松本市時計博物館のこと

 ちょっと思い出したんで唐突に書くんですけど、松本市時計博物館は6番線になにか来るてきなやつにもちょっと出てくる松本の千歳橋から見えるところにある建物じたいが大きな柱時計になってるアレです。あの柱時計はただの飾りじゃなくて本当に振り子で動いている巨大な機械時計なんですね。

 わたしがはじめて松本市時計博物館に行ったのはもう何年も前になるんですけれど、わたしは諸事情があって機械式時計にはわりと一家言ある人で、仕事の都合で松本に行く機会もたびたびあったものですから、時計博物館なるものがあるらしいと知ったからにはこれは見にいってみねばなるまいと思って、出張の途中でちょろっと寄ってみたんですね。だから思いっきり平日の昼間だったんですけど。

 まあ、平日の公共の博物館なんか基本無人ですよね。でも、わたしは普通に時計じたいが好きなので展示だけでもそこそこ楽しめたんですよ。静かな館内はあちこちから時計の脱進機のカチカチって音がしてるし、ハト時計もめちゃくちゃいっぱいあるから12時とかの区切りの時間になると一斉に柱時計がボーンボーンポッポーピーポッポーピーって鳴り出して、なにしろ他にお客さんもいなくてひとりきりだから、なんか不思議の国のアリスとかのワンシーンに紛れ込んだみたいな感じで結構いいんですよ。

 でもね、その静かで素敵な雰囲気を乱す存在がひとり居ましてね。館長なんですけど。いや、その人が館長だっていうのは後で知ったことなんですけど。

 あのね、普通に受付でチケットを売ってくれた、わりと身なりの綺麗なナイスな紳士なんですけど、わたしが展示を見て回っている間、ずっと付かず離れずの距離になんとなくいるんですよ。そのナイス紳士が受付でチケットを売ってくれたので、たぶんいま受付には誰もいないってことになると思うんだけど大丈夫なのかな? とか思いつつ、なるべく無視して自分なりの不思議の国のアリスワールドに没頭しようとしてたんですけど。わりとそういう周囲のノイズみたいなのは都合よく無視できちゃうタイプなんです。

 でもね、ちょいちょい喋りかけてくるんですよね。

「あっ! この時計! これすごいんですよ! 文字盤が丸くないじゃないですか! 扇形をしてますよね!? これ、針が一番こっちまでいったらどうなると思います!?!?」

 って、もう時計が好きで好きでたまらなくて、この自分の時計が大好きな気持ちをほんの少しでもあなたに分けてあげたい!! みたいな感じなんです。でもほら、わたしはわりと時計に一家言あるタイプなものですから、そこでそっけなく「ああ、ジャンピングアワーですね」とか言っちゃうわけですよ。

 もう受付のナイス紳士、シュンとしちゃってね。ああ、たぶんここは「え~? どうなるんですか~~??」とか聞いてあげるべき場面だったのかな? とか、ちょっと思ったりもしたんですけど、まあ性格てきにわりと無理ですよね。

 そんな感じで、わたしが展示を見て回ってるとすこし離れた間合いから常に話しかけよう話しかけようとしてる感じで、まあ途中からわりと普通に喋るようになったんですけど、それでちょっとお話をしてみたら「いや、わたしここの館長なんですよ」みたいな話で。ああ、あなた館長だったの、みたいな。

「毎朝、ここのぜんぶの時計のネジをわたしが巻いてるんです。なにしろこの数ですから、ネジを巻いてたら半日が終わるんです」

 ああ、なんかいいな、そういう人生もって、ちょっと思いましたよね。時計が好きで好きで大好きで、毎日時計のネジを巻いてたら半日が終わってて、たまにくるお客さんの周りをくるくる回るみたいな、そんな素敵な生活をしているナイス紳士も世間のどこかにひとりぐらいは居てもいいよなぁ、みたいなことを思って。


 でも、ついこの間また見に行ってみたら、たぶん時計の展示もすごく減ってて、たぶんあの館長さんもいなくて、12時のハト時計のポッポーに合わせて行ったんですけど、記憶にあるほど派手な感じでもなくて。


 あれぇ? ひょっとしてあの記憶はわたしの想い出補正が入ってて、実際にはこんなものだったっけなぁ、なんてこともちょっと思ったんですけど、うーんでもやっぱり、どれだけ思い返してみても、やっぱりここまでショボかったってことはないはずって思って。


 経費削減てきなやつなのかなぁ。まあ、時代の流れてきにそういう感じなのかなぁとは思うんですけど。でもやっぱり、わたしはひろい世間のどこかにひとりぐらいは大好きな時計に囲まれて、時計のネジを巻いてたら半日が終わってて、たまにくるお客さんにすこしでも自分のこの時計大好きな思いを分けてあげたい!! みたいな感じのナイス紳士が居てもいいよなぁって、そんなことを思ったわけです。

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