ニンゲン(その3)

 ぼくはこまってしまいました。かえりたいけれど、クロをおいてかえっちゃうのはできないから、さがさないといけません。だけどクロがどこにいったのか、ぼくにはぜんぜんわかりません。

 じわりとなみだがうかんできました。とにかく、どうにかしなくてはなりません。ベンチからおりて、クロのなまえをよびながらあるきます。

「クロー! 出てきてー!」

 まわりのひとたちがぼくをみます。きっと、へんなこだとおもわれています。でもしかたありません。はやくクロをみつけないと。

 しらないおねえさんとおにいさんが、ぼくにゆっくりちかよってきました。

「ボク、どうしたの?」

 おねえさんがぼくにはなしかけます。とってもやさしいえがお。だけどぼくは、いつもみたいにあわあわしてしまいます。

「迷子? おかあさんとおとうさんは?」

 わからない。どういうふうにはなせばいいのか、わからないです。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう――

「――わー!!!!」

 ぼくはさけびました。おねえさんたちがびっくりしてすこしうしろにさがります。ぼくはすぐ、はしっておねえさんたちからにげました。

 おねえさんたちがみえなくなってから、ぼくははしるのをやめました。おねえさんはしんぱいしてくれていたのに、なにもはなせませんでした。やっぱりぼくはばかなのです。クロがいったとおりです。

 きっとクロはもうぼくがいやになってしまったのです。ぼくがばかだから、あきれてしまったのです。ばかとおはなしするのはつかれるから、いっしょにいたくないのです。

「……クロ」

 したをむいて、ちいさなこえでクロをよびます。クロをさがすためじゃなくて、よびたくなったからよびます。だけどやっぱり、クロはでてきてくれません。

「猫だー!」

 とおくから、こどものこえがきこえました。

 ぼくはかおをあげました。ゾウさんのまわりにたくさんのひとがあつまっています。だけどみんな、ゾウさんはみていません。ゾウさんはとても大きいからみるときはくびをまげてうえをみるのに、みんなしたのほうをみています。

 ぼくはいそいでゾウさんのところにいきました。さくのまわりにはひとがいっぱいいたけれど、すこしだけあいているところがありました。ぼくはそこにいって、さくをつかんでなかをのぞきました。

「よお」

 ゾウさんのみずのみばのちかくにすわっていたクロが、いつもみたいにかーっと口をあけてわらいました。


    ◆


「クロ!」

 ぼくは、おなかからこえをだして大きなこえでクロをよびました。たくさんのひとがぼくをみます。クロはねむたそうにあくびをして、ごろりとよこになってこたえます。

「なんだよ」

「なにしてるの! あぶないよ!」

「別に危なかねえよ。ゾウは草食って生きてるから喰われることはねえ。でもよ、こんなデカイのに草しか食べないってのも不思議だよな。お前もそう思わねえ?」

 ゾウさんがおみずをのみにきました。クロのすぐちかくに、ゾウさんのふといあしがズシンとおかれます。あとすこしゾウさんがうごいたらクロはぺしゃんこです。だけどクロはぜんぜんきにしません。

「ふみつぶされちゃう!」

「へーきへーき。っていうか、ふみつぶされたって気にするこたあねえよ。もうオレとお前はなんの関係もないんだから」

 クロが目をつむって、ねごとみたいにはなします。

「オレ、今日から野良猫やることにしたわ。お前とはもうおしまい。だから、オレがどうなってもお前は何も気にすることねえよ。逆にお前がどうなってもオレは気にしねえ。好きに生きてくれ」

 のらねこ。おしまい。あたまのなかでクロのいったことばがぐるぐるします。でもぼくはばかだから、どうしていいかわかりません。

「どうして」

 クロがすこしだけ目をあけました。だけどすぐにまた目をつむって、ぼくのことなんかどうでもいいみたいにつぶやきます。

「お前がバカだからだよ」

 そのまま、クロはねむってしまいました。ぼくが「クロ!」とよんでもへんじをしてくれません。すやすや、おなかをうごかして、ぼくのおうちにいるときとおなじようにねています。

 ――お前がバカだからだよ。

 ぼくのかんがえていたとおりでした。やっぱりクロもばかはいやだったのです。でもぼくのばかはなおりません。ぼくは「ちえおくれ」だから、おりこうさんにはなれません。

 だからぼくは、クロとさよならしなくてはなりません。

 ぼくは口をひらきました。いままでばかなぼくといっしょにいてくれてありがとう。さよなら。そういおうとしました。

「あの猫、首輪してるー」

 ぼくよりちいさなおとこのこが、クロをゆびさしながらそういいました。クロがまっくろだからとてもめだつ、まっかなくびわ。あのくびわをえらんだのはぼくです。クロがぼくのおうちにきてくれた日、おとうさんとおかあさんといっしょにかいにいきました。

 クロ。

 いつもぼくといっしょにいてくれた、ぼくのだいじなともだち。しゃべったのはついこのあいだだけど、なかよしだったのはそれよりずっとまえからです。ボールのおもちゃでいっぱいあそびました。おちこんでいるときになでさせてもらいました。ぼくはばかだけど、クロは、クロだけは、それをきにしないでそばにいてくれました。

 ――いやです。

 クロと、さよならしたくありません。

「クロ! いまいくから!」

 ぼくはさけびました。クロはおきあがりません。だけど、さんかくのみみがピクリとうごきました。ちゃんときいています。

 クロのところにいくまでには、さくがふたつありました。ひとつめの、いまぼくがつかんでいるさくは、ひくいからかんたんにこえられます。ふたつめのさくはゾウさんとおなじぐらいのたかさがあるけれど、したにすきまがあいているからくぐれます。

 ひとつめのさくをよじのぼってのりこえると、まわりにあつまっているひとたちがざわざわしはじめました。いそがないととめられてしまうかもしれません。ぼくははしってつぎのさくのところまでいって、したをくぐってなかにはいりました。

 ゾウさんはまだクロのそばでおみずをのんでいます。ちかくでみるゾウさんはとてもおおきくて、はくりょくがあります。おにくをたべないのはわかっていてもこわいです。でも、ゆうきをださないといけません。

 ゾウさんのみずのみばにちかづきます。めをつむってよこになっているクロのところにいこうとします。そして、あとほんのちょっとのところまでちかづいたとき、ゾウさんがおみずをのむのをやめました。

 ブン。

 ゾウさんのふりまわしたおはなが、ぼくのすぐめのまえをとおりすぎました。ぼくはいきがとまりそうなぐらいおどろいて、うしろにころんでしまいました。ゾウさんはまぶたにしわがたくさんあるおじいちゃんみたいなめでぼくをちょっとだけみたあと、おはなでちかくのくさをつまんでたべはじめました。

 ぼくはおきあがりました。ごはんをたべているゾウさんのじゃまをしないように、ゆっくりとクロにちかづきます。それからねむっているクロのそばにしゃがんで、こえをかけます。

「クロ、かえろう」

 クロはなにもいいません。だけどやっぱり、みみはピクピクうごいています。

「クロはばかなぼくのこと、きらいなんだよね。いままでがまんしてくれてたんだよね。がまんさせちゃってごめんね。でも――」

 ぼくは、わらいました。

「ぼくはクロのことがすきなんだ。だから、いっしょにかえろう」

 ぼくはてをのばしました。だきあげてむりやりつれてかえっちゃいたいけれど、がまんしてまちます。クロがまぶたをあけて、ほそながいレモンの目でぼくをみました。

 うしろから、おんなのひとのさけびごえがきこえました。

「危ない!」

 ぼくはかおをあげました。くさをたべていたゾウさんのおはなが、とてもゆっくりぼくのあたまにむかってきます。でもほんとうのゆっくりではありません。ただゆっくりにみえているだけです。ぼくもおなじぐらいゆっくりになっています。よけられません。

 ――ぶつかる。

 ゾウさんのふといおはなにたたかれたら、きっととてもいたいです。ふきとばされて、しんでしまうかもしれません。ぼくは、ぎゅっとめをとじました。

 むねに、ドンとなにかがぶつかりました。

 ぶつかったものにおされて、ぼくはうしろにたおれます。ゾウさんのおはながおこしたかぜがぼくのかおにあたりました。ぼくはあたまのうしろをおもいきりじめんにぶつけてしまい、「いたい!」とこえをだしました。つむっためのおくがチカチカします。

 ぼくはねころがったまま、ゆっくりとめをあけました。

「どんくせえなあ」

 よんほんのあしでぼくのむねにたちながら、クロがくちをあけてわらいました。

「ま、だからほうっとけねえんだけどな」

 クロがぼくのかおをなめます。ぼくはとてもうれしくなりました。よかった。またクロとなかよしになれた。これでいっしょにかえれる――

「君」

 あたまのほうから、おとなのおとこのひとのこえがきこえました。

 おきあがって、ふりむきます。しいくいんのおじさんがぼくをみています。くちをとじて、めをほそくして、とてもおこっているかおです。

「――ま、そうなるわな」

 クロがつぶやきました。ぼくはちいさくなって、うでのなかのクロをだきしめました。

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