日記、エッセイ、あるいは創作メモ

大澤めぐみ

もっさんのラジオ

 久々に実家(実は実家ではないのだけどこのへんの事情は説明が難しいので割愛する)に戻ったら、近くのゲオでもっさんに会った。近くのゲオはこの周辺に住むある世代のルイーダの酒場みたいなもので、行くとだいたい誰かに会ったりする。大抵は棚の陰にスッと身を隠してやり過ごそうとするのだけど(あるいは向こうも気が付いてはいるのかもしれないけれど、そういう場合はだいたい向こうもわざわざ喋りかけてはこない)、もっさんはもっさんなので、わたしは「わ~もっさんじゃん久しぶり~」と声を掛けた。つまり、ある程度はそういう人物なわけ。もっさんは。

「お~久しぶり~」

「なに? もっさんも帰省?」

 たしかもっさんは東京のほうの駐車場の運用? をする会社に勤めていたはずで、ここ数年は地元にはいなかったはずだったから、わたしはそう聞いてみた。わたしのほうも今年の年末年始は忙しくて帰省できなかったので、今回は一週遅れての中途半端な帰省になっていて、そうだとしたら大阪と東京でバラバラのふたりがたまたまその日に帰省して、しかもゲオに来ている(この近所でゲオにいるというのは要するにクソ暇をしているということである)というのは奇跡的な偶然に思われた。でも、実際にはそういうわけではなかった。

「いや、俺もうこっち戻ってきてんの。親父の会社で働いてんの今」

「え、もっさんって家業とかあったの? ボンボンじゃん」

 もっさんは正確に言うとわたしの友人というわけではなく、わたしの兄の友人である。わたしの兄というのは無駄に知能の高い野生の猿みたいな人で、まあそんなだから、その場の思い付きでなにかをパッと始めては、持ち前の無駄に高い知能で謎にそれを成功させてしまって飽きたらパッと次のことをやり始めるという生活をしていて、たまに連絡を取るたびにまた新しいわけの分からない仕事をしている人なのだが(前に連絡を取った時にはパラグライダーのインストラクターだったはずだが、なぜか今は風速計の設計製造をする会社の社長になっている)、まあそんな人の気の合う友人であるからもっさんも比較的、無駄に知能の高い野生の猿てきな側面があり、あまりそんな、育ちの良い人というイメージは持っていなかったのだ。わたしの脳内エクスプローラーでは、わたしの兄と共に「ジャングルにナイフ一本だけ持たせて放り込んでも生きて還ってくるタイプ」というフォルダに分類されている。

「いや、家業っつっても運送屋だよ。トラックの運転手やってるの今」

「あ~ね~」

 と、わたしは微妙な声を出す。なお、わたしの地元は男性の仕事と言えば農家か土建屋か塗装屋かトラックの運転手ぐらいしかないという職業選択の自由不毛の世紀末救世主伝説てき世界観の田舎である。そこにはゲオがあり、ケーヨーデーツーがあり、綿半とザ・ビッグがあり、我々は日々、ゲオとケーヨーデーツと綿半とザ・ビッグを順繰りに周りながら過ごすのである。この地において、トラックの運転手というのはレベル20の戦士をやっています、というようなものなので、決して華々しくはないかもしれないが、最も手堅い。キャラメイクで迷ったらとりあえず戦士にしておくのが良い。

「東京で五年ぐらいスーツ着て仕事してたけどさ、結局水が合わなかったんだろうな。まあ、俺がそんな様子だったから、親父もじゃあもう観念してこっち戻ってトラックの運転手やれや、みたいな感じで」

「ああ、夢破れて山河ありみたいな」

「サンガ? お前の言うことは昔から分からないな。まあそんなわけで、色々と勉強してきたことは全部無駄にはなったけど、結果的には時間がちょっと不規則とはいえ前の仕事ほどじゃないし、ストレスもなくはないけど種類が違うっていうのかな? 焼き鳥食ってビール飲んでればどうにかなる程度のストレスしかないし、休みも増えて、なんだったら家賃の心配がないぶん今のほうが金も余裕があって、わりと順風満帆な感じ。なんか肩透かしだよな。で、休日にはこうやってゲオに来る」

「その後はケーヨーデーツーに行って、綿半かザ・ビッグに行く」

「そう。猫の見回りみたいなもんだよ。平和平和」

 もっさんがドカジャンのポケットから小銭入れを出して「なんか飲む?」と言うから、わたしは素直にゲオの入り口の自販機でBOSSのカフェオレを奢ってもらう。もっさんは微糖を買って、ドカジャンのポケットから煙草を取り出して火を点けた。そのまま、入り口脇の灰皿のところで立ち話をする。これがルイーダーの酒場の一般的な情報交換スタイルである。

「あ~あ、いつの間にか缶コーヒーもえらく高くなってるし、なんかヤだよなあ。毎日起きて、トラック出して、荷物下ろして次の荷物積んで。そうやって繰り返してる間にどんどん世間から取り残されていく感じがする。なにに興味を持ってみたところで、全部俺とは関係のない世界の話なんだよなぁ」

 ダウ平均株価がどうだろうと、税率が何パーセントになろうと、TPP条約の締結の先行きがどのようであろうとも、もっさんの生活は常に一定である。起きる。トラックを走らせる。荷物を降ろす。荷物を積む。繰り返し。

「昔はさ、音楽とか好きだったじゃん。ターンテーブルとミキサー揃えて、ハコ借りてイベントの真似事とかやってさ。まあ、楽しかったけど。最近は全然アップデートされないんだよなぁ。今でも部屋ではあの頃の音楽ばっかり聴いてる」

「まあ、みんなそんなもんなんじゃん? だいたい、三つ子の魂百までだから、音楽の趣味なんて十代で固定されちゃって、更新されないの」

「あ~そうだよな~。俺の母ちゃんも俺が子供のころからずっと金色銀色桃色吐息~って鼻唄歌ってるもんな。もういよいよ俺も更新が終わっちまったかなぁ」

「サポート期間が終了したんだね」

 そう言って、もっさんは煙草を灰皿の中にポイと放り込んで、続けざまに次の煙草に火を点けた。時短継続ってやつ。まだもう少し続くらしい。

「最近よくさ、ラジオを聴くんだよね」

「ラジオ?」

「そ。トラックの運転してるからさ。別に自分の好きな音楽かけててもいいんだけど、運転手ってずっとひとりだから、普通にしてるとあまりにも人間と喋らないだろ? なんか寂しくなって、人間の声が聴きたくなるんだよね。そうすると、ラジオっていいなって思って」

「あ~、わかるかも。ラジオっていいよね。テレビよりも親しい感じがする」

「テレビってさ、テレビの中の人同士が喋ってるのを俺らは傍で見てるだけじゃん。でも、ラジオの人って、聴いてる人に喋りかけてくるんだよね。だからじゃない?」

「そう言われてみればそうかも」

「なんかこないだとかさ」

 と、そう言って。もっさんはフイッと虚空を見上げて、そこに何かを描くようなジェスチャをする。もっさんがそこに見ているものはわたしには見えないけれども、なにかをそこに投影しているのだろう。セルフVRだ。

「ラジオ聴いてたら、ちょうど俺が好きな十年前くらいの日本語ヒップホップが流れてきたんだよ。うわ~、なつかしいな~って思いながら、こうやってハンドルをトントン叩きながら口ずさんでて……」

 と、もっさんはトラックの運転している様子を、パントマイムみたいに全身でやって見せる。

「そしたら、信号待ちで止まった対向車線のトラックもさ、俺と同じぐらいの年代のアンチャンで。そのアンチャンもこうやってリズム取りながら、なんか口ずさんでるのね。それが、明らかに俺と同じラジオを聴いててさ」

 もっさんがそのアンチャンの様子に気が付いたように、そのアンチャンのほうでももっさんの様子に気が付いたようだった。信号待ちの間に、ふたりはお互いに歌を口ずさみながら軽く目くばせを送り合った。それほど深い意味性のあるものではない。ただ「よお」とか「やあ」とか、そんな程度の、短いコミュニケーションだ。しかし、二枚のフロントガラスと交差点ひとつぶんの距離を隔てたふたりの間で、なんらかの確かなコミュニケーションが取り交わされていた。信号が青に変わり、対向車のふたりはそのままそれぞれ、逆方向へと進んでいき、すぐにサイドミラーでも見えなくなる。

「でもさ、そういう時、俺はまだちゃんと世界と繋がっているんだ。俺はひとりじゃないんだっていう気分に、俺はなるんだよ」

 もっさんは最終的にそう結論づけて、空き缶をゴミ箱に放り込み「ほいじゃな」と、軽く片手を上げて、グッドイヤーのバカでかいタイヤを履いた新型ハイエースでどこかへと去っていった。きっと、綿半かケーヨーデーツーに行ったのだろう。

 ラジオもなかなか、捨てたものではない。

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