第7話 投げる公主

 一か月後、王宮の正門が国人に開放された。これは滅多にないことである。

 正門内の殿庭には、老いも若きも、身分低きも高きも、裕福な者も貧窮している者も、とにかく多くの人々が詰めかけていた。衆人の共通項はただ一つ、男性であることだけだ。


「何だか、嫁をもらえるというから来たんだけどよ、一体何が始まるんだ?」

「王様が、ご自分の公主様に対して、『撞天婚』を行われるそうだ」

「ドウテンコン?何だ、そりゃ」

「それは――」

 説明しようとする誰かの声は、大きな歓声にかき消されてしまった。


 群衆が一斉に注ぐ視線の先、三層の構えを見せる高楼こうろうの最上階には、国君夫妻、そして二人に挟まれた形で、今まで国人には姿を見せたことのなかった恵玲公主が佇んでいる。

 少し離れたところには、世子の興礼や、呉氏とその夫をも含む王族がおり、さらに百僚ひゃくりょう宮衛きゅうえいの兵がびっしりと高楼を取り囲んでいる。


「うわあ…彼女が例のお姫様か。これはこれは、なんというお綺麗な公主様だろう」

「彼女を見よ、あの手に持つ糸毬いとまりを。あの毬をお姫様が投げて、見事に受け取った者こそ彼女の夫になるのだ」

「彼女の夫となる者は、まことに幸せ者よ」

「にしても、随分乱暴な決め方だねえ。こう言っては難だが、王様も愛娘をなぜこんな方法で嫁にやっちまうんだろ」

「馬鹿なことをいうな。撞天婚は、神のご意思にお任せする聖なるもの。あの毬には、神のご意思が込められているんだよ。嫌なら、毬を受け取ろうとせずにとっとと帰れ!」

「わかりました、わかりましたよ。何だい、自分が夫になれると思って、かっかしちゃって」

「うるさい!」

 とこんな調子で、殿庭は男どもの熱で、いまや異様な雰囲気に染め上げられている。


 しかし、並の少女であれば怖気づいてしまうか、泣き出してしまうかするところ、恵玲は見上げたことに、いつもの人形のようなかおを保ったまま、五色の糸に美しく色どられた毬を手にしている。

 母親が今日のため、特に念を入れて調製ちょうせいさせた衣装が、彼女をさらに輝かせていた。黄の地に若草色の模様の浮き出た上着、濃い緑の飾り帯、耳元で煌めく金の耳飾り――。


 冷静沈着な娘を見守りながらも、王妃は不安で胸が張り裂けそうな思いだった。

 ――毬が、一体どのような男の手に渡るかわからぬ。だが、この選び方が神のご意思である以上は…。


 見届け役を命じられた卜占師父は、王夫妻の御前に進み出て一礼したのち公主に向き直る。

「さあ、公主様。いまこそ、その毬を…」

 促された娘は、毬に桜色の唇を押し当てると、欄干の手前まで進んだ。沸騰する大鍋のようにあれほど喧しかった殿庭が、今はしんと静まり返る。公主は毬を一度高く差し上げてから、放り投げた。彼女の手を離れた毬は、美しく五色の紐をなびかせながら、弧を描いて落ちていく。どよめきが地鳴りのように、人々から発せられる。


 そのとき。

 一つの影が、その場所に落ちた。

 鋭い羽音が居合わせた人々の鼓膜を震わせたかと思うと、大きなものが殿庭に舞い降り、そして毬の紐を咥えて急上昇する。

「わあっ…」

 横から毬をさらっていったのは、あの大きなからすだった。


 ――烏?神のご意思を受け取ったのが、よりによって禽獣!?

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