第3話 不運な家に生まれた男

 光輝が通う県立高校は、今年、隣町に建つ私立学校の生徒の転入を受け入れた。

 十年ほど前、市街地の外れに大規模な新興住宅地が開かれた折に、人口増加を見込んだ学校法人が小中高一貫教育の学校を創設したのだが、生徒数が予想ほど増加せず、経営破綻したためだった。

 これを機に、県内唯一の男子校だった光輝の高校は共学に転換。一時は卒業生や一部の地元の人々の反対運動もあったが、いつの間にか立ち消えになっていた。

 それは、すでにこの町の住人の半分以上が、生まれ育った土地を捨てて出て行ったことと無関係ではない。

 住宅地の開発に伴って、多くの人々が土地を離れ、新たな居住地を求める人々が移住してくる。だが新興住宅地を終の住処にする人は少なく、四、五年もすれば新たな流入者を迎えた。そうして人の入れ替わりが激しくなると伴に、歴史ある宿場町の名残は徐々に薄れ、学校も伝統を守るだけでは運営できなくなっているのが実情だった。

 光輝は、共学になって転入生を迎えたところで、今の学校生活に変化があるとは思えなかった。だから何の期待もしていなかったのだが、教室に転入生が入ってきた時、数名の女子の中に、記憶の底の方に眠っていた面影を見つけた。

 それが、倉田緑だった。

 大きな瞳をキラキラと輝かせ、前髪を眉の下あたりで真っ直ぐに切り揃えた黒髪の乙女は、子供の頃に出会った女の子とそっくりだった。

 どこの家の子か、何という名前だったかも覚えていない。だが金魚の絵柄が入った赤い着物を着ていたことだけは、今もはっきりと思い出すことができる。そして、たった一度会ったその少女と、将来の約束を交わしたことも‥‥。

 子供のたわいない思い出といえばそれまでだが、緑を見て以来、光輝はその少女のことがずっと頭から離れなくなっていた。もしかしたらそんな夢を見ただけなのかもしれないし、テレビや漫画のワンシーンを自分の記憶としてすり替えてしまったのかもしれない。だがたまに、その時の少女が夢に出てくる度に、彼女と指切りをした時の感触がよみがえってきて、やはり現実にあった記憶なのだと胸を高鳴らせていた。

 あの時のことを、緑に何て言おう。淡い初恋のような気持ちを、彼女に伝えることができるだろうか。その前に、彼女は自分のことを覚えてくれているだろうか。

 ただ淡々と過ごしてきた学校生活が、緑の登場によって、期待と不安と自己嫌悪という自分ではコントロールできない感情の日々に変わっていた。


 光輝が食卓につくと、サラダのボウルを抱えた知香子が、金の腕時計を見て言った。

 「また余計なもの、引っ張り出してきたわね」

 「これ、お父さんの形見じゃなかった?」

 咄嗟に隠した光輝の左腕を持ち上げて、知紗が言った。

 「余計なものなんて、言わないでちょうだい。元々はお祖父さんの時計よ」

 先にビールで晩酌を始めていた志乃が不満を口にする。

 「まずかった?」

 母が毒付くのを久しぶりに聞いた光輝は、恐る恐る尋ねた。

 「まずくはないけど、縁起の良いものでもないのよ」

 投げ捨てるように言う知香子の言葉に、志乃は黙ってビールをあおった。光輝はトレーナーの袖を伸ばして時計を隠した。

 光輝が知る限り、藤澤家はかつてこの辺り一帯の土地を有する大地主だった。だが祖父が早くに病死したため、祖母は遊ばせていた土地を売って、母との生活費に充てたらしい。そして趣味で習っていた日舞の師範となり、家の応接間を稽古場にして教室を開いた。

 一人っ子だった母は30代半ばで結婚し、高齢出産で知紗と光輝を生んだ。だが結婚生活十年足らずで父が事故で亡くなり、藤澤家は再び一家の大黒柱を失った。若い頃に華道の師範免状を取っていた母は、それ以来、祖母と同じように教室を開いたり、イベントなどに出向いたりして生活費を稼いでいる。

 知紗も光輝も何不自由なく育ててもらったが、かつての藤澤家を知る土地の人たちからは、『没落した家』と見られているようだった。そのためか祖母と母の教室に来る生徒以外は人の出入りがほとんどなく、この町に残る他の名家とは明らかに一線を画していた。

 母の「縁起の良いものでもない」という言葉の意味するところが、光輝にはそんな事情と無関係ではない気がした。

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