第8話 神隠しがあった家
県立図書館の隅の方に設けられた地元の書籍を集めたコーナーで、光輝は『憑き物』に関する文献を漁った。
学校の図書館には満足な資料がなく、ネットで調べてみても漠然とした説明しか得られない。アイツが『憑く』と言ったのだから憑依するものなのだろうが、光輝自身は一般的に伝承される負の印象をもてずにいた。ただこうした憑き物がその土地土地で異なるようなので、地元の歴史や民俗について調べれば何か分かるのではないかと思ったのだった。
だが、光輝の身に起こっていることを説明する文献はなかった。アイツが大黒の家には家守がいるというので、この土地に何代も続く家ならではの現象かもしれないと、地元の名家についても調べたが、地誌に残るような話はなかった。
これといった収穫もなくロビーで缶コーヒーを飲んでいると、二十歳くらいの三人の男が喫煙コーナーで話している声が聞こえてきた。
「もう、彼女と別れたの?」
「まだ。あの女、結構押しが強くてさあ。っていうか、知ってたら近づかなかったよ」
「彼女、ビジュアルは悪くないよね」
「アッチの方もいいって言ってたよな」
「あっ、それやめて。なんか吸い取られた気がするから」
「やらしー」
「バッカ、違うって。寿命だよ寿命。あそこの家に婿に入った男はみんな早死にしてるんだって。なあ、そう言ってたよな」
「うちの祖母ちゃんがね。今じゃあ町に残ってる家も少なくなってるし、古いことを知ってる年寄りも減ってるけど、ちょっと前までは有名だったって話だよ」
「偶然だろ。そもそも昔は寿命が短かったから」
「いや、それがさあ、あいつの弟も消えたらしいんだよ。現代の神隠し、ってやつ?」
「当時はそこそこ金持ちだったらしいから、誘拐だったんだろうけどね。うちの祖母ちゃんは神隠しだっていうんだよ」
「それはヤバイね。別れるにしても、恨まれないようにしないと」
「だからさあ、この間、わざわざ公園に呼び出して話そうとしたんだけど、あいつの家の蔵に引っ張り込まれてさ‥‥」
そこまで話すと、男は身震いした。
「何、どうしたの?」
「いや、何でもない」
「また、吸い取られた?」
「だから、違うって。もう戻るぞ」
彼女と別れたいと言っている男に話の続きをせがみながら、男たちは閲覧室に入っていった。
話の中心となっている男が、知紗に連れられて蔵に入ってきたユキオという男であることを、光輝は見逃さなかった。
あれは、自分の家のことだろうか。だが、弟が消えたと言っていた。噂話が大きくなるにしても、あれでは完全な出まかせだ。
知らない人が聞いたら本気にするのではないかと考えると、光輝は苛立った。
家に帰ると、道着を着た知紗が玄関で仁王立ちしていた。
嫌な予感がして、「あっ、忘れ物」と光輝が踵を返すと、強い力で腕を掴まれた。
「ちょっと付き合って」
感情を抑えた低い声が、かえって恐ろしい。
案の定、光輝は知紗に引き摺られて、祖母が日舞の教室にしている奥の部屋に連れて行かれた。すでに投げる気満々でいるらしく、普段は部屋の隅に積まれている畳が敷かれている。
「待った。ムリムリ、ムリだから‥‥」
光輝が抵抗する間もなく、掴んでいた場所を腕から手首へと持ち変えると、知紗は四方投げで光輝をするりと投げ飛ばした。受け身のとれない光輝は、肩から畳に打ち付けられる。
「勘弁してよ。俺、何かした?」
文句を言いながら立ち上がると、再び知紗は光輝の手首を掴む。光輝は抵抗の仕方が分からず、右へ左へと投げられるままになっていた。
「攻撃してこない相手を投げていいのかよ」
痛みで痺れてきた肩をさすりながら光輝が抗議すると、知紗は「ごめん」と言って俯い
た。
「何かあった?」
「‥‥フラれた」
知紗は口を窄めた。
光輝は図書館でユキオたちが話していたことを思い出した。
「それがさあ、メールだよ。メールで、『別れてください。お願いします』って。何それ、って感じでしょ。私が離さないみたいじゃない」
知紗は胸に詰まっていた一言を吐き出して、栓の蓋でも抜けてしまった炭酸水のように言葉を溢れさせた。
「そりゃあ、私の方から告ったし、誘うことも多かったよ。けど、学生だからと思ってデートのお金出したり、部屋の掃除してやったり、いろいろ尽くしたのにさ。メールでバイバイって、失礼じゃない。こんなことになるなら証文でも書かせておくんだったよ」
多分あの男は、また蔵の中に引っ張り込まれるのが怖かったのだろう。相手が嘘つき男でも、光輝にはその気持ちが分からなくもない。しかも男に対する半端ではない執着ぶりに、同情心さえ沸き起こる。
「また、別の男見つければいいだろ」
何の気なしにそう言うと、知紗の顔が急に強張る。「しまった」と思ったが、もう遅い。
「そう簡単に見つからないのよ、ウチは。だからお祖母ちゃんもお母さんも晩婚だったんじゃない。しかもお祖父ちゃんは元々病弱で、お父さんは農家の四男。何の資産も持たない男を婿にしたんだよ。男運がないってどころの話じゃないよね」
「祖父ちゃんと父さんのこと、そんな風に言うなよ」
「そんな風も何も、事実でしょ。この土地の人は、みんな知ってるわよ。婿はみんな早死にするって、縁起が悪い家だって。あいつも、きっと誰かから聞いたんだよ。だから、外から来た男を探したのに。ほんと、余計なお世話」
光輝はふと、男たちの噂話を思い出した。
「なあ、俺が誘拐されたって、あの噂なに?」
「えっ?」
知紗は一瞬考え込み、光輝の反応を確かめるように言った。
「それは、アンタのことじゃないんだけど‥‥お母さんに聞いてないんだ‥‥」
「何も」
「そうかあ、てっきり聞いてるとばっかり思ってた」
「だから、何の話?」
「アンタには五歳上にお兄さんがいてね、三歳の時に行方不明になったきりなの」
思いもよらない事実に、光輝は言葉を失った。
「当時はまだ資産家だと思われてたんだろうね。でも犯人からの連絡もないし、町中探し回ったんだけど見つからなくてね。古くからの伝承みたいなのが残ってたこともあって、近所のお年寄りは神隠しだって騒いじゃって。でも警察が言うには、男の子を狙った誘拐じゃないかって。新興住宅地の裏の山向こうって、今も棚田が広がってるでしょ。あの辺り一帯って、昔から農家が人手不足で、今でいう人身売買とか誘拐とかがあったんだって。
だから広範囲で調べたらしいんだけど、何も手がかりが出なくって‥‥」
知紗は男たちの噂話を裏付けるような話をした。
光輝は、図書館で読んだ地誌に載っていた内容を思い出した。どこの地域で起こったかなどの記載はなかったが、神隠しと言われる事案が多く、人々が立ち入ってはならない禁足地が定められていたという。
「どうして、俺に内緒にしてたのかな」
「内緒というか、話題にしなかっただけじゃない? いなくなって暫くは、話題にするとみんなが悲しむから私も口に出さなかったし。それが、習慣になっちゃったんだと思う。それに二年後には、アンタが生まれたからね」
「二年後ってことはさあ‥‥」
光輝はわずかな知識で考えた。知紗は思春期の男子が何を考えているか容易に想像できて、思わず頭を叩いた。
「イテッ!」
「変なこと考えてんじゃないわよ」
「いや、だってさ。そんなに簡単に忘れられるもんかなって」
「そんなわけないでしょ。あの後ずっと、家の中お通夜みたいだったわよ。父さんはげっそりと痩せこけるし、母さんは泣き通しだし。でもね、それくらい男の子が欲しかったってことじゃないかな。お母さん、私を産んだ時にはすでに高齢出産だったから、相当焦ってたと思うよ」
「それって跡取りが欲しかったってことだろ。今時、男が跡を継ぐなんて古くない?」
「ウチは女系家族で代々苦労してるからさ。お祖母ちゃんもお母さんも一人っ子だし。だから、アンタはやり過ぎってくらい大事にされたんだよね。『箱入り娘』って言葉があるけど、ウチの場合は『箱入り息子』って感じ? いや、アンタの場合は、『蔵入り息子』だね。いつもお祖母ちゃんかお母さんが付きっ切りで、二人が仕事の時は蔵に入れてたから。私が外で一緒に遊ぶって言っても、お許しが出なかったもん」
「蔵で一緒に遊べばよかっただろ」
「やだよ。暗いし、汚いし、不気味なんだもん」
「なのに、今では男を‥‥」と口を滑らせた光輝を、知紗は睨んだ。
「兄貴がよかったなあ、俺。そしたら八つ当たりで投げられなくて済んだのにさ」
光輝が悪態をつくと、「あの子がいたら、アンタなんか生まれてたかどうかね」と、知紗は仕返しした。
畳にしこたま打ちつけた肩が、じんじんと痛んできた。
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