特になにも考えずに書き始めた5000文字(たぶん続きません)

 夜。窓際に置いた学習机に座って、うーとかあーとかわけわかんない声出しながら、頭を掻き毟りながら、なんとかかんとか課題の三角関数の問題を解いて、ふーっと大きく息をついて窓の外に目を向けると、いわゆる閑静な新興住宅地てきなプレイスにあるウチの外は当たり前にとっぷりと真っ暗で、空なんて見えなくて、窓は鏡みたいに明るい室内を映し出していて、そこに映るちょっと疲れた顔の自分と目が合う。ぼーっとしていた鏡像のわたしは、一瞬あとにはニッと口角を上げて笑っている。にっこりでもないし、ニヤリでもないし、ニッて感じの不敵で無敵な表情。例えばこれは、電車に乗って窓の外の流れる景色を見るともなしに見ているとき、トンネルに入って不意に窓に映る自分と目が合った時でも、家に帰ってブレザーを投げ捨てて畳敷きの部屋に不似合いなベッドにごろんとした拍子に姿見に映る自分と目が合ったときでも同じ。わたしと目が合った鏡の中のわたしは、一瞬あとには自動的にわたしに笑いかけてくるのだ。癖なのか、変な自意識の表れなのか分からないけれど、鏡に映る自分がちゃんと背筋を伸ばして顎を上げて、怖いものなんかなにもないって感じの、まるで自分こそが世界の中心であるかのような不敵に無敵な笑顔でいると安心する。ああ、今日も自分はちゃんと無敵に不敵に微笑んでいられているなと胸を撫で下ろす。

 長い黒髪をなびかせた女は背筋を伸ばして顎を上げて、まるで自分が世界の中心であるかのように不敵に無敵に笑っていなければならない。わたしのそう長くもない歴史上のどこで刻まれた潜在意識なのかは分からないけれど、わたしはわたしに正しい長い黒髪をなびかせた女であることを課している。ただ髪を伸ばすだけではダメなのだ。黒髪を長く伸ばすということは長い黒髪をなびかせた女になるということで、長い黒髪をなびかせた女になるからからには、長い黒髪をなびかせた女なりの作法というものがある。

 つくっていると言えばつくっているのだろうけど、たぶんこれはわたしだけってわけじゃなくて、女の子は誰だって自分で自分をプロデュースしている。きっとそうだ。いつ何時でも常に絶え間なく意識しているわけではないけれど、意識が理想像との乖離を捉えたその一瞬に、スッとデフォルトのあるべき姿にオートマチックに復帰するようにできている。そう思う。

 6限目の物理の授業。最初のうちこそ頑張ってグリコの声を言葉として認識しようと努力しているのだけれど、いつものように、それはあっという間に意味不明のただの音になってまるで催眠術のようにわたしの頭をボーッとさせる。たぶんアレだ。グリコの声の周波数とかの問題で、人間の意志の力では抗うことのできない生理機能として眠気が押し寄せてくるのだと思う。そう、だからこれはきっとわたしのせいじゃない。やあ、どうもあいこさんです。こんにちは。

 ふと視線を感じて振り向いたら、肘をついて平行四辺形のポーズで、上の瞼と下の瞼があわや一触即発って感じにピクピクしているえっちゃんと目が合った。ひどい顔である。たぶんわたしも同じような顔してたと思うけど、やっぱりその一瞬あとにはオートマチックに口角をちょっとだけニッと上げて顔を作っている。無敵に不敵とまではいかなくとも、ある程度善戦しているようには見えたのではないだろうかと自己評価。軽く無意味なハンドサインを送って、もう一度なんとか耳に届く音波を意味のある文字情報に変換しようと試みる。無理だった。グリコの音波攻撃に対し人類はまだ有効な対抗手段を持てずにいる。科学は未だ万能からは程遠く、世の中の問題のすべてを解決できるというわけではないのだ。

 そう、わたしはたぶん、誰にも何にも負けてないし、何事も気にしてない、不敵で無敵。そういうカッコイイ長い黒髪の女をプロデュースしようとしている。最初は嘘だったけど、演技だったかもしれないけれど、そういう皮を絶え間なくかぶりなおしている間に嘘の皮でも意外と定着してくるもので、そこそこ誰にも負けてる気はしないし、それほど何事も気にならない、ある程度不敵で、無敵と言えなくもないくらいの性格には本当になってきたように思う。でもやっぱりまだ中途半端だから、グリコの低周波念仏には勝てない。眠い。此度の戦闘も人類軍の完全敗北である。

 例えばえっちゃん。えっちゃんはうるさいぐらいに明るくて、ちょっと無神経な女の子、の皮をかぶっている。これは対人関係におけるリカバリー能力を考慮したキャラクターメイキングで、勢い余ってちょっとぐらい間合いを間違えても、まぁえっちゃんだから仕方ないかという風に落ち着くステータス配分なのである。つまり、えっちゃんが根本的に苦手なのは、ちゃんと間合いを測るということ。間合いを間違えてもそれが「勢い余って」に見えるように、普段から勢いを強めに設定している。勢い余っても笑ってゆるしてもらえるように、ちょっと無神経なキャラで認識されようと努めている。実は素のキャラは物静かで繊細、だった記憶があるのだけれど、今となってはどっちが素なのかは分からない。ひょっとしたら元々うるさいぐらいに明るくて、ちょっと無神経な女の子だったのが、間合いを間違えることへの恐怖で萎縮していただけで、間合いを間違えてもリカバリーできる手法を身につけた結果、素の性格が解放されたという因果なのかもしれない。

 どれが本当の自分かなんて、自分自身にだって分からないのだ。

 ほとんど意識を持っていかれた状態でなんとか6限目を乗り切って、ありていに言って満身創痍の這う這うの体だ。板書だけは身体が勝手にやってくれていたようだけど、いま見直してみても書いてあることの意味はさっぱり分からない。このようにして、結局また試験前に家で参考書と格闘する羽目になるのです。普段からまったく努力をしていないというわけではないのだけれど、敵はあまりに強大だ。

 HR終わりのざわつく教室をするりと抜けて、いつものお店を目指す。ああ愛しのわたしの天使様いま会いにゆきます。マロングラッセとかフォンダンショコラとかサバランとか、あんまりいつもごちそうになってばかりも悪いかと思ってたまには何か買っていこうか思ったけれど、そんなインスタバエルするようなオシャンティなスウィーツは高校生の経済力では如何ともしがいこと山の如しというわけで、イオンのフードコートにある回転焼きに落ち着く。今川焼? 大判焼き? まあなんでもいいけど、あの丸くて、平たくて、どら焼きのようでどら焼きじゃないやつ。いいよね、この実家のような安心感。イオンはいつも使ってる通り道からは外れているんだけれど、わりと方向感覚には自信があるので知らない道をだいたいこっちの方向かなーって感じでとことこ歩いていたら、ちょっと普通よりも大きい中規模ぐらいの公園があって、あーたぶんここを突っ切れば近いだろうなーって思って中を通ってみたら、隅っこのちょっとした東屋で身なりの立派な卵が物思いに耽っているところだった。

 いや、卵なんだってばマジで。卵っていうか卵頭なんだけど。

 身体は普通に人間で、セーラー服を着てるから女子高生かもしれないんだけど、スカートは膝下丈だけど別に流行りの腰スカってわけでもなさそうでちょっとヤボったい感じ。頭はツルっとまるっと大きくて立派な卵だ。悩ましげな感じである。て言っても、つるつるの卵だから表情とかはよく分からないのだけど、よくありがちな「考える人」てきなロダンてきポーズでなんかそういう感じなんだろうなーとかそういう。やーんなにこれ気になるう~吸い込まれるう~~。

「もしもし、どうかなさいましたか? 持病の癪でも出ましたか? 癪というのは主に下痢のことを指していたのはご存知ですか? もしかしてお名前はハンプティダンプティとか仰いませんでしたか? ところでその頭をそこのテーブルに打ち付けてみてもよろしいですか?」

「なんですか突然!? だめですよそんなことしたら割れちゃうじゃないですか!」

 卵さんはうわの空でわたしの接近にも気が付いてなかったらしく、後ろから声を掛けてみたらものすごいオーバーなリアクションで驚いていた。声の感じからしてどうやら女の子だったようである。え? いや、割ってみたいなと思って。

「生なのか茹でなのかが気になったもので」

「生に決まってるじゃないですか! なんですか茹でって!? 茹でてたら生きてませんよ!!」

 生に決まってるらしい。うん、それは割れたらややこしいことになりそうだな、やめておこう。炊きたての白ご飯もないことだし。いいよね、こう炊き立ての白ご飯に生卵をパカっとやって醤油をちょこっと垂らしてさー。味の素をササ~ッと二振りくらいしてうま味を足して……、ん? うまみ? うまあじ? まあいいか。また人類の断絶の予感がするから深追いはやめておこう。さすがにこんなに大きい卵は扱いに困るけど。オムレツとかにしたほうがいいのか。これはパーティーか~? オムレツパーティーなのか~~??

「どうしたのですかハンプティダンプティさん、そんなにうわの空で。なにか悩みでもあるのですか? よかったら聞きますよ? 回転焼き食べますか?」

「いえ、そんな名前じゃないですけど。佐藤です」

 ちっ、意外と普通だったな。

「いま舌打ちしませんでした?」

「いえ、そんなわけないじゃないですかこんなにも清楚な長い黒髪をなびかせたうら若き乙女をつかまえて言い掛かりも甚だしい。そうですか佐藤さんですか、わたしはあいこさんです。はじめましてどうもこんにちは」

 わたしは佐藤さんの隣にずいずいと腰をおろし、手に持ってた箱から回転焼きを一個出して、はいって渡してみる。佐藤さん「あ、どうも」と素直に受け取る。 この卵頭でどこからどうやってもの食べるんだろうワクワク。わたしの期待の眼差しを知ってか知らずか、佐藤さんは回転焼き片手に空を見上げると、ふう~っ と深くため息をつく。いや、いいからはやく食べなよ。

「あいこさんって綺麗なのに、気さくな方なんですね」

「え、なにそれ。たしかにわたしは長い黒髪をなびかせた無敵に不敵な気さく美少女かもしれないけど、綺麗なのに気さくってなんか論理接合おかしくない? 無関係じゃない?」

 綺麗と言われるのは嫌な気はしないけど。まあ自分で言うのも難だけど、顔はわりとエアロダイナミクスには優れた形状をしているとは思うし、流線型はだいたい綺麗だ。機能は突き詰めれば美に収束すると言っていたのはどこかのメガネでチョッキのメガネチョッキマン・サンだ。

「関係……はないのかもしれないけど、その、ちょっと怖くて」

「怖い? 綺麗なのが?」

「綺麗なのがっていうか、わたしがダサイのが」

 高校受験には私学、一般公立のほかに、学区を超えて県下全域から受験できる一次選抜試験というのがある。普通の公立試験に先駆けて実施される一次選抜は競争率7倍以上、偏差値も68とか、わたしなんかは白目剥いて気絶するような数字なのであるが、佐藤さんはその激戦を見事勝ち抜いた秀才だった。県の一番外れからバスで40分。電車で40分かけて市内の高校まで通学しているらしい。

「わたしの地元は田舎で、友達も全員小学校の時からの見知った顔ばっかりで、それで全然気付かなかったんですよね」

 自分のダサさに、と佐藤さんは言った。

 高校に入学してまずびっくりしたのが、市内の高校生たちの垢抜け具合だった。髪型も、スカートの丈も、靴下も、鞄も、眼鏡や小物類も。同じ制服でさえ彼女たちが着ると自分が着ているやぼったいセーラー服とは全然違うものに見えた。こんなにきれいな子たちがクラスメイトなのかと、最初はただ単純に感動して、そしてすぐに恥ずかしさが襲ってきた。恥ずかしさに負けて、まともに誰にも話しかけることができないまま一学期の日々は過ぎて行った。

 ああ、自分はブスだったのだ。ブスでダサかったのだ。どうして誰も教えてくれなかったのだろう。母親の言うかわいいなんかを真に受けて、油断しているあいだにすっかり水をあけられてしまった。わたしは今まで幸せな温室の中で大切に大切に育てられすぎてしまったのだ。

 高校はかわいさの戦場だった。かわいくなければまず資格が与えられないのだ。入学式に向けてすっかり完全武装を済ませてきた同級生たちに、丸腰のままの自分がどうすれば敵うのか、どこから手をつければいいのか、すっかり途方にくれてしまっていた。

「え、でもブスもダサいもなにも、佐藤さん卵じゃん」

「あ、これは被り物です」

 佐藤さんはひょいと卵を取った。ついつい20年前の少女マンガみたいなリアクションをしてしまった。ズッコケってやつである。

「ダサくて恥ずかしいから卵被ってたの?」

「え?ええ、はい。そうですけど」

「佐藤さんひょっとして馬鹿なんじゃないの?」

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