秋は短し

深水えいな

第1話

 秋田の秋は短い。


 稲刈りの時期だというのに、夏のように暑い時期が続いたかと思えば、それが終わるとすぐに、白鷺しらさぎの舞い降りるがらんとした田んぼに、北風が冬を告げにやってくる。


 秋田県の日照時間は日本一短いと言われている。それは十月だろうと例外ではなく、行楽に適した秋晴れの日なんかそうそうありはしない


 そんな白けた空の下、カラカラに乾いた落ち葉を踏みしめ、私は駅前を歩いていた。


 古めかしいブティックのウインドウには、色とりどりの秋色の服が並んでいる。


 もう何年も秋物の服なんか買っていないな。だって秋物なんか買っても、どうせすぐに冬になってしまうんだし。


 ファッション雑誌に出てくる、東京のモデルが着ているみたいな服を着るには、ここは少し寒すぎる。


 昔は、秋物の服が好きだった。遠くそびえる鳥海山ちょうかいさんの、その紅葉を集めて煮だしたような、そんなワイン色や、からし色、臙脂えんじの服を私は愛した。


 しかし、秋田の秋は短い。

 そんなお気に入りの服たちも、暑さが終わればすぐに寒くなるこの地では、一度も袖を通されることなく仕舞われることも少なくない。

 

そのうち私は、秋物を買うのをやめてしまった。

 一度も袖を通されることなく仕舞われる秋物を買うくらいなら、確実に役に立つ、防寒重視の冬物を買ったほうが合理的だから。

 そうしてクローゼットの中には、季節を問わない、黒や灰色の服ばかりが増えていった。


 薄曇りの空に、息を吐く。いつから私は、こんな風にリスクをとらない生き方ばかりするようになったのだろうか。


 昔はもっと、いつか都会で暮らしたいだとか、今とは違う別の生き方をしたいだとか、そんな夢を持っていた。

 でも今では何をするにも、今からじゃ遅すぎるんじゃないかと考えてしまう。


 かじかんだ赤い指をさする。

 そろそろストーブを出さないとな。

 そう思い空を見上げると、厚ぼったい雲から、急に1滴の雨が額に落ちてきた。また雨だ。嫌だな。


 私はずぶ濡れになりながら目的の場所、秋田県立美術館へと急いた。




 美術館では、今話題のアニメ映画の原画展を開催していて多くの学生たちで賑わっていた。

 それを横目で見ながら私は螺旋階段を上がる。私の目当てのものは二階にあった。


 『秋田の行事』


 画家・藤田嗣治ふじたつぐはるが春の梵天ぼんでん祭や、夏の竿燈といった秋田の四季を描いた大壁画だ。


「あれ? あなたは……」


 しばらく『秋田の行事』を見ていると、若い男性が話しかけてきた。学芸員の吉田さんだ。


「この絵がよっぽど好きなんですね」


「……ええ」


 私はこの絵を見るために、毎週のようにこの美術館に通いつめているのだ。


 そして三時半になると、彼はいつものように『秋田の行事』の前で話しはじめた。


「この壁画が描かれたのは1937年。縦3.65m、横20.5m、制作当時世界一の大きさを誇っていたこの壁画は、親交のあった平野家の米倉で、わずか十五日間で書き上げたと言われています」


 三十分ほどの解説が終わり、観衆が去っていく。


 すると小学生くらいの男の子が母親にこう話しているのが聞こえた。


「秋田の四季を描いているっていうけど、夏以外はみんな雪景色だね。まるで秋田には夏と冬しか無いみたいだ」


 


 美術館には、展示室の他にも土産物屋が併設されたカフェがある。

 

 ここから見える景色が私は好きだ。

 大きな窓の外には水庭があり、そこに外の景色が鏡のように映るのだ。

 しかし今日はあいにくの雨。がっかりしていると後方から聞き慣れた声が降ってきた。


「おや? またお会いしましたね」


 吉田さんだ。私は尋ねた。


「お仕事は終わったんですか?」


「いえ。でも、どうしても欲しいものがあって。閉館してしまえば買えないですからね」


 彼が手にしていたのは『秋田の行事』のレプリカだった。


「実は、ここでの勤めは今日で最後なんです。岩手の実家にいる母が倒れてしまいまして。ここをやめて実家に戻ることになったんです。だから離れていても『秋田の行事』が見れるように買おうかと」


「……そう、なんですか」


 ふいに吉田さんは窓の外を指さした。


「あっ、見てください。雨が上がったようですね」


 そこには雨上がりの日差しに照らされた千秋公園と、それを映し出す水庭があった。


 ――秋田の秋だ。


 絵の具を気まぐれに落とした様な、鮮やかな赤や黄色。キラキラと輝く秋田の秋が吉田さんの瞳に映る。吹き抜ける、爽やかな秋の風。


「こんなに晴れるなんて、珍しい! そうだ、写真でも撮りましょうか。秋田の秋は短い。しっかりと捕まえておかなくては」


 吉田さんは鞄から一眼レフを取り出すと、その光景を写し、満足そうに頷いた。


「僕が初めて岩手から秋田に来た時、ああ、なんて雨ばかりで、風が強くて寒いんだろう。同じ東北でも太平洋側と日本海側でこんなに違うものかと驚いたんです」


 遠い目をする吉田さん。


「でも、最近は思うんです。秋田の秋は、短いからこそ美しい。雨ばかりだからこそ、晴れた時の美しさが引き立つんじゃないかって」


 そう言う彼の表情は、秋の日差しのように柔らかい。


「――そろそろ行かなくては。……さようなら。僕がいなくなっても、この絵をよろしくお願いします」


 彼は笑い、去っていく。


 私はぼう然としながら、店頭に飾られている『秋田の行事』のレプリカを見つめた。


 なぜだろう、胸が苦しい。


 私は、この絵を見るために毎週のようにこの美術館に通いつめていた。

 なぜそんなにこの絵が見たかったのか自分でも分からなかった。


 でも今、ようやく気づいた。思い入れがあったのは絵ではなかったことに。


 私はただ、あの人の声が聞きたかったのだ。


 衝動のまま、走り出す。


 舞い落ちる木の葉の赤。彼が立ち止まる。スローモーションの様に流れゆく季節。短い中、咲き誇る秋。私は思いを口にした。


 秋田の秋は短い。だからこそ、美しい。

 色づき始めるその短い秋を、逃がさないうちに。

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秋は短し 深水えいな @einatu

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