第09話「共喰い」

「よかったね、フロランス。隊長さん、情の篤い方で」


「はいっ。あたし、信じてここまでついてきてよかったです」


 フロランスは慰問部隊に与えられた天幕のなかで、郷里の街から連れ立ってやってきた肉屋の女房と顔を合わせ、弾けるような笑顔を作った。


(ルテリエさま。疲れていたみたいだけど、元気そうでよかった)


 自分でも理解できないほど突発的な行動だった。


 フロランスは最後に会った夜、うちひしがれた犬のような姿で去っていくのを見届けながら、どうしてあのとき身を張ってでもかばってやらなかったのかと死ぬほど自分を責めていた。


 それからというもの、寝ても醒めてもルテリエのことしか思い浮かばない。


 冒険者たちの脅しに屈して虫入りの酒を飲み干した彼の顔は、まるで胸のなかに刺さった棘のようにシクシクと痛み、それから脳裏を何度も何度もよぎるのは、店でいつもすまなさそうな顔つきで料理と酒を頼むやさしそうな青年軍人の顔だけになった。


 ルテリエの好意はまるわかりであったが、こういった客商売だ。


 フロランスからしてみれば彼はとてもではないが、自らの将来を託せるような甲斐性のある男ではないと、日頃の金払いによってわかりきっていた。


 だが、どうしようもなくルテリエのこと以外はなにも考えられなくなってしまったのだ。


 悶々とした気持ちを振り払うため、ツテをたどって調べてもらった結果、どうやら前線へとそういった名前の男が送られたということだけ知り、ちょうど慰問部隊派遣の話を耳にし、あとさき考えずに応募した。


(我ながら、むちゃくちゃなことしちゃった。よね……)


 目に一丁字ない自分のことだ。


 向かう道々には敵方の意を受けた匪賊や蛮族どもが、それこそ潰しても潰してもキリがない夏の虫のように湧いていると知ったときも引き返す気は微塵も起きなかった。


 家族も自らが果たす役目もかなぐり捨てて、散発する賊の影に怯え、脚を棒にして歩いた。


 都の街で育ったフロランスは、旅ということをしたこともないし、そもそもが戦地までの長距離を歩くこと自体がはじめてだった。


 やわな足裏は固い土で削り取られ、血管が見えるほど剥き出しになり、痛みで夜は眠れないほどになった。


 隊から遅れ、賊に連れ去られそうになって随伴の兵隊に危機を救われたことも、一度や二度ではない。


「あ、あれ……?」


「どうしたんだいっ、フロランス! あら、まぁ」


 肉屋の女房と向かい合っているうち、無事ルテリエと出会えたことで気が抜けたのか、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。


「あ……あたしっ……ルテリエさまにっ……ひと目でも会えれば……もう、もう死んでもいいって」


「あんたも苦労したわよね。あたしも、すぐ逃げ出すって思ってたけど、ここまで歩きとおすなんて偉い偉い」


「ふうっ……うぐっ」


 フロランスは肉厚な肉屋の女房の厚い胸肉に抱きしめられながら、あたたかい湯のなかで目を閉じているような気持ちになった。


 この肉屋の女も、いくさで五人の息子をとられている。直接なにかをしてやれるわけではないが、せめて、飯炊きでもなんでもと旅費も食い扶持も自弁でやってきた肝っ玉の持ち主だった。


 天幕のなか、ふたりを見守っている有志の街衆たちの目もあたたかい。


 ほとんどは、なんらかの特殊技能を持った工人が主だったが、彼らもフロランスの男を思う熱い気持ちに打たれたのか、それぞれ今までの苦難の旅を思い出し鼻を啜っていた。


「なんにせよ、フロランスちゃんもこれで万々歳だ」


「いとしのルテリエさまはここを預かる将軍さまだろう」


「おまけにかなりの名門貴族と聞いたがしらばっくれることなく責任を取るといったあの態度も男らしいじゃねえか」


「お嬢ちゃんは、ルテリエさまを一兵卒だと思ってたんだろ? それがまた泣かせるじゃねえか」


「なんにせ、これで街に残した親兄弟の心配もないって太鼓判を押してもらったんだ」


「あとは誠心誠意お仕えして立派な子を産むだけだなっ」


「おっ。そうなるってえと、奥方さまかっ」


「てなると、俺たちゃもう口も利いてもらえなかうなっちまうなっ。ははっ」


「……もう。みんなったら」

「よかったね、よかったねフロランス」


(ううん。本当にあたしが運がよかったのは、この人たちと出会えたことかも知れない)


 フロランスは体力不足からか幾度も隊列から落伍しそうになったが、そのたびに慰問部隊のみなから励ましを受けた。それがどれほど力になったかわからない。


「ありがとう。みんな、ありがとうね」

「よせやいっ。目から鼻水がでらぁな」


 楽師の青年がぐずっとひとつ啜り上げると、そっぽを向いて帽子を深くかぶり直した。その仕草がやけに滑稽で、みなが一斉に笑い出す。


 天幕のなかになんともいえないやさしげな空気が満ちていく。


「邪魔をするぞ」


 ――その空気を引き裂いたのは氷のように冷たく尖った鋭利な女性の声だった。


 一見して別世界に住む人間だとわかる佇まいだった。


 長い銀色の美しい髪に均整の取れた身体つき。


 女神がその場に降臨したかのような場を圧する端正な容姿と、酷く冷たい瞳が見るものの心まで凍りつかせそうなほどだった。ハッと目が合う。


 名乗り合わなくても互いが“敵”であることは容易に推察できた。


(なに、この人……! 嫌な目っ)


「おまえがわざわざルテリエ閣下を追いかけてきたという酒場の酌婦か」


「そう、ですけど」


 別段自分の仕事を卑下しているわけではない。


 ここにいる慰問部隊の仲間たちは同じ下層階級出身であり、別に取り繕ったり否定することではない。


 しかし、あえてルテリエの名と並べられたことで、余計に格差を感じ、気にしないようにしていた身分の違いというものをぶち撒けられたような気がしていい気分はしなかった。


「下賤なお仲間を集めて貴婦人に昇格できそうな自分を崇めさせていたのか? いい気なものだな」


「なにがいいたいんですか……。いいがかりをつけるのはやめてくださいっ」


「ふん。とぼけなくてもいい。おまえが望んでいるのものを持参してやった。ありがたく受け取ることだな。おい」


 女が、背後に控えていた兵に目配せをすると、どうにも決まり悪いのか男はすまなさそうに手にした袋を押しつけてきた。


「わ。え、なんですか。これは? あっ!」


 両手に持たせられた革袋のひもはゆるんでいたのか、フロランスが抱え損ねて斜めにすると、なかから幾枚ものきらびやかなロムレス金貨が音を立ててあたりに散らばった。


「す、すげえっ」

「こんなお宝、見たことねぇ」

「二、三十万ポンドルはあるぞっ」


 フロランスは生まれて一度も見たことのない金ぴかなお宝に驚きつつも、目の前の女が細く整ったおとがいに指を当てながら自分を見下ろしているのに気づくと、わずかでも心が動いた自分に対して激しい怒りを感じ、手にしていた革袋をぐっと前に突き出した。


「こんなものもらういわれはありませんっ。兵隊さん、いったいこれはどういうことですか!」


「おっと、そういえば名乗っていなかったか。わたしはシェリー・リンドバウム中尉である。閣下の腹心でな。こうして、わざわざ火遊びの後始末に駆り出されたわけだ。まったく、身の始末はきちんとつけておいて欲しいものだ」


「どういう、ことですか?」


「手切れ金だよ。おまえのような卑しい女には一生拝めぬ大金だ。ああ、閣下に会って礼はいわなくていいぞ。気を利かせてわたしが用意したのだ。


 さあ、すべて理解したらとっとと荷造りをはじめろ。閣下は国家の浮沈をかけた崇高な軍務で忙しい。安い淫売婦風情に構う暇はないのでな。これ以上閣下の心をお乱しするんじゃないっ!」


「なん、なんなんですか……なんであたしがそんなことあなたにいわれなくちゃならないんですかっ! だいたい、ルテリエさまがそう伝えろとおっしゃったのですか!」


「ん……いや、直にはいわなかったが、わたしと彼とはツーカーでな。ん、んん。副官とはそういうもので……とにかくしのごのいわずそれを持ってとっとと立ち去るがいいっ!」


「冗談じゃありませんっ。あたしは乞食じゃない。こんなものもらう必要がないし、だいたいルテリエさまがあたしにそんなこというわけないじゃないっ。勝手なことばっかいって! それにあたしと彼は愛し合っているのよっ!」


 フロランスは烈火のごとく眦を決して叫ぶと、手にした革袋を真正面からシェリーに向かって投げつけた。


 王族であり、歴とした大貴族のシェリーである。今の今まで、ほとんど権威というものをあえてひけらかしたことのなかった彼女はフロランスの投げた金貨に頬やら目やらをしたたかに打たれると、白い顔を朱で染め上げたように燃え立たせた。


「わ……わたしを……誰だと思っているのだ……! 陛下や諸侯にすらここまで侮られたことはなかった……このわたしを、わたしに対して……! このっ、このっ!」


「あ、ふふーん。あたし、わーかっちゃったっ」


 直感であったがフロランスにはシェリーがなぜ上官の私事にここまで感情を露わにして突っかかって来るか、ほとんど理解していた。


 あえて余裕を持って腰を屈めて笑みを浮かべると、シェリーはそれまでの尊大な態度を一変させ、どこかおどおどした態度に変貌した。


「な、なにをだ……」


「あなた、ルテリエさまのこと、好きなんでしょう?」


「な――! ば、ばかなっ」


「でーも、ざーんねんでしたっ。ルテリエさまはあんたのことなんかまったく歯牙にもかけてない。でしょ? だから、わざわざ気を回してやった! みたいなふうに自分を誤魔化してあたしをこっそり追い払おうとしてるんでしょうけど、世のなかそう甘くはありませーん。


 はっ。このあたしを叩き出したかったらねっ。ルテリエさまの首根っこ引っ掴んでここに据えて見せやがれってんだ! 憚りながら〈白の子山羊亭〉のフロランスさまのハートはそのくらいでくじけちゃうものじゃないのさね!」


 額に入れて飾っておきたいほど小気味のいい啖呵を切ったフロランスを前にして、シェリーはうぐぐと呻きながら、気圧されたように身を反らした。


 まわりの人たちは、おおっと割れんばかりに歓声を上げると、鳴り物を弾き出す始末だ。


「ううう、うるさいっ。うるさーいっ! そんなことはないっ、ぜんぜんそんなことはないけど、とにかくおまえが邪魔なんだーっ! わたしと、ルテリエの崇高な使命の邪魔をする存在は排除するッ!」


「おもしろいっ。かかってきないさいよっ。売られた喧嘩を買わなきゃルミアスランサっ子の名がすたるってものよ!」


 相手は軍人。恐らく武芸に関しては素人娘の自分では到底かなわないものだろう。


 だが、ここまできてふたつ返事にはいそうですか回れ右できるほど程度の覚悟で命を賭けたりしないのが自分なのだ。


 ――まずは、その吊っている腕を粉々に砕いてパンケーキに混ぜて焼いてやるっ。


 フロランスは真っ赤な髪を振り回しながらシェリーの細い腰に思いきりタックルをかました。






「あー、えーと。その君たちねぇ」


 ルテリエが警備兵の報告を受け、慰問部隊の天幕に着いたときは、すでにフロランスとシェリーのふたりは取っ組み合って壮絶な死闘を繰り広げている真っ最中だった。


 さすがにルテリエ自身が乗り出してくると騒ぎは収まったが、このままふたりを衆目に晒しておくこともできず、自らの天幕に引き入れ現在に至った。


「なんで、わたしが咎められねば。だいたい、ルテリエの不始末が原因なんだぞ」


「あのねえっ。さっきから人のことを不始末だのなんだのいってくれちゃって。自分はちっとも相手にされないからって、あたしに当たるのはお門違いよっ」


「な、なにをっ」

「きゃーこわーいルテリエさまたすけてー」

「お、おいおい」


 シェリーが目を剥いて殴りかかろうとすると、傷だらけで髪を振り乱したフロランスはすぐさまにルテリエの背に隠れる。


「なんでそいつをかばうのだっ」


「いや、なんでっていわれても、ねえ」

「ねー」


「そのやりとりやめろっ」


 シェリーは振り上げた拳の落としどころがわからず、憤怒の表情でギラついた視線を送っている。


「ま、シェリーにいわなかったのは悪かったけど、いまさ彼女を追い返すつもりはないよ。道中どうなることかわからないし。ちょっとばかり様子を見ないと」


「ほーら、ほらほらっ。ここはあたしとルテリエさまの愛の巣なのっ。あんたはとっとと自分の居場所に戻ってシーツの端をがじがじやって泣いてりゃいいのっ」


「ルテリエ。どいて。そいつ、殺せない」


「だから物騒なことはやめろって。確かに私的に女性を留めるのは悪いと思ってるけど、なんでシェリーがそこまでムキになるんだよ」


「あらっ。ルテリエさま、本気でいってます? だとしたら、彼女ちょっとかわいそうかも」


 と、いいつつもフロランスはほほほと勝利の表情を隠すことなく、両眼を見開いているシェリーに向かってどや! 顔を見せつけたままだ。


「理由をいえ、理由を」


「ルテリエさま。彼女、特に理由はナシにあたしたちのことを咎めているんですって」


「んー。まあ、ちょこっとくらい多めに見てくれよ。仕事は仕事できちんとするから」


「理由なら、ある」


「ん、あるのかい。なら聞かせてくれないかな」


「理由は――わたしがルテリエの婚約者だからだっ!」


「は?」


「はああああっ! なんですかあっ、それはっ! すっごい嘘いきなりつかないでくださいよ。だいたい、ルテリエさまも固まってるじゃないですか」


「あたりまえだっ。ルテリエにはいってないからな」


「あ、あの、その」


「どんだけひとりよがりなんですか、あんたは」


「うるさーいっ。いいから、おまえは今後こいつに近づくんじゃない。命令だ!」


「そんな命令聞く必要ありませーん。あたしに命令できるのはルテリエさまだけですよ。失礼しちゃうんだからなぁ、もおお」


「そういう猫撫で声でこいつをだまくらかしたのか……まあ、いい。とにかく、ひとまず離れろ。くっつくな、どこを触らせてるっ」


「え? おっぱいですけど」

「は、はわわ。ふふふ、フロランスさん?」


「あのぉ、シェリーさまは出て行って欲しいんですけど。わかりますぅ」


「その顔やめろ……! 引き裂きたくなる。なにをいっているか皆目見当がつかんっ」


「決まってるじゃないですかぁ。これからここでぇ……もういわせないでくださいよ」


「ルテリエ。安心しろ。わたしがこいつからおまえを守ってやるからな」


 怒涛の展開になにもいえず硬直していると、シェリーがフロランスを突き飛ばして「演技だからな」と耳打ちしてきた。


 守ってやるの意味はまったく理解できなかったが、今更シェリーがどういうおうがフロランスを追い返せるものでもない。


(ああ、これはあれだな……女特有の嫉妬ってやつだ。シェリーのやつ、急に自分の知らない女が現れたんでわがままいってるだけだよな)


 女の家族が多いルテリエは彼女たちがどんな些細なことでもすぐにつむじを曲げるということを知っており、これはある種のマウンティング行為だと勝手に理解し、あえて大げさに構えなかった。


 実際、ふたりを並べてある程度いい分を聞いた振りをすると、十割ではないが、ある部分感情が収まったのか、その日はとりあえず話を持ち越しとなった。


 かような私事の争いはともかく、前線の戦況は刻一刻と激化していた。


 その事実は、連日増え続ける後方への負傷者輸送や、補給物資の催促の具合でルテリエは忙殺され、じゃれあう暇もなくなったのだ。


 そうなるとよくするもので、ふたりの女たちの間にもかりそめの秩序がもたらされ、軍務に励んでいるときは、ルテリエの神経を逆撫でするようないい争いは起きなくなった。


「補給物資が届いていないだって?」


「は! 上がってきた報告によりますと、第三軍の戦車部隊から続けざま緊急要請が届いております」


 指揮所の天幕のなかでルテリエはシャンポリオン一族アストリ輜重兵大尉の削げ落ちた頬を見つめながら思わず唸った。


 五つに分けられた軍団におけるもっとも精強な第三軍。なかでも、ウラジミール中将率いる戦車部隊を中核となす彼の兵団は圧力の強いエトリア軍と真正面から四つに組んで戦うもっとも消耗を強いられる部隊でもあり、馬匹の消耗は騎兵軍団に次いで大きかった。


 ルテリエは今回のため、国中から四万を超す良馬を集めて牧場に囲い、要請があればすぐさま補充できるよう手筈を整えていた。


「なぜだ。そちらにはとっくに物資を送っている」

「賊に襲われたと報告が」


「ありえない。西部方面の道は我が軍がほぼ掌握している。エトリアが侵入しているとはいっても、国内に違いなし、砦のほとんどは奪い返したはず。敵方が偽装していたとしても大きな数が回せるとは思えない。大尉、確か輸送には、五百ほど輜重兵を護衛につけた。損害は大きいのか?」


「いや、それが……。負傷はしている者が少なくはないのですが、死者は数えるほどです」


「死者が数えるほど? そんなことありえないだろ。輜重輸卒だけだって、五千はつけていたはずだ」


「それが、士官たちがいうには、襲われたほとんどは兵たちだけで」


「優先的に兵だけを追い散らして、なおかつ物資だけを奪っていった?」


「はい」


(妙だな。不自然だ。やけに行儀のいい賊もいるものだ)


「報告によれば、敵は黒い覆面を一様にかぶって、疾風のごとく現れ襲撃を行うと、馬匹を集中的に奪って逃げ去ったとのことです。詳しく説明しますと、ことの起こりは――」


「んん。大尉。その輸送を指揮していた士官を連れてきてくれ。直接話を聞きたい」


 最初から現場にいた人間の話を聞こうと思っていたのでその場で話を止めて、告げた。


 アストリ輜重兵大尉はまもなく、髭モジャの三十半ばに見える男を伴って戻った。


 男はリッチモンド輜重兵少尉。騎兵軍団から後方に戻された“傷物組”のひとりだった。


「リッチモンド少尉。休んでいるところをすまない。ああ、今日は特に空気が乾いている。喉も余計に乾くだろう。カミル。茶を用意してくれ」


「え、いや、中佐どの。自分は結構であります」


「まあ、そういうな。――話は長くなりそうだからな」


 ルテリエはリッチモンド少尉と膝詰めで根気よくそのときの状況を念入りに聞いたが、どうも要領を得ない。話が敵の核心に近づくと、人相風体や武器の使い方、隊を指揮する動作などを濁す感じなのだ。


 これには同席していたシェリーが先にキレて「なにを隠しているのかとっとと吐くがよい」などと本身をすらりと抜いて突きつける始末だった。


「うーん。とりあえず、事件が起きた場所まで行ってみるか」


「中尉。あなたが自ら赴かれる必要はありません。わたしにお命じください」


 シェリーはグッと顔を近づけると、目をぴかぴか光らせ尾があれば忠犬の振っていただろう。


「いや、近いから。離れなさい。それと私は現地現物主義を旨としている。疑問があれば自分の目で確かめたくなる性分なんだ」


 ルテリエはシェリー以下供三十を引き連れ、腰も軽く現場に急行した。


 あたりは道路計画で軟部が舗装され抜群に道がよくなっている。


「見違えるようですね、中尉」


 シェリーはにこにこ顔で媚を売ってくる。随伴の兵たちは、ほぼシャンポリオン家の一族である。


 彼らは、生あたたかい視線で若さまのお妃筆頭と目されるシェリーに対してもどこか気を使って接しており、彼女としてはかなり居心地がいいらしく上機嫌だった。


「今んとこ、軍夫の総数は三十万超えてるからな。ちなみにいうと、資金もそろそろやばい」


 兵站線の確保のため軍用道路整備を積極的に行い、その結果近隣から募集した人員は元よりいた輜重輸卒と併せて三十三万余となっていた。


 これだけに使う金穀の量は想像を絶するが、その結果は前線の戦いで如実に見えはじめていた。


 つまるところ、ルミアスランサ軍の胃袋をルテリエが握ってから物資の欠乏はただの一度も起きていない。


「資金などどうでもよいではありませんか。兄上からも礼の手紙が届いております。ルテリエ中佐の手腕で砦攻めは今までになくたやすかったと! ホラ!」


「中尉。ここまでそんな量を持ってくるなよ」


 シェリーはドヤ顔で周囲の士官にレオの手紙を見せて回っている。


 時期国王と目される騎兵将軍の懇意な手紙を目にしてシャンポリオン家臣団からも「おおっ」とどよめきの声が上がった。


(こいつ、連れて来なかったほうがよかったかなぁ)


「今、なにか思いましたか?」


「いや、なにも思ってないよ。さてさて。現場はどうなっているかな」


 ルテリエは草原のど真ん中を突き貫いている軍用道路をぐるっと見回すと、うーんと背伸びをした。


「ま、わかってたけど特に見るものはないかな」

「あの……中佐?」


「そんな目をするなよ。さあ、大儀だが一芝居打つとするか」


 ルテリエは一計を案じると、前回襲われたのとほぼ同数である補給部隊を編成し、襲撃のあった場所へと向かわせた。


 頃は深更である。


 遠方に映ずる粛々と進む輸送部隊を見やりながらルテリエたち三十名は、離れた樹木の茂る藪に身を潜めていた。


「ルテリエ。どうして、わざわざこんな少数で隠れているんだ? 敵をおびき出すというのであれば、数は少なくとも数百はないとまずいのではないのか」


 あたりの様子を窺いながらシェリーが身体を近づけこそっと耳打ちをしてくる。


 そういえば、作戦開始前に農家で井戸を借り身を清めていたといっていたことを思い出す。


 ルテリエはシェリーのなんともいえない甘い匂いを嗅ぎながら、思わず咳き込みそうになり、それから隠密行動を思って顔を真っ赤にし苦しんだ。


「いいんだよ。戦闘にはならない。いいや、してはならないんだ」


「なんだか私にはよくわからないな。あとで説明してくれるんだろう」


「説明もなにも、すぐわかるさ。そら、来た」


 長く連なっていた明かりの行列が、ついに乱れた。


 補給の輸送部隊をなにものかが群れを成して襲ったのだ。


 即座に、荷を運んでいた輜重輸卒たちがわっと叫び声を上げ蜘蛛の子のように散らばった。


 彼らは武器を携帯しておらず、輜重兵とはまるで違うただの軍夫なのだ。よって戦闘することはなく、ただ怯えて逃げ回るのみである。


 同時に、護衛をしていた輜重兵五百が応戦に出るが、敵影はすべて騎馬なのか数は百に満たないが、悠々とあしらって蹴散らしている。


「あいつら――!」


 シェリーが感情を露わにして立ち上がるが、すぐさまベルトを引っ張って転ばせた。


「まだだってば……もうちょっと動きが収まるのを待つんだよ。せっかちだな」


「だからといって、これはないでしょう。もお」


(やっぱり狙い通りだな。やつら、武具兵糧は一切無視している。おまけに火をかけない)


 輜重兵たちは予め命ぜられた通りに、適当に戦う怪我をしない程度で逃げ出した。


 敵たちは、輜重兵の練度が本軍に比べてはるかに劣っていることを熟知しているのか、その動きを疑いもしない。


「灯りと鐘を」


 兵に命じて、手持ちの松明に火を灯し、鐘・戦鼓を一斉に掻き鳴らさせた。


 地の底に響きそうな重低音とともに飛び出したルテリエたちを新手と思ったのか、数十騎が馬首を返して突っ込んでくるのが見えた。


「オールウッド兵長。頼んだぞ」

「――応ッ!」


 ルテリエの命に勇ましく応えたのは、合戦すること百二十余度。


 父である侯爵アンブロースがわざわざ送って寄越したシャンポリオン一族のなかでも、きっての戦士である。


 身の丈は二メートルを超えており、得意の大見の槍を風車のように扱うことで、敵味方両軍に知られた豪傑だった。


 オールウッド兵長は厩番の男が奴隷娘に産ませた下賤のものであったが、生来腕力が強く巨躯の持ち主だった。


 ルテリエの父が猟の際に飛び出してきた虎に襲われそうになったとき、かばうように飛び出し素手で殴り殺したという勇敢かつ犬のように忠実で、ルテリエが死ねといえば即座に命を捨てることができるほど、侯爵一族を敬愛すること尋常一様ではなかった。


 オールウッド兵長は軍馬スレイプニルが小さく見えるほどの巨体を左右に揺らし騎乗すると激しく疾駆させ、打ちかかって来る二十名ほど敵兵をまるで小枝を斧で払うかのようにたやすく薙いで捨てた。


「相変わらず凄いな」


 長大な槍がぶおんと唸りを上げて馬上の敵を撥ね飛ばす度に、荷車へとアリのようにたかっていた賊たちがワッと大声で騒ぎ出した。


「そろそろいいか。弓を使われたら計算違いになる。じゃ、行ってくるから」


「中佐、お気をつけて」


 シェリーの心配した声に見送られながら、隠していた馬に飛び乗った。


 ――手筈通りだ。ルテリエはオールウッド兵長を追うように近づくと、その細身から信じられないほど鳴り響く怒声を張り上げ、影の向こうで固まっている人々を叱責した。


「第一軍の騎兵たちよっ! 仲間の食い扶持を奪って糧とするは、誠に騎士道に反せぬ行為とお思いかっ。我は、シャンポリオン家四十七代当主アンブロース侯爵が長子ルテリエ・シャンポリオンなりっ。恥を知るものあらば潔く名乗り出ませいっ!」


 黒覆面の騎兵たちは、大きな動揺を見せると集めていた馬匹の手綱を泳がせながら、わずかな明かりのなかで小魚のようにゆらゆらとたゆたっていた。


 やがてひとりの男が右手を上げて勢を制すると、馬首を巡らせてゆっくり近づき、そっと覆面を脱ぎ捨て、その強張った顔を衆目に晒した。


「お久しぶりですね、男爵。いや、キース・ヒューズ大佐」


 ルテリエは目を細めると、いかにも満足げに薄い笑みを作った。









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