第5話 女々しい僕とライオンカノジョ

『明日は久しぶりに一緒に登校できるね』


 指が自然とそんな言葉を打っていた。

 夏休みの間、理央とはほぼ毎日のようにチャットで会話していた。「そばにいなくて寂しい」なんて感情はちっともない……はずだった。

 だけどなぜだろう。新学期になって再び会えることに浮き足立っている自分がいる。

 そもそもあれからの俺たちの距離は近すぎた。暇だからという理由をこじつけては会い、眠くないからという理由を持ち出しては電話がかかってきた。


「なんだこれ。ただのカップルじゃないか」


 部屋の天井にぼやいたら、ちょうど返信を告げる着信音が聞こえた。


『そうだね! いつものところで待ち合わせだからね!』


 ——……理央ってこんな素直な女の子だったっけ?


 彼女とまともに話し始めた時のことをぼんやり思い浮かべる。


「なに、笑ってるの。気持ち悪いだけど」


 これがビフォー。


『そうだね! いつものところで待ち合わせだからね!』


 そして、これがアフター。


「……変わりすぎでしょ」


 誰だ。この可愛いらしい女の子は誰だ!?

 人は実際に喋るのとチャットで話すのではトーンやテンションが違う。だが、枢木理央はこんなに落差のある人間じゃない。それとも俺の目に変わったように見えているだけで、客観的に見れば相変わらずの理央なのか?

 考えるだけで頭の中がぐるぐるする。


『わかってる(笑)いつも通り改札口でしょ?』


 今、頭を働かせようとするとこんがらがりそうで、当たり障りのない返信をした。

 考えてみれば最近は理央が可愛く見えて仕方ない。スキンシップとも見て取れる叩きや小突き。キツい言葉から一転した「はぐれないでよね」という素直に心配する言葉。

 思い返しただけでも胸が締め付けられそうだ。変わってからの彼女の一挙手一投足が愛おしく見えてしまう。

 そんなカノジョのそばにいれて俺もまんざらではなかった。できることならこのまま二人で高校生活を謳歌するのも悪くないなんて思い始めていた。


『はあ? 昨日一緒の時間の電車に乗ろうって言ったじゃない!(♯`∧´) もう忘れたわけ!?』


 だが、俺のカノジョはライオンカノジョである。

 そう、正しくこういう風に怒鳴ってくるのが俺の中での枢木理央だった。可愛いというよりかはカッコよく。女々しいというよりは雄々しく。カノジョというよりは友達。という感じなのが枢木理央なのだ。

 ともかく変わっていなかったようで一安心だ。


『え……そんなこと言ってたっけ……忘れてたマジごめんm(__)m』


 率直に謝ってはみたが、正直なところそんなことは一言も言ってないと思う。相変わらずいつも言うことが突飛だ。


「ホント、相変わらず」


 そう口にした時、俺は気付いた。

 相変わらず……つまり俺は変わっていないそのままの理央が好きだということをだ。


「俺は少し可愛く変わった理央が好きで……でも実際に理央は変わってなくて……つまりそれはそのままの理央が可愛く見えるようになったってこと? いや俺が好きなのは力の強い女の子じゃなくかよわい女の子で……けど理央はかよわい女の子で……つまり俺は理央のことが好きで……んだぁ!!」


 二周ループしたところで俺は頭をぐしゃぐしゃに掻いた。

 もうこの際だ。素直に理央が好きだと認めよう。


「そうだ。俺は理央が好きだ! 小突く理央も好きだし背負い投げする理央も好きだ! キツい言葉を使うのも好きだし、たまにおちゃらけてみせるのも好きだ! 特にキツい言葉を言われた後に微笑まれたりしたらもうたまんない! 普段はキツいからこそふと見せる優しさもたまらなく好きだ! 俺が好きなのはどっちかの理央じゃなくて、すべての理央なんだ! 理央の中身そのものが好きだァァァァァァァァ!!」


 部屋で一人、ベッドでのたうちまわりながら喚き叫んだ。壁から鈍く叩く音が聞こえた。隣の部屋の弟が「うるさい」と言っていた。仕方ないだろ、思春期なんだから。


 ——この想い、どこにぶつけたらいい?


 仮初めだったとはいえ、付き合っているという事実がある。「今から告白するとしてなにを言うんだ? 『好きです!』と言って、だからどうしたいんだ?」というわけである。

 だが、男らしくなったことを証明するために今まで見守ってくれた理央に告白したい。俺は再び登頂部を手で掻いた。掻いても案が出てくるわけではないが、返信を待っているのも相まって落ち着けなかった。


「なにをしたら理央に俺の気持ちが伝わるんだろう」


 なにかヒントになることを理央は言っていなかっただろうか?

 出会いから今までを一本の恋愛小説を読むかのように思い出す。最悪な始まり方に最悪な付き合い方、最悪な形での二人の関係性の暴露。充実した日々に円満な人間関係。そして、最高の思い出となった花火大会。

 これら全てがあったから、俺は男らしくなった最後の証明をしようとしている。目標を達成して、理央に報いようとしてる。

 そこまで考えて、息を呑んだ。


「俺はまだ俺の役割を果たせていない」


 スマホのディスプレイが光っていた。理央からだ。


『冗談♪いつも通り改札口集合ね』


 理想的とさえ言えるほどの理央のデレ方に胸がざわついた。どうやら俺の心は完全にカノジョの虜らしい。やらない理由がどこにも見当たらなかった。




「急に呼び出したりしてごめんね」


 始業式が終わった後に理央を呼び出した。場所は体育館裏。俺と彼女が付き合うきっかけとなった場所だ。

 いじめられていた頃の俺はまさか枢木理央と付き合うことになるなんて夢にも思っていなかっただろう。それが今や本気で好きになってしまっている。運命のいたずらはここから始まったんだ。


「将一が私を呼び出すってことは……なんかわけあり?」


 呼び出したことを不審に思ったのか理央が訝しげな表情を浮かべる。

 なんの用かも伝えていなかったから怪しく思われるのは当たり前だが、そんなに睨まないで欲しい。今、理央に注視されたら胸のざわめきが隠せない。いらないことまで言ってしまいそうだ。


「まあ……そうなんだけど。でも、俺の話を聞いてくれればそれでいいんだ」


 「わかった」と言うように理央が深く頷いた。俺は長く息を吐き、呼吸を整える。ここから先は後戻りができない。


「この前さ、言ってくれた言葉……嬉しかったんだ。あれからずっと頭から離れなくて、ずっと考えてたんだ。助けてくれた時のこととか、一緒に帰った時のこととか。花火大会の時のこととかも……覚えてる? 『はぐれないでよね』って言ってくれたよね」


 普段はキツい理央から垣間見えた優しさを象徴する言葉。その言葉をかけてくれた姿が脳裏に焼きついて離れなかった。

 彼女を思い浮かべる時はいつも決まってこのシーンだった。その度に俺は疼く胸を押さえていた。

 理央は閉口したまま頷くだけ。じっとこちらを見ている。

 今はそれがありがたい。昨日の夜、徹夜で考えたセリフだ。まだ話したいことはあるんだ。

 俺は続けて言葉を紡ぐ。


「優しくて、温かみがあって……嬉しかった。ああ、理央にもこんな優しいところがあるんだって。俺のことを大切に想ってくれていたんだって。それから、いつの間にか君を目で追っている自分に気がついた。もっと君のことを、理央のことを知りたくて。理解したいと思って。だから……」


 ずっと誤解していた。あれだけ長い間一緒にいたのに、枢木理央という女の子を理解したのはこの言葉を聞いてからだった。

 俺はもっとカノジョのことを理解しようと思った。今まで見ていた表面ではなく、カノジョの本当の心を知りたいと願ったんだ。


「だから……! 君の手、俺が繋いでもいいですか?」


 目をつぶり、手だけを前に差し伸べた。

 理央は言った。「手を繋ぐのは好きな人とだけ」だと。

 手を繋げばカノジョの本心がわかる。俺のことを「好き」と思っているかどうかが。これが俺の考えた告白の代替品。今もまだ繋げないようだったらこの恋はそれまでだ。

 顧みればおかしな関係だった。好きでもない人間と付き合って、気づいたら本心から好きになっていて。「もしかしたら俺が一人でに好きになっただけで理央に好意はないのかもしれない」なんて何度も考えた。考えない日はなかった。

 何度考えてもこうする以外にほかに手段がないと思った。それに彼女のゴールはここのはずだ。これは俺の果たすべき役割でもあるんだ。


 ——「手を繋げるようになろう」。


 そう言ったのは俺なのだから。フラれるのが怖いなんて言ってられない。

 沈黙が長く感じる。いっそのことフって欲しいとすら感じ始めてくる。俺の手は虚空だけを掴んでいる。温かみなんてこれっぽっちもない。


「バカなんじゃないの」


 予期せぬ言葉に俺は目を見開いた。ああ、独り善がりだったのか。自ずと嘆息が漏れた。


「そんなのカレシなんだからいくらでもしてやるわよ」


 なんの躊躇いもなく、理央が俺の手を握った。あれ? 思っていた展開と全く違うぞ!?

 もしオーケーなら理央のことだから恥じらいつつも手を取ってしおらしい顔をするものだと思っていた。

 だが現実の理央はなんの気兼ねもなく、なに食わぬ顔をしている。手を繋げなかった過去など歯牙にもかけてない様子で俺の手を握っている。


「いつから!? いつから握れるようになったの!?」


 計画通りにいかず、俺は素っ頓狂な声で問い詰めた。


「握れるようになったのは……今日から。でも……ずっと前から将一とは手を繋ぎたいって……思ってた」


 空いている方の人差し指で頬を掻いて、理央が恥じらっていた。突然の変化で頭の処理が追いつかない。ずっと前から? それって俺が好意を抱く前からなのか?


「え、いつから?」

「ホント、鈍感! 少しは自分で考えなさいよね」

「あ、はい」


 俺が頭を抱えこむより前から相思相愛だったらしい。もしかしたら俺に暴力を振るっていたのは好きな人にどう接していいかわからなかったからなんてこともあるのかもしれない。

 史華の言う通り、気になっていたからこそ千尋の谷に落としていたのかもしれない。そうだとしたら今までの雑な扱いの数々は帳消しにしてもいいくらいだ。


「でも、なんで手なわけ? もっと他に気持ち伝える方法はいくらでもあったでしょ?」

「他って?」

「……キスとか」


 しばし躊躇った後、そっぽを向きながら理央がボソッと言った。考えてもいなかった。というより彼女がそこまで考えているとは思わなかった。


「そんなことしたら恥ずかしくなった理央に俺が投げ飛ばされるに決まってるじゃない」


 冗談めかして微笑んで見せる。だが直後、理央の目つきが変わり、手の力が強まった。


「ホント、バカ! デリカシーを弁えないやつはこうしてやる!」

「っておわぁ!? どっちにしろ投げられるのかよ! 冗談だったの——グハ!」


 全てを言い終える前に俺は地面に体を強く打ちつけた。こうやって空を見上げるのは何十回目だろうか。視界に理央の顔が入りこんでくる。


「ほら、帰るわよ」


 喜色をたたえた表情を浮かべながら手を差し出す理央。眩しい笑顔を見れたのがたまらなく嬉しくなる。冗談めかして言った俺のことをカノジョは見捨てるつもりはないらしい。俺はカノジョの手を取った。


 世間一般では女の子はおしとやかでいるべきであり、男はたくましくあるべきである。

 でも、俺もカノジョも根本は違う。女々しい僕とライオンカノジョ。

 端から見ればどこがカッコいいのかわからないし、どこが可愛いのかなんて疑問だろう。どこがよくて交際しているかなんてわからないはずだ。

 俺の視点から理央を見て、果たして何人が彼女を可愛いと思うだろうか? 口は悪いし、暴力は振るうし、高飛車な女の子だし。可愛い要素が見当たらない。

 それでも俺だけは理央の可愛いらしいところをたくさん知っている。優しいところを知っている。心配して泣き出してしまうことを知っている。きっと理央も俺のカッコいいところや優しいところをたくさん知っているはずだ。


「ありがとう。じゃあ手を繋いで帰ろうか」


 だから俺はライオンカノジョがたまらなく可愛く感じてしまうのだ。

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ライオンカノジョは可愛くない 鴨志田千紘 @heero-pr0t0zer0

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