この荒唐無稽感満載のあらすじ、目次にJさん絡みの出自とくれば、やはり思い浮かぶのは舞城王太郎。しかし、読み進めると全くもって舞城フォロワーの文章ではないことが判ります。あちらの専売特許である暴力と疾走感は、こちらでは小説を彩るスパイスに過ぎず、むしろ本作は詩人の霊感、あるいは預言に近いものがあります。
共通項は「読む人を選ぶ」という点でしょうか。判る奴だけ判ればいい。エンターテインメントとは対極にある姿勢に貫かれながら、それでもなお読者を惹き付けてやまない魅力。逆説的ですが、この読み手に突き刺さるような激烈な面白さは読んでみなければ判らないものです。
この作品が唯一無二の感性で埋め尽くされていることは間違いない。ただ、あまりに個性的すぎて、世界を覗こうとするたびに跳ね返されてしまう。作者と同レベルの極めて高い感性がなければ理解不能な部分が多い。正直わたしも読んでてさっぱり分からず、途中でなんども投げ出している。でも、是が非でも読みたいと思わせる作品だった。できればこの感性を普遍的なレベルに伝わるようにしてほしい。共通の言語で世界を語って欲しい。それは読み手に媚びるということではなく、読み手と対話するようにしてくれたらありがたい。なぜこんなことを言うかといえば、わたしは著者のことをもっと知りたいからだ。わたしも、もう少し頑張ってこの作品と対峙しようと思う。
オレ様……いや、僕は、いつも実力派の物書きの人々をプロデビューしたな呪い殺してやるだの夜道で待ち伏せて釘バットで血祭りにあげたるだのほざいている、無力な痛ワナビである。
……だけど、この作品と作者に対してそんな妬む気持ちを持つことが出来ない。
何故なら、この人は「飯野賢治」というゲーム業界の巨人がこの世を去るにあたって遺したものを受け継いでいるからである。
どんなに辛い孤高の道であっても迎合や妥協のない貴方の創作を完遂してくれ、それは紛れもない正しい道だと僕が保証する…そんな言葉が彼の中で黄金のように輝き続けてこの作品へ結実したのだ、そんな風に思えてならない。
実は僕にもそんな人がいる(彼のような名前の知れた人ではないけれど)この世を去った人が僕に託してくれたものが心の中に息づいている。僕が創作に向かう中で「凛とした一線」を貫かせてくれていると感じる時があるのだ。
だから、僕の思い込みかもしれないが、使命感のようなものを背負い、それを苦に思わない彼の矜持が理解出来るようなした。
この作品の終盤には、思わず目頭を熱くさせるようなフレーズが現われる。
そこには己を信じて孤独な道をゆく者がいつか手を差し伸べる先にあるだろうものを表現していて……僕はその場面を初めて読んだとき、硬直したように長い間ずっと見つめ続けていた。
この作品は、あるいは読む人を選ぶかも知れない。人によっては作者の為人や作品に籠められたものを理解することなくブラウザ、あるはページを閉じるだろう。
だけど努力も信念も目的もなしに異世界で怠惰に振舞う転生エセ勇者の話が持て囃される今「こんな物語に巡り合える時を待っていたんだよ」という僕のような人はきっと他にも大勢いるはずだ。
賭けてもいいが、この人は絶対に受賞してカドカワに諸手で迎えられ、デビューするだろう。
もしカドカワでなくても、彼を是非にと招く出版社が必ず現われる。
プロ作家になるべき力と、何より信念を持った人だからだ。
読む人や僕のような無力なワナビの心に、きっと彼は次回作でもこの世界で生きる為の道標を何かしら授けてくれるに違いない。
願わくば、それがブラウザの中ではなく立派に装丁された書籍の中からでありますように
鏡征爾さんの著作『白の断章』と、坂上秋成さんの著作『惜日のアリス』を並行して読んだことがあった。『白の断章』は2009年刊行、『惜日のアリス』は2013年刊行。結論を言えば、『惜日のアリス』のほうが面白かった。2009年と2013年の時代の差異が読者である僕に影響を及ぼしていた。僕は異性愛よりもLGBTを好んでいた。『白の断章』は僕の中で急激に劣化していった。2013年に鏡さんが『戦国BASARA3 毛利元就の章』を書かれていたことも劣化の要因に繋がったかもしれない。
それから数年が経った。突然、鏡さんのツイッターアカウントからフォローされた。以前に少しだけやり取りしていたのを鏡さんは覚えていてくれた。そして、ここで新作小説を連載していることを告げられた。そこには『白の断章』をダブステップ・リミックスしたような過激さがあった。それは振り切れていた。今の時代の言葉を使うなら、ポリコレ棒で叩かれそうな野蛮さがポエムの下に隠されていた。少女性はフェミニズムよりもセクシズムに近かった。「……みんな、死んでしまえばいいのに……」 そう思った読者の僕の想いにシンクロしたかのように、登場人物は人体崩壊していった。人間のおぞましさを真正面から捉えたいから、神である作者が、創造物である登場人物を無慈悲に破壊していったのだろう。「……神の思想とは如何なるものなのか?」 読者の僕がそう思っていた時に物語は終幕を迎えた。それは、エンデの『はてしない物語』に匹敵する終幕だった。
……かなり荒削りだけど、『少女ドグマ』を最後まで読んで、こんな想いを抱きました。もう、劣化だとか言っている次元ではないですね。……そして、この小説がコンテストで賞を取り書籍化されるのかどうかも気になります。「角川さん、この過激な小説を商業出版する勇気があるんですか!?」と言いたくなるけど、まずは結果を楽しみにしています。
一つずつ文字を読んでいるというより、その場面が勝手に目に浮かんでくるようです。
まるで映画、いいえ、アニメを見ているような気がします。
意味不明に繰り返されるセリフ(と名前が面白いキャラクターら)、ツンデレの女主人公、痛烈な色彩(白と黒の対比)、苦しみと安心感に重ねられ嗅ぐと解放されるような、匂い(シンナー)。
一言で、
軽すぎたり、重すぎたりすると、
悲しいです。
「おそらく今も生きていて、同じ空をみているのだろうと思う――。
それが、黒シリーズの旋回するこの街の空と同じかどうかはわからないが。」
こんな風に、中二病みたいな描写が、第9話以後の、闇で黒シリーズの世界に、嵐の前の静けさのような暗示を与えました。
そして、文章の書き方が全く変わりました。
それは、思春期の未熟ささえ許されない残酷な世界です。
しかもこの現実には醜い社会だと、読みながら思っていました。
それでも先生のような小説が存在だからこそ、泥沼から這い上がろうとして足掻く読み手として私は癒されています。