第6話 彼に縋りつきたい
美術の時間、二人組になって互いの肖像画を描くように、教師が指示した。
他の生徒が組み終わってからどうするか考えようとじっとしていた光輝に、大倉が声をかけた。
「藤澤君、一緒にやらない?」
スクールカーストに逆らうような大黒の言動に、生徒の視線が集まる。
光輝のクラスは男女とも奇数で、こういう場合、男女がペアになることもある。カーストの底辺にいる光輝だけでなく、大黒も普段から誰ともつるむことがないため、女子にとってはペアになるチャンスでもあった。それを光輝に持って行かれたという雰囲気が、なんとなく美術室に漂う。
「俺、美術1だけど、いいのかなあ」
声をかけられて嬉しい気持ちと、クラスの中で目立ちたくない気持ちが、光輝に妙な言い訳をさせた。アイツが取り憑いていた時は、周囲の目など関係なく大黒にくっついていたのに、理由を失ってしまうと、やはり立場の違いをひしひしと感じる。
「成績は関係ないよ」
爽やかな笑顔で、大黒が答える。大黒に誘われて断る者はいないが、それ以前に、相手が断れない雰囲気作りが上手いのだろう。にも関わらず、事ある度に断っているのが申し訳なく感じられた。
「でも、俺、カッコ良くなんて描けないし」
「カッコ良く描く必要なんてないよ、デッサンなんだから。早くそこに座って、イーゼル立てて」
及び腰の光輝を、大黒が誘導する。光輝は腹をくくって、スケッチブックを広げた。
描き終えたデッサンは、案の定悲惨なものだった。目鼻の大きさやバランスを欠いた顔は、ちっとも大黒の特徴を捉えていなかった。
だが互いに見せ合うように教師に言われ、渋々大黒に見せると、「想像よりちゃんと描けてるよ」と言って、彼はハハハと笑った。そして「僕のは、これ」と、大黒が描いた光輝の顔を見せてくれた。
それは、口角を上げてにっこり笑った光輝の顔だった。誰か他の人の顔のようで、こそばゆい。こんな表情、家族が撮った写真にもないだろう。
「これ、俺?」
「そう。この間、勇希を笑わせてくれた時、こんな感じだったよ」
「それにしても、出来すぎ、かな」
「多少はデフォルメしてるかもね」
そう言って、大黒はまたハハハと笑った。ユーモアが板についているところも光輝とは違う。
「この間は、変なところ見せてごめん。でも助かったよ」
「ユウキ君、だっけ? あの後、大丈夫だった?」
「うん。笑い疲れたのか、急に眠ってしまって」
その言葉に、光輝は頭の中で「アンタか?」と短く尋ねた。だが返事はなかった。
「あんな風に笑うの珍しいって、姉さんが言ってたよ。‥‥そうだ。今日の放課後、時間ある? 僕、塾まで少し時間があるから、ちょっと寄ってってよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて‥‥」
少し照れながら返事をすると、そのあとの授業はほとんど頭に入らなかった。
大黒家のアプローチの手前で、光輝は緊張した。腕時計は学校に置いてきたが、この間のように、見えない壁に押し返されたらどうしようかと不安になる。
アイツがいないのに入れなかったら、自分に邪気があるということになるのだろうか。
学校で人の輪に入れないのは慣れているが、ここで弾き出されたら、大黒のためにならない存在だと判断されるようで不安になる。
知らずに左手首を握っている光輝を見て、大黒は尋ねた。
「あれ、腕時計してなかったっけ?」
光輝はドキッとした。
「ああ、うん。学校で外してそのままにしてきたみたい」
「取りに帰る? 大事なものなんじゃないの?」
「そんな風に見える?」
「うん。あの時計してくるようになって、いつも手首を触ってるから」
大黒が自分のことをよく見ていることが、光輝は意外だった。
「ロッカーの中に入れてあるから、明日で平気」
「そう。じゃあ、行こうか」
大黒の後ろを、重心を低くして身構えながら歩く。だが光輝を阻む気配は全くなかった。
学校で大黒に誘われて二つ返事で承知したものの、光輝は腕時計をどうすべきか迷った。初めの頃に、「外したら憑く」と脅されていたことが頭にあった。だが緑や大黒に憑いても、アイツは無茶をしない。それにそもそも、風呂に入る時は外している。「憑く」というのが、単なる脅しのようにも思えていた。それに、アイツが消えてしまうのを恐れているのなら、無理に持って来ない方が良いように思えた。
「明日、ちゃんとつけるから。引っ剥がされるよりはいいよな」
そう心の中で言って、教室のロッカーの中で静かに外した。頭の中は無音で、光輝の体にも異変はなかった。
大黒の家は外から見るイメージそのままで、長い廊下の両側に幾つもの部屋が並び、黒光りした太い柱と細かな細工が施された障子戸が、名家の風格を感じさせた。古くても手入れが行き届いているのは、今も維持するだけの財力を有しているからだろう。家守の力が強いと言ったアイツの言葉を、光輝は思い出していた。
「立派なお家だね」
「広いだけだよ。使わない部屋は物置になってる。藤澤君の家も広いでしょ。確か、江戸時代の蔵があるって誰かに聞いたことがある」
「蔵はあるけど、もうボロボロ。家だって改築して昔より狭くなったらしいし、俺の部屋は床が傾いてるよ」
「古くからの家は何かと大変だよね。宿命っていうと、大袈裟だけど‥‥」
大黒の声のトーンが低くなった気がして、光輝は話題を変えなければと焦った。だが普段クラスメイトと雑談することがない光輝は、こういう時に何を話せばいいのか分からない。焦れば焦るほど頭が真っ白になって、嫌な沈黙となる。
すると大黒が、自室に備え付けのミニキッチンでコーヒーを淹れながら、光輝に言った。
「藤澤君って、倉田さんと仲いいの?」
「えっ?」
光輝の声が裏返る。咳払いをして、落ち着くための時間をかせいだ。
「そんなことない‥‥けど、どうして?」
「この前、教室で話してたでしょ。彼女が男子と話してるの初めて見たから、ちょっと意外だなって思って」
「あれは‥‥彼女を保健室に連れてった時のお礼を言われただけ。彼女と話したのは、あの時だけだよ」
そういえば、アイツが大黒君に取り憑いたことに気をとられて、倉田緑に大事な話を聞いていない。光輝は急に、忘れていた宿題を思い出したような気分になった。
「そうか。藤澤君が仲いいなら、君に間に入ってもらえないかなと思ったんだけどね」
「間に入るって‥‥?」
疑り深い口調になっているのが、自分で分かる。大黒が好意を持ったら、相手が誰であれ、断る者などいないだろう。大黒がコクる前に、何とか話だけでもしなくては。光輝の気持ちが騒つく。
「大黒君、もしかして、倉田さんのこと‥‥」
大黒は首をかしげて、言い淀む光輝の言葉の続きを待った。彼はどうもその手の話題に疎いらしい。そして言葉が続かない光輝を見かねて、大黒は話の先を続けた。
「ほら、彼女に限らないけど、女子はみんな転入組だから、話すとしても前の学校の男子だけでしょ。いまいちクラスのまとまりに欠けるというか、一体感がないよなあって、ちょっと考えてたんだよね」
さすがクラス委員。考えることが違う。
光輝は、下世話な感情で早合点した自分が恥ずかしかった。だが、いずれにしても自分が間に入ったところで上手くいくはずがない。
「大黒君が直接話したほうが、いいんじゃないかな」
「僕が? そうかなあ。クラス委員なんていう肩書きがあると、偉そうに聞こえて、反発されるんじゃないかと思うんだけど」
大黒が自分の人気に気づいていないことが、光輝は不思議だった。真面目で成績も良くて、スポーツも人並みにできる。スペックが高い上に人望も厚く、家は資産家と全てが揃っているのだから、鼻持ちならない自信家になってもおかしくない。なのに自分を過小評価するところがあって、どんな相手でも受け入れる大らかさがある。自分が大黒のようなキャラなら、何の悩みもなく緑に話しかけることができるだろう。
もしかして、大黒君なら力になってくれるんじゃないか‥‥。
そんな思いが、ふと光輝の頭をよぎった。
「実はさあ‥‥、倉田さんって、もしかしたらなんだけど‥‥その、幼なじみなんじゃないかと思うんだよね。いや、全然確かじゃないから、思い違いってこともあるんだけど‥‥。でも、ずっとそんな気がしててさあ。でも、どうかなあ、違うかなあ、なんて思ったりしてさ‥‥」
回りくどい光輝の話を、嫌な顔をせず聞いていた大黒は、「確かめてみたら?」とあっさりと答えを出した。
「そ、そうなんだけど‥‥。人に話しかけるの、正直、苦手で‥‥。それに、ほら、やっぱり、女子には話しかけづらくてさ。幼なじみって言っても、一回会っただけだし。それがすごく可愛い着物着て、おかっぱ頭でさ。指切りしたんだよね。でも、そんなこと覚えているのって、向こうにしてみたらキモいのかなって。相手が俺じゃあ、がっかりするんじゃないかなって。ああ、でも、自分から言わなきゃダメだよね。大黒君が言うように、確かめればいいんだよね。うん、やっぱり、確かめてみるよ。明日、明日こそ、話しかけてみる」
大黒に否定されたり、呆れられたりするんじゃないかという不安が光輝を饒舌にする。そのうち自分でも何を話しているか分からなくなり、大黒に頼ろうとしていたことが情けなくなっていた。大黒は途中で何か話したそうにしたが、自分の中で話を完結させてしまった光輝を、ただじっと見つめていた。
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