いつかこの手で死者を殺す


 仕事を終えてスマートフォンを確認すると、いつもたくさんの通知が画面に並んでいる。ほとんどがどうでもいいことばかりだ。だれだれさん他15人がだれだれさんのツイートにいいねしましたとか、お愛想で登録しているユーチューブのチャンネルに新しい動画が投稿されましたとか、だれだれさんがあなたのレビューにいいねしましたとか、そういうの。


 わざわざポップアップで通知してくる必要があるほどの情報じゃない。わたしのスマートフォンは基本的に鳴らない。わたしはほとんど社会のすべてと断絶していて、誰もわたしに用事はない。それなのに、そんなことはないですよ、あなたはちゃんと社会と繋がっていますよ、ほらこんなにたくさんあなたが反応すべき事柄はあるのですよと説得するみたいに、ありもしないところから無理に話題をひねり出してまで声を掛けてくる。お節介だなと思う。


 今日も、仕事終わりにスマートフォンを確認すると、ひとつの画面に収まりきらないほどの通知がたくさん並んでいた。いつもなら縦にスワイプしてザッと確認したあとにまとめて横に投げ捨ててしまうのだけれど、最後のほうまでスワイプしたところでわたしの手が止まる。


 フェイスブックからの通知が、今日はわたしとだれだれさんが友達になってから五年目の記念日ですよと知らせてきている。こんなことまでわざわざ通知しないと、フェイスブックがわたしに言うべきことなどなにもないのだ。それくらい、わたしのフェイスブックというのは稼働していない。


 わたしの手が止まったのは、その人がすでにこの世には存在していない人だったからだ。何気ない瞬間に、急に死者が日常に割り込んできて、意識がきゅっと緊張してしまった。


 その人はわたしのフェイスブックの友達欄にいるというだけで、名前を聞けば顔を思い出せる程度には知っているけれども、別に友達というわけではない。個人的に遊んだことなど一度もないし、フェイスブック上ですらやりとりをしたことは一度もないはずだ。なにかの機会に顔を合わせて、その後、申請がきたから承認した。だから、わたしのアカウントの友達欄にいる。ただそれだけの人だ。


 アカウントは更新が止まっているだけで、削除もされていないし、その人が死んだことを知らせる通知もない。たぶん本人が死んでしまった場合には、遺族が削除を申請したりするべきなのだろうけれども、かなり普及してきたとはいえ、まだまだ新しい文化だから、死んだ場合のプロトコルまでは一般化されていないのだろう。こんな風に、ただ放置されるアカウントが大半なのではないかと思う。


 わたしはどうして、さして親しくもないこの人がもう亡くなってしまっていることを知っているのだろうか。きっと、どこかで誰かから聞いたのだろうけれど、なにしろ別に親しかったわけでもないから、その時は聞き流していたのだろう。そのへんの事情にはまったく覚えがない。ただ、その人が死者であるということだけを、わたしはなぜか知っている。フェイスブックからのポップアップ通知が、わたしにそのことを思い出させる。たぶん、こんな通知がこなければ、これから先も二度と思い出すこともないような人だったはずなのに。


 フェイスブックはわたしに向かって、すでに死んでいるその人に記念日のメッセージを送りましょうと勧めてくる。フェイスブックだって、別に悪気があって言っているわけではないのだろう。ただ彼はあまり物事をよく知らないし、ぜんぜん融通がきかないだけなのだ。


 もちろんわたしには、死者に対して記念日のメッセージを送るような趣味はない。


 だからわたしは、もうそういった通知がくることのないように、そのアカウントをブロックしようとする。プロフィールページを開き、メニューを開いてブロックしようとして、そこでふと手が止まる。


 なんだか、自分がひどく非道徳的な行いをしようとしているかのように思えてしまって、息を呑む。


 わたしがそのアカウントをブロックしたところで、誰も困らない。死者は二度とフェイスブックを更新しないし、ブロックされたことに気付くこともない。社会的なコンフリクトが引き起こされる可能性はまったくない。わたしがフェイスブックをやっている理由なんて、社会的なコンフリクトを回避するためだけなのだ。


 この行動には、なんの問題もない。

 それなのに、なぜだかわたしの指は中途半端に宙に浮いたままで、画面をタッチしない。

 まるで、そうすることで自分がその人の死に加担してしまうような気がして。


 わたしはそのままスマートフォンをスリープさせ、バッグに戻す。靴を履き替えて、オフィスを出る。地下鉄の駅へと早足で歩く。問題でもないような問題を、すこしだけ先送りにする。


 けれど、いつかわたしはこの手で死者を殺すだろう。たぶん、なにも思わずに。


 地下鉄の窓に映る自分の疲れた顔をぼんやりと眺めながら、わたしたちがみんな死んでしまった後の世界のことを考える。きっとそこには、生きている人間よりもずっと多くに死者たちが、いつまでも電子の海に取り残されているのだろう。


 

 

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