02 トルネード
紺碧の海の上に白い澪を引いて、フェリーが島の港へと入っていく。ぶおーっ、と低い汽笛が二回、龍ノ背の山並みに響いた。
おれは思わず、ケータイのカメラのシャッターを切った。隣でハルタもデジカメを取り出して、何枚も何枚も、写真を撮っている。
スバルさんは、得意げに小鼻をひくひくさせた。
「絵になる景色だろう? ここ、龍ノ尾崎の灯台から見る龍ノ原港は、どんな天気のときもカッコよくてね。このタイミングに間に合ってよかった」
龍ノ里島の南の突端、龍ノ尾崎の灯台は、黒々とした断崖絶壁のギリギリのところに建っている。ちょっと変わった形をした灯台だ。円筒じゃなく、細長い直方体。色は真っ白で、空の青と海の青、山の濃い緑に映えて凛々しい。
フェリーの時間が迫っていたから、山手に建つ風車の見学を後回しにして、先に龍ノ尾崎にやって来た。途中の山道にも、龍ノ神の祠があった。スバルさんは、週に一回か二回、祠の掃除をしているそうだ。龍ノ原の長老みたいな人に頼まれているらしい。
龍ノ尾崎の灯台の屋上は、とにかく風が強かった。港とフェリーの写真を撮った後、吹き飛びそうなデジカメを急いでバッグにしまい込む。
「ハルタ、そろそろ下りる?」
カイリが訊いた。ハルタは高所恐怖症の気がある。デジカメをいじり終えると、急に恐怖心を思い出したらしく、そわそわし始めた。カイリはそれに気付いたんだ。
「そうする! おれ、先に下りるから!」
勢いよく宣言して、ハルタは身軽に逃げ出した。螺旋になった階段を、二段飛ばし。ピョンピョン弾んでいるくせに、足音はほとんど立たない。
スバルさんが感心した。
「すごいな、あの動き。ハルタくんは運動ができると聞いていたけど、全身の筋力というか、バネが違うね。うらやましい」
「ですよね。ぼくと同じ遺伝子のはずなのに、ハルタだけがあんなふうに動けるんです」
「ユリトくんも、スポーツができるんだろう?」
「人並みですよ。ハルタに勝てる種目、一つもありません」
階段の下からハルタが叫んでいる。
「兄貴たち、何やってんだよー! 早く下りてこいよー!」
勝手なやつだ。カイリが肩をすくめて、階段を下り始める。おれとスバルさんも続いた。本当は灯台の機械室も見てみたかったのだけれど、そこの鍵はスバルさんも預かっていないらしい。
灯台の電源は、断崖絶壁の下に設置された海流発電でまかなっている。海流発電は、水没させた水車を海水の流れによって回して、その回転エネルギーを電気エネルギーに変換する発電方法だ。風力発電の海中バージョンみたいなイメージでいいと思う。
潮風が吹き荒れる岬の突端で、丸太の柵越しに海を見下ろす。牙をむくような高波が、もつれ合うように渦を為している。砕けた白いしぶきが、黒岩の断崖絶壁を駆け上がってくる。
「ここから海面まで、三十メートルくらいだったかな。落ちたらまず上がってこられないから、気を付けてね」
「サラッと怖いこと言わないでくださいよ。でも、本当にすごい速さの流れですね」
「龍ノ里島は、外海に放り出された離れ小島だからね。島を取り巻く海流は、速くて荒い。しかも、この龍ノ尾崎の岬の下にはいくつもの海底洞窟があって、そこを通り抜ける海水の流れがあることで、この複雑な渦潮がいつでも発生している」
「じゃあ、風力発電で例えるなら、この海の下はいつでも大嵐なんですね。水車を設置するのも、壊れないように維持するのも、ずいぶん大変でしょう?」
「もちろん人間が作業するわけにいかないから、海底で作業できるロボットを操作して設置したんだ。メンテナンスにもロボットを使ってるよ。宇宙空間で使う作業ロボットのテストも兼ねているんだ」
「宇宙開発の技術が海底でも活かされるって、カッコいいですね。そのロボットの作業風景、いつか見てみたいです」
おれとスバルさんは崖の柵のそばで話をしていたけれど、ハルタは下がのぞけるところへ近寄ってこようともしない。カイリをつかまえてしゃべっているのが、相変わらず、おれをイライラさせている。
「カイリ、これ見ろよ! じゃーん! おれのプラモート。速いんだぜ」
「ハルタも持ってきてたんだ? ユリトのマシンと、雰囲気が違うね」
「えっ、兄貴のシュトラール、見たことあんのか?」
「うん。ハルタのマシンは、何ていう名前?」
「トルネードっていうんだ。兄貴のマシンと違って、モーター選びからギヤ比まで全部、スピード重視のセッティングさ」
ハルタは、プラモートのセッティングについて、とうとうと語り出した。そんなマニアックな話、きっとカイリには一つもわからない。でも、カイリは大きな目をキラキラさせて、ハルタのトルネードに見入っている。
「きれいな形。ハルタっぽいデザインだね」
「カッコいいだろ? 本気出して塗装したからな」
トルネードのボディは白地で、青をベースにしたカラフルなラインが走っている。無秩序なようでいて案外きちんとした色の配置になっているのは、ハルタの動物的な勘の良さが為せるわざだ。
スバルさんもプラモートに興味を引かれたみたいで、ハルタのほうに歩いていく。取り残されるのはむなしいから、おれもため息交じりで追い掛けて、ちょっと離れたところで立ち止まった。
ハルタがトルネードを太陽に掲げてみせた。プラスチック製のコクピットが、陽光をキラリと反射する。
「レーサーになりたいっていう夢を、最初に見せてくれたのがトルネードなんだ。全速力で走ってるときのトルネードの前には、すっげー景色が広がってる。チップの再現映像で初めてそれを知ったとき、いつか自分の目で本物を見たいと思った」
スバルさんがニコニコして応じた。
「なつかしいな。ぼくが昔ハマっていたころに比べて、ずいぶん凝った装備を施すようになっているんだね。チップの技術もすごそうだ。久しぶりに、プラモートをいじってみたくなったよ」
「龍ノ里島の一つ隣にあるデカい島なら、売ってるみたいだぜ。品ぞろえのいいホームセンターがあるんだろ?」
「ああ、あそこに売ってるのか。ハルタくん、どうして知ってるの?」
「とうちゃんのパソコン使って、ネットで調べた!」
ハルタが言っているのは、プラモートのファンが情報提供する無料のサイトのことだ。全国どこにある模型屋やホームセンターでプラモート関連の商品が買えるか、その店の住所も含めて掲載された、有志によるまとめサイトだ。
小学校のころは、家族で旅行や遠出をするたびに、必ずハルタと一緒に模型屋巡りをした。プラモートが一台あれば、おれたちは、どこに行ったって人とコミュニケーションが取れた。
スバルさんがハルタに提案した。
「明日あたり、漁船に乗せてもらって隣の島に買い出しに行くんだけど、ハルタくんたちも一緒に行こう。ついでにホームセンターも寄ってみようと思うんだ。ぼくも一台、プラモートを買いたいな。アドバイスもらえるかな?」
「よっしゃ、もちろん引き受けた! どれくらいの品ぞろえなのか、すっげー楽しみだな! おれも実は、シャーシを買い直そうと思ってんだ。トルネードのシャーシ、スイッチのとこが甘くなってて」
「スイッチ?」
「車体の裏のこれ。オフのほうのツメが折れてて、カチッと止まりにくいんだ。で、ちょっとした衝撃で走り出したり。こないだ、学校帰りにカバンの中でいきなりウィィィンってなって、かなりビビった。だよな、兄貴!」
ハルタに満面の笑みを向けられた。いちいち無神経なハルタの言動に、イライラの水位が上昇する。
まずい。このくらいでイライラしていたんじゃ、ハルタと一緒になんていられない。わかっているはずなのに、うまく感情をコントロールできない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます