第4話 I will be lion
みんなで花火大会を巡り、その中で理央のこれからと俺たちのこれからを考えるつもりだった。不要なら不要で構わない。ほかの男子がいいならそれでもいい。周りのやつらと過ごす理央を受け入れる……つもりだった。
だが、現実に訪れたのは二人きりの時間。嬉しくも寂しくもある複雑な時間だった。
俺の腕を引いてどんどん群衆を押し分けていく理央とされるがままの俺。
——どうしてこうなった?
ひぐらしがもうそろそろ鳴き始めそうな夕暮れ時。
俺たち2-Dの生徒は清泉櫻ヶ丘駅に集合してから花火大会にいくことになっていた。ここから歩いて一〇分ほどの距離にある河川敷が花火大会の会場だ。
「あ、大道。こっちこっち!」
「本当にきた……彼、前と変わったね」
「まあ、こういうのは人が多いに越したことないっしょ!」
改札を出た時、すでに園崎とその友達の池谷と馬場が集まっていた。園崎はクラスの中心で当然ながらカッコよかったし、メガネイケメン池谷とチャラ男系の馬場も女子から人気があった。
女子会と称して三人でランチを食べていた時に史華が「うちのクラス一のイケメンを決めるなら池谷くんと馬場くんも捨てがたい」と言っていたのを思い出す。そこに俺の名前はもちろんない。男子としてカウントされるのはまだ先のようだ。
「今日は……よろしく」
そんな自分がイケメンたちに紛れても大丈夫なのか、いささか不安である。思わず声がすぼんでしまう。
ほかにも私服姿の女子が二名。新川さんと鳴瀬さんだ。いつも園崎たちといて、五人で楽しそうに話しているのをよく見かける。
この五人に俺とまだ来ていない理央と史華の三人を加えた八人。ほかのクラスメイトも誘っていたが、部活などでこれなかったらしい。半数にも満たないが、男女の比率もぴったりでちょうどいいのかもしれない。理央はまだだろうか。
「おまたせ〜」
その矢先のことだった。聞き覚えのある声が耳朶に響いたのは。
「待って、史華! そんなズカズカ歩かないで! 見せるのに心の準備が……!」
元きた方向を振り返る。ピンクの浴衣姿の史華が理央の手を引きながら勢いよくやってきた。そして……俺は目を奪われた。
理央も浴衣姿だったから。
彼女を見て、園崎らが「可愛い!」と感銘の声を上げる。シックな印象を受ける黒の浴衣姿は金の髪色と対照的で鮮烈に映った。
けれど俺の感想は園崎たちとは違った。可愛らしいより「カッコいい」や「クール」な着こなしに見えたのだ。黒色は理央にぴったりだった。
言葉を失っていた俺に理央が寄ってきた。数秒睨みを効かせた後、プイとそっぽを向いて「どうよ?」と尋ねてくる。
「カッコいいよ、似合ってる」
ああ、俺はバカか。バカなのか。こんなんだからお役御免になるんだ。
そこは周りに同調して「可愛い!」と言うべきところだろう。「可愛い」と言うのが小っ恥ずかしくて、照れくさくて、ありのままの言葉を吐き出して。あの頃からなに一つ成長していない。一歩踏み出すのがたまらなく恐ろしいんだ。
「ありがとう……」
しかし、理央の反応は予想していたものと異なっていた。しおらしく感謝を述べただけ。いつもなら「そこは『可愛い』でしょ! ホント、ヘタレ!」とか悪態ついてくるはずなのに。
——どうして俺の言葉を素直に受け止めるの?いつから君はそんな子になったんだよ?
彼女の変化に疑問ばかりが浮かんでくる。
「みんな揃ったしそろそろ行こうか」
園崎が爽やかに言う。嫉妬対象の彼に今は救われた気がする。このまま浴衣姿の理央と話していたら動悸を止められそうになかったから。
*
予想以上の混雑で八人で歩くには困難な状況だった。最後尾を歩いていた俺は次第に前の理央だけを目で追っていた。金色の髪と黒い浴衣は一際目立つからだ。それに理央さえいてくれれば怖いものなんてなにもなかった。
彼女がふと振り返る。ちゃんとついてきているかどうかを心配しているようだった。
目線を前に戻す。普段は扱いが雑なのにこういう時に限って気を配れることにギャップを感じざるを得なかった。
五、六歩歩いた時、彼女が再び振り向いた。「そんな心配しないでよ。ちゃんとついてくから」なんて言ってみたかったけど、今は心配してくれるのを楽しみたかった。あと、本当は心配してるわけじゃなかったら恥ずかしいことになるから言いにくい。
だが、それが考えすぎだったことはすぐにわかった。
「ほら、はぐれないでよね」
彼女が俺の手首を掴んだ。——手首をだ。
お互いの手と手を繋いだわけじゃない。彼女の好きな人へと昇華したわけじゃない。
——でも。
でも、確かにそれは理央の成長の証だ。なにより投げ飛ばすために掴んでいたはずの手が俺を心配するために掴むものに変わっていて……嬉しかった。
初めての理央の優しさに触れ、胸が軋む。
周りにほかのクラスメイトがいなくなっていることなんて気にも留めず、彼女の姿だけを追っていた。
最近は殴られたり、投げられたりするのは「人とは少し違う関係だから雑に扱っても平気」と思われているからだと断じていた。蔑ろにされているものだと思った。
——けど、そうじゃなかった。もしかしたら痛いものばかりが目について。俺は……彼女の温かさに、優しさに目を向けることをしていなかったのか。
彼女はずっと前から俺のことを特別に想っていたのかもしれない。嫉妬だって俺の早とちりかもしれないのだ。
思い返してみれば最初に投げ飛ばされた時だって、わざわざ俺を助ける必要はなかったんだ。別の場所でイメトレをすれば済む話だ。
一緒に時間を過ごしてきてわかったことだが、理央は自分から不良に喧嘩を吹っかけにいくほどタフな女の子じゃない。誰かのためを想って動く優しさがあったのだ。
理央と付き合ってからもろくに男友達ができなかった俺に居場所を与えてくれたのも彼女だ。女子会という形ではあったものの、そこで史華との繋がりを作れた。女子会をするためだけなら、俺は必要ないはずだ。
前を歩く優しい乙女の耳が赤く火照っている。まさか俺の手を引っ張るなんて思っていなかったのだろう。多分手を離したら、照れ隠しするために殴られるだろうな。
群衆の迷路から抜けた時、そこには俺と理央しかいなかった。史華も園崎たちもどこにいるのかわからない。どうやら観覧席から少し離れた木陰に出たらしい。
「こんなところにきて大丈夫だったかな?」
比較的人気の少ないところにきてしまった不安が口からこぼれた。
「仕方ないでしょ! あんたがさっさと歩いていればこんなことにはならなかったんだから!」
理央の言葉はきつかったが、表情に怒りの色はなかった。むしろまんざらでもない様子だった。俺の腕を離す気配もない。
しかし、その手はすぐさま離れることとなる。見られたくない相手に見られたからだ。
「おう。枢木と大道じゃねーか。学校にいた時は随分と世話になったなー。ってかお前ら付き合ってんの?」
古畑だ。僕をいじめていた張本人のあいつだ。
取り巻きたちはおらず、古畑もまたカノジョと一緒に来ているようだった。「ちょっと誰こいつら。知り合い?」とギャル口調で喋るカノジョは見たことがある。同じ高校の生徒か。
予想もしていなかった展開で僕は返す言葉を見つけられずにいた。それどころか頭の中に浮かぶのはいじめられていた時の記憶。走馬灯のように蘇ってきて、口内にレバーの味が広がった。屋台で焼き鳥なんて食べてないはずなのに。
——落ち着け将一。僕はなんのために今まで理央と過ごしてきたんだ!? 強くなるためだろ!? ここで逃げてちゃダメだ!
内なる自分が奮い立たせようとするが足は竦み、一向に僕の口が動く気配はなかった。
「そうよ! 将一は私のカレシよ!!」
代わりに答えたのはほかならぬ理央だった。小刻みに震えながら言う彼女を見て、釈然としない気持ちになる。どうして僕が先に言えなかった?
「はっは! ウケるな! 枢木が女々しい男が好きだったなんてなぁ!」
「女々しい男好きとかマジセンスないんだけどー」
二人で批難してくるが、否定のしようがない。この期に及んでも日和ってなにもできなかったのだから。拳を握ることしかできないでいた。
——僕は今までなにをしてきたのか。
強くなるために理央と一緒にいたはずだった。それなのに僕は見返すチャンスが来たにもかかわらず、女々しい姿をさらしている。強い者に口で逆らわず、一人称も弱々しい僕だ。
いつの間にか理央といる時間が楽しんでて、僕はそれを味わうことしか考えていなかったのか。
力なんてもうどうでもよかった。見た目だけでも雄々しく、カッコよく生きられるようになれればそれでよかった。初心を忘れていたんだ。とんだ腑抜け野郎だ、僕は。
「ってか大道も大道だよな! そんな暴力ゴリラ女のなにがいいわけ? 女の子は中身も可愛くなくちゃなぁ?」
うんうんと頷く古畑のカノジョ。二人は自責している僕ではなく、理央に標的を絞った。
「カノジョの方、可愛いのに中身は暴力ゴリラなの? ギャップ萎えなんだけどー可愛くなさすぎー」
——違う。君たちはなにもわかってない。
理央は暴力ゴリラなんかじゃない。見た目も中身も、れっきとした女の子なんだ。それを僕が……いや俺が一番よく知っている。
俺も最初はライオンだとか強い女の子だとか思ってた。でも、理央は男をよく知らない
何度も投げられ、何度も殴られて俺はそれを身をもって知った。お前が退学でいなくなった後、ずっと俺は見てきたんだ。気付いたら自然と目で追ってしまっているほど見てきたんだ。
お前らに理央のなにがわかるんだ。
「あ、そっか! 枢木みたいなゴリラがいればもう俺たちみたいなやつにいじめられなくなるもんなぁ! よかったな、大道! 可愛げないけど強くてゴリラなカノジョができて! はっはははは!」
古畑とカノジョが腹を抱えて笑っていた。見るに堪えない光景だった。
ちらと理央を見た。今にも咽び泣いてしまいそうな顔をしていた。彼女は今、古畑たちに傷つけられている。腹の底から憤りを感じる。自分が痛めつけられていた頃の何倍もの憤りだ。
——俺はそれをただ黙って見ているだけなのか? 俺はカレシとしてそれでいいのか? このやり場のない憤りを抱えたまま、こいつらがいなくなるのを待つのか? その後に俺は理央にどう声をかけるんだ?
「ライオンは大切なものを守るために牙を剥く」。だとしたら俺がやるべきことは……わかっているはずだ。
勇気を振り絞れ、俺。もうこれ以上理央に悲しい顔はさせたくない。止められるのはカレシである俺だけ。カノジョを傷つける人間を許していいはずがない。
例えそれが僕をいじめていた相手だろうが、たまたま俺の前を通りすがったチンピラだろうが。今やらなければ俺はきっと一生後悔する!! 今こそ俺はライオンになる!!
「俺のカ……ジョ……可愛……だよ……」
「はぁ? なに言ってんの? もっと大きな声で喋れよ」
「俺のカノジョは可愛いって言ってんだよ! そんな保身のために好きになったと思ってるなら大間違いだ! 俺は……俺は理央の中身が好きで! 理央の気まぐれな優しさが好きで! なにより殴ってないと照れ隠しができない理央を好きになったんだ!」
「は……?」
「お前ははぐれることを心配して俺の腕を掴んだ理央を知らない。なにも知らない、関わったこともないお前になにがわかるって言うんだ! 人を勝手に決め付けるお前みたいな人間に!! いいか!? 俺はいくらいじめられても、女々しいとバカにされても構わない! だが、理央のことをバカにするなら許さない! だから今すぐその言葉…………撤回しろ!」
我慢の限界だった。俺は捲し立てているうちに古畑に詰め寄って睨み上げていた。自分から古畑に近づいていったのだ。
「テメー……ちょっと手を出さないでいてやったからって調子乗ってんじゃねーぞ! おらぁ! 大道の分際で俺に口ごたえすんじゃねーよ!」
古畑に胸ぐらを掴まれ、頬に猛然一撃。パンチがヒットした。
「将一!」
口から汚物を出すかのように唾を吐き出す。何ヶ月ぶりかに食らった古畑の一撃は俺にとっては肩透かしだった。
こっちはお前が学校にいなかった間、理央の投げを食らい続けてるんだ。お前が気を失った投げをずっと。このくらいの痛み、彼女の心の傷に比べたら屁でもない。
「手、出さないで! これは……僕の……いや俺の戦いだ!」
「なにカッコつけてんだよ!? オラ! オラァ!」
胸部、腹部へとさらに拳が見舞われる。ところどころガードしても痛みはある。でも、もう自分への痛みも傷も恐れない。大切な人が傷つけられているのを黙って見てるよりもマシだから。
「撤回……しろ! 俺は撤回するまで折れない!」
「なんなんだよ!? なんでそんな目してるんだよ!? 早くいつもみたいに女々しい顔見せろよ! 見せろってんだよぉ!」
古畑の語勢が弱くなっていく。上からものを言っていたのが、懇願するかのような態度に変貌していった。それはまるで小学生が駄々をこねているかのよう。
蹴りが見舞われたって、肘打ちを食らったって俺は古畑を睨み続けることだけはやめなかった。それが徐々に効き始めたのかもしれない。
「撤回……しろよ」
何度殴っても蹴っても倒れず表情一つ変えない俺に恐れをなしたのか、古畑の手がぴたりと止まった。
「撤回しろ」
両手で古畑の肩を力強く掴んだ。今までやり返しも掴みかかりもしなかった俺が初めて彼に触った瞬間だった。掴まれた古畑はなにが起きているのかわからず目を泳がせるだけだった。
「撤回しろって……言ってんだよ!」
相手は俺の変わり様に放心している。今がチャンスだ。握り拳を上げ、撤回を求める。
これで謝らないなら俺は理央のために拳を振ろう。カノジョの痛みを俺が払う。それがカレシとしての今の俺の役割だから。
「もういい!!」
古畑からの謝罪の言葉を求めたはずが、聞こえてきたのは制止する理央の声だった。
「理央……?」
「もういいって言ってんのよ! 私たちは今日なにしにここに来たのよ!? 花火見るためでしょ!? 今日来たのは将一に喧嘩させるためじゃない!」
「うん……」
振り上げた拳を収める。同時に古畑を掴む手も下ろした。自分はなにをしようとしていたのか。一瞬わからなくなった。古畑を殴ったって理央の表情が晴れるわけじゃないのに。
「わかったらとっとと観覧席に行くわよ!」
理央が再び俺の腕を掴んで歩き出す。尻目に古畑の様子を見ようとしたがすぐさま人ごみに飲まれて見えなくなってしまった。
古畑に勝ったと言えるのかはわからない。スコアのあるスポーツ形式で喧嘩の内容を評価するならボロ負けであろう。
でもこれだけは言える。
「俺」は「僕」に勝ったってことだけは。
*
観覧席を目指していたが、どうしても体が痛かった。不意に足を止めてしまう。
殴られている時はなんともなかった。なのに二人きりになった途端に気が抜けたのか痛みがぶり返してきた。
仕方なく、近くの木の下で休ませてもらう。花火の打ち上げまでまだ時間がある。俺は木にもたれかかるように尻から腰を下ろした。
「大丈夫? なにか食べ物……は無理だよね。飲み物とか買ってこようか?」
ひどく心配した様子で理央が顔を覗きこんでくる。「心配すんなよ」なんて口で強がってもあっさりバレてしまいそうだ。
「焼き鳥のレバー……買ってきてもらおうかな?」
すぐ近くの焼き鳥の屋台を指差した。理央は黙って頷くと早足に屋台へと向かった。
数分後、再び駆け足で彼女が戻ってきた。
「そんなに急がなくてもいいのに」
「うっさい! 目を離した隙に将一がどっかにいかれたら困るし」
理央が手に持ったトレーの一つを手渡す。そのまま彼女は隣に腰かけた。
「なんで?」
「ホント、そういう察しの悪いところ嫌い!」
座ったと同時にそっぽを向いてしまう。どうやら理央の中での俺はあんまり成長してないらしい。どんなにカレシっぽくカッコつけても結局、俺は僕のままだったのかもしれない。
「ほら、食べなさいよ。私のおごりでいいから」
相変わらずぶっきらぼうな言い様だ。さっきの悲しげな顔はなんだったのやら。
俺は黙って串を取り、レバーを見つめた。見かけはほかの焼き鳥と寸分違わないただの串焼き。恐る恐る先端の一つを口に含む。
「どう? 美味しい?」
「ごめん。わからない」
「はぁ? あんた、せっかく私のおごりなのにわからないで済ませるわけ!? そこは嘘でも美味しいって言っときなさいよ!」
目を見開いて怒声を放つ。その後、「労って損した」と理央が小声で呟いた。そっか、労ってくれていたのか。やっぱり優しいな、理央は。
「本当にわからないんだ。さっき殴られた時から口の中血の味だったから」
「じゃあなんでレバーなんて頼んだのよ!? 他にも買ってきてたからいくらでも交換できたのに」
理央が手に持つもう一つのトレーにはねぎまやら砂肝やらぼんじりやらと様々な種類の焼き鳥が載っていた。全く、なんでこんなところだけ気を遣えるんだか。もっとほかのことに気を遣いなよ。
「今なら食べられると思ったんだ。いじめられていた頃は口が切れた時の味を思い出させるから嫌いになっちゃってたけど。でも理央のために一歩踏み出せた俺なら大丈夫かなって。そしたら今は口が切れた直後で味がわかんなかったよ」
「バカ」
しゃがれた声が儚く響く。いつもは短く「バカ」と荒く言い放つ理央。短い言の葉に一体どれだけの想いをこめて言ったんだろうか。普段とは違う言い方にそんな妄想を膨らませていた。
「やっぱり俺ってバカなのかな」
そう言った途端に——理央が両肩を掴んできた。聞こえてくるのは
「バカよ! 大バカ! なにが俺の戦いよ! カッコつけて、バカなんじゃないの!? バカ! ホント、バカ! 私がやればあんなの瞬殺だったのに!」
一人で嫉妬に迷走してカレシとしての面目躍如なんて考えてたのは自分でもバカだなと思ってた。けど、そんな連呼しくてもいいでしょ。心はまだそんなに強くなってないよ。
俺はそっとはにかんで見せた。今できる精一杯の強がりだ。
「それじゃ意味ないんだよね……俺、ライオンにならなきゃだし。誰かを守るためにこそ牙を剥かなきゃだと思ったし」
「だからって将一が殴られる理由にはなんないから! 将一が人に暴力振るっていい理由にならないから! 私がやってれば……」
あの時止めたのは暴力を振るって欲しくなかったかららしい。自分は散々投げたり殴ったりするのにとんだわがまま娘だ。弟子入りもだから拒んだのだろうか。
そんなことを思いながらより一層笑ってみせた。こうでもしてないと理央の優しさが心の傷に沁みて泣いてしまいそうだったから。
「ほら、理央立ち竦んでたじゃない? 理央が本当はかよわい女の子だって俺は知ってるし」
理央の手から力が抜けていくのがわかった。彼女が俺の胸の中で泣きじゃくりだす。
「怖かった! 辛かった! でもだからってあんたが自分から危険な目に遭うな! 心配させんな! 私がどれだけ心配したと思っているのよ、バカ将一!!」
俺の胸をいつもの百分の一にも満たない強さでボカポカと叩きだす。そんな彼女が可愛いらしくもあり、微笑ましくもあり、もらい泣きしそうな気分だった。
「泣きたいのは俺の方なんだけどな……あ、理央、花火。綺麗だよ。泣いて見逃すのはもったいないよ? ほら、泣き止んでよ」
「誰のために泣いてると思ってんのよ、もう! で、花火どこ!?」
「ハハ……ごめん、まだだよ。泣き止んで欲しくてさ」
「今、そういうキザなセリフはいらないからぁ!」
理央は花火が始まるまで俺の胸を叩き続けた。何度も何度も、弱く叩き続けていた。
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