると、甍をひと蹴りして、日輪に向かって跳んだ。


「我は、白烏の妃神きしんなり!」


 そして、幼き日々より羽がいの内で守ってくれた「友」であり、今は夫となった白烏とともに遠く飛び去って行った。


 娘を突然喪った王と王妃は、涙に暮れながらもやっと全てが腑に落ちた。たとえ父母に対してでも、なぜ他人に敬語を用いて話すことができなかったのか、なぜ幼いころより尋常ならざる力を有していたのか。なぜ烏がしばしば彼女を訪ね、慰めていたのか。そして――

「あれの運命を読めなかったのも道理。人の運命でないものを、どうして我々が知ることができるだろう?」


 ――白烏は御国みくにの守りにして、国人全ての生を司る。妃神は御国の公主にして、国人全ての死を司る。



 のちに、この国で最悪の暴君とされる王のときも、最良の名君と称えられる「紫瞳の国君」の御世みよにおいても、つねに白烏とその妃神は国人とともにあった。いまでも二神は変わることなく、国の安寧を守り続けているという。


                             【 了 】

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黒耀の翼 結城かおる @blueonion

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