第7話 土足の心。

 嗚呼、午後からの日差しが暴力的だ。

 俺が何したって言うんだよ。いや、何にもしてないのが問題か? そうなんだろうな。きっと。昔から俺は何もしなかった。面倒だと思う、悪い癖。


「また今度な?」の、今度は永遠にやってこない。


 ―――俺は、そんな奴だった。



「ねえ、菅原くん! 夏祭りの約束は忘れてないよね?」

 部活が終わって自転車で帰ろうと、自転車長屋で荷物を詰め込んでいる時にミナと数人の女子に声を掛けられ囲まれた。何故こうなるのか? 約束をした覚えのない約束。ミナ曰く、テスト勉強の自習をやっている時に「夏休みにどこか行こうね!」と、ミナが言っていたそうだが、俺の中ではそんな約束の記憶には1ミリも残っていなかった。どうせ俺の事だ。カラ返事をしたに違いない。


「あ~ ……」

「また、その、あ~ なの?」

「ねえ~ 行ってあげなよ!」

「行くのが嫌とかじゃなくて…… 部活があるんだよ!」

「祭りは夜行くもんでしょ!」


 そういうもんか? 昼じゃダメなのか? なにより行かなきゃいけないのか? 無理して行くもんなのか? それにしても暑苦しいな、部活もない癖にこの人数で学校まで来るとかヒマの極みだな。いや、褒めちゃいない。貶してるんだ。


「その気になれば行くんじゃないの?」

「……その気ってなんだよ?」

「ミナと付き合っちゃえよ! 菅原!」

 ミナと俺が? はあ? ……あとオマエ、誰だよ? 呼び捨てにしやがって!


「今、菅原、あからさまにイヤな顔しなかった?」

「……面倒くさいな。そういうのは本人が言うもんだろ? どうして外野がそういうの言っちゃうかな?」

 俺の顔から一瞬にして笑顔が消える。 馴れ馴れしい事が苛立つんじゃない。出しゃばる事が気に入らないんだ。数人の女子共は驚いた顔になり、なにも言い返さなくなっていた。ミナはバツが悪そうに下を向いている。だがな、良い事を教えてやろう! 最もらしい言葉を言った俺本人が驚いたよ!


「ねえ…… もういいよ! 帰ろうよ!」

 さすがのミナもこの空気に耐え切れなかったのだろう。空気の読めないツレをもってご愁傷様だったなと、少しだけミナがかわいそうに思えた。ミナの言葉に女たちはこの場から早く立ち去りたいと言わんばかりの表情で各自、顔を見合わせていた。


「ミナ! まだ夏祭りに行く気があるなら電話してくれよ?」

「いいの?」

「ああ…… なんかごめん!」

「ううん! 大丈夫だよ! こっちもごめんね」

 俺の何気ない言葉にミナはしょんぼりして俯きかけた顔を上げ、泣き笑いをして大きく手を振って帰っていった。なんで泣くんだよ? 女心はまだ中学生の俺には分からなかった。


 今だって、どうだか分かっちゃもんじゃないか……



 あの時のユウの顔は本当に俺の事を分かっていない顔だった。口数が元々少ないユウが弾丸のように一方的に言い寄られたら、ああなるのが分かっていた筈なのに。それに、ユウの記憶は学生のまま。自分が死んだ事に向き合えていない? いや、きっと死んだ事も分かっていないのか? でも…… じゃあ、あの時の笑顔はなんだよ? 橙の夕焼けの色に染まったリビングの彼女の笑顔は、俺にいつも向ける困った顔で笑う、あの笑顔だったんだ。帰ったら…… 今日は居るんだろうか? 居たなら聞きたい事が沢山ある。それから、言えなかった言葉がいっぱいあるんだ。


「菅原センセ? ……顔色悪いですよ?」

「ああ…… 大丈夫ですよ!」

 お茶を運んできた夏目先生が俺の顔をのぞき込み心配をする。ああ、俺の顔色悪いのか…… だったら帰れるかな? 帰りたいな……と、思っている間に夏の講習の為にと、教室に俺は足を向け歩き出した。

 教室の扉を開けると温室かと思うほどの暑さに眩暈がした。慌てて窓を開け、一度暑い空気を外に逃がすことにした。開けた窓から入る風は、この温室の空気よりは涼しくて生きた心地がする。


『花火がみたいの…… 河川敷で、いっしょにみたいの』


 圧迫された空気が耳から弾け、俺はある事を思い出した。こんな大事なこと、どうして今まで忘れていたんだろう? あんなに約束していたのに……




 講習が午後に終わり、職員室に戻りプリントを数枚ホッチキスで止める。明日の準備を終わらせれば帰れる! よし! 順調だ!


「菅原くん! 今夜どうかな?」

 教頭が酒を飲む真似をし、歯を出し笑っている…… えええええええええええええ!

 俺は黙ってシュウにメールを1本入れ、教頭の長い昔話に付き合うことにした。


「ああああ~ もう呑めましぇーん!」

「菅原くん! 楽しかったよ! タクシーで帰るならあっちだからね〜! それじゃまた月曜日にね!」

 頭を深く下げ、教頭の後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、一度下を向き舌を出した。

「全くもって酔えねえよ…… さて、帰ろう!」


 急いで駅前でタクシーを拾い、マンションの近所まで急いで帰る。近くのコンビニでアイスを2本買って小走りで玄関まで行く。鍵を開けてリビングから明かりの漏れるのを見てシュウがまだ起きているのに気がつき俺は溜息を漏らす。少しでもいい、毎日会話はしないと! そう思いリビングの扉を勢いよく開けた。


「おかえり~!」

 シュウがリビングのテレビで珍しくゲームを夢中でやっていて、俺を見ずに迎えてくれた。

「ただいまー! シュウ! アイス! アイス買ってきたから! いっしょ……に……」

 リビングのソファーに座るシュウの太ももに顎を乗せて寝るエドワードが見え、その横に座ったあの紳士サラリーマンが嫌な笑顔で俺を見て口を開け、声を出さずに『おかえりなさい!』と言い。緩やかに廻る扇風機の前で微風を受けるユウが目だけで俺が一度見たがすぐに扇風機を見て少しだけ不機嫌そうなオーラを醸し出した。

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