第4話 焼きそばパンと揺れるブランコ。

 まったく、気が遠くなる。なんなんだよ? 俺が何をしたってんだ? 日付が変わって何時間経ってると思うんだよ。


 網戸に何度もぶつかる蛾の羽ばたく音が嫌に耳に入る。冷蔵庫のモーターの音もずいぶんと今夜は大きく聞こえてきた。いつもなら気にもしない事も、今はやけに意識してしまう。その音たちは不安を煽り、混乱は限界を超えていた。ただひとつ分ったのは目の前に居る「コイツ」が人間じゃないって事くらいだった。


『あの、そろそろ…… ご理解頂けましたでしょうか?』


「……はい、ああ、そうですか! 理解しましたよ! ってならないでしょ? 普通!」

『でも現実に此処に私はいますからね…… 夢じゃないですよ?』

「そうやって当たり前みたいに冷静に返すのやめてもらえます? 本当に夢ならどれだけ良かったか…… はあ……」

『ですが今、貴方は普通に私と会話していますよ? そもそも先日死んだって私ですら理解もしていますし、夕食の時に私の話をしていたではないですか』

「……はあ。もういいよ…… そんな説明……どっと疲れる」


 おかしな空気が部屋にこもり漂っていた。昼からずっとこの調子が抜けない。おかしいのはもう十分承知だ。

 でもな? 怖い怖いって言っても、俺の目の前で座っているのは、身なりのキチンとしたサラリーマンなんだよ。大量の血が出てるとか、目玉が無いとか、ちぎれかけた腕がぶら下がってるとか、青い顔してやけに動きのとろい、気味の悪いゾンビみたいでもない。ごく普通の血色の悪いサラリーマンなんだよ。なんていうか、慣れちまえばなんて事はなかった。


「で? ……なんか要件があってここに来たんだろう?」

 きちんと姿勢よく座るサラリーマンの前の椅子にテーブルを挟んで腰を掛けて俺はビールを口に含んだ。


『いえ、気まぐれで息子さんの後に着いてきただけです』

「なんだよそれ? ストーカーかよ…… それとも…… なんだ? それだと付きまといじゃねーか!」

『それ、意味合いは同じですよね?』

「うるさいよ…… そういうのさらっと流して! っていうか、気が済んだら出て行くんだろうな?」

『さあ、神のみぞ知るです』

 両手を上げ「お手上げです」と、古いリアクションをサラリーマンはする。そんなサラリーマンに、俺はさらに呆れた顔をしビールを飲む。


「……もう、死んでるのに?」

『本当におかしな話ですよね……』



 なんだ? この会話。知り合いか?


 そうこう考えている間に鳩時計が鳴る。ポッポと二回鳴った。と、言うことは深夜二時? と、鳩時計を見上げると手前に居たはずのサラリーマンが視界からふっと消えた。



『ねえ? オッサン……』

 今度はコイツかよ。昼間、俺の腹の上に生ふとももを密着させ乗っかって騒いでいた、あの夏服の女子高生が廊下の扉に寄りかかって声をかけてきた。


「うおっ! お嬢ちゃんまで登場かよ……って、なんなの? この家…… お盆にゃまだ早いだろうよ…… つか、来る家間違ってるよ? 来る家……」

『ナニよソレ…… 意味わかんない! 間違えって何よ?』

「ああ~ もう分かんなくていい! とにかく塩巻きゃいいか? お香焚くか?」

『あのさあ…… 人の事、オバケか幽霊みたいに言わないでくれる?』

 手振り身振りで騒がしい俺に冷静な表情で冷めた目をしたかと思うと、腕に付けていた派手な色のゴムで髪を束ね、投げやりにカノジョは俺を睨みつけ言う。


「……へ? 違うのか?」

『違うわよ! アタシはカズちゃんに焼きそばパンを渡したくてここに来ただけなの!って…… なんでアンタなんかにソレを説明しなくちゃなんないのよ!』

「なんだよ…… そいつはオマエの好きなヤツか?」

『それ…… セクハラ! っていうか…… オマエってなに? 馴れ馴れしんですけど……』

「ああ、なんかごめん…… でもな? ここは俺ん家で、ムスコと野獣1匹しか居ねえぞ?」

『ウソ?』

「嘘なんてついたってしょうがねえだろうが…… 多分お嬢様、アンタの間違えだ! よし! 今スグ出てけ!」

『ん~ ……だって、ここ「菅原」さんちじゃないの?』

「あ~ いや…… それはあってる!」

『ほら! あってるんじゃん!』

「もしかしてオマエさんは「菅原 和将」って人をお探しか?」

『オッサン…… なんでその名前知ってんのよ?』

 カノジョは少し考えた後に不思議そうな顔をし、首をかしげた。


「俺!」

 人差し指を自分の顔に向け、ここ一番の笑顔で笑って見せる。彼女の表情は、みるみるうちに歪んでいき俺に、にじり寄って今にも胸ぐらを掴みかかりそうに腹這いの形で机に乗っかってきた。


『はあ? 冗談やめてよ!』

「いや、マジで…… 俺なんだけどね? カズちゃん?」

『バッカじゃないの! カズちゃんはアンタみたいなオッサンじゃなくて…… カッコ良くてって優しくって…… あああ! もう! 意味わかんなくなってきちゃったじゃないの!

あああ~!』

 そう怒鳴ってカノジョは玄関に向かって走っていった。もちろん、当たり前のようにドアをすり抜け消えてしまった。

 甘いユリの花の香りが微かに部屋に残る。とてもとても懐かしい香り。そのまま俺は力が抜け椅子から床にへたり込み、まだ渇ききっていない髪をかき上げ、ひとりごとを漏らした。


「まいったな…… そうきたか……」



 マンションの敷地内のブランコが風で揺れキィキィと錆びた音をさせ、月明かりだけが優しく光をリビングに照らす。テーブルの上には、袋に『カズちゃん頑張れ!』と、書かれた焼きそばパンがひとつだけが置いてあった。

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