第12話「功労何にか譬うべき」

 傷口の汚れた包帯を取り換える作業は困難を極めたが、男たるものこの程度で悲鳴を上げていては世のなか渡っていけない。


「と、思うものの、やっぱ痛いものは痛いんだよな」


 ルテリエは襲撃者の刺突によって深傷を負ったもののまたしても不死身のように復活していた。


 三日後には、普通に歩き回って仕事を行っていたのだが、このたび戦後の論功行賞のため都に召喚され、ガタゴト揺れる車内で四苦八苦していた。


「ルテリエさま、痛かったですか?」


「というか、あまり動くんじゃない。傷口が開いてしまうだろうが」


 車内には護衛の兵のほかに、フロランスとシェリーが同乗していた。彼女たちは諸肌脱ぎになったルテリエの包帯を争って代えようと対抗心を露わにしているため、傍から見ると愛妾とベタベタしている堕落した将校にしか見えないだろう。


 お供の兵は石像のように微動だにしていないが、外聞を気にするルテリエは、彼の視線とときどき身体にあたる乙女の柔肌のぷにぷにさ加減とが相まって妙に気恥ずかしかった。


「な、なあ、ふたりとも。包帯の交換くらい自分でできるから……」


「なにをいっているんですかっ」

「これはわたしの役目だっ」


 両者は放っておくと、四つに組んで力比べをしてしまいそうな勢いである。


 ルテリエは早く都に着くようにと、目を閉じて神に祈ろうとしたがふたりの娘に耳元でギャンギャン騒がれ上手く果たすことはできなかった。


(しかし、なーんで今のタイミングなんだよ。まさか、城をカタに軍資金を調達したことが諸侯の不興を買ったとか?)


 今回の戦いで大功を立てたのは第一線で獅子奮迅の働きを見せた諸侯とそれをまとめあげた元帥の力によるものだ。


「王のお召しにより参上仕りました。輜重兵中佐ルテリエ・シャンポリオンでございます」


 王宮に参内するとルテリエは大理石の床にて片膝を突き、居並ぶ将軍や大臣たちを横目で流し見た。


 ――まさか、極刑をくれてやるとか。さすがにそれはないだろうなぁ。


 遠景の玉座にはルミアスランサ王の姿が見え、隣には宰相アイアコッカの姿がある。


 内心胸をドキドキさせていると、アイアコッカが厳粛な面持ちでコツコツ床を鳴らしながら近づき、手にした巻物を錆びたよい声で読み上げた。


「こたびのエトリアとの長き戦い。そなたシャンポリオン中佐の途切れることなく維持された兵站の力がもっとも大きかった。よって、勲功の第一は敵軍を車騎によって打ち破ったどの将軍でもなく、そなたルテリエ・シャンポリオンであるとする。しかるべき土地を後日領地として与え、侯に封じ、その名誉を王朝の名のもとに明らかにし万民はルテリエの名に寿ぎを送るであろう」


「は……」


 アイアコッカはしわだらけの顔をさらにくしゃくしゃにすると、手にした勲章をルテリエに握らせ口元をゆるめた。


「なにをおかしな顔をしている。このことは元帥をはじめとする諸将すべてが全会一致で認めた。ルテリエ。貴公が行ったことは、馬を駆り敵を剣にかけることと同じく、いいや、それ以上の価値があったとみなが認めたのだ」


「私が……?」


 狐につままれたような顔をしていると、玉座の近くから大きな拍手の音が聞こえて来た。


 王太子であるレオだ。


 彼は顔を紅潮させ感情を爆発させる代わりに手を力強く打っていた。


 やがて元帥をはじめとする周りの将軍や大臣たちも、倣って手を打ち鳴らし、ルテリエは拍手と祝福の波に呑まれながら、茫然とした心持ちで、やがて身体の芯がカッカッと燃え上がるような多幸感に包まれていく。


「この身に、余る、光栄で……ございます」


 あとは、もう言葉にすることはできなかった。


 低い嗚咽が流れてくる。見ればレオはあたりを憚らず、子供のように涙を流していた。


 やがて玉座から立った王が杖を突きながらゆっくりと近づいて来る。


 威厳に満ちた浅黒い男の眉間には深いしわが刻まれていたが、どこか見るものを包みこんでしまうようなおおらかさがあった。


「ルテリエよ。お主のことは、レオからよく聞いていた。これからも、不甲斐ない余とこの国を守って欲しい」


「もったいなきお言葉」


 万雷の拍手と熱い高揚感の海に呑まれながらルテリエは目を閉じたまま、今日までの労苦が残らず溶けていくのを感じ、知らず唇を強く噛み締めていた。






 王宮を出ると夢うつつのまま騎乗して実家へ戻る帰路をとった。


「夢、じゃないよな」


 ルテリエは自分の頬をギュッと掴みながらまるで百面相のように表情を変化させつつ、ようやく大悟した。


 馬の口取りをしている従兵や槍持ちたちがギョッとした顔でこちらを見上げているが、今はそんなことどうだっていい。


 領地と胸いっぱいの勲章だけではなく、階級も三段跳びで中将まで一気に昇格したのだ。


 ――これはおかしい。なにか間違っている。


 栄誉と幸福ののちには深い、それこそ奈落にまで通じる陥穽が掘られているような気がしてならない。


 大通りを抜けて幼い頃から何度も繰り返し見た記憶のある四辻に差しかかったとき、屋敷で静養していたはずのカミルが小柄な淑女の供をして近づいてくるのが見え、馬上から乗り出すようにして叫んだ。


「カミル! 身体のほうは大丈夫なのかっ」


「へへ、若さま。あっしはあれくれぇでおっちぬほどヤワな鍛え方はしてませんぜ。さ、お行きなせぇ」


 着飾った白いドレスを纏った少女が肩を押されるようにして、ととと、と歩み寄って来た。


「ルテリエさま……」


 つばの大きな白い帽子を上げたフロランスがはにかみながら濡れた瞳を瞬かせていた。


 本当に味な真似をしてくれるじゃあないか。


「いよっと」

「きゃっ」


 ルテリエは素早く飛び降りて彼女を横抱きにするとそのまま騎乗して自分の前に座らせた。


 なるほど。男ルテリエ一世一代の晴れ姿だ。フロランスを屋敷で待ち構えている両親や兄弟一同にお披露目するのにこれほど恰好なときはないだろう。


「君を必ずしあわせにするから」


 驚いて顔を上げたフロランスの唇を強引に奪うと、感極まったカミルが嗚咽を漏らしながら鼻をずずずと啜り上げた。従兵たちもどこか陽気な顔をして自分たちを祝福している。


「ルテリエさま。あたし、夢見てるみたいです」


「私だってこんなことするのはじめてさ。いささか気恥ずかしいけどね」


 前に座るフロランスの結い上げた髪の白いうなじを見て腹の下が熱くなった。


 我ながらわざとらしい咳払いをして、空を見上げると抜けるような蒼が広がっている。


 ――この上ない幸福な気分が続いたのも屋敷の門前までだった。


 家族そろって待ち受けていた塊のなかから義姉のミモレットがもの凄い形相でグングンと駆け寄って来た。


 鬼気迫る、とはまさにこの光景をいうのだろう。


「あの、ルテリエさま。お逃げになったほうがよろしいかと」


「奇遇だな。私もそう思っていたところだ」


 馬首をくるりと返すと同時に「待ちなさいっ」という、ついぞ一度たりとも聞いたことのない義姉の元気がよすぎる声が響き渡った。


「待てといわれて待つ人がいますかねっ。と、このセリフをいう日が来るなんてっ」


「ルテリエさま、前、前っ!」


「へ――?」


 馬蹄を響かせながら駆け出すと、目の前をぬっと肥馬が現れ通せんぼをした。


 銀色の髪に白銀のティアラが眩しい青いドレスを纏った淑女。


「シェリー。大変めかしこんでいるところを恐縮なのだが、ちょっと通してくれないかな」


 彼女は悪戯気に目を細めると白い長手袋をはめた腕を振って「否」を示した。


「だめ」


 シェリーの銀色の瞳がやさし気な光を帯びて輝いた。


「まずはご両親にごあいさつをしないと、ね。わたしの旦那さま」

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鋼鉄のロジスティクス 三島千廣 @mkshimachihiro

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