第06話「蛮族決起」
蛮族蜂起に関する国内治安部隊の対応はあまり芳しくないものであった。
なにせ、前面にエトリアの大軍を迎えているので、使える兵力はほぼ出し切っている。
国境付近の兵力も動かせないとなると、あとは都を守る近衛騎士団を投入するかどうかであるが、案の定それらは王城に住まう多数の貴族たちによって拒否されていた。
「叛徒であるオークのジュグク族の数は八千。エトリアの調略によって手薄な中央の都市を襲い、またこれに伴って補給路の被害も甚大になりつつあります」
伝令の兵は片膝を突きながら情報を伝え続けている。
ここでいうオークとはこの大陸に住む亜人という種族である。
顔は豚に酷似し、身体は大兵肥満で腕は丸太のように太く、一般的に性格は凶暴で恐れを知らぬとされていた。
「八千か。都から出せるのは、近衛を除けば五千程度。装備や練度からいって敗北することはまさかないと思うけど、ここはとっとと片づけて欲しいところだな」
ルテリエは伝令の話を聞きながら、凝り固まった自分の肩をとんとん叩きながら薄く目をつぶった。
国内が戦場であるとはいえ、やはり補給路は常に荒野にはびこる野盗たちから見れば、垂涎の的であることに違いない。
彼らは、数十、数百の小勢で突如として巻き起こって手薄な荷馬車を襲い、警護の輜重兵が駆けつけると煙のように消えていく。
喉に刺さった魚の小骨のようにチクチクと輜重隊を悩ませていた小バエどもが、蛮族蜂起と呼応するように活動を活発化させている。
ルテリエはルミアスランサを思う一介の軍人として、正味頭を抱え込みたい気持ちでいっぱいだった。
「中佐。これは、チャンスではありませんかっ」
「え、あ。なんだって?」
伝令の兵がいるためにシェリーの口調はルテリエを重んずる敬語口調に変わっていた。
「輜重隊には三千もの兵がいます。練度は低くも、急場においては充分役に立つかと。ここは、中佐自ら兵を率いて蛮族どもを平らげれば、前線に出ずとも武功を立てられます」
「大却下だ。伝令、ほかに補足事項は?」
「なっ――!」
喜色満面だったシェリーの顔が一瞬でルテリエに打ち砕かれ紙のように白くなった。
伝令は、ちらちらと美貌の女軍人に視線を送りながらも問いに答えた。
「オークの叛徒どもは、このあたりにも続々と出没してすぐそばのアデットというドワーフの村を占拠した模様です。今、逃げ延びた周辺住民を駐屯地に避難させていますが」
「数は」
「おおよそ百五十。さすがにここを襲おうとはしておりませんが」
ルテリエが眉間にシワを寄せ顎先を拳でゴツゴツ叩いていると、天幕の外が妙にざわついた。間を置かずカミルが泡を食って駆け込んできた。
「若さま。今しがた、村から非難してきたドワーフたちが会見を望んでおりやすが」
「通してくれ」
指揮所も兼ねているルテリエのテントはそれなりに広いが、二十人ほどのドワーフたちが入り込むと、あっという間に狭苦しくなった。
ドワーフというのは、主に炭鉱近くに居を構え、鉄の精錬・鍛冶・加工にすぐれた技術を持つ亜人という種族である。
彼ら、あるいは彼女らは、一般的に通常の人間族から見れば男女の違いがわからないほど、繁茂した顎鬚で顔中を埋め尽くしている。
背丈は成人しても百五十に達しないが、腕は太く身体つきはガッチリして腕力と耐久力にすぐれ根気があるのが種族としての特徴だった。
「隊長さまっ。オラたちの村を助けてくんろっ」
「おいらたちの家がオークどもに占領されちまったズラ」
「子供や女房たちもあの豚どもにとっつかまっちまって」
「オラたちはなんとか逃げ出せただが、このままじゃ死んでも死にきんね」
ドワーフたちは全身から悲しみの臭いを発散させ、まん丸な瞳で佇立したルテリエをジッと凝視しながら救いを懇願した。
「心配せずとも賊どもは我が軍が早晩残らず討ち滅ぼす。君たちはまず傷の手当てをしてゆっくり休むことだ。なにもかも私たちに任せておけばいい」
「ありがとうございますだ、隊長さま」
「この御恩は忘れねえだ」
「こんだけの兵隊さんたちがいればオークどもなんざ目じゃねえだ」
ドワーフたちは負け犬臭を全身から漂わせながら、髭モジャの顔を血で染まった腕でごしごしやりながらおとなしく天幕を出て行った。
「な、なんだ。中佐も人が悪い。結局のところ助けるのではないですか。ならば、一刻も早く部隊編成を――なにをしているのですうっ」
「なにをって、もちろん軟弱地盤改良の計画書の作成だよ。とっととすませないと、前線に支障が出てくるだろう」
「今しがた、あのか弱きドワーフたちと約束したではありませんか。賊どもを討ち滅ぼすと」
「ああ、いったよ。ただし、それは私たちの役目じゃない。私たちは輜重兵で、今やらなければならないことは、エトリアと日夜戦っている我が軍に遅滞なく物資を運ぶことだ」
「なんで……なんで……せっかく見直したのに……ルテリエ中佐は彼らのうちひしがれた姿を見てなんとも思わないのですかっ。彼らは今、こうしているうちにも故郷を焼かれ家族を人質に取られ塗炭の苦しみを味わっているのですよっ」
「だとしても、蛮族を討つのは私たちのやるべきことじゃない。軍にはそれぞれ役目があって、手続きを踏まず各自がやりたいことをやったら国がバラバラになってしまう。軍も君が考えているほど愚かじゃないさ。
十日もあれば虎の子の近衛騎士団一万を投入せざるを得ないと必ず結論を出すはずだ。それよりも、私たちが前線に軍需物資を送らず、万が一にも主軍が敗退するようになってみろ。日和見だった周囲の国々が雪崩を打って攻め込んでくる。そうなれば失われる国民の数は、数十万ではすまないだろう。中尉はそのことを理解したうえで、発言しているのだろうね」
「……中佐のいうことはいちいちもっともだ。もっともすぎます。でも、私は! そんなふうに考えることはできないっ。失礼します!」
ルテリエは怒気をみなぎらせて退出したシェリーのうしろ姿を見やったまま、額にかかった髪を払って手にした書類の束で己が肩を叩くのだった。
シェリーは怒りとも悲しみとも判然としない荒々しい感情に揺さぶられながら足早に天幕から遠ざかっていた。
実際、兄であるレオから直に明言されてはいなかったが、常々ルテリエという学友の存在を自分の夫候補として挙げられていた感があった。
異腹妹であり臣籍でしかない自分をかわいがってくれる兄にほのかな恋心を抱いていたシェリーであった。
はじめは負傷のためもあり栄誉ある騎兵からロートルと不用品の集まりであるされている輜重隊に移動させられたときは愕然としたが、それでも長くルテリエのそばにいて、彼の実直な勤務態度を見ればシェリーが望んでいた勇敢な男性像とはかけ離れた存在でもあったが情も湧きはじめていたのだ。
(少しはいいところもあるって思いはじめていたのに……! あんなやつ! あんなやつを私はどうして!)
やさしいルテリエのことだ。蛮族に襲われ危難に遭っている弱き民を目の前にすれば当然ながら及び腰でも立ち上がって兵を出してくれると勝手に思い込んでいた自分がいた。
そのときは、片腕が使えないまでも野戦に不慣れなルテリエを補佐して手柄を上げさせ、彼を馬鹿にしていた前線の将校たちをアッといわせてやりたいとまで考えていたシェリーである。
「臆病者っ。卑劣漢っ。騎士にあるまじき所業ッ!」
――激しく裏切られた感が強い。
シェリーは驚いた顔で道を開ける兵たちを突き飛ばすように、駐屯地のなかでも人気のない木陰まで来ると、樫の木に向かって満足な右手の拳を叩きつけた。
「ルテリエのばかっ」
感情が激してくると泣きそうになる。
確かに輜重隊の本来の任務は輸卒が滞りなく本軍へ兵糧物資を運べるよう援護して守ることであるが、それだって今現在ここには半数である千五百の兵がいる。
オークに襲われたアデット村までは一両日あれば簡単に往復はできる。
「その程度も許せないほど、批判が怖いのか。ルテリエ……」
そのままどれだけの時間突っ立っていたのだろうか。
「リンドバウム中尉。なにをしておられるのですか?」
「スタンリー少尉」
声に振り向くと、そこには自分と同じく負傷して騎兵軍団から輜重隊に回された顔見知りのスタンリー少尉の姿があった。
今年で二十二になるスタンリーは下級貴族の家柄ながら武勇は抜群で、誰よりも勇敢に突出したせいで利き腕の右肩に矢傷を負い前線から下げられた。
実のところシェリーはこの男に交際を申し込まれたことがあるが、動揺した挙句すぐさま断った過去があった。
別段、気に入らなくて断ったわけではなく、今まで長く修道院にいたせいかそういった経験がないシェリーは「わわわどうしよう……」とモロにテンパってしまって頭で考えるよりも脊髄反射的に拒否してしまったのだ。
「なにか、私に用でもあるのか」
涙目になったところを見られてでもいやしないかと、恥ずかしさを隠すようにぶっきらぼうな口調になってしまう。
女として好意をハッキリ示され意識しないわけがない。
それに加えて、人気のない場所でふたりきりになったということが、修道院長の不用意に男性と親しんではならないという教えも相まって、顔には出さないが緊張が果てしなく高まりどうしていいかわからなくなってくるシェリーであった。
「中佐は、ドワーフたちの救援を行わないそうですね」
「誰にその話を聞いた」
弱者にやさしく騎士道を体現するようなスタンリーである。
いつもならば一も二もなく同意するところであるが、なぜだかルテリエを批判されたような気がしてつっけんどんな返事になってしまう。
シェリーは自分がますますわからなくなってなんともえいない表情を作った。
「中尉は救援を行わないシャンポリオン中佐に同意なされているのですか?」
「そんなわけはないだろう。私だってできれば、ドワーフたちを助けてやりたいさっ。でも、これは上官である中佐の命令なんだ。少なくとも、軍団がすべて出発してしまった今、実質主計総監を除いて中佐より階級が上のものはいない」
「よかった。なら、リンドバウム中尉は中佐に同心しているというわけではないのですね」
「なんの話だ?」
「実はですね。今、この駐屯地に残った士官たちで隊を編成して、アデット村の救援に向かう同士を募っているのですよ」
「馬鹿な……! そんなことを勝手にすれば処罰は免れないぞっ。いったい、それを私に聞かせてどうするつもりなんだ。私も、耳にしたからには黙っておくことはできない」
「中尉は本当にそれでいいのですか」
「なんだと?」
「目にしなかったのですか! あの村を追われ家族を虜にされ、踏みつけられ傷ついた弱きものたちの叫びをっ! 人間ならば良心の呵責を覚えるはずなんですよっ! 本当に、唯々諾々とあの男の命令に従うことが騎士として正しいとお思いなのですかっ」
「そ、それは」
「中尉。僕の気持ちは、もう伝えたはずですが」
「や、やめろ。その話はもう終わったはずだ」
シェリーは気づけば樫の木を背にスタンリーに追い詰められていた。
男の長い金色の瞳がぐっと近づいて来る。シェリーのなかに、強く抱きしめられたいようなふわふわとした気持ちと同時に、猫背で頼りなく飄々としたルテリエのほわんとした顔が浮かび上がった。
「シェリー。僕は君が好きだ。だから、君が騎士として道を誤るのを黙って見過ごせない。僕たちといっしょに決起してくれ。それに、これはブルックス少佐が肝煎りで行う義戦なんだ」
「け、けど……」
「君がいっしょに立ってくれれば、兵たちも多く集められる。だいじょうぶさ。解放は必ず成功するし、そうなれば褒められこそすれ咎められることはない。きっと、君の兄であるレオ将軍もよろこんでくれるはずだよ」
「あに、うえが……?」
それは魔法の言葉だった。
ルテリエに対する鬱憤。強烈に叩きつけられる異性からの甘言。
(これが成功すれば……ルテリエもきっと、私の言葉をもっと聞いてくれるかもしれない……)
シェリーはいとも簡単に篭絡された。
もっとも、これくらいのチョロさを本来含有していると見抜かれた上でのスタンリー少尉の攻勢だったのかもしれないが。
ブルックス少佐をかしらに戴くという免罪符を元に、シェリーたちは隊内の意気ある将兵を説いて回りその日の夕刻までには百三十四名の同士を集めることに成功した。
「ルテリエ。私はもう休むがおまえも書見はほどほどにして休むのだぞ」
「あーうん。おやすみー」
「ん。そうだ。精のよくつく蛇酒を手に入れたのだが、飲んでおくといい」
「え。なにそれ。私、そういう気持ち悪いのはちょっと」
「……せっかく人が日頃苦労しているおまえのためにと思って手に入れたのに」
「あー、なんだ、その」
「おまえはことごとく私の気持ちを踏みにじるんだな……ふえぇ」
「わかった! わかったからっ。飲むから、飲みますから。泣かないでくれよ」
「どきどき」
「ちょっと。背後で見守るのやめてくれないかな? 気になるんだよ。うぇ。ホントに飲めと?」
「兄上に不埒なことをされたといいつけてやる……」
「わかったってば! ほらっ、飲んだ。飲んだから――ふにゃ」
「すまないっ」
手に入れた眠り薬は即効性だった。シェリーはルテリエがくたくたと机に崩れ落ちるのを見ると、腰に着けていた革袋から軍を動かす際に必要な割符を拝借した。
「あとで、あとで必ず返すからな? 許してくれ」
旦那が手仕事に励むのを放っておいて夜遊びに出る主婦のごとく、シェリーはなんとなく胃をキリキリさせながら、上手いこと手に入れたルテリエの割符を使って堂々と駐屯地を出発し、目指すアデット村に進路を取った。
騎馬は五十。
残りはすべて歩兵である。
輜重隊を構成する兵のほとんどが、第一線の精鋭と比べれば落ちるのは事実だが、それでもロクに装備もなく、崩れれば途端に潰走する蛮族兵が相手ではそれほど問題はない。
シェリーが余裕を保っているのは、騎馬の多さからもあった。ルミアスランサの軍馬はすべて八本足をもつスレイプニルである。
彼らの突撃力は歩兵十人分に相当し、いくらオークが凄まじい膂力を誇っていても数百程度では五十を超える軍馬の突撃を支えることはできないだろうと踏んでいた。
発起人のブルックス少佐は駐屯地で待機しているので、実質義勇隊の指揮官はシェリーということになってしまった。王族かつ時期国王と目されるレオ将軍の異腹妹であり、美麗な姫騎士とあればカリスマは充分だ。
「やたらに明るいな。オークどもはよっぴいて宴か」
「オークどもは、室内よりも野天を好むと聞き及んでおりまする」
小者のひとりがしわがれた声で語った。
案内人のドワーフによればオークたちは村の中央の広場で奪った酒に酔いしれ乱痴気騒ぎを行っているらしい。
離れた林からも敵が飲み騒ぐ明かりが鮮明に見て取れた。
「中尉。やつらが寝入ったところ奇襲をかけましょう」
アデット村が見渡せる小高い丘の林のなかで、シェリーはすぐそばのスタンリーの呼吸を感じながら神経質に剣の柄を神経質に叩きまくる。
シェリーはルテリエに一服盛って割符を奪って兵を動かしたという負い目もある。
彼女は、自分では気づいていなかったが、いつも以上に冷静さを欠いていた。
(まだか……早く……早くっ! できればルテリエが気づくまでに終わらせたい。あいつは、私のことを褒めざるを得ないだろうな。ふん。ま、この奪回が成功したら、あまりあいつを責めるのはやめておいてやるか。その代わり、そうだな。なにかひとついうことを聞いてもらおう。シェリーさまと呼ばせて、ナイショで一日使用人をさせてやろうかな。くふふ。こきつかってやる。ルテリエの顔、見ものだな)
ジリジリとした気持ちで気配を押し殺していく。
どれほどの時間が経過したのだろう。黎明の冷え切った風が頬を鋭く嬲った。
「中尉。見てください。ぼつぼつと明かりが消えはじめました。頃合いでしょう」
「よし。一気に攻め寄せて討ち滅ぼそう。我らが手でアデット村を解放するのだ!」
騎乗を得意と公言するだけあってシェリーの手綱さばきは片腕だけとはいえ見事なものだった。
実りはじめて高々と穂が丈を持った麦畑の狭い農道を器用に疾駆しながら、一気に村中央の道を駆け入った。
巨馬であるスレイプニルはさすがに二頭並べて駆けさせるのが精一杯な隘路である。
勇猛果敢な騎士たちが清々しい理念に燃えて雄たけびを上げ攻め入ろうとしたとき、予期せぬ場所で突如として陥穽が生じた。
「まずいっ。読まれていたのか! 退けっ。一旦退くのだっ!」
暗闇で見えにくかったといえばいいわけにしかならない。
今が先途と矢のように突貫した騎兵たちは、掘られた穴へと次々に落下していった。
穴はなかなかの深さであり、勢いのついた後続は急に止まることもできない。
隊が混乱したのを見計らってか、左右の家屋から猛々しい叫びとともに、闇を斬り裂く無数の火箭が次から次へと雨のように降りそそいだ。
「オークどもめ……! 罠を張っていたというのかっ」
シェリーはなすすべなく討ち取られていく兵士たちを見て美貌を歪めながら、前列の騎兵たちが落馬していくのを鞍の前輪を叩いて悔しがった。
四方八方を囲まれ無慈悲な圧力をかけられれば混乱しきった部隊を立て直すのは並大抵ではない。
「皆の者っ。馬を降りて戦え! 馬上では不利だ!」
やんぬるかな。騎兵が馬を降りて戦えばその戦闘力は格段に落ちてしまう。かといって、あちこちに無数の落とし穴が掘られた制限された道ではどのような回避も取ることはできないのだ。
混成義勇部隊の兵たちは、ロクに連携も取れないまま、待ってました現れたオークたちの手斧や槍で次々に斬り殺されていく。
「撤退だ! 血路を開いてリンドバウム中尉をお逃がしするのだっ」
シェリーはスタンリー少尉の狼狽した声を耳にしながら、目の前で振り回される白く冷たい刃を片手で抜いた剣で振り払うのが精一杯だった。
「あうっ!」
そうこうしているうちに足払いをかけられ、前のめりに崩れ落ちたと思うと頭上からバサバサと重たげな網が投げられた。
(生け捕りにされるっ? やだっ、そんなのやだっ!)
蛮族であるオークたちの捕虜に対する無慈悲さは、修道院にいる頃からもよく聞かされていた。
彼らは同種で生殖を行うことができず、好んでエルフ種や人間の女を捕らえ、凌辱の限りを尽くして苗床にするという。
「はなせっ! はなしてっ! いやああっ!」
泣き喚きながら身体じゅうにかかった網の下でもがきにもがいたが、もはや手取りにされた魚のごとくどうにもすることはできない。
そのうちやかましいとばかりに、重たげなこん棒で滅多打ちにされ意識がフッと遠のいた。
シェリーが叫びながら助けを乞うた脳裏に浮かんだのは、どうしてか最愛の兄ではなく背を丸めて困ったように笑うルテリエの顔であった。
(う……ここはどこだ……?)
どれくらい気を失っていたのだろうか。気づけばシェリーは薄暗い納屋のなかで椅子に縛りつけられていた。
散々に打ち据えられたせいで、こめかみがずきずきと酷く痛んだ。
折れている左腕ごと胸のあたりから太い荒縄で椅子へとぐるぐる巻きにされている。
酷い臭いのする魚油が燃える音がかすかに聞こえた。
腫れて垂れ下がった左目蓋をどうにか持ち上げると、目の前には襤褸切れのような姿で転がっている兵士の姿があった。
乾いて黒くなった血でわかりにくかったが、その男の着用している軍服は騎兵を表す紺青色であることが見て取れた。静かに呻いているところ、まだ息はあるようだ。男が悶えながら顔を傾けたときシェリーは息を呑んだ。
「スタンリー少尉……!」
「ようやく目が覚めたか。騎士さまってのはなにごとも悠長にかまえてやがる」
「誰、だ」
ごとん、と。
重たげな音を響かせて強烈な異臭が飛び込んできた。
「ごきげんよう。勇敢な女騎士さま」
声の主は堂々たる体躯を持つオークだった。四人ほどの配下を従えたボス格のオークは、丸太のように太いこん棒を肩に担ぎギラギラ光った瞳でシェリーの身体を舐めるように下から上まで視姦した。
気づけば着ていた甲冑はすべて剥ぎ取られ鎧下という長袖の上着だけになっている。
下はショーツ一枚であり下卑たオークたちに見られたというだけで、恥辱で頭のなかがカッと燃え立った。
「とっとと私たちを解放しろ。どうあがいてもおまえたちは小勢だ。駐屯地には数千の兵がひしめいている。今、降伏するなら命だけは許してつかわすぞ」
「おいおい、みなの衆。この娘っ子の話を聞いたかや? いったいぜんたいお貴族さまっていうのは、頭のネジが二、三本ゆるんでいるんじゃないのか」
ボス格のオークは仲間を見回してがははと野太い声で哄笑すると、瞳を凶暴な色に染め上げ、走り出しかと思うと横たわっていたスタンリーの腹を思いきり蹴上げた。
「ごうっ!」
「起きろやッ! この青瓢箪がァ! 寝たふりが通用すると思ってんじゃねーぞッ!」
「なにをするっ? や。やめろっ。やめてくれっ」
シェリーの制止の声もむなしくボスオークはごふがふと咽ているスタンリーに向かって太く厚いブーツの靴底で激しくストンピングを行った。
スタンリーは嵐のように吹きすさぶ暴力の前に、むなしく亀の子のように丸まって幼い子供のようにひんひんと泣くだけだ。
「やめっ、やめっ。起きるっ、起きるからっ」
「だーっははっ。最初っからそうすりゃいんだよ、このターコ!」
最後に一発靴のつま先で顎を蹴られ、スタンリーは激しく泣き喚きながら惨めったらしい顔つきで片膝を突き、よろばうように立った。
そこには出陣前駐屯地でシェリーを掻き口説いた精悍さも、突撃前の威風堂々とした男らしさは微塵も窺うことはできない。
目の前にあるのはいくさに破れ際限なく誇りを奪われた惨めな負け犬の姿であった。
(情けない。たとえ虜になろうとも騎士としての矜持すら投げ捨ててしまうとは……私はこんな男を一瞬でも頼りに思ったのだろうか)
スタンリーに対して灯っていたほのかな思いがみるみるうちに消え去っていく。
と、同時にボスオークに嬲られる敗兵に対するなんともいえない憐れみが立ち昇って来た。
「そこなるオーク。私の部下を嬲るのはやめてもらおうか。弄ぶなら、私だけにしろ」
「ああん……? はぁはぁ、はぁ。この状況で俺さまたちにそういう口の利き方をするわけか、よっ!」
「んごえっ。や、やべでくだざぁいっ」
ボスオークは歌うようにリズムをとると立ち上がったスタンリーの髪を掴んで顔面を激しくこづいた。
人間とは比較にならぬサイズの拳固だ。スタンリーは形のいい鼻っ柱をへし折られ、どぷどぷと多量の鼻血を撒き散らし、恐怖におののき失禁した。
「なにをするっ。卑怯だぞ、この豚亜人めがっ」
「げーんきのいい姉さんだねぇ」
「おかしら。この女やっちゃいやしょうぜ」
「いいや。どうせ外のいくさもそのうちカタがつくさ。時間はたっぷりある。この女、そのままいただいてもいいんだが、もうちっと楽しみてぇ。俺はよう。こういう小生意気な女をひぃひぃいわせて屈服させるのが大好きなんでなぁ。おい、兄ちゃん。命は惜しいか? ああんっ? 生きて人間の街に帰りたいか?」
「た、たたた、助けてくれるんで……」
涙と鼻血で顔をぐしゃぐしゃにしたスタンリーは、まるで父親に許しを請う子のように従順な態度で媚びへつらって見せた。
たぶん、今スタンリーの尻にしっぽが生えていたら恭順の意を示すため千切れるほど振られていただろう。
シェリーは力の前にあっさりと屈服した男の姿に怒りよりもむしろ強い哀しみを覚えていた。
「抱け」
「え?」
「その女を俺たちの前で凌辱しろ。そうだな。おまえが抱き続ける限りは、生かしておいてやるよ。どうだ? 実に簡単なことだろう。どんな匹夫でもできることだ」
ボスオークの言葉。
それ自体は驚くべき言葉ではない。シェリーは当然ながら、スタンリーが躊躇を見せるか、それともそのような恥知らずな行為は決然と拒絶するはずだと思って疑わなかった。
「ね、ねえ。嘘だろう。おい、おいっ。っ! やめろ! やめないかっ!」
「すまない……すまない……」
スタンリーは椅子ごと縛られたシェリーに近づくと、まず縄を解きはじめた。
が、緊張しているのと、散々にいたぶられたダメージのせいか、なかなかに固く解ける兆候すらない。
「ほら。ぶった斬ったほうが早いだろう」
オークのひとりが大振りのナイフをスタンリーに手渡した。これはチャンスである。無手では脱出の可能性はゼロに等しいが、武器すらあればオークたちの隙を突いて逃げ出すことも不可能ではないだろう。
「な、なあ。スタンリー。上手く……抱かれる振りをするから、隙を突いて、逃げよう」
シェリーはスタンリーが前から覆いかぶさって縄を斬り離すため密着した際、オークたちに聞こえない程度の声でささやきかけるが、反応はなかった。
「すま、ない……すま、ない……」
「ちょっと待った……冗談だろう! やめ、やめて、やめてよ……やだ、やだやだやだ!」
完全に心を折られたのかスタンリーの瞳のなかには反抗心というものが完全に沈黙していた。
拘束から解き放たれ、シェリーはイチかバチか完全に怯えきったスタンリーを突き放して逃げようとしたが、そのまま背後に押し倒され、身体をまさぐられる感覚に怯え、情けなくも悲鳴を上げるしか手は残されていなかった。
男の荒い息が耳元でふいごのように鳴っている。鎧下を裂いているのだろう。
冷たい夜の空気に晒された上半身が寒気で震え、乱暴に掴まれた胸に痛みが走った。
「やだあっ! 助け――助けて、ルテリエっ!」
オークたちの淫猥に満ちた笑い声と喉からほとばしる絶叫が重なったとき、奇跡は起きた。
納屋の扉をぶち破ってひとりのオークが転がり込んできた。
凄惨なショーに心躍らせていたオークのひとりが同胞を抱え上げる。
脳天には突き立った矢が、続けて踏み入った軍靴の音と松明の光に照らされ青白く薄闇に映し出される。
「シェリー! 今、助けるぞっ!」
その鮮烈な威厳の満ちた声に、シェリーは伸しかかっていたスタンリーの顔をなんとか押し返し視線だけを向けた。
そこには武装した幾人もの兵を引き連れた今では武神のようにも思えるルテリエの弓を構えた勇ましい姿があった。
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