ジェンガ

 せっかく中学生になったので、晴れて思春期まっただなかの花も恥じらう13歳の女子中学生なので、せっかくだから綺麗で甘酸っぱい初恋をしてみたい。

 恋に落ちると頭がバカになるらしい。

 でも、頭がバカのほうが人生なにかと楽しいみたいで、恋に落ちて頭がバカになっているサエコは今日も便所でテンションが高い。

 なんで便所でなのかと言うと、サエコはわたしのベントモだからだ。

「岡野先輩も西尾維新好きなんだって。わたし既刊はぜんぶ持ってるから貸してあげるの」

 ニシオイシン。知らない単語だったので、へーそうなんだーと返事しながら頭の中のコルクボードにメモをピンで留めておく。あとで検索してザッとでも調べておかないと。めんどくさいけど、ベントモに愛想を尽かされてしまうと学校生活が立ち行かなくなってしまうから、なるべく話題にはついていけたほうがいい。

「名前の画数で相性診断するやつ知ってる?」

「名前で?相性が分かるの?」

「そう。上の字と下の字の画数を足して……」

 説明を聞いたけれどもメカニズムはよく分からなかった。サエコの頭がバカになっているからメカニズムをちゃんと説明できていないか、サエコの頭がバカになっているからそもそもメカニズムとか気にしていないかのどちらかだろう。

 わたしは頭がいいから、わたしの頭が悪くてサエコの説明が理解できないという可能性は除外していい。


 名前の画数で相性診断、してみたいなあ。


 なにしろ綺麗で甘酸っぱい初恋もまだしていない、ピカピカの女子中学生なのだから、好きな人ができたら、ふたりの名前を紙に並べて書いて画数で相性診断したり、花びらを一枚ずつちぎりながら好き嫌い好き嫌い言ってみたり、流れ星を見つけて願いを託したりしてみたい。幸運の四つ葉のクローバーだって探してみたい。ポリティカルにコレクトな女子中学生をしてみたい。

 サエコは恋に恋するポリティカルにコレクトな女子中学生だから、いっこ上の岡野先輩のことが好きで、岡野先輩のストーキングが趣味で、岡野先輩の情報の断片をトレーディングカードみたいにちまちまとコレクションしては、それらを便所で日々わたしに自慢げに披露する。


 姉がひとり居る。(コモン)(末っ子)

 身長168センチ。(コモン)(まだ伸び盛り)

 チャリ通学。(コモン)(サエコとは校門を出た瞬間から逆方向)

 つむじが二箇所。左後頭部のつむじは頑固でよく毛がハネている。(レア)(若干の天パ)

 ニシオイシンが好き。(Sレア)(やっと見つかった共通点)


 「お昼休みに西尾維新渡しに行くの。アヤカ一緒についてきてくれない?」

 「うん。別にいいけど」

 ベントモの存在は学校生活を円滑に過ごしていくためには必要不可欠なので、ベントモの機嫌はなるべくなら損ねないほうがいい。めんどくさいけれど、お昼休みにサエコと一緒にただ階段を一階ぶんを昇るだけの話だから、リスク低減のためにはそれぐらいのコストは支払っておいたほうが得策だ。

 ベントモというのは便所に行く時とお弁当を食べる時に一緒に行動する友達のことで、これが居ないと中学校生活においては基本的人権すら保障されない。

 便所に行くのとお弁当を食べるのを一緒にする人が居れば誰でもいいというわけではなくて、ベントモの選択はそれで中学校生活の3年間、自分が滞在することになる階層を決定する非常に重要なものだから、入学直後の教室内では相互に厳しい目線で品評と格付けがなされることになる。

 わたしは顔がかわいいから、あんまりランクの高い子たちとツルむと一軍にあがってしまって、一軍内のめんどくさい水面下での鍔迫り合いなどに巻き込まれ疲れてしまう。ジェンガのようなもので、高く高く上に積みあがれば積みあがるほど、崩落の危険性も高まるのだ。上を目指せばいいというものではない。

 かといって、あまりにもブスとツルむとやっぱりブスはブスだから、立っても座ってもいちいち僻みとか妬みなどまとわりついていて、それもまためんどくさい。日々の細やかな何気ない言葉のやりとりの中ですら、少しずつなにかを削り取られて消耗してしまう。

 一番上も一番下もダメで、中の上ぐらいのいい位置につけておくバランス感覚が大事なのだ。


 サエコはあまり目立たないタイプだけれど、ほどよく可愛らしさというか愛嬌があるし、それに、わたしにアヤカはかわいいよねって言った時の言葉になにも含みがなくて、素直に受け取れたから、ああ、この子はいい子だなって思ってベントモに選んだのだ。今でもいい子だと思っている。最近、恋に落ちたせいでちょっと頭がバカになっているみたいだけれど。

 ツルむ相手に依っては一軍になってしまいかねないわたしも、サエコとツルむことで「ああ、なんかあの子はそういうクラス内ヒエラルキーの頂点とかには興味ない子。ほっといていい」っていう扱いになるし、いちおうベントモが居るので基本的人権も保障されるから、最底辺の煉獄にも落ちなくてすむし、ベストな選択だったと思う。円滑で円満な中学校生活。安定した低重心フォルム。自分で自分を褒めてあげたい。こんなストラテジーバトル、わたしもバカバカしいとは思うけれど、変に突っ張って孤高に孤独に煉獄で高楊枝したって、そんなの全然、割りに合わない。もっとめんどくさい。


 わたしとサエコはベントモなので、お昼休みには机をくっつけて一緒にお弁当を食べる。サエコはお弁当の時には岡野先輩の話をしない。あれはなにか、便所限定の話題ということらしい。たぶん、サエコにとって、溜まりに溜まった岡野先輩トレーディングカードを吐き出すということは、概念的にはうんこを出すみたいなものなのだろう。うんこは便所でするものと相場が決まっている。

 お弁当を食べ終わったらサエコがそわそわした感じで「ねえ、アヤカ」 って言うものだから、わたしは「うん」 とだけ返事して立ち上がる。サエコもどっかで手に入れたらしいリズリサの紙袋を片手に立ち上がる。リズリサはサエコの中でいちばんヨソイキの紙袋だ。

 階段をひとつ上がって、二年生のフロアに行く。目当ての教室の前の前で、サエコは一度大きく深呼吸をする。わたしと謎のアイコンタクトをかわしてから、そっと扉を開ける。サエコが岡野先輩を呼ぶ。

 教室の奥のほうで4~5人の友達と話し込んでいた岡野先輩がサエコに呼ばれて廊下に出てくる。教室の中から岡野先輩の友達たちが冷やかす「ヒューッ!」という声が聞こえる。ちょっとめんどくさいけれど、これくらいは全然、ポリティカルにコレクトで、円滑で円満な中学校生活の範囲内。


「あの、これ前に言ってたやつ。渡そうと思って」

「ああ、わざわざありがとう」

 サエコは紙袋から本を一冊出して、これが一番のオススメのやつなんで、とか説明してる。岡野先輩は若干居心地が悪そうな感じで、後ろ頭を掻きながら、ああ、とか、うん、とか言っている。

 わたしは隣でにこにこ笑って立っているだけで、最初から最後まで一言も喋らない。わたしはサエコのベントモなので、ベントモの概念的うんこが終わるのをじっと待っている。ときおり、岡野先輩と目が合う。


 ああ、しくじったな、と直感する。


 ちょっとぐらいサエコの機嫌を損ねることになったとしても、やはりこういうのにはわたしがついてくるべきではなかったのだ。サエコは頭がバカになっていて、たぶん今そういう判断ができない状態だから、めんどくさいけれど、わたしがちゃんと数段階先まで予測しておいてあげるべきだったのだ。

 でも、やっぱりサエコは馬鹿だから、ただ本を渡して二言三言、言葉を交わしただけで馬鹿みたいにテンションが上がっている。わたしでは普通に見落としてしまうようなレアのトレカをたくさん収穫している。


 毎日サエコとお弁当を食べる。便所でサエコが新しくゲットしたトレカの自慢話を聞く。サエコを通じて、わたしも岡野先輩に詳しくなる。


 クロールは苦手だけど平泳ぎは速い(レア)(肩の関節が固い)

 中指で頬を掻くクセがある(Sレア)(ファックユーのサイン)

 袖の中に隠しているけど願掛けのミサンガをしている(SSレア)(ちょっとキモい)


 サエコの目のフィルターを通して見る岡野先輩はたしかに少し素敵で、でも変なキラキラエフェクトが掛かっているせいでちょっとキモい。


 一日の授業が終わって、謎に英語のスピーチ大会に選抜されていたことをすっかり忘れていたわたしは、ひとり教室に残ってスピーチの草稿を適当にでっち上げて職員室に提出しに行く。攻撃的な西日が真横から照らしてくるオレンジ色の廊下をひとりで歩く。階段に差し掛かったところで、不意に上のほうから「平松さん」と声を掛けられる。

「ああ、岡野先輩」

 たぶん、それが岡野先輩がはじめて聞いたわたしの声。 わたしと岡野先輩は喋ったこともないし、岡野先輩はわたしが喋っているところを見たこともないはずだ。それなのに、なぜか岡野先輩はわたしの名前を把握している。

 岡野先輩は半階上の踊り場にいて、トトトトっと階段を軽快に駆け下りてくる。

「ちょうどよかった。コレ、中川さんに返しておいてくれない?」 と、リズリサの紙袋をわたしのほうに差し出してくる。

 オレンジとグレーのコントラストの強い背景。岡野先輩の顔に斜めにオレンジのハイライトが入っていて、サエコフィルターも掛かっていないのに、変なエフェクトみたいになっている。左後頭部のつむじの毛がハネている。岡野先輩はわたしの目を真っ直ぐに見ている。


 わたしは、実は岡野先輩が好きなのはわたしのほうなのだと分かっている。

 とっくの昔に知っている。


 岡野先輩はサエコのことは正直ちょっとめんどうだなって思っているけれども、わたしを連れてくるし、わたしとの接点がそれ以外にないものだから、いまいち邪険に扱うこともできないでいるのだ。

 サエコは今ちょっと馬鹿になっているから、そんなことは全然知らないままで、アレコレと理由をねん出しては、なんとか岡野先輩のところに行こうとするし、でも肝心なところで気が弱いから、ひとりで行けなくてわたしを連れて行く。わたしはサエコのベントモなのでサエコの頼みを断らないし、いつも一緒について行くし、黙ってサエコの隣にいて、ただにこにこと笑っている。

 岡野先輩はサエコに曖昧な返事をしながら、時折わたしのほうを見る。わたしは岡野先輩と目が合うと、黙ったままでスッと微笑みをかえす。そういうリアクションが、すっかり板についてしまっているのだ。訓練を積んで得たわたしのパーフェクトな微笑みは、たいていの人に対して良い印象を与えていると思う。

 サエコは顔を赤くして俯いて、岡野先輩とロクに目も合わせないまま、実のない言葉をいくつか交わして、それだけのことで有頂天になってしまう。細々としたコモンのカードをちまちまと集め続けている。

 最初は別に興味がなかったわたしも、毎日のようにサエコに便所で岡野先輩情報を吹き込まれて、岡野先輩に弱パンチみたいなまなざしを連射されて、いつかはゲージがすり減って岡野先輩のことを好きになってしまうのだろう。

 わたしは岡野先輩のことが好きになってしまっている気持ちを隠したままで、サエコの恋を応援する。サエコが岡野先輩に西尾維新(ググッた)を貸しに行くのについていく。

 岡野先輩はどうにかして隙をついて、サエコ抜きでわたしとふたりきりになるチャンスを伺い続ける。何故か毎回、西尾維新はわたしを経由してサエコのところに戻ってくる。

 でも、いくら鈍感なサエコだって、そんなことをずっと続けていればいずれ気が付くだろう。いまちょっと馬鹿になってしまっているだけで、根本的なところから馬鹿な子ではないのだ。本質的には聡い子だと思う。

 たぶん、最初は泣く。それから怒るけど、サエコはいい子だから怒ることに慣れていなくて、なにをどう怒ればいいのか分からないから、結局最後にはまた泣きだしてしまう。

 わたしはサエコが泣き止むまで黙ってそばについていてあげる。どの面さげてって感じではあるけれども、それでもサエコはわたしの大事なベントモだから見捨てることはできない。

 きっと、サエコは泣くだけ泣いたらわたしを許してくれるだろう。泣きながら、わたしと岡野先輩のことを笑って祝福してくれるのだろう。少しゴタゴタはするけれど、最終的にはわたしとサエコは、むしろ以前よりもずっと心の底から仲良くなるのだろう。


 まるで本当の友達みたいに。


「あ、はい」

 返事をして、わたしは岡野先輩からリズリサの紙袋を受け取る。

「それじゃ」

 そう言って、岡野先輩は立ち去ろうとする。ブレザーの袖がちょっとつんつるてんで、掲げた左手の袖口にミサンガがのぞく。ああ、そうか。伸び盛りだから、袖のほうが足らなくなってきているんだ。


 ああ、なんかもう、全部がめんどくさいな。


「岡野先輩」

 どうせいつかは崩れるジェンガ。崩れないように崩れないように、ちょっとずつブロックを抜いていくけれど、結局のところ、崩れるまで終わらないルール。

「ん?」

 岡野先輩が振り返る。わたしはめんどくさくて、今すぐ、全てを終わらせたくなっている。 だからわたしは、いま引き金を引く。



「好きです」


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