第5話 いつまでも消えない暴言。

『本当になんなのよ! デリカシーのない男サイテ~……』

 錆びた鎖と器具が擦れブランコの悲鳴が真夜中のマンションの敷地に響く。


『あ、焼きそばパン置いてきちゃった。もうホント最低……』

 カノジョはブランコに揺られ、頭を下げしょんぼりとするが徐ろに何かを決めたように立ちこぎをしたかと思うと、おもいきりジャンプをした。制服のチェックのスカートが風に乗り、ふわりと膨らむ。月明かりに照らされる長い睫毛の彼女の横顔は何かを決断した顔になっていた。それは儚さと美しさが共存する脆さだった。月は雲の隙間にかくれんぼをして怪しくその雲を縁取り、電灯の光でブランコの影を濃くする。その真下に立ちマンションを見上げる彼女の足元に影はなかった。




 キッチンで弁当箱に御飯を詰め、もうひとつの容器に昨夜の残りのおかずをいれる。もうすっかり主夫だ。甘い卵焼きも手馴れたものだと自らも笑ってしまいそうになる。


「お父さん、おはよ……」

「おお! やっと起きてきたか! おはよう…… シュウ、お前さん、すごい頭してるな~、シャレになってない寝癖だぞ! あとしっかり顔も洗ってこい! それから飯食ってけよ!」

「……あああ~、うん。分かってるよ……」

 後頭部に寝癖の花を咲かせ目をショボショボさせシュウが起きてくる。その後をお供のエドワードがのそのそと着いてくる。これも毎朝の恒例行事だ。大あくびをして一度廊下に戻ると洗面所に入るシュウ。それをよそ目にエドワードは俺の隣でダラっと右足を崩しだらしのないお座りをして「飯くれ! 腹はたいして減ってはいないがオマエがどうしてもって言うなら食ってやってもいいぞ? ほら出せ! 今出せ!」と、無言の圧力をかけてくる。朝は忙しいがこれも日課で、

「ん……メシな? ちょい待てよ? これ詰め終わるまで後少し待てよ!」

 そう頭を撫でるとエドワードは耳を左右に広げ、きゅっと目を細める、それ以上は催促せずにリビングのソファーに短い脚を器用に使い飛び乗り窓の外を見る。お利口さんになったものだ。昔は、ごはんを貰えるまで部屋中を走り回ってうるさくて仕方がなかった。小さな体でもパワフルで新聞の束に突っ込んでみたり玄関の傘を倒してみたりと、それはまあ手のかかる子供(犬)だった。ちなみに俺はコイツを犬だと思ったことは無い。手のかかるガキだと思っている。想像以上に人の言葉を理解している気がしてならんのだ。まあ、それはともかくコイツはきっと俺を「変わった犬種」くらいに思っているのかも知れないとすら思う。

 

 もし、ユウが生きていたら。一番愛して、一番愛されていたのだろうと考えると腹の奥が熱くなった。生前「何かを飼いたい!」って言っていたから、やっぱり後悔している。生き物を飼ったとして最初こそ皆で可愛がるものの次第に慣れ、全ての面倒は妻がみる、なんてどこの家庭でもありえる話ではないだろうか? それが嫌でなかなか踏ん切りが付かずに飼えず終いだった。

 ユウはきっとそれでも良かったのかも知れない。そう考えるとキリがないのもよく理解している。死人に口なし…… よく言ったものだよ。本当にな。


 今日は学校に行く日だ。学校は部活動の学生達の声が校庭から元気よく響く。暑いのなんのって、その全てをぶっ飛ばす若さが俺は羨ましい。


「おはようございます。菅原センセ」

 髪を横に結び爽やかな笑顔の保険医の夏目センセイがマグカップに冷たい麦茶を入れて持ってきてくれた。


「顔色あまりよろしくないですよ? 水分補給はしっかりしてくださいね? 麦茶は身体を冷やすお茶ですからちゃんと飲んでくださいね?」


 その言葉に一瞬だけ何かを思い出しそうになった。だが、それが何かを考える前に定例職員会議が始まった。まあ、いずれ思い出すだろう。


 *****


「菅原くん! ねえ? 話聞いていましたか? 菅原くんの頭はもう休みの彼方ですかねえ?」

 

 中学一年生の夏休み前日。担任の先生の声が教卓側から聞こえてきて、俺は目をぱちくりとして我に返った。生徒のくすくすと聞こえる笑い声に混じって、窓を震わせ蝉がうるさく鳴く。


「明日から夏休みだ! って言っても部活ばっかで…… 遊びに何日行けんだろ?」なんて考えながら鞄に荷物をぐちゃぐちゃと無造作に詰め込み、俺は嫌味な程に青い空を窓からを見る。どこまでも青い夏の空に濃い綿菓子みたいな白い入道雲が広がっていた。


「ねえ? 菅原くん? ……もう ……センセイが言うみたいにホントに頭の中すでに夏休みに行っちゃった? 菅原くん」

「……あ〜?」

「あ〜? じゃないでしょ? 遊びに行くって約束! 忘れてないよね? テスト勉強する時に言ったじゃない! まさか……忘れてないよね?」

 赤い髪の清瀬ミナが俺の隣で頬をつつき睨みつける。面倒くさい! なんて言っちゃ悪いが、それが本音だった。


「あ〜 そういやそんなこと言ってたっけ?

あ~ うん、時間あったらな?」

「そういうこと言う時はだいたい面倒くさい! って思っているでしょ! もういい!

夏祭りだけそれだけでいいから! 絶対だからね!」

「だけって…… オマエ何箇所、行く気だったんだよ?」


 面倒くさげに答える俺の声は、既に清瀬ミナの耳には入っていないみたいだった。廊下にうじゃうじゃと蠢く女子の塊が清瀬ミナを迎えに来ていた。


「ミナ~! 帰るよ! カラオケ帰りに行くって言ったじゃん!」

「あ〜! うん? ごめ~ん、すぐ行く! ねえ! 菅原くん! 絶対だかんね!」

「お~……」


 女って奴は1人で帰れないのかよ? ぞろぞろぞろぞろ、群れるの好きだね〜 夏だっていうのに。すげえ暑苦しい。


「カズ! 部活行くぞ〜!」

「おお! すぐ行くよ!」

 廊下で俺の名を呼ぶ部活仲間の声が聞こえ俺はその声に振り向き、荷物を抱え教室を慌てて出ていく。


「菅原くん、もう部活行くんだ。今日で学校最後だし見に行こうかな? でも人気だから、難しいか……」

 大きく溜息を吐き、淡い色の髪を揺らし菅原 和将の後ろ姿を教室から眺める。


「焼きそばパン、渡せるといいんだけどね……って、もう食べちゃおかな……」

 コンビニの袋に入った焼きそばパンをそっと覗き、カノジョは窓から菅原がいつもボールを追う校庭を見て、焼きそばパンの袋を開けてパクッとかじりついた。


「おいしい! 菅原くんはこれが好きなんだね…… なんかわかる気がする」

 カノジョは焼きそばパンを食べながら、ぽろぽろと泣く。好きって気持ちは伝わらない。言わなきゃ伝わらない。それが分かっても先に進めない、淡く切ないのが恋。好きになればなるほどに苛立つのは自分の不甲斐なさ? そうじゃない、想いが辿り着けないのがきっと苛立つのだ。青春はこの空のように青いのだ。



 *****


 剥がれていく壁のように、自分の想いは重いのだよ。甘酸っぱいね、恋愛ってのは。


 揺れる電車の中で、遠く伸びる大きなビルを眺めて俺は目を細める。電車を一本逃したせいで満員電車に揺られることになった。エアコンは効いているのか? 蒸し暑い車内で車で行くかをいつも悩む。自転車で行くのも良さそうだなと本気で考えた。最寄り駅に着き体力が落ちてきていることに、俺は若干落ち込んだ。


「メシ、なんにしよう…… 昨日は炒め物で先日は素麺で。じゃあカレーとか…… うん、そうするか」


 おっさんになると、ひとりごと増えてイカンな。階段を降り、改札を出て、カードケースをポケットにそっと差し込む。徒歩で十五分の家までの道のりは、緩やかな坂があり、スーパーやパン屋がいくつかが建ち並ぶ小さな町。親の残してくれたマンションは古くてもふたりであれだこれだと家具を選び、ささやかな愛を育むのに贅沢な程だった。まあ、それは俺の想い出だが。ユウはどう思っていたのかな?


 ユウを失って俺はまるで、両眼を失ってしまったほどにあの時は荒れたものだった。両親も親友も兄弟もそんな俺を押さえつけて、後を追わないようにと必死だったそうだ。


 人は当たり前のようにあるモノが無くなると焦り、やがて心がイカレていく。夢であって欲しかった。嘘だと笑って欲しかった。


 夕方の赤い橙の光がリビングから玄関に向かって長く伸びる。玄関の扉を開けて、玄関先まで迎えに来たエドワードの頭を優しく撫でて俺は呟くように言葉を吐いた。

「ったく、馬鹿野郎が……」


 廊下伝いに逆光の黒い影のように見えるリビングの椅子にカノジョが変わらない姿で座ってこちらを見ていた。






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