第4話 次のターゲットは憧れの彼

 「お願いだから、今日は大人しくしていてください」

 光輝は教室の前の廊下で、腕時計を握って頭の中でそう念じた。

 ここのところ、アイツが頻繁に話しかけてきていた。光輝の視線の先を感じとるのか、目に入ったものや考えたことの全てに反応する。

 廊下ですれ違った女生徒の容姿や、教師の授業の仕方。パソコンを起ちあげれば、そのメカニズムについて。学級会が開かれれば、人の意見に文句を言う。あまりの鬱陶しさに無視を決め込むと、「憑くぞ」という低音の脅し文句が響く。おかげで授業中に指されてもまともに答えることができず、『勉強もできない奴』というレッテルが加えられそうになりつつあった。

 「お前がつまらなさそうにしているからだ」と、頭の中でアイツの声が響く。光輝の頼みは、今日も聞き入れられそうになかった。

 「学校なんて、基本的につまらないものなんだよ。面白くなくていいの。変に目立っちゃう方が、よっぽど困る。俺、勉強くらいはできないとマズイんだよ」

 「何を言ってる。ただ年が上だというだけで偉そうにしている奴らに教わらなくとも、お前は本を読むだけで理解できるだろう」

 「そうだけど‥‥いや、それじゃあダメなんだよ。学校っていうのはさあ‥‥」

 「ああ、分かった分かった。本当にお前はネチネチとした男になりおって。私は、面倒な人間は好かん」

 「それは、こっちのセリフですぅー。俺だって、アンタがいなかったら‥‥」

 「ああ、疎ましい。それなら、他の者に憑いてやろう」

 そう声が響いたかと思うと、腕時計から光の粒子が飛び出し、たまたま教室から出てきた大黒おおぐろあおいの背中に吸い込まれていった。

 「ああっ!」

 思わず叫んだその声に、大黒は一瞬動きを止め、振り向いて舌を出す。

 光輝はとんでもない失言をしてしまったことに、今さらながら後悔した。

 大黒はクラス委員で、生徒からの信頼も厚い。背も高く、利発そうな顔立ちで、彼と付き合いたいと公言する女子も多い。没落した藤澤家に比べ、大黒家は今も地元の名家で、跡取りである碧はクラスのヒエラルキーにおいても別格だった。

 まずい。アイツは「惚れた女を手篭めにする」などという奴だ。大黒をおやじキャラにしてしまったら、女子に何をしてしまうか分からない。そうなれば彼はこれまでの人望を一気に失ってしまう。

 下手をすれば、緑に取り憑いた時より悪い状況になりそうで、光輝は焦った。

 それに緑の時は昼休みまで何の変化もなかったが、大黒に取り憑いた時の態度を考えると、すでに大黒の意識を乗っ取っている可能性もある。あのまま優等生の大黒が普段と違う行動をとれば、教師も生徒も不審に思うはずだ。

 こうなったら、大黒に張り付いているより他にない。

 光輝は授業中、廊下側の席に座る大黒を窓側の席から注視した。その間の席に座る女子が、光輝の視線を感じておもむろに片手で顔を覆い、その視線を遮る。

 教室移動の時は、「一緒に行かないか」と声をかけ、体育の授業の前は大黒のロッカーを開いて、体操着を手渡した。

 そのしもべのような行動に、大黒に憧れている女子たちは不愉快そうな顔をしたが、気にしている場合ではなかった。

 だが実際に張り付いてみると、緑の時よりはるかに気が楽だった。緑に付きまとえば、ストーカーまがいの汚名を着ることにもなりかねないが、大黒は男だ。更衣室にもトイレにも一緒に行ける。あとは倒れた時にどうするかだが、意識を取り戻す前に、アイツに戻ってもらうよう頼み込むしかないだろう。そのためには何かしらの条件をのむことになるかもしれないが、やむを得ない。長身で適度に筋肉のついた彼を背負って歩く自信は、光輝にはなかった。

 午前中の授業が終わり、いよいよかと光輝は身構えた。幸いここまで、大黒が授業で発言をする機会はなく、体育でのサッカーの試合も無難にこなした。だが問題はここからだ。

 弁当を手に、光輝はそれとなく大黒に近づいた。

 「ここ座ってもいいかな? 俺の席、直射日光が暑くて」と、周囲に聞こえるように、もっともらしい理由をつけてみる。

 大黒は、「どうぞ」と、隣の席の椅子を引いた。

 「男子にも優しいのか。これは、モテるよな」と、心の中で呟いて、光輝は今さらながら気づいた。アイツが現れていないということは、これまで接していたのは大黒本人の意識だということに。

 光輝は急に、目に見えない境界を超えてしまった所在無さを感じた。

 「ええっと‥‥ごめんね。なんか、付きまとっちゃってる、みたいな、感じで‥‥」

 光輝の声が上ずる。

 「全然。だけど、急にどうしたのかなって、疑問ではあったよ」

 大黒は表情を変えることなく、そう言った。

 「藤澤君っていつも一人だし、人を寄せ付けないオーラを出してるから」

 「えっ、俺が?」

 「そう。だから、人と関わるのが面倒とか、僕たちのこと、ガキっぽくて相手にしたくないのかと思ってた」

 自分に対するイメージが想像とあまりにかけ離れていることに、光輝は驚いた。

 女系家族の中で男子一人の光輝は、幼い頃から大事に育てられた。それは、今思い返せば異常とも言えるほどだった。保育園も幼稚園にも行かず、教諭免許を持った母親くらいの年の先生が毎日家を訪れて、授業らしきことをしてくれた。小学校に入っても知香子が車で送り迎えしたので、同年代の子供と登下校したことがない。そのうえ家に帰っても、知香子や志乃が仕事の時は、蔵の中に閉じ込められた。それが悪さをした罰でないことは、光輝自身も分かっていた。そもそもいたずらを教えてくれる友達もなく、いたずらを仕掛ける相手もいない。そうした少年時代が、ひ弱で人見知りの性格にしてしまったのだと、光輝はずっとコンプレックスを抱いていた。

 不意に黙り込んだ光輝を気遣うように、大黒は続けた。

 「まあ僕も一人でいることが多いから、同じような雰囲気出しちゃってるのかもしれないけど」

 「いや、大黒君のは俺とは別だよ」

 光輝は即座に否定した。その言葉に、大黒が片眉をあげて光輝の表情を探る。

 「どう違うの?」

 「その‥‥一人でも全然平気、っていうか‥‥」

 「そうかなあ。だとしたら、藤澤君も同じだと思うなあ」

 「いや、違う。全然、違います」

 大黒は少し考え込んで、「まあ、いいか、どっちでも」と話に無理矢理ケリをつけると、「今日みたいな藤澤君も、いいと思うけどなあ」と、暢気な口調で言った。

 「えっ?」

 光輝が大黒の顔を見ると、彼は柔和な笑みを向けた。

 ダメだ。女子でなくても吸い込まれてしまいそうになる。

 あまりの照れ臭さに目を背けようとした時、大黒が長い舌を出して「ベーッ」と言った。そして、「はあ?」と光輝が声を上げた瞬間、光の粒子が大黒から光輝の腕時計へと戻って来た。

 「どっちだよ」

 頭の中で尋ねるが、返事はない。かといって、大黒にもう一度本心を聞くのは恥ずかし過ぎる。

 「大黒君‥‥体、大丈夫?」

 一瞬動きの止まった大黒を、光輝は覗き込んだ。

 「ああ、うん。昼食食べて、急に眠気が襲ってきたみたいだ。でも、もう平気。さあ、次は古文だね」

 大黒が倒れることなくアイツが戻って来たことに、光輝は胸をなでおろした。


 「あの男は、お前のことを気に入っているようだな」

 放課後、帰り支度をしていた光輝の頭の中で声がした。

 「ということは、さっきのは大黒君の本心だったということだね」

 嬉しそうに返す光輝に、「さあな」という素っ気ない返事が返ってくる。

 「なんだよ、教えてくれてもいいだろ。折角いい感じに‥‥」

 「ほおー、お前が惚れているのは、あの男か」

 光輝の思いを遮って、楽しそうな声が響く。

 「いや、違う。それ、勘違いです。本当に違うから」

 この流れの後に起こることが想像できて、光輝は左腕を制服の下に突っ込んだ。だが金時計を隠したところで、抑えられるわけはない。

 「それではもう暫し、あの男に憑いてやろう」

 脳内に声を残響させて、光の帯は再び大黒に向かっていった。

 「だよなー‥‥」

 学習能力のない自分に呆れ果て、光輝は大黒が帰っていくのを見送った。

 家の中でおやじキャラが現れたところで、家族なら笑って済む話だろう。そもそも家での大黒がどんなキャラクターなのかまでは分からない。あの優等生キャラだって、学校の中だけのことかもしれない。でなければどこで息抜きをするというんだろう。自分ならとっくに人格崩壊しているはずだ。自分が心配するのは、学校にいる間だけでいいだろう。

 それにもし‥‥このまま大黒に取り憑いたとしたら、厄介払いができる‥‥かも。

 そんな邪な考えさえ浮かんでくる。

 「久しぶりに、古本屋のハシゴでもするかなあ」

 心の中で呟くが、当然ながら返事はない。ふと返事を待っている自分に気づき、「いやいやいや。これが本来の自分だから」と頭を振った。

 「大黒君、ごめん」

 胸の前で小さく手を合わせて、光輝は教室を出て行った。

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