ニンゲン(その4)
しいくいんのおじさんは、ぼくを「じむしょ」というところにつれていきました。
たくさんのおとなのひとたちにおこられて、ぼくはしゅんとなってしまいました。ゾウさんのおはなにたたかれるとやっぱりしんでしまうこともあるそうです。さいきん、ほかのどうぶつえんでしんでしまったひともいるんだと、とてもこわいかおをしたおじさんがおしえてくれました。
おじさんはぼくからでんわばんごうをきいて、おかあさんにれんらくをしました。しばらくじむしょでクロといっしょにまっていると、おかあさんがむかえにきました。おかあさんはぼくをおこりませんでした。ずっとじむしょのおじさんたちに「すいません。すいません」とあやまっていました。
じむしょをでたときには、そとはもうくらくなっていました。どうぶつえんのそとにでて、おかあさんとうえのこうえんをあるきます。クロはリュックのなかです。おうちにつくまで、おかあさんはほとんどなにもしゃべりませんでした。
おうちについたぼくは、さいしょにクロをリュックからだしてあげました。リュックからでたクロがテレビのちかくでくるんとまるくなります。いつもぐうぐうねているのにきょうはたくさんおきていたから、つかれてしまったのかもしれません。
おかあさんがいすにすわりながら、ふうといきをはきました。
「お腹空いた?」
「うん」
「じゃあ、今日は外に食べに行こうか。お母さんも疲れちゃったから」
「クロは?」
「お留守番」
「おとうさんは?」
きょうはにちようびだから、おとうさんもいっしょにごはんのはずです。だからききました。おかあさんが、とてもまずいものをたべたようなかおをします。
「お父さんは、今日は帰ってこないから、いいの」
クロがめをあけました。おかあさんがわらいながら、ぼくにききます。
「なに食べたい?」
クロがぼくをみています。『分かってるよな』。そういっているのがわかります。ぼくはりょうほうのてをきゅっとにぎって、まっすぐおかあさんをみました。
わかってるよ。クロがどうしてぼくをばかだといったのか、ぼくからはなれてあんなことをしたのか、ぼくはもうわかってる。ぼくはばかだけど、わかってるんだ。
みていてね、クロ。
ちゃんというから。
「ぼくは、おかあさんがいいです」
おかあさんのえがおが、なくなりました。
だまって、じっとぼくのことをみています。ぼくのいっていることがわからないとき、おかあさんはいつもこういうふうにしてくれます。ぼくはばかだから、よくことばがめちゃくちゃになってしまうのです。だけどおかあさんはいつも、ぼくのいいたいことをちゃんとわかろうとしてくれます。
だからぼくは、おかあさんがだいすきです。
「りこんしたら、ぼくは、おかあさんといっしょがいいです」
こわれたものは、なおらないのです。
なおらないから、こわさないようにだいじにするのです。ぼくはばかだけど、それぐらいはわかります。おとうさんとおかあさんはこわれてしまいました。だからもうなおりません。ぼくだってほんとうは、おとうさんと、おかあさんと、クロと、みんなといっしょにいたいけれど、それはできません。おとうさんか、おかあさんか、どちらかについていかなくてはなりません。
だけど、ぼくはばかだから。
おとうさんも、おかあさんも、ぼくをえらんでくれないから。
だから、ぼくがえらばなくてはいけないのです。
「ぼくは、おかあさんが、いいです」
おかあさんのめが、くらいところにいるクロみたいにおおきくなります。おおきなめから、ぽろぽろとなみだがこぼれてきます。ああ、ぼくがへんなことをいったから、おかあさんがないてしまいました。あやまらなくてはいけません。
「ごめんなさい」
おかあさんがぼくのからだをだきしめます。だきしめながら、くびをぶんぶんよこにふります。
「違う、違うの」
ぼくはばかだから、なにがちがうのかわかりません。もういちど「ごめんなさい」というと、おかあさんはもっとつよくぼくをだきしめました。ぼくはねむるみたいにめをとじて、おかあさんのからだによりかかりました。やわらかくて、あたたかくて、とてもきもちよかったです。
◆
りこんがきまって、おとうさんとおかあさんがけんかをしなくなりました。
でも、やっぱりあんまりおはなしはしません。なかよしになったのとはすこしちがうみたいです。ふしぎです。クロだったらどういうことなのかせつめいできるかもしれないけれど、きくことはできません。
おかあさんにぼくのきもちをはなしてから、クロはしゃべらなくなってしまいました。
どれだけはなしかけても、おねがいしても、クロはしゃべってくれません。にゃーにゃーなくだけです。ぼくはどうしてもクロとおしゃべりがしたくて、クロにはだめだといわれていたけれどおかあさんにそうだんしました。ぼくのおはなしをきいたおかあさんは、ちょっとこまったふうにわらっていいました。
「本当は、クロはずっと喋ってなかったんじゃないかな」
「しゃべってたよ。うそじゃないもん」
「……そう」
おかあさんが、へやのすみでごろごろしているクロをみました。
「お母さんもね、クロとお話ししたことがあるよ」
ぼくは「え」とこえをだしました。とてもおどろきました。クロは、しゃべれるのはおかあさんにはないしょだっていっていたのに。
「お母さんがとても辛い時に、クロが言ってくれたの。大変だね、元気だしなよって。でもそれは、本当はクロの言葉じゃない。お母さんが自分の言って欲しい言葉をクロに言わせただけ。喋っていたのはクロじゃなくて、お母さん」
おかあさんが、ぼくのあたまをなでました。
「きっと、そういうことよ」
そんなことないよ。クロはちゃんとしゃべってたよ。ぼくはそういいたかったけれど、なんだかいえませんでした。ぼくはクロのところまでいって、しあわせそうにぐうぐうねむっているクロにききました。
「いまの、ほんとう?」
クロのみみがピクリとうごきました。でも、おきません。ずっとねむりつづけて、おきてからはやっぱり、にんげんのことばはしゃべらないで「にゃあ」となきました。
◆
りこんしたあと、ぼくとおかあさんとクロは、いなかのおばあちゃんのところにいくことになりました。
おばあちゃんは、おかあさんのおかあさんです。とおいところにすんでいて、まいとしなつやすみにあそびにいっています。これから、おとうさんいがいはそのおばあちゃんのいえにすむそうです。おとうさんはうえのにのこります。
がっこうもてんこうすることになりました。さいごにがっこうにいった日、かえりみちでタカシくんがくろねこのキーホルダーをぼくにくれました。「せんべつ」だそうです。ぼくはばかだからいみはわからなかったけれど、とてもうれしかったので「ありがとう」といいました。タカシくんは「うっせー」といって、ぼくのランドセルをけりました。
ぼくがおうちからでていく日、おとうさんがぼくに「今日は一緒に寝よう」といいました。
おかあさんとはなしあって、ぼくたちはさんにんでいっしょにねることになりました。テレビのあるおへやにおふとんをみっつならべてねむります。まんなかがぼく、ぼくのみぎにおとうさん、ひだりにおかあさんです。ぼくがもっとうんとちいさいころは、こういうふうにさんにんでならんでねていました。
「こうしていると、昔を思い出すな」
くらくなったてんじょうをみあげながら、おとうさんがつぶやきます。それからぼくのほうをむいて、いじわるっぽくわらいました。
「お前、最近はおねしょしてないのか?」
「してないよ」
「本当かー? あんなにおねしょしてたのに」
「あなたとちがって、子どもは成長するのよ」
「おい、それはないだろ」
「事実でしょ」
おとうさんとおかあさんがけんかをします。だけどいつものけんかとちがって、なんだかたのしそうです。ぼくはそれがとてもうれしくて、ずっとおきていたくて、だけどやっぱりねむたくなって、おとうさんとおかあさんよりもさきにねむってしまいました。
◆
それは、ゆめだったのかもしれません。
とてもふしぎなかんじでした。ぼくはねむっていて、うごけないのに、まわりがみえました。ぼくのとなりでおとうさんとおかあさんが、へやのすみっこでクロがねているのがわかりました。ぼくの目だけがおきて、ぼくをみているみたいでした。
そのうち、クロがむくりとおきました。そして、ぼくたちがねているところまでちかづいてきました。まっくらなへやでまっくろなクロがあるいて、よるがすこしだけうごいているみたいでした。
クロはしばらく、ぼくのあたまのそばでじっとおすわりしていました。くらいところだから、レモンの目はとてもおおきくなっていました。それからクロはちいさなあたまをぼくのみみにちかづけて、こういいました。
「にんげんっていいな」
――ああ、やっぱり、クロはしゃべってたんだ。ぼくとおはなししてくれていたんだ。ぼくはうれしくなりました。だけど、ぼくは、ぼくはばかだから、そのうちぜんぶわすれちゃうんだろうなとおもうと、かなしくて、とてもかなしくて、なみだがとまらなくなってしまうのでした。
(了)
曇り空のZOO 浅原ナオト @Mark_UN
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