秋は短し

作者 深海 映

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★★★ Excellent!!!

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秋田の秋のように、短い恋の物語。

綺麗な文章で淡々とつづられると思いきや、最後でいっきに情熱が溢れ出す。まるで秋の美しさのように、静かでも確かに色づいて次の季節にバトンを渡す――そんな物語!

作中で出てくる秋田の美術館と絵画については、作者の近況ノートで詳しく解説されているので、そちらも合わせて読むと、より一層この物語を楽しめると思う。

https://kakuyomu.jp/users/einatu/news/1177354054882092023

まずは本編を楽しんでから解説を読んでもらいたい。


★★★ Excellent!!!

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秋田の秋がそれほどに短いものだということも、雨が多いのだということも、この作品を読んではじめて知りました。秋田の田園風景や空や風、そのものを感じるような作品で、秋田に行きたくなる気持ちを膨らませてくれるようでした。
きっとこの作品の描写のようにとても美しいのでしょう。実際に行き、触れたくなりました。

★★★ Excellent!!!

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四季というものがある。
日本人にとっては当たり前のそれも、世界という観点から見れば普遍的なものとまでは言い難い。一年中、強い日光が降り注ぐ国もあれば、氷と雪が世界を閉ざす国もある。
この物語は日本の中でありながら、四季の一つ、秋が短いと言われている秋田が舞台となっている。

主人公は、秋田の四季を描いたという絵画『秋田の行事』を見るために足しげく美術館に通う。
そこで出会う学芸員の絵画の説明を聞くことを日課としていた。
ある日、学芸員は実家の母の看病のために美術館をやめ、国に帰ると言う。
彼が去る最後の日、秋田は珍しい「秋の日」を迎える……。

時の流れは止まらない。
時間を止めて、とどれだけの人が願っても、時の氏神が首を縦に振ることはない。
春が来て、夏が去り、秋を迎え、冬を耐え、そして、また春……。
時は決して止まらない。
だからこそ、人間は有限の時を限り無く無限のものに近付けることを願う。
有限を無限に等しくするものは充実であると私は思う。
充実は時を厚みをいくらにでも増してくれる。
だから、人は充実を求める。
充実の内容は人によって違う。
孤高にそれをつかみとる者もいれば、人との関係の中にそれを見出だす者もいる。
この物語の主人公は自分にとって大切な何かに物語の最後に気が付く。
そして、それを求めて走り出す。
物語はここで終わるが、この先には無限に等しい有限があるのではないか。そんな未来を想像させる作品だ。

皆様の限りある時間を使ってでも、一読すべき作品の一つであると思います。

★★★ Excellent!!!

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秋田の土地に対する住まう女性の心情表現から始まる。一瞬で惹き込まれていくけれど、行ったこともない場所なのにこうかなって思い描き、そして一緒に一喜一憂してしまっていた。

この作品をより味わえるように、訪れてみたくなった。その時は秋田県立美術館に足を運んだあとに再読をしたいな。

★★★ Excellent!!!

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このまま終わるのか? と思いきや、とても良いラストでした。

秋特有の、厳しい夏と冬の間にやってくるほっと一息つける季節。
僕も秋は好きです。

ただ、実家が日本海側の雪国──新潟のため、新潟にいた頃は暑い夏が終わればすぐに本格的な冬。秋を楽しむ余裕などありませんでした。

しかし、注意してみればちゃんと秋はあるのですよね。毎年変わらずに。
けれど、どうにも目先のことに集中してしまうと気付けずに冬になる。

そういった気付けない秋、そして主人公の心の気付きが上手くリンクされており、短いながらも非常に読み応えのある作品でした。

少し視野を広くすれば気付くのです。
短い秋めいた風景も、本当の気持ちも。

★★★ Excellent!!!

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秋物の衣服をお召しになる機会が、意外に少ない。
すぐに冬になってしまうから。
ちょっとびっくりのトリビアでした。

そんな秋の短い秋田を描いた絵画にまつわるしっとりと優しい一作です。
この作品自体が絵画のような赴きがありますね。
主人公の女性の心情と、秋田の様々な景色が重なり、心にそっとしまわれるような、そんな作品です。

★★★ Excellent!!!

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秋田の秋の美しさを書きながらも、一つの恋愛ものとして短く纏まっています。

綺麗です。
秋田の風景の描写も、物語そのものも、登場人物も、ただただ、綺麗です。

読まないと絶対に分からない、言葉を超越した美しさがあります。

★★★ Excellent!!!

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戦後、いまやフランス人となったレオナール・フジタが自分を慕ってわざわざ日本からパリまでやって来た若き後輩へ「秋田に行きなさい」とアドバイスしたのは、きっと日本人・藤田嗣治がそこに日本の美を見出したからなのだろう。
時代に翻弄され流浪の人生を送った藤田に、日本人である事をついには捨てなければならなかった天才画家に、そこまでの感銘を与えた「美」とはなにか、この短編はその一端を明らかにしてくれているように思う。

秋の秋田は僕にとっては真空地帯である。
里帰りについて行くのはいつも夏休みか冬休みであって、僕はいまだに秋田の秋を知らない。しかし、夏に感じた秋の気配と冬に感じた秋の名残りは、知らず知らずのうち五感の中に刻み込まれていた。
知らないけれども知っているような、いや、知っていた気がする、寂寞としてそうありながら豊かな実りと鮮やかな色彩の息づく秋。これはひょっとするとDNAレベルで僕たちの中に刻み込まれたものなのではないだろうか?
そう思わせるほどの深遠なノスタルジーが言葉の端々に漂っている。
しかし筆者が後ろ向きな憧憬の世界に耽溺するのではなく、むしろそれを物理的且つ心理的な後景として、慎ましやかな、「恋」としてまだ形をとる前の、大人の小さな心模様を描き出した事にこの小説の最大の魅力があると感じた。

ちょっと自分語りが過ぎました?
あやしかだねことーぶじょほしたんし。